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鉄砲(てつはう)がポルトガルの漂流線から種子島に伝来して、高値で買いました。螺子の作り方のみがわからず、あとは一年もしないうちに真似してつくりあげました。たしか完成したのは1年もかからなかったと書いてありました。

このように短期間に作り上げることができたのは、日本の鍛冶技術の高さがあった、と読みました。これはすごいことなのですか?

他の国ではどうだったのでしょうか?鉄砲が伝来し、日本人のように短期間に真似して作ることはできたのでしょうか?ベトナム、韓国、中国、タイ、インドネシア、インドなど、どうだったのか気になります。

A 回答 (9件)

日本の火縄銃の形式が東南アジアでみられる物に類似している件についてはいくつか説があります。


従来主流だったのは、東南アジアで製造された物が日本に持ち込まれてそれがベースになったという説ですが、最近は現存する銃のX線回析による調査で別の説も出ています。どういう物かというと、構造的には日本の銃は東南アジア製のものよりヨーロッパ製の物に近く、その事からヨーロッパ製の銃が日本にもたらされてコピーされ、また日本製の銃が東南アジアにもたらされてそこでコピーされたという内容です。
構造的なというのがどういうものかというと、尾栓の問題です。ヨーロッパ製や日本製はネジによる尾栓が使用されているのに対して、東南アジア製は簡略されてそれが使われていないという点です。外観的に日本製と東南アジア製が似ているのは、日本製の外観に東南アジア製が似せたからという訳です。
真偽はわかりません。

また日本の鍛冶技術が優れていたか?という質問に関しては、それは「何に比較して」優秀だったのかという事もよります。
東南アジアのある地方よりは優れていたでしょうし、ヨーロッパにはかなり劣っていたでしょう。中国も日本よりは上だったと思われます。ヨーロッパとの比較で言えば製鉄にしろ加工技術にしろ大きな差があったと思っていいと思います。南蛮鉄は砂鉄からたたらで作る鉄より高品質であったし、南蛮胴のような西洋式の鎧がもたらされてもそれに使用する大面積の鉄を加工する技術は日本の鍛冶にはありませんでした。
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鉄砲伝来については、#4のtanuki4uさんのご回答にある宇田川武久氏の説が説得力があると思います。


氏の著書の中に、
「日本の火縄銃とヨーロッパの火縄銃は形式が異なり、どうもヨーロッパの火縄銃が直接日本にもたらされたとは考えにくい」
さらに「日本に鉄砲が伝来する以前、すでに東南アジアでは火縄銃が使用されていた。日本の火縄銃はこの東南アジア製の火縄銃に酷似している。
鉄砲は倭寇が日本に伝えたと考える方が歴史の事実に近い」
とあります。
http://www.eonet.ne.jp/~pilehead/kirinuki/asahi0 …
http://www.geocities.jp/shimizuke1955/370hinawaj …

>このように短期間に作り上げることができたのは、日本の鍛冶技術の高さがあった、と読みました。これはすごいことなのですか

私は、技術史に興味はありますが、すごいかどうかを判断できる能力はありません。
しかし、初めて見た鉄砲をすぐに模倣できた当時の日本の刀鍛冶の技術は、たいしたものだと思います。
少なくともヨーロッパの技術に引けを取らなかったと思います。

日本刀を造る技術があったからこそ鉄砲をすぐに模倣できたという考えには賛成できません。
そのような技術がないヨーロッパでも日本より先に火縄銃を製作しているわけですから。
また、16世紀、日本のいたる所に鉄砲鍛冶が誕生した事実から、また東南アジアその他諸国でも鉄砲を製作していることから、鉄砲を造る技術は、野鍛冶(農具製造)程度の技量があれば追いつける程度だと言えます。
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当時既に日本では日本刀を製造する技術がかなり普及していました。


日本刀は異なる成文の鉄を合わせ鍛造する事が必要でそれ以外の国にはなかった技術でした。

従って日本刀はアジアの国々で輸入され、称用されました。
独特の切れ味が理由です。

鉄砲の製造にも鍛造技術が必要で、また細かい製品の部品の製造技術も必要です。 さらに多数の優秀な職人が存在しました。
これらの条件が揃っていたのは日本だけと言えましょう。

韓国では当時木製の銃に鉄の鍔をはめて強化した位の銃しかありませんでしたから豊臣秀吉の唐入りの際に日本軍に有効な抵抗が出来ませんでした。
しかし朝鮮軍に降伏した者から鉄砲製造の技術を学び、装備するようになったのです。
中国は当時既に銃の知識はありましたが、日本製のような強度はなく、射程や命中精度が劣っていました。

その他のアジア諸国の事情は知りませんが、日本製のような銃の製造技術は持っていなかったと思います。
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鉄砲の伝来は倭寇(中国人の海賊の五峰)が民間貿易により伝えたという説が有力です。



日本は職人を大事にする国です。
奈良時代には「奈良の大仏」など中国でも製造不可能な巨大な仏像を作りあげています。
中国・朝鮮は儒教の影響で職人を馬鹿にする雰囲気がありました。
(例えば、韓国人は親子3代続いた料亭などはもの凄く馬鹿にします。だから、韓国には老舗がないのです。)
日本人の職人を大事にする国風が、現在における自動車や液晶TVなどの最先端の製造技術につながっていると思います。
中国の自動車などはパクリ(盗作)で独自性がないです。
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真説 鉄砲伝来 (新書)


宇田川 武久 (著)

などに寄れば、和冦経由で東南アジアで製造されたものが波状的に日本に伝来したということだそうです。
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火縄銃の後ろには、火薬のカスなどを取り除く部分があり、「ネジ」で留めてありました。


当時の日本にはネジはなく、職人が「巻き貝」をもとにして螺旋のネジを作りました。
そんな逸話を聞くと、やはり職人が優れていたと思います。というか、昔からモノマネが上手で、そこから工夫する力を持っていたのでしょうね。
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 1542(又は1543)年の鉄砲伝来ですが、既に学会では否定されています。


 昨年の国立民族博物館の鉄砲特別展示でもその件には触れられております。

鉄砲記自身、1600年代に書かれたものであり、1542年に関しては日本・ポルトガル両国の文書で一致しただけです。
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>このように短期間に作り上げることができたのは、日本の鍛冶技術の高さがあった、と読みました。

これはすごいことなのですか?

刀鍛冶と言う鍛冶や合金の技術があったからこそ、戦国時代に大量生産も出来たのです。
いくら鉄砲を渡しても、作る技術がなければどうにもなりません。
因に日本の火縄銃は江戸時代のものは美術品的な価値があるものも少なく有りません。
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イスタンブール以東で当時に鉄砲を量産できた国は、私の知る限り日本以外にはありません。

日本の鍛冶技術は非常に高く、おそらく世界最高水準です。室町時代の輸出品としては刀剣が挙げられるほどです。

他の国では、ということなのですが、日本以外ではまず鉄が不足しています。日本は特に中国地方を中心として砂鉄が豊富ですが、他の地域では鉄鋼石を製鉄に用いるのが普通です。
中国は鉄砲を持っていたようです(といっても国内生産が行われたという話は聞かないので輸入品か?)が、李氏朝鮮は持っていません。これは当時は清の属国であったために鉄砲の所有を許されなかったためです。

因みに清は青銅砲(大砲)の製造技術は相当前から持っていましたが、歩兵用の鉄砲となると青銅ではもろすぎます。
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