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田沼意次の時代は、賄賂政治が行われ、
政治が腐敗していたようです。
庶民からは嫌われていました。
一方で、その政策は、商業改革中心で、時代に即したものだった
ようです。
老中の位であり、お金もあったはずですが、
どうして賄賂をとるような不平等なことを行ったのでしょうか?
また賄賂政治を行いながら、20年近くも政治を牛耳って
いられたのはいかなる理由からでしょうか?

よろしくお願いします。

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A 回答 (7件)

 私も田沼父子のために弁護を行いたいと思います。

田沼ファンです。大河でやってくれないか、と思ってます (^o^;

> 政治が腐敗していたようです。

 やっていたことから判断すると、今より立派です。例えば今は、賄賂は取らないですが、年金資金などで豪華な公務員宿舎を建てて自分たちは住み、流行るはずもないホテルをたてては1000円くらいで売却して、おかげで年金資金は不足して、多くの庶民が困っています。


> 庶民からは嫌われていました。

 改革を推進すると、概して推進者は嫌われますよ。
 戦時に平和を説く人も嫌われる。日露戦争でしたか、講和条約を締結した人(名前失念)は、日本に帰るのが怖かったという話を読んだことがあります。庶民に暗殺されそうで。

 ちなみに、田沼の後継者はもっと嫌われたようですよ。「白河の清きに魚も住みかねて、もとの濁りの田沼恋しき」でしたっけ? そんな狂歌が読まれたりして。


> 一方で、その政策は、商業改革中心で、時代に即したものだったようです。

 そこですよねぇ。本当に賄賂をとっていたのかどうか、疑問を感じさせる点は。人というものは、賄賂を取って、正しいことをやるものでしょうか。


> 老中の位であり、お金もあったはずですが、
> どうして賄賂をとるような不平等なことを行ったのでしょうか?

 外様などを中心に、大名を貧乏にするのは幕府の政策だったため、重臣への贈り物が多額でも、問題視されなかったという話もあります。これは小説ですが、「重臣に賄賂を多く出すのは幕府に対する忠義の現れ」と言われていた、というような話も。

 ちなみに、白河さんの書いた日記に、自分も若いときに猟官のため賄賂を贈ったが、少額だった、と書いてある由。


> また賄賂政治を行いながら、20年近くも政治を牛耳っていられたのはいかなる理由からでしょうか?

 表面的には将軍が支持していたから。本当のところは、優秀な人が、時勢に合ったことをやっていたからではないでしょうか。

 田沼時代の幕僚が、強権をもって反対派や庶民を弾圧した、という話は見たことがありません。
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 田沼意次が賄賂政治でないことが定着した


 皆さんの解答を読んで安心しました。かつて東大の辻善之助先生が「田沼は賄賂政治」と評し、それを大石慎三郎先生が『田沼意次の時代』で「田沼は賄賂政治ではない」と訂正してから、田沼の評価が高まったようです。田沼の政治がどのようなものだったのか?は「大江戸経済学」で検索してみて下さい。参考になるサイトがあります。江戸時代に関しては新たに評価が高まったことが多いようです。5大将軍徳川綱吉の「生類憐れみの令」と犬供養に関しても、綱吉の評価が高まったようですし、荻原重秀に関しても再評価の本が出たようです。江戸時代を単に「鎖国」と決め付ける人も今はいないようです。いずれ幕末の「金流出」に関しても、日本の金融システムが諸外国に比べ、進みすぎていたからだ、と再評価されると思います。
 杉田玄白の言葉を借りれば「なんとなく明るく、自由な時代」だったのです。
 お薦め本は==大石慎三郎著「江戸時代」中央公論社 1977.8.25 、大石慎三郎著「田沼意次の時代」岩波書店 2001.6.15 、関根徳男著「田沼の改革」郁朋社 1999.2.11
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田沼時代が賄賂時代で悪政だった


