『ボヘミアン・ラプソディ』はなぜ人々を魅了したのか >>

誰か孔雀明王経(←空海や役小角が会得)の全文知っている人いませんか。
もし知っている人がいたら教えて下さい。

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A 回答 (2件)

わかったもののみ記載します


孔雀明王 ―――くじゃくみょうおう―――
 インドでは「マハマユリ」と呼ばれる。毒蛇を食らう孔雀を神格化したもので、孔雀王母菩醍、孔雀仏母などとも呼ぶ。
 その像形は、一面四臂で孔雀の背に乗る。面相は明王にはめずらしい慈悲相で、手に孔雀尾や蓮華をもつ。《仏母孔雀明王経》では、毒蛇にかまれた比丘が孔雀明王陀羅尼を誦して救われたように、この尊を念ずれば一切諸毒が消除するとされる。日本での孔雀経法の歴史は古く、9世紀初めの役小角が孔雀の呪法を修したという。また、空海が《孔雀経》の護国性を強調して以来、東密ではとくに重んじられ、祈雨法として修されることが多かった。

※孔雀明王大呪が参考URLに記載してありました。

真言「オンマユラギランテイソワカ」
http://homepage2.nifty.com/CRYPT_2/tour/kyouto/k …
真言
http://www9.wind.ne.jp/kitamuki/okyou/gongyousik …

参考URL:http://www.infomadonna.ne.jp/~mru/mitu.htm
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この回答へのお礼

ありがとうございました。参考URLですがたしかにあるある。でも書体が行書のせいでとても読みづらいですね。

お礼日時:2001/01/30 16:22

補足です。


googole(http://www.google.com/)で下記のキーワードで検索すればいろいろでてきます。
キーワード「孔雀明王經」
ただし、日本語のサイトではないです。画面を開くと、中国語だかなんだかの辞書をダウンロードするウインドウがひらきます。
内容確認はしていませんが、お経全体がみれるかもしれません。

参考URL:http://www.jaet.gr.jp/kanhoo/txt/tkanhool.cgi?pa …
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この回答へのお礼

なるほど、いろいろありますね。数も豊富だし。でも文字化けしちゃって…
ちょっと残念。でも、ありがとうございました。

お礼日時:2001/01/30 16:20

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Q夜中に光明真言をとなえると・・・

最強のマントラとよばれる光明真言です
「おん、あぼぎゃ、べいろしゃなぅ、まかぼだら、まに、はんどま、ぢんばら、はらばりたや、うん」
これを夜中に唱えると、よくないことが起こると聞きました。

どうしてでしょうか?

Aベストアンサー

私の家系は真言宗なので、光明真言は法事やらお葬式やらで普通に唱えています。
夜中にも言ってみたことありますが、一度も何にも起こったことはないです。
むしろ金縛り(霊的なものじゃなくて体の疲れによるもの)などのとき、おまじない代わりに唱えてかえって気休めになります。

唱える人が只の人なら、只の言葉にしかならないんじゃないでしょうか。

Q般若心経を唱えてしまった!!

般若心経は一般の方が唱えることはお控えください。というのも、般若心経の霊力は亡くなった霊には無条件で大慈大悲を与える功徳があります。これはこの般若心経の言霊(ことたま=言葉そのものが霊力を持っている)が霊にとっては非常に暖かく明るい光明に見えるのでどんな霊も唱えている人のところへ集まってきます。どんな霊もくるので必ずしもいい霊ばかりとは限りません。般若心経は他の真言と合わせて使わないと無防備で非常に危険なのです

単に般若心経を唱えれば質問者さんにはまったく関係のないその辺にいる霊がどんどんやってきてしまいます。あまりいい死に方をせずに成仏しないで浮遊している霊達が「もっと唱えてくれ~」と次から次へとやってくるのです。唱えるのをやめても霊達はまた般若心経を聞きたくてその場にとどまってしまいます。

ですから一般の方が般若心経を唱えるのは本当は怖いことなのです。防御系に強い菩薩の真言を奏上してその後内観という心の内を澄み切った愛情で満たしたうえでかくなる方法にて般若心経を唱えなくては霊にとってはまったく意味がございません。逆に霊を迷わす原因となります。

