激凹みから立ち直る方法

「箱根の山は天下の険」といいますが、
実際は1000メートル程度の低山にすぎません。
どうして「天下の険」などというのか、不思議です。
「箱根八里」という歌にあるのでそれで有名になっただけなのでしょうか?
「函谷関も ものならず 万丈の山 千仭の谷」
などと、とても大げさな歌詞で信用できません。

それとも歌以前からいわれているのでしょうか?

よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

山そのものがけわしいんじゃなくて、


街道筋が非常に険しいところを通っているってことじゃないですか?
江戸(東京)に通じる主要な街道のなかでは

それはそうと、有名な方の秦の函谷関て深い山奥に有る
イメージですけど、実際は黄河に近い平地に有るんですよね。
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「箱根八里」の歌は明治時代


江戸時代に言われたのは「箱根八里は馬でも越すが、越すに越せない 大井川」つまり 難易度では 箱根<大井川であります。

信用云々の話ではなく明治青年への応援歌だそうです。「世界に一つだけの花」に、『そんなんじゃ 遺伝学的に 種子が作れないじゃないか』とつっこみを入れるような 野暮というものです。
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ご承知かもしれませんが、「箱根八里」は、文部省の発案で、中学唱歌を作ることになり、文学者である、大学教授鳥居氏に作詞を依頼し、作曲を一般公募したのです。


まず、詩ありきでした。
キャンペーンソングではないので、オーバーな表現もありでしょう。
漢詩の素養があり、中国式の大きい表現を用いたのではないですか?
白髪三千丈とか、一日千里を走るというワールドです。
「髪の毛が三千丈も伸びひんやろ」と、つっこんでは、いけない世界です。

私は、「箱根八里」が大好きで、フルコーラス歌えます。
JR小田原駅などで、恒常的に流されていますから、長く愛されている名曲だと思います。
この歌の発表前から、箱根は、有名な避暑地でした。
作曲の滝廉太郎もよく、訪れていたいきさつから、応募をしたようです。
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江戸時代の箱根関所では「入り鉄砲に出女」といって、


幕府に逆らう人たちが江戸の町に鉄砲などを持ち込まないかとか、
あるいは、人質になっている地方大名の妻たちが逃げ出さないかなどと、
関所の番人による、かなり厳しい取り締まりが行われていたそうです。

ちなみに「関東」という呼び名には「箱根の関所よりも東側」という意味もあるそうで、
江戸の人たちにとっての箱根は、とても重要な拠点だったのでしょう。

「箱根八里」の歌詞は、そんな関所の険しい様子を「天下の険」と言ってるのだと思います。
万丈の山とか千仭の谷は、突破の厳しいイメージを付加するための詞ではないでしょうか。
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