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難しくてさっぱりわからないので、教えてください。

ユダヤ教の神とキリスト教の神は同一のはずですが、神がユダヤ教徒に約束の地を与えたりと、ユダヤ人ばかりひいきしている様に見えるのですが、キリスト教徒はそのような神をあがめているのでしょうか。

過去の質問で、『「ユダヤ人はイエスを殺した民族」という理由でキリスト教徒がユダヤ教徒を迫害した過去がある』とありましたが、神が特別に思っているユダヤ人を迫害したら神の意志に背くと考えた人はいなかったのでしょうか。

また、キリスト教徒は、神とイエスのどちらを大事に思っているのでしょうか。
教会では十字架のイエスにむかってお祈りをしています。
ほんとは神に祈っているのかもしれませんが…
私はキリスト教徒ではないので詳しくはわからないのですが、そのように見えるんです。

質問のどれかひとつでもいいので、お願いします。

A 回答 (5件)

3番です。



>契約の更新、つまり古い契約は破棄ってことですよね?
それならキリスト教徒にとって、古い契約である旧約聖書はどのような役割なのでしょう。

契約の破棄ではなく、改定ととらえれば分かり安いのではないでしょうか。
そのため、旧約聖書は、ユダヤ教のものと完全に同じではありません。
戒律なども異なっています。
古い契約の中で、不要になった部分を切り捨てたのが旧約聖書で、新規に付け加えられたのが新約聖書であると考えれば、納得行くと思います。

>旧約聖書でイスラエルの民族ばっかり特別扱いする部分をどのように思っているのでしょうか。

本来イスラエル人のためだけの契約であったものが、人類普遍の契約として新しい契約がなされたのですから、それが特に問題となる事はないと思います。

>「イエス・キリストの復活」とよく聞きますが、「神」→「イエス」(人間)→「神として復活」という意味だったのですね。

違います。
>聖書の中によくある奇跡のエピソードかと思っていました。

こちらが正しいのです。
キリスト教の根本的教義は、「信心深い人は、ハルマゲドンまでの間天国でくらし、ハルマゲドンの後死者は復活し、至福の時間を生きられる」というものです。
その証明のためにキリストは復活してみせたのです。

>イエスが「神」なら、なぜ「神の子」と言うのでしょうか。
なぜ「神」とはっきり言わないのでしょうか。

イエスは、神ではありません。
イエスを神とする教派は、単性派と呼ばれます。
これは、イエスには、人間の性質はなく、神の性質しかない(単性しかない)とする考え方で、エチオピア、アルメニアの大多数、エジプト、インド、シリアの一部の人達が信じています。
一方「キリストは人間であり神ではない」と考える人達もいます。
ネストリウス派と呼ばれる人達ですが、全世界で35万~5万人程度の信者がいるとされています。
大多数のキリスト教徒は、三位一体(キリストは、神性を帯びた人間として生まれ、人間を正しい方向に導く聖霊{天使}の役目を負っている)というものです。
三位一体の中の、聖霊とは何かでまた議論があり、カトリックやプロテスタントでは、神と人間の契約によって双方により生み出された物としますが、ロシア正教やギリシャ正教では、神が人間を導くために使わした物と解釈します。
そのため、カトリックやプロテスタントでは、キリストは半分神であり半分人間と解釈されますが、正教会では、神性が2/3、人間性1/3と解釈されます。
>神と神の子は、別の存在だと思っていました。

あくまで神と神の子は別の存在です。
そのため、トリエントの公会議では、神には崇拝を行う、キリストには礼拝をおこなうと定めたのです。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなってすみませんでした。

