ヨーロッパのピューリタンがアメリカに移住したときのいきさつはどんなものだったのか??アメリカ人のアイデンティティとは一体どんなものなのか?などアメリカが始まった初期の段階の歴史を詳しく知りたい。

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A 回答 (1件)

もう、15年ほど前に書いた卒論の内容を、おぼろげに思いだしながらお答えさせていただきます。

よく考えて論文にまとめたはずなのですが、あくまでも私見ですので、偏りがあるかもしれません。その点をお含みおきください。
 まず、入植者はさまざまな人々のあつまりでした。清教徒と呼ばれる人々に加え、その他の理由でヨーロッパを去らなければならなかった人々(受刑者など)も多く含まれていました。彼らに共通していたのは、「新天地に夢を託すしか道が残されていない」人々であるということでした。
 さらに、生活環境は大変厳しかったようです。入植するため大西洋をわたる間の長い船旅、そこでの劣悪な衛生状況、さらに入植後の厳しい自然・・・。初めて入植した人々は厳しい寒波に襲われ、大多数の人が冬を越せずに亡くなったと言います(実はそのとき、俗に言うインディアン、つまりネイティブ・アメリカンの人々が彼らにトウモロコシを与えたことで、彼らは絶滅せずに済んだのだとも言います)。
 旧世界を追い出され、道中は苦しみ、新世界では厳しい自然が待っていた、というわけで、ここから以下のようなメンタリティが生まれたと私は考えています。
-選民思想。「私たちは選ばれた民である」という意識。これがなければ、精神的プライドを保つことができなかった。
-「純粋な未開人」としての誇り。その後、大統領のジェファーソンかジャクソンがヨーロッパを訪問した際、アメリカ人は旧世界の害毒に犯されていない、純粋な未開人である、と考えています。
-農業を通じて神の国を作る、という思想。プロテスタントのカルヴァンによる「勤労を通じて神様に奉仕する」という宗教観が、未開地を開墾するということとよく一致した。
-「丸太小屋の精神」。生活に関わるすべてのことを、男女関係なく(とは言っても差別的役割分担はありましたが)自分で行い、生産的活動をしなければならない、という感覚。
-民主主義。自分たちの生活に直結する、コミュニティ全体の政治について、自ら関わり、決定し、遵守していこうという姿勢。
 こうして入植者たちは新世界で自分たちの社会を作りだしていきました。そこには「理想郷を自分たちの手で作るというプライド、未来志向などがあった」一方で、やはり人間には業というか、善悪両面あるのでしょうか、やはり悪い意味での「ムラ社会」的感覚もあったのでしょう。彼らは、自分たちの後に入植してきた人々(例えばアイリッシュの人々:カソリック)を迫害しました。そしてそうした人々に、その人たち独自の文化を捨て、自分たちが築いた理想郷「アメリカ」に従属するように迫ったのでした(アメリカニズム)。

 ・・・といろいろ書きましたが、私は「アメリカにおける人種主義問題の精神的ルーツ」を求めながら論文を書きましたので、見方が偏っているかもしれません。すべての入植者が人種主義者になったわけではないですからね。あくまでも一つの切り口としてご参考になってください。
 アメリカ史の入門書としては、有斐閣の「概説アメリカ史」という本があったと思います(もう相当昔に読んだ本なので、今でもあるのかな?)。大学図書館や大手書店にはおいてあるかも。一度読んでみてはいかがでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
大学の授業のレポートの課題が余りにも莫大で、困ってて。
役立たせてもらいます☆

お礼日時:2001/01/18 18:27

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