キリスト者の方に質問です。
聖書の黙示録8章1節にある第七の封印の内容は何章何節まで続いているのでしょうか?
統一的な見解はないかもしれませんが、カトリック、プロテスタントその他の各派で何章何節までという見方が主流というものがあったら教えていただけないでしょうか。
(1)どこの派の見方か?(あるいはどの解説書の見方か)
(2)そして、こちらは省略していただいてもかまいませんが、簡単にどうしてそのように区分されるのか

をご教授いただけましたら勉強になります。よろしくお願いいたします。

A 回答 (1件)

回答がないようだからコメントまで


黙示録はカトリック、プロテスタントのために書かれたものではありません。それ故、見るのもいやなのでしょう。
さて、黙示録8章1節にある第七の封印の内容は第七の天使がラッパを吹くまでと考えるのが妥当な切り方ですね。つまり第11章15、あるいは第11章17までですね。
「この世の国は、我らの主と、そのメシアのものとなった。主は世々限りなく統治される。」これが第七の封印の内容ですからね。
第11章18「死者の裁かれる時が来ました」とあるから解釈までするとこの世の国に全治全能の神が降臨し地上を治める。神は死者をも裁くということでしょう。死者を裁くという意味は歴史上の人物の正しい評価をするということですね。
同じく第11章18には「異邦人たちは怒り狂い」とありますがここでの異邦人はだれかということですね。これは解釈しないほうがいいですね。
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この回答へのお礼

mmkyさん、お礼が遅くなり、申し訳ございませんでした。
なるほど、むやみに切れ目を探すというよりも、第七の封印のテーマになる宣言から推定すると、必然的にどこで切れ目があるかがわかるということですね。
これは以前から不思議に思っていたことだったので、一度一般にどのように解釈されているか知りたかったのです。
でも、あまり、この点を深く解釈しようという動きは、おっしゃるとおり、ないみたいですね。
もう一度詳しく読んでみます。本当にありがとうございました。

お礼日時:2007/07/16 22:46

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Qマトリックスのテーマの「信仰と哲学」

マトリックスのテーマの「信仰と哲学」というのがよく分からないのですが
つまりどういうことですか?

Aベストアンサー

 ネオの死亡とともに、スミスも、そのコピーもすべて光となり、砕け散り、起源(ソース)に戻る。これは、ソース=マシンの内面が「光」であったことを意味する。
 人間にとって悪の権化と思われたマシンの内面は、実は「光」=「もっともピュアな存在」であった。
 人は逆に不完全で、欲望と怠惰を内包した存在。マシンには感情も欲望も怠惰もなく、もっとも純粋な、無駄のない存在。
 人がどんなにマシンを嫌っても、唯一の居住区「ザイオン」も、マシンなしには(飲料水の浄化システム、エアシステムなど)生きていけない。
 また、マシンも、どんなに人間を嫌っても、人がいなければ電源供給が絶たれ、マシンも停止するしかない。
 人とマシンが互いに、互いを必要としているように、ネオにとってのスミスも、いやおうなく、融合することが唯一の解決策であることに気づかされる。
 これらの背景にあるのは、人が「自由意志」だと思って行動していたことが、実は「必然的な選択」ではなかったのかという「自由意志への懐疑」。
 デカルトからカントに受け継がれた知覚主義、意識と懐疑、“選択する”ということの意味への考察、原因と結果の因果関係論などの思想。
 そのほか、哲学者ボードリヤール、ショーペンハウアーの考え方、ニーチェの超人哲学、仏教、密教なども随所にマトリックスの中に取り入れられている。
 マシンは、ネオとの合意形成によって、マトリックスの全システムがリセットされ、無事に再起動をはたす。ラストシーンで、日の出を作り出し、「預言者」と一緒に見る少女が、ネオに続く次の救世主となったことが示される。
 このように哲学以外にも、人の脳神経には、重力も、物理的な制限もいっさいないため、日の出を作り出したり、現在の人類には信じられないようなスピードで早送りしたり、検索したり、データマッピングさえできる可能性なども示されている。