>契約の破棄ではなく、改定ととらえれば分かり安いのではないでしょうか

すごくわかりやすい説明で納得しました。
私はかなり勘違いしていたようです。
「イスラエルの民族ばっかり特別扱いする部分」に対しても、よくわかりました。

>その証明のためにキリストは復活してみせたのです

そういう理由で復活したんですね。
百聞は一見にしかずと言いますが、この奇跡は相当インパクトを与えたことでしょうね。

三位一体って難しいです。
解釈しだいでなんとでもなるんですね。

神と神の子についてのご説明もよくわかりました。
これらのキーワードを元に、自分なりにもっと調べてみようと思っています。

また「パッション」という映画も見ようと思います。
かなり前から見ようと思っていたのですが、過去の質問によると拷問シーンが強烈らしくて。
耐えられるか心配です。

2度目の回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/05/14 03:29

キリスト教は、ユダヤ教から発生(分離)した宗教です。


次に、イスラム教は、キリスト教から発生(分離)した宗教です。
故に、これらは同じ「神」を崇めていることになります。
ただ、この「神」の解釈を巡ってそれぞれ対立しているのです。

まず、長い歴史をかけてユダヤ人の間で編纂されたのが『旧約聖書』です。
この『旧約聖書』という呼び名はキリスト教徒から見た呼び方です。
ユダヤ人はこれを『Tanakh(タナク)』と呼ばれます。
ユダヤ人は、紆余曲折を経て一時期自分の国を持ちましたが、これまた紆余曲折を経てその国が滅びると、1948年5月15日に現在のイスラエルが独立するまで、自分たちの国を持つことはありませんでした。

キリスト教は、丁度古代ローマにユダヤ人が支配されていた頃に形成されていきました。
その背景には、丁度この頃に起ったユダヤ教の各派の対立が起っていました。
そして、その対立に懐疑心を抱く人々も出始めました。
その一人が「ナザレのイエス」でした。
そして、彼の死後、その意志を継いだ弟子たちによってキリスト教が広められることになります。
このとき、彼ら弟子たちの間で、あくまでもユダヤ教内で留まるか、他民族(多くはギリシア人)にも広めるかで対立がありました。
しかし、パウロが積極的にギリシア人に広めた結果、キリスト教は後にローマ帝国の国教にまで登り詰めます。
この布教の時期に編纂されたのが、『新約聖書』です。
これは、『旧約聖書』は「イエス・キリスト」が現れ死に復活して天に昇るまでを描いた歴史書であり、「イエス・キリスト」が天に昇った事で『新約聖書』に神との契約は更新されたと考えるのです。(つまり、神はイエスを通じて新しい契約を結ばれた)
※聖書の「約」は「約束」の「約」であり、「翻訳」の「訳」でないことに注意
そして、この「新しい約束」を認めない(イエスを救世主と認めず)のがユダヤ教であり、「新しい約束」の後にさらに「預言者ムハンマド」を通して神との対話があったとするのがイスラム教です。


その後、キリスト教団が他の宗教(古代ギリシア・ローマの宗教とか)を淘汰しつつ一大勢力へと登り詰めていく過程で色々な神学論争が起りました。
その中で最も重要になったのが、「神とキリストと聖霊は同一である」とする「三位一体説(アタナシオス派)」と「神とキリストと聖霊は別物」とする「アリウス派」の対立でした。
その後、この「神とキリストと聖霊」の関係について様々な論が出ましたがいずれも「異端」として退けられることになります。(この過程は、聖職者の権力闘争の意味合いもある)
この「異端」の効力は絶対で、「異端」とされればあらゆる手段で迫害されました。
※因みに、ユダヤ教・イスラム教は「異端」ではなく「異教徒」です。
故に、「正統派」とされるキリスト教徒の中では「三位一体説」を採るので「神=キリスト=聖霊」となります。

