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アレキサンダー大王が中国・インド・地中海世界を支配下に置いていたら、「仏教」教義と融合したヘレニズム的な合理主義が世界の根幹思想となり、その後の「キリスト教」は歴史に登場する出番が無かったと誰か著名人が言ったらしいのですが、これは妥当なところなんでしょうか?

A 回答 (3件)

1:インド以東遠征の可能性


アレキサンダー個人はともかく、従軍したマケドニア・ギリシャ兵にとっては、遠征の目的が「ペルシャ打倒」でしたので、ペルシャを打倒した段階でそれ以上の遠征のモチベーションはわかない。旧ペルシャから従軍した兵に関しても、文化圏が違うので、遠征のモチベーションは低い。

2:仏教の優位性
仏教がインドに於いて優位になったのは、アショカ王時代であり、それはアレキサンダーの後。アショカ王以前においては、インドにあるいくつもある宗教の一つでしかなく、仏教が(仮想)大アレキサンダー帝国において国教等優位な宗派になるかどうかは確定できない。すくなくとも、アレキサンダー大王には、ペルシャ文明に対する尊敬の念はあっても、インド文明に対する尊敬の念はないようように思えますので、アレキサンダーおよびその後継者が仏教を国教等優位な宗教として採用する可能性は低い。

3:キリスト教の出番
その著名人の発想には、教義の優れているものは、自然に拡がりそれより劣った教義の宗派は広がり得ないという因果律があるように推測します。多くの宗教が生まれ、栄枯盛衰を重ねながら現在も存在しているという事実から、そのような因果律はあり得ないと思います。
歴史的な仮定があまりに突飛なので、キリスト教自体が生まれたかどうかはわかりませんが、1,2の可能性自体が果てしなく低いと考えますので、この3自体を考えることは思考実験としても限りなく可能性が低いものだと考えます。

この回答への補足

その著名人が「アーノルド・トインビー」らしいのがやっと判りました。 

補足日時:2007/06/19 12:05
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ツッコミどころが多いというか、古代の状況をあまり考えてない発言のような。


いくつかツッコミ入れてみます。

・政治的な統合が、それだけで文化を融合させるわけでないのは、後のモンゴル帝国が証明してるんじゃないでしょうか。国境がなくたって、遠くの人と交流するのは、物理的に難しいのです。同じ理由により、地方政権の自立→大帝国の分裂、という史実通りの流れは、やはり避けられないでしょう。

・ヘレニズムは合理主義なんですか? どこが?

・現実のアレクサンドロスの帝国から、世界の根幹思想が生まれていたのなら、「もっと広がってたら、どうなったか」と考えるのも、無意味ではないかもしれませんが、そんなものがすぐに誕生するとは思えません。東西交易が促進されたのは事実ですから、千年くらい続いたら、あるいは。(無理無理)

・キリスト教をこしらえたのは、文化的な区分でいえば、東方のヘレニズム世界です。西方世界はギリシア語から翻訳してるわけですが、その史実とは矛盾した考えですね。
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このような仮定は無意味です。


アレクサンダー大王1代では、「仏教」教義と融合したヘレニズム的な合理主義ができるかどうかもわかりませんし、その後どうなっているかもわかりません。
その中で、「キリスト教」が世界史に登場するかは不測程事実が多すぎます。
アレクサンダーが中国まで征服し、その王朝が数代続いたならば、東洋的な文化との融合があり、また、その後の世界史も大きく変わるでしょうからキリスト教自体が変化する可能性も含めてかなり変わるのは確実だとは思います。
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