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 最近は芸能人出演する討論番組が増えていると思います。
 私も最初はバラエティの討論番組を見た影響で政治に興味を持ちました。
 最近の番組でも随所では大事なテーマを扱って、的を得た意見も出ているとは思います。

 しかしながら、ほとんどの番組で意見が対立すれば相手を罵倒したり、感情の吐き捨てのような発言も多く、とてもマナーが守られているとは全く思えません。
 意見の対立に関しては、人間、十人十色の考えを持っているわけで、意見の相違点が生まれるのは当たり前ですし、だからこそ討論するのだと思います。意見が食い違ったときこそ、なんで考え方が違うのか検証する良い機会のはずなのに、そこで相手の意見を罵ったり、そこで議論が途切れたりしていては、討論の意味がないと思います。

 人が喋っている最中に自分の意見を言う(司会者がそうしている番組もある)。
 扱っている討論のテーマ自体が人の生き方を否定したような番組。
 社会問題にどう対応したらよいかを考えるのではなく、「オレ的には、あの人の生き方は好きじゃないんだよね」とかの発言を繰り返すだけの番組。
 討論番組という名で、討論せずに同じ思想の人間を集めて、一人の著名人を批判する番組を見たときは唖然としましたが・・・

 こういう番組は製作側がどんな意図を持って番組作りをしているのか疑問です。
 最近になって、私にはにちゃんねるのTV版にしか思えなくなってきました。
 
 皆さんは、このような番組はあったほうがいいと思いますか?ないほうがいいと思いますか?

A 回答 (4件)

「討論番組のバラエティー化」というよりも、もともとテレビは視聴率至上主義の「娯楽」を提供してきたわけですから、むしろバラエティーでない番組を探すほうが難しいでしょう。

仮に政治家や大学教授だらけで構成された「真面目な番組」があったとしても、そこでなされる議論はほとんど無益だと思われます。さらに最近では、お笑いブームのおかげで芸能人までもが討論番組に参加しつつあります。したがって、もともとバラエティー色の強かった討論番組が、さらにその色合いを強めているのではないでしょうか。この点では、質問者さまと同意見です。

けれども現実には、あのような番組こそが視聴率を稼いでおり、ゆえに大衆世論は「あのレベルの議論」を望んでいることが推測できます。むしろ質問者さまのように、「あれは議論じゃない!」と指摘できる人は少数派なのでしょう。つまり、多くの国民はアレを議論だと信じきって疑わない、そういう高校生が大学に入学することは多々あるようで、私の恩師は「この入試課題レポート、作文すぎて採点できないよ」と嘆いていました。もっとも、なかには作文を教えたり絶賛したりする大学教員もいるようですし、やはり世論としては「あの議論が正しい」といえます。事実、マスメディアは世論を報道すると同時に形成するものですから、質問者さまや私のような人間は反国民的だとして嫌われるかもしれません。

実際、今日の太田さんの番組を両親と見ていましたが、両親はおもしろがるんですよアレ。何食わぬ顔をして、今の教育は間違っているとか、アンケートにもそういう結果が出ているとか言うんです。それに対して私が、「あんなくだらねぇ議論よく見れるな。アンケートの手法も間違ってるだろ。バカじゃねーの」的なことをいってしまうと、喧嘩になりますね。私にとって、テレビは喧嘩の種でしかありません。だから普段は見ないのですが、今日はたまたま見ていて喧嘩になりました。なお、『ネット時代の反論術』(仲正 昌樹)という本がありますが、最近の「議論」に辟易している人にオススメします(ちょっと見方が一方的で愚痴っぽいけれど…、でも楽しい本です)

以上を踏まえたうえで、ご質問については「あってもしょうがない」と答えます。もっとも、昔の私なら「今すぐにでもなくせ!」と回答していたと思われますが、日本には表現の自由があります。これを無視して気にくわない意見を排除しようとするのは、それこそ独裁国家のようで危険なのではないか、というのが今の考えです。したがって、さまざまな意見や番組があって、それを自由に選択できる(見たいものだけを見る、見たくない人には無理に見せない)ことが理想だと考えています。