>ユダヤ人を迫害したら神の意志に背くと考えた人はいなかったのでしょうか。

ユダヤ人とキリスト教徒の関係は複雑で、「これが迫害の理由だ」とは一概には言えません。
イエスを十字架に磔にした原因はユダヤ人にあるとする人も中にはいるでしょうね。(『新約聖書』には、イエスを罵るユダヤ民衆の描写がある)
他にも、ユダヤ人は金融業を生業にしている(金融業はキリスト教では禁止されていた)人が多いことや、ギリシア人とユダヤ人は元々仲が悪かった(古代ローマ時代、この2大民族はディアスポラ(帝国各地に離散して住む)しており、商業に従事する者が多く利害が対立した。また初期キリスト教はギリシア人を中心に広がった。)事などなど。
色んな理由があり、とても複雑なのです。

>十字架のイエスにむかってお祈りをしています。

十字架はイエスが磔にされた事から、「神」や「罪」、「救い」等々を表します。
古代キリスト教では、「神」や「イエス」をあからさまに描く事は畏れ多いこととされ、様々なシンボルが使われました(葡萄やオリーブなど)
その中でも重要な位置を占めたのが「十字架」でした。
その後、布教活動する中で「偶像」が必要となり、様々な形で描かれるようになりました。
絵や像など様々ですし、描かれる対象も聖母やイエス、天使など様々です。
いずれにせよ、「信仰」の対象であり、「神と人間」を繋ぐモノと考えられています。

以上、簡潔に述べましたが参考になれば幸いです。
長文失礼しました。

以下の本は、作家・遠藤周作の優れた文書力と鋭い観点から分かりやすくキリスト教の成立について描かれてあります。
『イエスの生涯 』(新潮文庫)及び『キリストの誕生』
遠藤 周作 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82 …
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82 …

この回答への補足

回答ありがとうございます。

#1さま、#2さまの回答のお礼を書いたところです。
頭が悪くて、これ以上入りません。
ご回答を精読してからお礼を書きたいと思いますので、しばらくお待ちください。
すみません。

#4さまのご回答を見る前に、今日偶然本屋で遠藤周作の『イエスの生涯 』をたまたま見て、買ってきたところです。
すごい偶然ですね。
『キリストの誕生』という本もあるんですね。
今度さがしてみます。

補足日時:2007/05/09 01:24
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この回答へのお礼

>つまり、神はイエスを通じて新しい契約を結ばれた

新しい契約を結んだから、古い契約は歴史書みたいなものと考えているのですね。

>ユダヤ人とキリスト教徒の関係は複雑で、「これが迫害の理由だ」とは一概には言えません

宗教のほかに、経済的・民族的な理由もあったのですね。
そう考えると、もちろん純粋に宗教のためだった人もいたけれど、理由付けのために宗教を隠れ蓑として利用していた人も中にはいたのかもしれませんね。
勝手な想像ですが…

『イエスの生涯 』、まだ読んでいません。
今読んでいる本が途中なので、それが終わったら読みます。
本屋で最初の2~3ページ(イエスの風貌のあたり)をちらっと読んでとても興味をもちました。
いまから楽しみにしています。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/05/11 01:17

>キリスト教徒はそのような神をあがめているのでしょうか。



ユダヤ教の神とキリスト教の神は同じ神です。
神は、人類に対し何回も預言者を遣わし人間を指導してきました。
それが旧約聖書としてまとめられています。
しかし人類のおごり高ぶり悔い改めないので、最後の使者として自分自身の分身であるイエスを遣わし、新しい契約を人間と結びます。
それが新約聖書です。
キリスト教徒にとって、古い契約(旧約聖書)を新しい契約(新約聖書)に更新したという事になります。
ユダヤ教徒は、新しい契約を認めない人々で、イスラム教徒は、「キリスト後さらに新しい契約がムハンマドにもたらされた」とする人達です。

>ユダヤ人を迫害したら神の意志に背くと考えた人はいなかったのでしょうか。

上記のとうり、神が行った新しい契約を認めなかった人々という認識ですから、神の教えに反すると思う人はいない事になります。

>キリスト教徒は、神とイエスのどちらを大事に思っているのでしょうか。

神です。
キリストは、神と人間の中間の存在です。(三位一体)
三位一体とは、父なる神、子なる人間、人間を導く使命を帯びた聖霊(天使)が一体となった者がキリストであるという事を意味します。
(これはカトリックやプロテスタント、正教会などのカルケドン派の考え方で、単性派では神そのものと認識されますし、ネストリウス派では人間とされています)