参考URL:http://www.fujigoko.tv/rev/prof/doc6/index.html

 ネオの死亡とともに、スミスも、そのコピーもすべて光となり、砕け散り、起源(ソース)に戻る。これは、ソース=マシンの内面が「光」であったことを意味する。
 人間にとって悪の権化と思われたマシンの内面は、実は「光」=「もっともピュアな存在」であった。
 人は逆に不完全で、欲望と怠惰を内包した存在。マシンには感情も欲望も怠惰もなく、もっとも純粋な、無駄のない存在。
 人がどんなにマシンを嫌っても、唯一の居住区「ザイオン」も、マシンなしには(飲料水の浄化システム、エアシステムなど)...続きを読む

Q新約聖書ルカ5章39節の解釈について

私は福音派のクリスチャンです。
最近新改訳のチェーン式聖書を通読しはじめました。
そこで質問です。

ルカ5章39節の
「また、だれでも古いぶどう酒を飲んでから、新しい物を望みはしません。『古いものは良い』と言うのです。」
ここのところの意味がよくわかりません。
古い葡萄酒とは、旧約のことで、新しい葡萄酒とは新約のことなんでしょうか?

Aベストアンサー

 こんにちは。

 ▲ (ルカによる福音書5:37-38) ~~~~~~~~~~
 また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、革袋もだめになる。 新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ を承けて お尋ねの記事は 記されています。フェデリコ・バルバロによる注釈を引きます。
 ◆ (バルバロ訳聖書) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 このことば(ルカ5章39節)は ルカにだけのっている。
 イエズスはいくらかの悲しみをもって 自分の持ってきた新しいぶどう酒が 律法という旧いぶどう酒を飲んだ人の口には合わないのかと言うのである。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 やはり エレミヤの預言をも参照するとよいのではないでしょうか。
 
  ▲ (ヘブル書8:7-13)~~~~~~~~~~~~~~~~
 もし、あの最初の契約(* むろん モーセの契約 ないし 律法)が欠けたところのないものであったなら、第二の契約の余地はなかったでしょう。
 事実、神はイスラエルの人々を非難して次のように言われています。

   「見よ、わたしがイスラエルの家、またユダの家と、
    新しい契約を結ぶ時が来る」と、主は言われる。

   「それは、わたしが彼らの先祖の手を取って、
    エジプトの地から導き出した日に、
    彼らと結んだ契約のようなものではない。
    彼らはわたしの契約に忠実でなかったので、
    わたしも彼らを顧みなかった」と、主は言われる。

   「それらの日の後、わたしが
    イスラエルの家と結ぶ契約はこれである」と、主は言われる。

   「すなわち、わたしの律法を彼らの思いに置き、
    彼らの心にそれを書きつけよう。
    わたしは彼らの神となり、
    彼らはわたしの民となる。
    彼らはそれぞれ自分の同胞に、
    それぞれ自分の兄弟に、
    『主を知れ』と言って教える必要はなくなる。
    小さな者から大きな者に至るまで
    彼らはすべて、わたしを知るようになり、
    わたしは、彼らの不義を赦し、
    もはや彼らの罪を思い出しはしないからである。」
     (エレミヤ書 31:31-34)

 神は「新しいもの」と言われることによって、最初の契約は古びてしまったと宣言されたのです。年を経て古びたものは、間もなく消えうせます。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 こんにちは。

 ▲ (ルカによる福音書5:37-38) ~~~~~~~~~~
 また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、革袋もだめになる。 新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ を承けて お尋ねの記事は 記されています。フェデリコ・バルバロによる注釈を引きます。
 ◆ (バルバロ訳聖書) ~~~~~~~~~~~~~~...続きを読む

Q哲学の研究テーマ

バカボンのパパは、バカ田大学の社会学部哲学科を首席で卒業しました。専攻もしくは研究テーマは何だつたのですか。


[1] 「これでいいのだ」に代表される、言語による世界の肯定
[2] 太陽は東からのぼるといふ事例での、帰納法の制約
[3] 天才とバカは紙一重であることの証明

Aベストアンサー

バガボンに付いては漫画の主人公らしいと言う事と、これでいいのだ、と言うフレーズを知っているだけですが、そのパパはバカ田大学の社会学部哲学科を首席で卒業した、と言うのであればこれはもう「井戸端会議の地域社会に於ける有用性に付いて」が研究テーマであった筈です。

Q映画「エミリーローズ」の中の墓石の言葉は?聖書のフィリピ人の手紙、二章十八節とは?