上のような文章をみて、どうしたらいいかこまっています。
まったくの素人です。般若心経をとなえてしまいました。しかも実家は浄土真宗なのに。。きいているあいだ、なんだか体がぐらぐらしました。
パソコンから、お坊さんがとなえたものも、聞いました。どうしたらいいでしょうか。こわいです。心を落ち着かせるために、写経をしようとおもっていたのですが、やめたほうがいいでしょうか。。アドバイスください。般若心経は邪を払ってくれると聞いたのですが、悪い霊をよびよせないで、安全な唱え方などはないですか。

般若心経は一般の方が唱えることはお控えください。というのも、般若心経の霊力は亡くなった霊には無条件で大慈大悲を与える功徳があります。これはこの般若心経の言霊(ことたま=言葉そのものが霊力を持っている)が霊にとっては非常に暖かく明るい光明に見えるのでどんな霊も唱えている人のところへ集まってきます。どんな霊もくるので必ずしもいい霊ばかりとは限りません。般若心経は他の真言と合わせて使わないと無防備で非常に危険なのです

単に般若心経を唱えれば質問者さんにはまったく関係のないその...続きを読む

Aベストアンサー

悪い霊は、比較的に午前0時を過ぎて般若心教を唱えると出てくるような気がします。朝、太陽が昇ってから唱えるのが一番効果的に思えます。朝時間がなければ、風呂上りの体をきれいにして直ぐにやれば良いです。それから般若心教に宗派は余り関係ありません。仏教でも神道でも気にするような事はないです。仏教、神道、キリスト教等がどうしてできたとかを考えれば根本は同じです。それぞれの宗派に分かれて多少は、教えが違ってきてますが、根本が同じなので気にする必要はないです。

Q簡単な自分でできる除霊

気のせいかもしれないのですが私はよく金縛りにあいます。ひどいときは耳元で喋ってきたこともあります。(ただしこれは霊的なものなのか、それとも私が極度の恐がりなので思い込みによって、ということもあります;)
身体がざわりとして何かに押しつぶされるような感覚が来て、恐いのであまり認めたくはないのですが、夢の中でいつも助けて!と思ってその気持ちの悪い感覚から必死に逃げる、(頑張って逃げ切れるのですが)というのをたまに見ます。とても嫌なので何か自分でできる簡単な除霊法はないでしょうか;?
ちなみに一度神社でお祓いをしてもらった時のお守りがあるのですが寝る時に持っていたほうがいいでしょうか?宜しくお願いいたします。

Aベストアンサー

>神社でお祓いをしてもらった時のお守りがあるのですが寝る時に持っていたほうがいいでしょうか?
そういうものがあるなら、ぜひそれをパジャマに縫いつけて就寝して下さい。
それで一発で解消しますよ。

Qとげぬき地蔵の飲むお札「御影」について教えて下さい

祖母がとげぬき地蔵の飲むお札「御影」を買ってきてくれました。
私が厄年という事と妹が喘息持ちなので良くなるようにと買ってきてくれました、丸めて飲むとかちぎって飲むとか色々ありますが、どう飲んだら良いのでしょうか?1日に何回とか飲み方とか決まっているのでしょうか?祖母は飲み方は自由だと言いますが、ご利益のある飲み方とかあるのでしょうか?ご存知の方いたら教えて下さい。

Aベストアンサー

u41102さん こんばんは。
自宅が近いという事もあり、私も子供の頃から御御影は頂戴いたしております。風邪などの時は勿論“とげぬき”地蔵という事で喉に魚の骨が刺さった時や指先に棘が刺さった時など飲んだり絆創膏で貼ったりしておりました。とても有難い御符です。

ご質問の件ですが、丸めたり畳んだり、そのまま飲んだりするのが一般的かと思われます。ちぎって飲むというのはお地蔵様のお姿を裂いてしまいますので心情としてあまりお薦めできません。また、お薬やサプリメント等と違い飲めば必ず効験があるというものではなく、こういったものは“信仰心”や“心の清らかさ”といったものが無いとご利益を頂戴出来ないものだと私個人は考えます。別の言い方をすれば飲む人の心と御御影とが共鳴し合って有難いお力を発揮するものではないかと思うのです。心を鏡に例えるならば、曇った鏡に映るお地蔵様は曇ったお姿でしか現れませんよね、逆に磨き込まれた鏡にはハッキリとお地蔵様のお姿が現れます。つまりはそういう事なのだと私は思います。

