論語の読書会をしています。
テキストには明治書院の漢文大系と宮崎市定の論語を使い、
学生時代、国文科の授業(古典籍の翻刻などが中心でした…)でやっていたように
古注などを参考にして読んでいます。
しかし何しろ門外漢なので、テキストの選択、参考図書などは
高校で教員をしていた時に使っていたものなどが中心になっています。
中文、あるいは哲学の方はどのように論語を読んでいるのでしょうか。
基本的な論語の読み方を教えてください。

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A 回答 (3件)

読書会ということなので、あまり参考にならないかも


しれませんが、私がおこなった「論語」の読み方を
紹介いたします。
私は、「論語」の注釈書にあたりました。
「論語集注」「論語正義」「論語会箋」などです。
「論語」についていろいろ解釈してるんですが、
それぞれ論が違っていておもしろいです。
でも漢文で書いてあるのを自分で書き下して読んでいかなくては
ならないので大変でした。
・・基本図書ではありませんが参考まで・・。
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大きなお世話でしょうが、アドバイスです。



「論語」「大学」「中庸」「孟子」の全てについて思うのですが、
例えば、孔子が実行していた「礼」は、現代では全く不要の「礼」です。

これは全く当たり前の話でして、時代や国が違うのです。

私は「岩波」のテキストで充分だと思います。数々のテキストを読んだ
結果、細かい訳では違いがあるのですが、その「精神」では、あまり違い
はありません。「儒教」は学ぶものであって、解釈を勉強するものでは
無い筈です。その「精神」は極々単純なのでして、単語にとらわれない事が、
最も重要な「読み方」では無いでしょうか。
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この回答へのお礼

解答ありがとうございました。
『論語』をいろいろなテキストで読んでいる方がいるというのは、
やはり誰もが一度は読んでみたくなるものなのでしょうか。

お礼日時:2001/01/18 18:24

私は中国史の方をやっていたものですが、多少関係もあるかとおもい、アドバイスさせていただきます。

辞書類はどのようなものを使われていますでしょうか?市販の漢和辞典では、論語にはまったく間に合わないと思います。角川の「新字源」などは多少ましですが・・・。高くはなりますが、大修館の「大漢和辞典」などの本格的な辞書類でないと、意味をとるのが難しい場合があるのではないか、と思います。
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この回答へのお礼

早速の解答ありがとうございました。
辞書ですが、角川の『新字源』と大修館の『漢語林』を使っています。
『大漢和』が欲しいところですが、金銭的・スペース的に無理でして…。
読書会のパートナーが『字通』を持っているのでそれも見ています。
国文では、語釈などに『日本国語大辞典』を使って一語一語意味をあたったりしますが、中文ではどうなのでしょうか。

お礼日時:2001/01/18 18:19

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Q論語、孫子など勉強したいのですが

論語や孫子など昔から武士が素読、写本などしてきた教科書のようなものに非常に興味がありますが漢文の教科書、解説付きのようなイメージで分かりやすいものを探しています。
なにか情報があれば教えてください。
写本もしたいのでできれば漢文の形のまま、読み方、訳が付いたものがあれば助かります。

Aベストアンサー

明治書院の「新釈漢文大系」シリーズがおすすめです。
このシリーズの第1巻が論語、36巻が孫子です。

原文を短い段落ごとに区切り、その原文の全訳と注釈と解説文から構成されています。

漢文の素養がない私ですが、解説文を読んでイメージをふくらませてから全訳を読み、そして原文を理解しています。(本来は逆であるべきなんでしょうけれど。)

図書館にあるかもしれないので、ぜひ手にとってご覧になってください。私はいつもこれを借りて帰ります。

http://www.meijishoin.co.jp/search/index.php?BOOK_ID=KAN000010
http://www.meijishoin.co.jp/search/?BOOK_ID=KAN000430

参考URL:http://www.meijishoin.co.jp/search/index.php?BOOK_ID=KAN000010

Q論語の言葉なのですが・・・

孔子の言葉に「祭るに在すが如くす」と云うものがあるのですが・・・
これは一体どのように取るべき言葉なのでしょうか?
森鴎外の「かのように」と云う話の中に出てきたのですが、
この言葉を言葉の意味のまま取っていいものかどうか迷っています。
「文学」の所に出すべき質問なのかもしれませんが、若し宜しかったら
お教え願います。