昨夜「エミリーローズ」という悪霊が少女に取り付く映画を見ました。死んだエミリーの墓石に、牧師は、聖書のフィリピ人の手紙、二章十八節を自ら選んで刻んだそうです。吹き替えでは読み上げていません。どんな言葉か、聖書で調べてもらえませんか・・・私も持ってません。ついでに、霊魂、或いは悪霊は居るのでしょうか?貴方の感想もお聞きできれば。近頃、交霊、降霊の番組が盛んです。本当かな???

Aベストアンサー

十八節の「同じように」の内容は十七節にあります。
「信仰に基づいて、あなたがたがいけにえをささげ、礼拝を行う際に、たとえ私の血が注がれたとしても、私は喜びます。あなた方一同と共に喜びます。」

そして十八節
「同じように、あなたがたも喜びなさい。わたしと共に喜びなさい。」
で結ばれています。

Q厚生経済学 政治哲学について(卒論テーマ?)

カテ違いでしたらすみません。

今度大学の授業で発表があり、そのための資料を作らなくてはなりません。
内容は特に指定はありませんが、できれば将来卒論で扱いたいテーマに関するものを…とのことです。
卒論を書くまではまだまだ時間があるので、これで確定というわけでは全くないのですが、どうせなら自分の興味あるものを少しでも深く勉強したいと考えています。

個人的には厚生経済学や政治哲学などに興味があり、ミルかロールズについて勉強していきたいです。
どちらかといえば、その人の思想についてを研究のテーマとするよりは、何らかの社会的な問題や事象と結び付けて考えてきたいと思うのですが・・・。
ただ、これらの人の思想と具体的な事象をどう結び付けていけばいいのか分かりません。
そういう方向に興味はあるけど、具体的にどんなテーマを扱いたいかが自分でもよく分からないのです・・・。

厚生経済学若しくは政治哲学の分野で、テーマを決める糸口のようなものを与えてくれる文献等ありましたら教えて頂きたいです。
また、「最低限これくらいは読んでおくべき」といった本も教えていただければと思います。

本来であれば先に自分が調べたいテーマを持っておくべきだと思うのですが・・・。
自分が何をすべきなのかが分からず、行き詰っています。
どなたか知恵を貸してください。よろしくお願いします・・・。

カテ違いでしたらすみません。

今度大学の授業で発表があり、そのための資料を作らなくてはなりません。
内容は特に指定はありませんが、できれば将来卒論で扱いたいテーマに関するものを…とのことです。
卒論を書くまではまだまだ時間があるので、これで確定というわけでは全くないのですが、どうせなら自分の興味あるものを少しでも深く勉強したいと考えています。

個人的には厚生経済学や政治哲学などに興味があり、ミルかロールズについて勉強していきたいです。
どちらかといえば、その人の思想につ...続きを読む

Aベストアンサー

アマルティア・センの著作は目を通しておくのがいいと思う。
ミル、ロールズに関心が高ければ、勁草書房Webサイトでダウンロード配布している『現代リベラリズムとその周辺 ブックガイド』も役に立つだろう。
また、日本の海外支援活動のなかで、その地の安定した生活に大きく寄与した例がいくつかあるから、そういうのも切り口のヒントになるだろう。たとえば、次の二人。
ブータンの農業の父西岡京二
アフガニスタンに用水路を通して緑化した中村哲医師

Q聖書、創世記6章5節についてですが。

ここには主が地上に「人、獣、這うもの、空の鳥」を、つくったのを悔いています。

そして「地のおもてからぬぐい去る」と、記されていますが、
1章20節に記される「水に群がるすべての動く生き物」つまり「海の魚」のことが書かれていません。

また、「水に群がるすべての動く生き物」を、箱舟に入れたことも書いてありませんが、主は「海の生き物」はそのまま、ぬぐい去られないで洪水の前の状態で生き延びたのでしょうか。