ですからお薬のように一日に何枚飲めば効果的であるとか、飲み方のコツなどという事は全く関係無く飲む人の“心”こそが何より大切だと思いますよ。

u41102さん こんばんは。
自宅が近いという事もあり、私も子供の頃から御御影は頂戴いたしております。風邪などの時は勿論“とげぬき”地蔵という事で喉に魚の骨が刺さった時や指先に棘が刺さった時など飲んだり絆創膏で貼ったりしておりました。とても有難い御符です。

ご質問の件ですが、丸めたり畳んだり、そのまま飲んだりするのが一般的かと思われます。ちぎって飲むというのはお地蔵様のお姿を裂いてしまいますので心情としてあまりお薦めできません。また、お薬やサプリメント等と違い飲めば必ず効験が...続きを読む

Q神社参拝の際、「祓い給い 清め給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?

神社参拝の際、「祓い給い 清め給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?

以下のホームページを見ると、次のような神拝詞(となえことば)があるようです。
http://allabout.co.jp/gm/gc/4971/2/

<神拝詞(となえことば)>
祓い給い 清め給え(はらいたまい きよめたまえ)
神ながら(かむながら)
奇しみたま(くしみたま)
幸え給え(さきわえたまえ)

そこで、質問です。

神社参拝の際、上記の「祓い給い 清め給え・・・(中略)・・・幸え給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?
また、個人的なお願いごとは、上記の神拝詞(となえことば)を唱えたあとに、お願いすればいいのでしょうか?

それとも、個人的なお願いごとをする場合は、上記の神拝詞(となえことば)を唱えなくてもよいのでしょうか。よく、神社やパワースポット関係の本には、参拝作法に、上記の神拝詞(となえことば)を唱えなさいと書かれていないと思います。

ただ、時々、神社に行ったとき、拝殿の御賽銭箱の近辺に、上記の神拝詞(となえことば)のうち、
「祓い給い 清め給え(はらいたまい きよめたまえ)」と書かれた表示物を見たことがあります。

そもそも、参拝の際に、神前での願い方について、何を唱えればいいか、何が正しいかわかりません。

よろしくお願いします。

神社参拝の際、「祓い給い 清め給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?

以下のホームページを見ると、次のような神拝詞(となえことば)があるようです。
http://allabout.co.jp/gm/gc/4971/2/

<神拝詞(となえことば)>
祓い給い 清め給え(はらいたまい きよめたまえ)
神ながら(かむながら)
奇しみたま(くしみたま)
幸え給え(さきわえたまえ)

そこで、質問です。

神社参拝の際、上記の「祓い給い 清め給え・・・(中略)・・・幸え給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?
また、個人的なお願...続きを読む

Aベストアンサー

私は、宗教が神道ではない者として、口を挟むつもりはありませんでしたが、書かざるをえない気がしました。出来れば、新興宗教の方は、その身分を明らかにしてほしいものです。知っている人には分かります。教義に書かれていた内容は、必ずしも一般的な情報とは違いますから、読み手は間違った認識を持ってしまいます。私自身は宗教団体には関係してませんが、生まれながら、仏教と神道の狭間で、相矛盾した中で割り切れない問題を背負って育ってきましたが、ある意味で時代に翻弄された一人だというしかありません。

昨年でしたか、大相撲の朝青龍が、手刀を切り、懸賞金を左手で受け取り、大ひんしゅくをかいました。相撲というのも、神の御前でする神事ですが、形から入り、心が入り、そして、そこに美と調和が生まれるわけです。これを「様式美」と言い、ただ、勝てばそれで良いというわけではない、という端的な例を表しています。