Aベストアンサー

諸橋轍次著「中国古典名言事典」では,

「祭ること在すが如くす」という古語がある。その意味は,神を祭る時,あたかも,そこに神がおわしますような気持ちで祭ることである。単なる形式に終わってはならない。何事にも誠をつくしてあたれ,と説くのである。

と説明されています。「祭る」の解釈が岩波文庫版とは分かれていますが,要は「形だけではなく心を込めることが大事だ」という意味でしょうね。
ちなみに,孔子の言葉ではなく,論語の編者の言葉(つまり「子曰く」が頭についていない)だそうです。

ところで,質問者が求めていらっしゃるのは,こういう字面の説明ではなく,鴎外の作品の中において論語の編者の言葉をどう解釈するかということでしょうか?
だとすると,「かのように」は読んだことがありませんので,他の方が回答されるのを待ちたいと思います。

Q論語の「知好楽」

『論語』にある『知好楽』は

『子曰く、これを知る者は、これを好む者に如かず。
これを好む者は、これを楽しむ者に如かず』

「これを知っているだけの者は、これを愛好する者におよばない。
これを愛好する者は、これを真に楽しむ者にはおよばない」

・・・ということですが、2番目と3番目の違いがよく解りません。

愛好しているならば、楽しいはずだと思うからです。両者の違いの真意は何でしょうか?

Aベストアンサー

いろいろな解釈が可能でせうけれど、学術的には回答番号3の方の見解が有力説ではないかと思ひます。suzumenokoxさんの「身を浸す」といふ表現が巧みです。専門家のあひだでは、「一体となる」と表現されることが多いのですが、その一例を挙げます。

「ものごとを理解する人は、これを愛好する人にかなわない。愛好する人は、楽しんで一体となっている人にかなわない。」
(『論語』貝塚茂樹訳注 中公文庫 166ページ)

>両者の違いの真意は何でしょうか?

「真意」を知りたいのでしたら、こんなところで質問するより、孔子から直接話をきくべきです。一部分だけを読んだのでは、曲解します。全体の流れの中で理解すれば、「真意」に近づきます。少しあとのところで、孔子は「楽しむ」について、こんな解説をしてくれてゐます。

「子の曰わく、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿し。」
(『論語』金谷治訳注 岩波文庫 85ページ)

頭の良い人は、積極的、行動的に楽しみ、人徳のある人は、沈着におちついて楽しみます。孔子の考へでは、動的でも静的でも、いづれも「楽しむ」です。その違ひは、行動的な楽しみより、受動的な楽しみ方のほうが、人生において長続きがするといふことです。

では、「好む」と「楽しみ」の区別は何だと、孔子は述べてゐるのでせうか。今度は少し前を読んでみます。

「子の曰わく、人の生くるは直し。これを罔いて生くるは、幸にして免るるなり。」
(『論語』金谷治訳注 岩波文庫 84ページ)

素直な生き方をしなさい、といふすすめです。性善説とまではいひませんが、やや近い発想です。人それぞれ自分の持つものを発揮してゆけば、うまくゆく、と説いてゐます。自分の信条のみが正しいと固執せず、他者の多様な価値観を認めればそれは可能となります。

アレンジして、スポーツで考へてみます。特に意識しなくても、素直に行動すればうまくゆく状態が、第三、つまり最高の「楽しむ」です。訓練を積んで、無意識のうちに体が自然に動く状態ではないでせうか。それに対し、第二の「好む」は、少しうまくゆかない状態です。基本的なフォームがしつかりと身についてをらず、素直なやりかたが、成果としてあらはれません。中国文学哲学の専門家のことばでは、競技に「一体と」なつてゐて、自然に動ける状態が「楽しむ」なのだと思ひます。

俗な言ひ方をすれば、

好む : 下手の横好き
楽しむ : 好きこそものの上手なれ

ではないでせうか。最後は、私なりの拡張的な解釈です。いづれにせよ、名言や格言はそれだけを読んだのでは理解できません。なるべくなら『論語』全体を読んだうへで、結論をお出しになることを願ひます。

いろいろな解釈が可能でせうけれど、学術的には回答番号3の方の見解が有力説ではないかと思ひます。suzumenokoxさんの「身を浸す」といふ表現が巧みです。専門家のあひだでは、「一体となる」と表現されることが多いのですが、その一例を挙げます。

「ものごとを理解する人は、これを愛好する人にかなわない。愛好する人は、楽しんで一体となっている人にかなわない。」
(『論語』貝塚茂樹訳注 中公文庫 166ページ)

>両者の違いの真意は何でしょうか?