というのは、他の方も回答されているように、次の政権を握った、松平定信が田沼を否定するための半分でっち上げです。

田沼意次に関しては、それまでの農本主義を乗り越えて重商主義に幕府を移行させようとした開明的な政治家であったという見直しがあるとともに、典型的な忠臣として、自分が仕えた家治のために、全力を注いだという見方もあります。家治は父祖への敬慕が強く、日光参内を数多く行っております。その経費を捻出するために、新しい経済体制が必要だったという動機によって、重商主義に移行したとも言われています。

また、家治の跡を襲った家斉の実父・治済が黒幕で、田沼否定言説を作り出したとも言われています。

※ 20年近く政治を牛耳れたのは、将軍家治への忠誠が強かったからです。意次も、上記に記述したように、家治の希望(父祖への尊崇)を実現するために大変な努力を払っています。
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ちょっと時代を先取りしてしまったという方が今はいいかもしれませんね。


田沼の手法は武士には理解出来ない近代的な改革志向みたいです。
封建社会と近代社会との転換点だったんじゃないでしょうか。
封建社会に慣れきった人間にとっては近代的な政策には「不平等」としか見えませんからね。

明治政府としても、時代を切り開いたのは明治の人間であり、江戸時代には全て中世的な武家社会であり続けてもらう必要があった。
武家社会のイメージを植えつけるためにいかにもな人物を評価させた。
やたら、家康崇拝者の人物が出てくるのはそんな気がします。
田沼は江戸と明治と二重に過小評価されることになった気がします。

今は双方の呪縛が解け始めてやっと幕府の要人が再評価されるようになりましたね。
幕府側も近代志向を持った逸材は存在していたと言うコトです。
幕末には小栗忠順のような人物も排出しています。

昭和もそれに倣ったんでしょうかね。
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「田沼意次の時代は、賄賂政治が行われ、政治が腐敗していたようです。


という認識が誤っています。

江戸時代の武家社会は、現代の日本にも残る「歳暮・中元」の習慣を100倍にも1000倍にもした「付け届けと挨拶の世界」でした。
例えば、旗本の子弟が出仕・昇進していく過程では、あらゆる上役や関係者にきめ細かく「付け届け」を行い、正月には全ての上役の家に年賀に赴くのが当たり前でした。

(参考文献)
旗本の経済学 御庭番川村修富の手留帳
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=30732357

付け届けは大名のレベルでも当たり前のことで、田沼時代に限ったことではありません。田沼意次が非常識な「付け届け」を諸方面に求めて政治を曲げ、蓄財に励んでいたとする客観的な証拠はありません。田沼意次が失脚したのは、「賄賂政治を行ったか否か」とはまったく別の理由によるものです。

(参考文献)
田沼意次の時代 岩波現代文庫
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=30842733
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田沼意次が悪徳政治家だと言われたのは、10年程度昔までの話であり、


現在では、すっかり名誉回復しています。
田沼の評価が低かったのは、松平が自分の評価を上げるため、全ての悪いことを田沼のせいにしたためです。
江戸幕府の3大改革は、いずれも幕府および諸藩の出費を抑える倹約財政でした。
近年で言えば、橋本改革のようなものですね。当然経済規模の縮小は著しい不景気を生み出し、国民の生活は、武士から商人まで苦しくなりました。(橋本改革は、まったく同じ轍を踏んだ)

これに対して、田沼政治は民間活力利用による景気拡大政策です。特定の商人との結びつきによる賄賂政治ではありません。
当然景気は良くなり、庶民も色々な娯楽を享受することができるようになりました。解体新書の杉田玄白やエレキテルの平賀源内もこの時代だから生まれたのです。

松平は、このことが尊敬する吉宗の政治を否定することになるので、絶対に許すことができなかったのです。
http://www.mitsumori-center.co.jp/seiji.htm
http://www2.airnet.ne.jp/shibucho/tanuma.html
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史実からいえば田沼意次自身のみが賄賂を受け取っていたわけではなく世相が資本主義になって贈収賄が流行していた時代のようです。

即ち世相の代表政治家として田沼意次がいて、賄賂政治の象徴だっただけなのだそうです。田沼意次の失脚は賄賂ではなく政策の失敗と徳川家治の死去による後ろ盾の喪失、反田沼派の暗躍、長男の暗殺などによる物で、悪人説も反田沼派の口述によるものだそうです。
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