洪水なので「水」が関係していますが、どのような業だったのでしょうか。

宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

有名なノアの洪水についてですね。
世界中に洪水伝説が存在していたり、数千年前の地層に洪水らしき
痕跡が残されていたりすることから、かつて大洪水らしき災害が実際
に起こったと考える人がいるようです。
聖書の記述では、大洪水のそもそもの原因は人間の悪が地に満ちたためで、
洪水は動物(&ノア一家)を滅ぼすことを目的としていなかったので、
動物が箱舟に入れられました。
洪水でも生き延びられる生き物は箱舟に入れる必要が無いので
何も書かれていないのでは?

Q哲学の事で

まだ高校3年なので、国語能力がないですし、専門用語も全くわからないので質問も幼稚になってしまうのは大目にみてください。質問が多すぎるので暇などある時に回答してくると幸いです。

1.あやふやなんですが、哲学は考えや思想とは違って、決めたテーマの根本的な理由の事だとどこかの本で読んだような気がしたんですけど、哲学は考えないと哲学になりませんよね?なので哲学が考えと違うといのはありえないと思うんですがどうでしょうか??

2.ある人が言った言葉なんですが、水をテーマにして、「乾いた時代だったり乾いたシーンが多いけれど、そうゆうことではなくて、もっと潤った気持ちで人を愛したり、人に愛されたりする時代に、僕達は入らなければいけない」という事を言っていたんですが、これは哲学ですか?

3.哲学は理系と文系どっちに入るのでしょうか?

4.哲学はどこからが哲学なんでしょうか?例えば、神はいるのか?をテーマにして、「自分が見たことがないのでいない」というのも哲学なるんでしょうか?

お願いします。

Aベストアンサー

1. 私もそう思いますよ。考えることですね。
2.それも考えた末のことでしょうから哲学ですね。
3.全部を含んでますね。どこから入っても哲学。
4.どこから入っても哲学。思考と気づきは無限だけど同時にどこにも結論はあるからね。誰にでもわかるのも哲学、より深遠さを求めるのも哲学。

Q創世記9章18節~28節の読み方は?

90 創世 9:18 箱舟から出たノアの子らはセム、ハム、ヤペテであった。ハムはカナンの父である。
91 創世 9:19 この三人はノアの子らで、全地の民は彼らから出て、広がったのである。
92 創世 9:20 さてノアは農夫となり、ぶどう畑をつくり始めたが、
93 創世 9:21 彼はぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。
94 創世 9:22 カナンの父ハムは父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。
95 創世 9:23 セムとヤペテとは着物を取って、肩にかけ、うしろ向きに歩み寄って、父の裸をおおい、顔をそむけて父の裸を見なかった。
96 創世 9:24 やがてノアは酔いがさめて、末の子が彼にした事を知ったとき、
97 創世 9:25 彼は言った、/「カナンはのろわれよ。彼はしもべのしもべとなって、/その兄弟たちに仕える」。
98 創世 9:26 また言った、/「セムの神、主はほむべきかな、/カナンはそのしもべとなれ。
99 創世 9:27 神はヤペテを大いならしめ、/セムの天幕に彼を住まわせられるように。カナンはそのしもべとなれ」。
100 創世 9:28 ノアは洪水の後、なお三百五十年生きた。

さて、質問です。
全体として何を述べているのか少しも分かりません。
1  9:24 末の子とは誰ですか。セムかヤペテで、多分ヤペテではありませんか。カナンはノアの孫であって末子ではないと思いますが?はて?
2  9:24末の子が彼(ノア?)に何をした、と言うのですか。何をしたとも述べていないようですが。

よろしくお願いします。

90 創世 9:18 箱舟から出たノアの子らはセム、ハム、ヤペテであった。ハムはカナンの父である。
91 創世 9:19 この三人はノアの子らで、全地の民は彼らから出て、広がったのである。
92 創世 9:20 さてノアは農夫となり、ぶどう畑をつくり始めたが、
93 創世 9:21 彼はぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。
94 創世 9:22 カナンの父ハムは父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。
95 創世 9:23 セムとヤペテとは着物を取って、肩にかけ、うしろ向きに歩み寄って、父の裸をおおい、顔...続きを読む