「真意」を知りたいのでしたら、こんなところで...続きを読む

Q『君子は多能を恥ず』{論語??}について(えなり君のTV発言に関して)

『堂本兄弟』(フジ系)10/20放送にて「えなりかずき」クンが、好きな諺について上記の「君子は多能を恥ず」だと言われてました。
彼によると出典は「論語」、解釈は{君子は色んな事に優れるより、一つの道を極めなければならない}などと言う事でした。

私は多少、中国思想をカジル者として、どこか疑問を感じました。
孔子のいうところの「君子」とは、一芸に秀でる者や、技術者は才能がある者としても、それを決して「君子」とは言わないかと。
{君子は器ならず}と有る様に。
むしろ「君子」は、一つの分野にとらわれ秀でる人物でなく、人の上に立つ事においてバランス感覚の優れた、オールマイティー的才能(&人格)が求められるべきであると。

すぐさま、手元にある文庫の『論語(金谷治訳注)』にて調べた所、この文句の確実なる出典個所は見つけられなかったものの、類似した個所はありました。
それは{子カン扁}にあり、太宰(人名)が孔子の多能について感心し、それこそまさに君子だといった言に対し、孔子は、私は幼い頃貧しかったので、多能になったが、その事と君子であることは関係ないと。(聖人、君子たるもの多能でなくてもよい)
ここでいう多能とは、雑用的余計な、つまらぬ才能であり、君子は優れた人であるが、そのような才(多能)は必ずしも必要とはしない、と言ったニュアンスです。


1、まず、出典が「論語」にあるか?(他の文献にあるのか?)
2、そして、「君子は多能を恥ず」の(えなり君の)解釈は正しいのか?
3、また、この「君子は多能を恥ず」は、儒教的というより(私の推測では)老荘的であると思うし、「君子」が「君主」であるなら、無為の君主像を有する韓非的であると思われますが…。いかがなものか。

有識者からのご意見やアドバイスや、
この出典をご存知の方がいらっしゃいましたらお知らせ下さい。

『堂本兄弟』(フジ系)10/20放送にて「えなりかずき」クンが、好きな諺について上記の「君子は多能を恥ず」だと言われてました。
彼によると出典は「論語」、解釈は{君子は色んな事に優れるより、一つの道を極めなければならない}などと言う事でした。

私は多少、中国思想をカジル者として、どこか疑問を感じました。
孔子のいうところの「君子」とは、一芸に秀でる者や、技術者は才能がある者としても、それを決して「君子」とは言わないかと。
{君子は器ならず}と有る様に。
むしろ「君子」は、...続きを読む

Aベストアンサー

徒然草122段に「この外の事ども、多能は君子の恥づるところなり。詩歌に巧みに、糸竹に妙なるは、幽玄の道、君臣これを重くすといへども、今の世には、これをもちて世を治むる事、漸くおろかなるに似たり。金はすぐれたれども、鉄の益多きにしかざるがごとし」とあります。
出典は論語の「吾少也賎、故多能鄙事。君子多乎不多也」ですが,ここで兼好がいっている君子は明らかに君主のことですから,論語の意味とは違ってますね。

Q孔子の『論語』について

有名な「われ十五にして学を志し…七十にして心の欲するところに従って矩をこえず」の言葉の内容というか、簡単に現代風にわかりやすい感じでいうとどんな感じですかね??
最後の「七十にして…」のところがわからないんですけど。

Aベストアンサー

素直に思った通りのことを言っても人と揉めなくなった。
素直にしたいようにしても人を不快にさせなくなった。
ということでしょう。

自分のままでいながらも調和できるようになったということで、
よい意味で捉えられがちですが、
宮崎市定という有名な京大の先生は『論語の新研究』という本の中で、
「孔子も歳をとったということだ」と解説していました。
10代のころは???でしたが、最近それもわかる気がします。


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