>教会では十字架のイエスにむかってお祈りをしています。

これは誤りで、神は人の目に見えず、感じる事もできません。
そのため神へ導く方向、神のいる方向の目印として十字架に向かって拝むのです。
イスラム教では、メッカの方向に向かって礼拝するために、メッカの方向を示すマークがあります。
しかしキリスト教では、メッカといった具体的な場所が無いため、神のいる方向を示すマークとして十字架を使用しているのです。

1番の方の、
>聖者信仰、聖母信仰など、いささか解釈しづらい要素も多分に含んではいますが……。

にかんしてですが、トリエントの公会議では、神には崇拝を、三位一体(キリストの事)には礼拝を、聖人には崇敬を、聖母マリアには超崇敬を行う事になっています。
ただし、崇拝、礼拝、崇敬、超崇敬の違いが明らかに分かる人はまれですが、過去に私がここで質問した回答によりますと、祈り方が異なるようです。

この回答への補足

回答ありがとうございます。

#1さま、#2さまのご回答のお礼を書いたところです。
頭が悪くて、これ以上入りません。
ご回答を精読してからお礼を書きたいと思いますので、しばらくお待ちください。
すみません。

補足日時:2007/05/09 01:23
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この回答へのお礼

>ユダヤ教の神とキリスト教の神は同じ神です

同じ神なんですね。

>キリスト教徒にとって、古い契約(旧約聖書)を新しい契約(新約聖書)に更新したという事になります

契約の更新、つまり古い契約は破棄ってことですよね?
それならキリスト教徒にとって、古い契約である旧約聖書はどのような役割なのでしょう。
天地創造と十戒、イエスにつながる家系…そんなこともあったねぇぐらいの懐古するような気持ちでしょうか。
それに、#1さん、#2さんのお礼欄にも書きましたが、旧約聖書でイスラエルの民族ばっかり特別扱いする部分をどのように思っているのでしょうか。
布教初期がイスラエルの民族相手だったとしても、当時のギリシャ人などは、また、時は流れて現代のアジア系のクリスチャンはどう思っているのでしょう。
いろいろたずねてばかりで申し訳ありませんが、おわかりになればよろしくお願いします。

>キリストは、神と人間の中間の存在です。(三位一体)

とてもわかりやすかったです。
意見が分かれるのは、解釈が違うからなんですね。
なんかわかる気がしました。
だから、揉めるんですよね。

>そのため神へ導く方向、神のいる方向の目印として十字架に向かって拝むのです

ああ、そうだったのですね。
とてもよくわかりました。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/05/10 01:20

昔、ローマの支配下にあったユダヤ人たちは、自分たちを解放してくれる救世主の出現を望んでいました。


その救世主がイエス・キリストだと信じている人たちがクリスチャンです。
キリスト教徒の、特にプロテスタントはイエス・キリストを信仰しています。カトリックはその母マリアを信仰しています。
救世主として現れたのはイエス・キリストだ、と信じている人たちです。神は人間イエス・キリストとしてこの世に生まれ、すべての人の罪を背負って十字架にかけられた、そしてイエス・キリスト(神)は復活した、と信じています。
イエス・キリストを信じると、死んだ後でイエス・キリストがいる世界へと旅たつことができるそうです。ですから、死ぬことは悲しいことではなく、おめでたいことのようです。
イエス・キリストのもとに行けるからです。
キリスト教の葬儀は、旅立ちの儀式です。
新約聖書(イエス・キリストの生涯や教えが書かれている聖書)と旧約聖書(そもそもあった聖書)を持っています。
旧約聖書に出てくる神はイエスであり、精霊です(三位一体)。