けれども安倍総理の「美しい国」発言を聞いていると、いつの日か日本が独裁国家的な道を歩みそうで怖いです。あの発言、なんだか美しくないものを排除しようとしているように聞こえるんです。そうなるよりなら、たとえくだらなくてもバラエティー討論番組があっても構いません。とはいえ、あのような通俗的な考え方――最近では、昔に戻れだのマナーだのモラルだの統一行動だの、なんだか軍国主義っぽい――が必要以上に支持されてしまうと、バラエティーは「娯楽」では片付けられなくなってしまいます。

現時点では「あってもしょうがない」というのが結論ですが、もしバラエティーが上記のようにプロパガンダ化した日には、私は「あんなもんなくしてしまえ!」と啖呵を切るはずです。なお、ご質問については非常に興味深く読ませていただきました。ご指摘のように、事実と主観とを混同したり、絶対的な正解を求めるがために相手を罵ったりするのは不愉快です。さらにまた、個人的には事実誤認も気になります。「最近のしつけが・・・」のような間違った前提を、にもかかわらず熱く議論されると腹が立ってしょうがないのですが、両親らは真に受けるのですよ。その前提からして間違ってるよと指摘しても「本やネットよりもテレビが正しい」と信じて疑わないし、テレビ教の宗教力はスゴいなぁ(笑)

ちょいと感情的になっており、長文になってしまいました。ご迷惑をおかけしてすみません。

参考URL:http://amazon.co.jp/dp/4166605313/,http://okwave …
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この回答へのお礼

>仮に政治家や大学教授だらけで構成された「真面目な番組」があったとしても、そこでなされる議論はほとんど無益だと思われます。

そうですか?ニュース23は有益な議論がなされていて、あの番組こそ真の報道番組、真の討論番組だと考えていますが。


>あれは議論じゃない!」と指摘できる人は少数派なのでしょう。

そうですね。私の意見は少数派の考え方が多く、批判も浴びますから、非国民でしょう。

ただ、Kaizさんは親子で討論番組を鑑賞して話し合っていることは中睦まじく羨ましいです。私の好きな23では、親子が番組の討論内容を課程で討論するには、御堅い番組という視聴者の評価になってしますのでしょう。
ご紹介された本は、面白そうですね。本屋で見たら買ってみたいと思います。

そうですね、私が「いまにもなくせ」と書いてしまったので、文章を読んだ側からは、「直情型の人間の意見だなぁ」と印象をもたれ、冷静な投稿をしていただいたのが、1~3さんの回答ですね。

本当にこの番組の存在価値を問うような質問をするためには、もっと上手に質問しないと駄目ですね。

「美しい国」発言は私も好きではありません。
格差の下で生活に苦しんでいる人間がいることを見ようとしない、頑張った人だけ報われる。下の人間を「努力不足」の一言で片付け、社会の好ましい面しかみようとせずに、見えないところにどんな門外が潜んでいるか思慮しないような政治だと思います。

テレビの影響力も政治の影響力も凄いですね。

勉強させられました。
知的なご意見ありがとうございます。

お礼日時:2007/04/27 12:03

日本は政治風刺番組がなかなか育たない土壌がありますね。


おっしゃっている番組は、中味はともかくコンセプトとしては、小さい風穴を開ける意味では面白い試みと思います。
「TVタックル」が代表的なものですが、爆笑の大田が総理扮する番組も、テーマに意外と現実味があって面白いですね。
出演する政治家には評判がいいですよ。出演すれば顔が売れますから。しかもゴールデン、これ以上の宣伝はありません。
司会者の誘導自体は台本通りかも知れませんが、裏の意図としては「ある方向に視聴者の興味を向かわせる」ということは時としてあると思います。
そこを見極めながら見ていくのがいいのでしょうね。
テレビは向こうからの一方通行ですから選択権はこちらにあります。
バラエティという形を取りながら、随所に政治批判がある、というのはいかにも日本らしい思います。
その割には政治的関心がなかなか上向かないのは「所詮バラエティという感覚でしか見ていない」ということなのでしょうね。
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この回答へのお礼