神社では、鳥居の前で脱帽し、礼をし、二礼二拍手一礼のマナーというものがあります。また、手水舎(てみずや)で片方ずつ手を清め、口をすすぐというのは常識ですが、直接、ヒシャクに口をつけてはいけません。今は、常識が常識でなくなってきているようです。確かに、出雲大社などでは違う作法があるところもありますが、それは注意書きが入っていたはずですし、こういう作法は、混沌としているということでもありません。明治以降、二礼二拍手一礼(二拝二拍手一拝)を一般としてしてきているわけですから、それに従えば済むことです。知らなければ、覚えれば済む話です。この作法は、明治時代に作られた「神社祭式」を根拠としています。

また、女性は、柏手(かしわで)を鳴らさないというのは、占い師の細木数子氏が言ったそうです。しかし、女性は鳴らさないというようなことはありません。柏手は、神様を呼び出すという意味を持っているのですから、死者の前(葬式やお墓)では鳴らさない時(しのび手)があるという常識さえ知っていればよいことです。また、お寺では、二礼二拍手一礼はしないということも心がけてほしいものです。

それが、いつの時代に作られたものであれ、統一されたものなら、それに従わないということはありません。マナーのひとつとして、ぜひ、守って欲しいものです。それを守らなかったら、どうにかなるということではありません。日本的な表現ですが、「美しくない」ということです。

それから、祝詞というのは、簡単にいうと、「かむながら」という言葉がある通り、「神の御心のままで」という意味ですから、もともとは、「神の言葉として上から下に申し伝える言葉」だったわけです。唱え詞(となえことば)で一般的に知られているものは、

「祓い給へ 清め給へ 守り給へ、幸(さきは)え給へ」
というものです。私は、特に参拝客が声を上げて唱えるという話は聞いたことがありませんが、神社に詣でたときに、どこかに書かれていたら、黙読し、心の中で、「清い心で、神様の御心のままに、みなを守り、みなが幸せになれますように」と祈ればよいと考えています。

なお、浄土真宗の話に触れておきます。
日本の宗教の中で、戦前戦後、妥協を許さなかった宗教であり、西洋哲学でいうなら、日蓮宗が日本型の強者の理屈を持つ宗教なら、(浄土)真宗は、それに対抗する弱者の宗教です。

浄土真宗は、現代まで靖国神社を反対している唯一の仏教団体です。ここでは、日蓮系の新宗教団体は除きます。明治政府は、事実上、仏教と神道を分離しました。祝詞を唱えると願いが叶うという発想は、空海の真言密教を起源とする両部神道であるかもしれませんが、仏教色が残るものとして、これ自体も廃仏毀釈運動によって排斥されました。

浄土真宗の「南無阿弥陀仏」と唱えることは、日蓮宗のように題目を唱え利益(りやく)が得られるというような意味合いを持ちません。念仏は念仏を唱えること自体に意味を持ちません。それは、信仰そのものの現れだと考えています。

真宗大谷派大阪教区『銀杏通信』靖国神社に対する考え方。
http://www.icho.gr.jp/faq/q_a_042.htm

明治の初期、森有礼の建白書や浄土真宗の島地黙雷僧侶が、明治政府に信仰の自由を訴えましたが、逆に神道側は、その体制を整えることになりました。

明治憲法が発布されたとき(明治23年)に、神道とは国家神道として、別格な地位を得て、「国民の道徳」としました。断じて、浄土真宗が、神道に影響されたり、政府に擦り寄り、神道に影響を与えたなどということはありません。

また、見えない霊自体を肯定するかどうかは別としても、霊体が危害を加えようとするという、オカルティズムは、私たちの一般社会には馴染まない考えだと思います。

参考:国家神道

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%A5%9E%E9%81%93#cite_note-6

私は、宗教が神道ではない者として、口を挟むつもりはありませんでしたが、書かざるをえない気がしました。出来れば、新興宗教の方は、その身分を明らかにしてほしいものです。知っている人には分かります。教義に書かれていた内容は、必ずしも一般的な情報とは違いますから、読み手は間違った認識を持ってしまいます。私自身は宗教団体には関係してませんが、生まれながら、仏教と神道の狭間で、相矛盾した中で割り切れない問題を背負って育ってきましたが、ある意味で時代に翻弄された一人だというしかありませ...続きを読む


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