Aベストアンサー

>全体として何を述べているのか少しも分かりません。
イスラエルは、後にカナンの地を征服したので、それを正当化するための理由付け。

>1  9:24 末の子とは誰ですか。セムかヤペテで、多分ヤペテではありませんか。カナンはノアの孫であって末子ではないと思いますが?
どう読んでも混乱は免れません。
一応は、ハム。(ヤペテでは全体の意味がまるで通らなくなる。)
別説として、
・ノアとハムでなく、ハムとカナンの話。
・末子を孫息子の書き誤りと考え、カナン。

>2  9:24末の子が彼(ノア?)に何をした、と言うのですか。
書かれていることを字句どおりにとると、ノアの裸体かつ泥酔状態をハムがいいふらしたこと。
(ハムは、ノアの裸を隠す行動に出るべきで、言いふらすのは論外。)
うがった見方をすれば、近親相姦。
※レビ記18-6,7では、裸=肉体関係の意味で使用しているため。
 あなたがたは、誰も、その肉親の者に近づいて、その裸を暴いてはならない。
 わたしは主である。あなたの父の裸も、あなたの母の裸も、これを暴いてはならない。

以上、「アジモフ博士の聖書を科学する」 社会思想社 1983年出版 より。

>全体として何を述べているのか少しも分かりません。
イスラエルは、後にカナンの地を征服したので、それを正当化するための理由付け。

>1  9:24 末の子とは誰ですか。セムかヤペテで、多分ヤペテではありませんか。カナンはノアの孫であって末子ではないと思いますが?
どう読んでも混乱は免れません。
一応は、ハム。(ヤペテでは全体の意味がまるで通らなくなる。)
別説として、
・ノアとハムでなく、ハムとカナンの話。
・末子を孫息子の書き誤りと考え、カナン。

>2  9:24末の子が彼(ノア?...続きを読む

Q医師が哲学博士号を持っていることが多いのはなぜ?

1)医師がM.D.の他にPh.D.の称号を持っていることを
よく見かけますが、M.D.がとるPh.D.の博士論文の
テーマはどんなものがあるのでしょうか?
また、論文をネット上で読むことができるのでしょうか?

2)医師がPh.D.の称号を取る理由は人の命を扱い、
死に対しての哲学的な考えをもっている必要があるという事でしょうか?

3)大学生用の哲学の教科書を半分ほど読んでみましたが、
古代の哲学・神学・自然科学など、分野がばらばらで
なかなか理解できません。教科書には「哲学は進歩しない
学問である」「時代によって哲学のテーマが変わる」と
書いてありますが、まずはこの教科書「哲学の概論」と
「哲学の展開」を読み通してからもう一度考えるべきでしょうか?
4)「私が人生に付いて悩んでいる」という相談を知り合いをD.D.S.にしたところ、哲学を学べと勧められました。
正直言って哲学の教科書は読み通すのがつらいのですが、
もう少し砕けた哲学についての本があったらご紹介ください。

Aベストアンサー

具体的な番号が思い出せませんが、同じ意味の質問がありました。それとは別に、Ph.D. と哲学博士は同じものではありません。

Ph.D. Doctor of Philosophy は、直訳すれば確かに哲学博士になりますが、意味が違い、理系・文系を問わず、学位一般に使われます。日本語で言う、医学博士、理学博士、文学博士、全てが、英語にすると Ph.D. になります。この辺りの経緯が、以前の質問の回答にあったように記憶しています。

基礎医学の研究論文で医学部から学位を授与されると、日本では 「医学博士」、これを英文表記するときは Ph.D. (medical Science) のように括弧書きを加えることもあります。