 こんにちは。
そうですね。政治の認識のレベルに差がある人達が大勢に集まって笑いも交えながら重大な門段を討論できるというのが、このような番組の存在しているメリットなのでしょうね。


>司会者の誘導自体は台本通りかも知れませんが、裏の意図としては「ある方向に視聴者の興味を向かわせる」ということは時としてあると思います。そこを見極めながら見ていくのがいいのでしょうね

これは、大切なことであると同時に、難しい課題でもあると思います。

>「所詮バラエティという感覚でしか見ていない」ということなのでしょうね。

ここから脱却できないと、ただバラエティの中で政治を扱っているという事実から発展できないと思いますl。

ご意見ありがとうございました!

お礼日時:2007/04/21 15:42

あったほうがいいか、ないほうがいいか、ということを議論しても、日本は資本主義かつ民主主義(多数決国家)です。

世の中に悪影響を与える、と思われるようなものも、お金が儲かる限りなくなりません。また、国民が何らかの形で支持しているものもなくなりません。

必要、不必要の議論以前に、視聴率がとれなければこのような番組はとっくに淘汰されているはずです。
視聴率がとれなければ、民放は儲からないからです。
しかし、このような番組が増えている現状には、国民がそれを望んでいることが、視聴率となって現れていることが一因として考えられます。

したがって、議論自体が成立しない問題です。こういった番組が不要な社会になれば自然淘汰されるはずです。
こういった番組を期待している国民がいるから、放送されるのです。
また、そういった番組が期待される社会になっているのです。

インターネットの普及によるメディアの拡大で、情報量やコミュニケーション量は莫大に増えました。しかし、その中で自分に有用な情報が同かを仕分けるのは自分自身がしなければいけないことです。あるなしを議論する前に、よくないとおもえば見なければいいことだと思います。
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この回答へのお礼

こんにちは。
そうですね、これから大量の情報の中から、なにが善で何が悪なのか自分で見極めないといけない時代になってきますね。
ただ、私が質問に挙げた番組は小さな子供も見ているわけで、私は子供がいるわけではないですが、大人が相手を敬わない発言を大量に吐き出している映像を子供には見せたくないので。
そのような意味で、このような番組がまかり通っている現状に苦言を呈しておきたかったのです。

ご意見ありがとうございました。

お礼日時:2007/04/21 15:36

質問からして間違っています。



討論番組のバラエティー化、ではなく、討論番組はバラエティー番組なのです。
あなたが感じていることはすべて番組プロデューサーの意図なのです。
(コメンテーター、論客、のキャスティングを見ればよく分かると思います)
そのような番組に「討論の意味」を求めること自体、間違いなのです。
(どの番組とは言いませんが、「台本」がある番組もあります)
番組自体は、あったほうがいいとも、ないほうがいいと思いませんが。

≫私にはにちゃんねるのTV版にしか思えなくなってきました
この認識で十分だと思います。
その時々に注目されている事象に言いたいことを言っているだけですから。
2chと同様に「見たい人が見て、利用したい人だけが利用すればいい」のです。
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この回答へのお礼

こんにちは。
コメントありがとうございます。
討論番組はバラエティ ですか・・・
また、報道番組もバラエティー化しているように感じますし、
討論番組も報道番組もバラエティー、娯楽のみを追及して、中立性や道徳性をないがしろにしている世間の流れには危機感を感じるのですが・・・

ご意見ありがとうございました。

お礼日時:2007/04/21 15:31

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