ユダヤ教徒は旧約聖書に出てくる神を信じています。
イエス・キリストを救世主としては認めていません。
イエス・キリストは神ではありません。
素晴らしい救世主はこれから現れると信じている人たちです。
イエスの生い立ちや教えが書かれている新約聖書はバイブルではないと思っています。
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この回答へのお礼

>神は人間イエス・キリストとしてこの世に生まれ、すべての人の罪を背負って十字架にかけられた、そしてイエス・キリスト(神)は復活した、と信じています

「イエス・キリストの復活」とよく聞きますが、「神」→「イエス」(人間)→「神として復活」という意味だったのですね。
死んだ人間が生き返るという、聖書の中によくある奇跡のエピソードかと思っていました。

>キリスト教の葬儀は、旅立ちの儀式です

なるほど。
映画でしか見たこと無いんですけど、クリスチャンの葬儀で神父が棺に向かって「神の御許に召される…」とか言ってるのは、そのことなんですね。

>旧約聖書に出てくる神はイエスであり、精霊です(三位一体)

ここらへんがよくわかりません。
旧約聖書の神の教えと新約聖書の神(イエスってことですよね)の教えってずいぶん違う気がします。
キリスト教徒にとって、旧約聖書の神=新約聖書の神=イエスなら、旧約聖書でイスラエルの民族ばっかり特別扱いする部分をどのように思っているのでしょうか。

さらに。
イエスが「神」なら、なぜ「神の子」と言うのでしょうか。
なぜ「神」とはっきり言わないのでしょうか。
そのあたりも疑問に思います。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/05/09 01:19

ユダヤ教とキリスト教の神は同一ではありません。


聖書は旧約と新約に別れていますが、旧約までがユダヤ教、キリスト教共通のテキストであり、新約はキリスト教のみです。
新約以降は、ユダヤ教とキリスト教の神は、明らかに別の存在と考えるべきですし、どちらの信者にたずねても、同一の存在とは言わないでしょう。

そう言うわけですので、キリスト教の側から見ると、ユダヤ人は異教徒である、と言う事になりますから、ユダヤ人が神にとって特別である、と言う事にはなりません。
と言いますか、キリスト教は、神にとって特別な民族を規定していません。この事がキリスト教を世界宗教に成長させた理由のひとつではあると思います。

それから、キリスト教徒にとっては、神とイエスは同じ存在と言う事になるはずです。父(神)と子(イエス・キリスト)と聖霊は、三位一体という言葉で語られる様に同一の存在と考えられているのです。
ですから、どちらを大事に思っていると言う事は、教義としてはないはずです。
また、キリスト教は偶像崇拝を否定しています。
つまり、シンボルとして十字架を飾ってはいますが、それに対して祈っているという解釈にはならないはずです。現実的には、聖者信仰、聖母信仰など、いささか解釈しづらい要素も多分に含んではいますが……。
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この回答へのお礼

>ユダヤ教とキリスト教の神は同一ではありません

ええっ、そうなんですか。
旧約聖書がユダヤ教、キリスト教共通のテキストであるならば、天地創造したのも、アブラハムに約束の地を与えたのも、ユダヤ人(イスラエル人?)が選ばれた民だと啓示したのも、神ということになると思うのですが…
旧約聖書と新約聖書において神が別の存在なら、キリスト教徒にとって旧約聖書って意味ないんじゃないの?と思うわけです。
キリスト教徒は旧約聖書のこの部分(天地創造はともかく、神がイスラエルの民"だから"優遇している)をどのようにとらえているのでしょうか。

>キリスト教徒にとっては、神とイエスは同じ存在

神と神の子は、別の存在だと思っていました。
だって○○の子っていうと、普通は「○○」とその「子」は別人と思ってしまいますよねえ。
奥が深いです。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/05/08 23:55

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