U.S. では、医学教育は、日本と違い、4 年生大学を終了後 Medical School に入り、修業年限も長いため、日本でいう大学院 (博士課程) 相当になり、医師となるものが多いために、M.D. が Title になります。この制度上の違いもあり、日本人で日本の医師免許を有しているものは、U.S. での M.D. に相当するものと (認められてか、勝手にか、は知りませんが) して、医学博士ではなくとも M.D. を称号にしているケースがあります。ここまでは、経験者としての回答です。以下は、経験者としてのアドバイスです。

>「私が人生に付いて悩んでいる」という相談を知り合いをD.D.S.にしたところ、哲学を学べと勧められました。

哲学とは、自分の生き方、価値観です。一貫した自分の価値観を築き上げるためには、まず自らで考えることが必須です。そのときの方法論、他人の考え、自分が考えたことの妥当性の評価、などのために、先人の考えを学ぶことは必要でしょう。決して、過去の哲学者の所見を、受験勉強のように覚えることではありません。助言された方も、多分その意味で言われていると思います。まず自分で考えることから始めるべきで、その上で読めば、どんな哲学者の本も、そう難しいものではありません。

具体的な番号が思い出せませんが、同じ意味の質問がありました。それとは別に、Ph.D. と哲学博士は同じものではありません。

Ph.D. Doctor of Philosophy は、直訳すれば確かに哲学博士になりますが、意味が違い、理系・文系を問わず、学位一般に使われます。日本語で言う、医学博士、理学博士、文学博士、全てが、英語にすると Ph.D. になります。この辺りの経緯が、以前の質問の回答にあったように記憶しています。

基礎医学の研究論文で医学部から学位を授与されると、日本では 「医学博士」、これを英文...続きを読む

Q 創世記第一章(第一節~第五節)についてご造詣の深い質問(神が天地をつ

 創世記第一章(第一節~第五節)についてご造詣の深い質問(神が天地をつくったのか)がこの哲学カテにでました。
 聖書の勉強をしたことがないので、教えてください。

 http://ja.wikisource.org/wiki/%E5%89%B5%E4%B8%96%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)より。
 1:1 はじめに神は天と地とを創造された。
 1:2 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
 1:3 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
 1:4 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。
 1:5 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。

(質問)
 1. この創造のときに神は存在していたのですか?どこに存在していたのですか?

 2. 光がないときをやみと指しているようですが、光の出現の前にあったのであればそれは、光よりも神に近いものであり、光よりも本源的だといえませんか?

 3. 光とは可視光線ですか?可視不可視を含めた光線ですか?やみとはそういう可視不可視の光線もないという事ですか?(可視光線もものに反射してから見えます。反射しないと見えません。反射しない状況を私たちは闇といいます。ここでいうやみはそういう闇ではないのですね?)

 4. 神は光を為し、それとやみとを区分したかのようです。
 仮に区分したのであるなら、その境界は何なのでしょうか?夜と昼との間、朝と夕べでしょうか?

 5. そしてそのどちらに神はいるのですか?境界にいるのですか?

 創世記第一章(第一節~第五節)についてご造詣の深い質問(神が天地をつくったのか)がこの哲学カテにでました。
 聖書の勉強をしたことがないので、教えてください。

 http://ja.wikisource.org/wiki/%E5%89%B5%E4%B8%96%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)より。
 1:1 はじめに神は天と地とを創造された。
 1:2 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
 1:3 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
 1:4 神はその光を見て、良しとされた。神は...続きを読む

Aベストアンサー

 お答えします。

 ( a ) 神は 人間にとって表象し得ません。象(かたち)に表わし得ません。絵でも音でも文字でも考えでも表わし得ません。もし表象し得たなら それは 神ではありません。人間の精神における想像力による産物としての《観念》であるに過ぎなくなります。

 ( b ) わづかにしかも じんるいは《かみ》あるいは《信じる》という言葉を持つに到っており いまも使っています。これは如何に? では これらは何を意味する言葉なのか?

 ( c ) 言葉は一般にこの経験世界のものごとに対応した内容をその意味とします。ところが 神という言葉は 端的に言って その対応がありません。表象し得ないのですから。

 ( d ) おそらくこの《非経験の領域なる神》と《経験的な存在である人間》とを結ぶものは それがあるとしたなら 《信じる》という行為である。

 ( e ) 信じるというのは ひとつに 経験世界における《考える(表象する)》を超えた行為である。言いかえると 考えることの出来ない(表象しえない)何ものかとの対面である。
 ひとつにはしかも その神と人間もしくは《わたし》を結ぶというのなら そこで 結ばれたという事件が起きると言わざるを得ない。言いかえるとそれは 《わたし》の時間的な意志行為である。

 ( f ) わたしの時間的経験的な意志行為であろうと見ているが おそらくそれは わたしからの行動や操作によってはついぞ叶えられない事件であろう。その意味は わづかにどこかから・何ものかによって与えられたものを受け取るという意志行為であろう。その受領証を発行することが わづかに人間に出来る行為であり それが《信じる》であろう。

 ( g ) さて 神はどこにいるか? ――どこにでもいるでしょうし どこにもいないでしょう。《わたし》の中にいるでしょうし それはわたしの自由になる持ち物などとしては いない。

 ( h ) 神は いつ いるか? ――いつでもいるでしょうし いつも いないでしょう。《わたし》のいま・ここにいるでしょうし それはわたしの自由にすることができる持ち物などとしては いない。

 ( i ) この宇宙が出来たとするならその出来たとき 神はとうぜんその宇宙を超えているのだから 擬人化して言えば その宇宙の生成を神は見守っていたことでしょう。その後の経過やじんるいの歴史などなどすべての経験的な現象やことがらに対しても 同じであるでしょう。

 ( j ) ここで言うとすれば 経験世界である宇宙を超えて存在すると想定される神については 見守っていたと仮りするならば その天と地をその神がつくったと表現してもそれほどおかしくはない。その世界を超えているからです。覆っているし含んでいるとさえ表現されうる。経験世界が神をつくったとは ぎゃくに 言えないわけです。

 ( k ) 《はじめ・創造する・天・地・形・やみ・淵・水・おもて・おおう・光・ある・言う・見る・良し・分ける・昼・夜・名づける・夕べ・朝・なる・第一・日》は すべて 経験世界のものごとであり それを表わす言葉です。これらを超えているのが 神です。超えていることによりそれらを覆い包み含むとも表わされ得ます。

 ( l ) 神は光速をむろん超えています。歴史を超えています。世界をつつんでいます。
 神は 宇宙の初めもその前をもそのあとをも超えています。宇宙の生成は それなりに(そのモノの運動にしたがって)出来たし そこから経過して来ていると考えます。

 ( m ) もしそのほかに何かプラス α があるすればそれは
 ◆ 1:2 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
 ☆ の中の《神の霊》 これは何を言うのかです。あるいは

 ◆ 1:4 神はその光を見て、良しとされた。
 ☆ の中の《良しとする》とは どういうことか? おそらく上の《神の霊》と関係するのではないか。なぜなら《良し悪し》となれば モノの自己運動とは別の――神にとってのとは言わないまでも 人にとっての――世界連関があるかも知れないゆえ。言いかえると ひとそれぞれの主観的な判断 つまり意志行為 の問題であるかも知れません。良し悪し ないし 善悪のことです。

 ◆ 1:5 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。
 ☆ ここで《夕べとなり》のあと 《夜に入り》とか書かれていない。そのまますでに明くる《朝となった》と書いてある。もしこのように人も夜に渡されずに 眠りの世界を経るのだとすれば そうだとすれば 上の《神の霊 あるいは 人間にとっての善悪(価値観)》とかかわらないであろうか? 

 (あぁニ千字)

 お答えします。

 ( a ) 神は 人間にとって表象し得ません。象(かたち)に表わし得ません。絵でも音でも文字でも考えでも表わし得ません。もし表象し得たなら それは 神ではありません。人間の精神における想像力による産物としての《観念》であるに過ぎなくなります。

 ( b ) わづかにしかも じんるいは《かみ》あるいは《信じる》という言葉を持つに到っており いまも使っています。これは如何に? では これらは何を意味する言葉なのか?

 ( c ) 言葉は一般にこの経験世界のものごとに...続きを読む


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