森田草平が書いた『煤煙』について知りたい!煤煙のだいたいのあらすじや、またそのころの夏目漱石との関連をしりたいのです。出来ればはやめに!!誰か教えて――!!

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A 回答 (1件)

「煤煙事件」というものがあります。

1908年(明治41)3月24日、那須野の塩原署は、3日前の深夜に自宅を出奔し、行方不明になっていた平塚明子(雷鳥)と文学士森田米松(草平)の二人を小花峠の山中で保護しました。妻子のある森田に対し、雷鳥が強く心中を迫っての行動でしたが、森田がその翌日1月1日より東京朝日新聞に、この事件をもとにして執筆連載した小説「煤煙」は好評を博します。事件名はこの小説の題名によるものです。

明治35年に森田草平は、夏目漱石を駒込宅に訪ねて師事することとなり、阿部能成、小宮豊隆、鈴木三重吉と共に四天王に数えられます。参考URLには森田の年譜が載っています。漱石の『それから』には、登場人物である代助の森田草平の『煤煙』に対する批評があるのは周知のところですが、これについてはこちらをご覧下さい。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Miyuki/9321 …

その他参考になりそうなものはこんなところでしょうか
http://www.asahi-net.or.jp/~pb5h-ootk/pages/M/mo …

参考URL:http://www2.odn.ne.jp/~aae33230/morita/history.h …
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Q老人と海について。

ヘミング・ウェイの『老人と海』についての質問です。
話の初めの方に(老人が海に出る前です)老人と少年の会話で次のようなものがあります。

「親方そんなに目が悪いのかい?」
「めくらも同然だよ。」
「変じゃないか」と老人は言った、「あいつは、海亀とりはやらなかったぜ。あれをやると、きっと目をダメにする」…

ここで出てくる、「海亀とり」ですが、なぜ「海亀とり」をすると目が悪くなるのでしょうか?誰か教えてください!!

因みに、原作の英文はこちらです↓↓
“Are his eyes that bad?”
“He is almost blind.”
“It is strange,”the ole man said.“He never went turtle-ing.That is what kills the eyes.”

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

漁師や地元民に伝わる迷信から来た言い回し(ジンクス)ではないでしょうか?
日本でも昔から『亀』は長寿や幸運など縁起の良い生き物の象徴とされています。
諸外国でも『海の神様の使い・幸運・幸せ・長寿』等々『亀』は、特別な生き物として考えていた国も多いようです。
その特別な生き物を殺して商品とする訳ですから、失明(目がつぶれる)するほどの『罰(バチ)』が当たると言う意味だと思います。
60年も前に書かれた作品なので、今では信じられない言い伝えや迷信が数多く存在していたはずです。
面白いですよね。

Q漱石全集と夏目漱石全集

「漱石全集」が岩波から、「夏目漱石全集」がちくまから出版されていますが、どう違うのでしょうか?
文庫本で小説は全部楽しく拝読いたしました。
興味が出てきて、漱石日記、私の個人主義を(これも文庫本)読んでいます。
今は、夏目漱石の価値観や思想観などちょっとしたことでも、もっともっと知りたい気持ちでいっぱいです。

Aベストアンサー

 こんばんは。

 仰る「ちくま」が、ちくま文庫版と仮定して回答します。

岩波:正字。旧かな。文字通りの「全集」。

ちくま:新字。新かな。難しい漢字などはひらがなにしてある。文学と評論のみ。

 『漱石日記』は岩波文庫版でしょうか。これは、新字、新かな、難しい漢字はひらがなに直してありますね。
 『私の個人主義』は、講談社文庫版かな。

 漱石の時代の雰囲気を知り、あわせて全部を見たいのであれば、#1さんの仰る通り、やはり岩波の『漱石全集』でしょう。いちばん新しいもの(第1巻が1993年)か、ひとつ前のもの(第1巻が1984年)がいいと思います。

 それからですね、
 集英社『漱石文学全集』の別巻『漱石研究年表』は、漱石の行動を、一日単位で年表にしたすごい本です。
 また、
 ほるぷ『初版本漱石文学館』は、初版本を、装丁まで忠実に復元したものです。
 また、漱石の小説は、ほとんど朝日新聞に掲載されたんですが、当時の新聞を、挿絵ごと、そのまま写真版で復元したものもあります。ゆまに書房『漱石新聞小説復刻全集』です。

 漱石のひととなりを知るには、『書簡』がお勧めです。漱石は書簡の名手で、素晴らしい手紙を数多く残しています。岩波文庫の、抜粋の『漱石書簡集』から入ってみてもいいかもしれません。

 漱石の全集は、たくさん出ていて、その歴史は、日本の全集の歴史を象徴してるといわれているんです。これを書くのに、青英舎『漱石全集物語』を参考にしましたが、そんな本が出るほどなんです。

 復刻版は、かなり大きな図書館でないとないかもしれません。最初は、岩波版『漱石全集』か、岩波文庫の漱石作品がいいと思います。

 ご参考になれば。

 こんばんは。

 仰る「ちくま」が、ちくま文庫版と仮定して回答します。

岩波:正字。旧かな。文字通りの「全集」。

ちくま:新字。新かな。難しい漢字などはひらがなにしてある。文学と評論のみ。

 『漱石日記』は岩波文庫版でしょうか。これは、新字、新かな、難しい漢字はひらがなに直してありますね。
 『私の個人主義』は、講談社文庫版かな。

 漱石の時代の雰囲気を知り、あわせて全部を見たいのであれば、#1さんの仰る通り、やはり岩波の『漱石全集』でしょう。いちばん新しいもの...続きを読む

Q英語 to 不定詞 「老人と海」(続き)

前回の質問で、消化不良をおこしましたので、自分なりの「理解」を述べたいとおもいます。

No one would steal from the old man but it was better to take the sail and the heavy lines home as the dew was bad for them and,though he was quite sure no local people would steal from him,the old man thought that a gaff and a harpoon were needless temptations to leave in a boat.

ここで、私の意見ですが、「省略がある」、と考えると、文法的に理解ができます。


(1)to leave them in a boat.  とすると、leave は、他動詞になるとおもいますが、
   いかがですか?


(2)他動詞だとすれば、老人が、主語になると思いますが、いかがですか?


(3)老人の動作だとすれば、to leave 以降は、副詞的用法となりますか?


(4)目的語 them を省略してもなお、leave は、他動詞といえますか?


(5)to be left in a boat . と書き直すと、形容詞的ですか? 副詞的ですか?



(6)to leave の to の前に、「カンマ」を入れる表現方法がありますか?


(7)その場合、副詞的用法と、いえますか?


(8)形容詞的用法は、名詞を修飾する限定用法のみが存在し、
  to 不定詞の形容詞的用法に、叙述用法はない、といえますか?

前回の質問で、消化不良をおこしましたので、自分なりの「理解」を述べたいとおもいます。

No one would steal from the old man but it was better to take the sail and the heavy lines home as the dew was bad for them and,though he was quite sure no local people would steal from him,the old man thought that a gaff and a harpoon were needless temptations to leave in a boat.

ここで、私の意見ですが、「省略がある」、と考えると、文法的に理解ができます。


(...続きを読む

Aベストアンサー

>国語の世界では、「象は、鼻が、長い。」  主語は、どっち、か?  と、言う大論争が、かつてありました。  「主題」(テーマ)と、言う単語を持ち出して解決しました。

興味のある話題なのでちょっとお邪魔します。(笑)
この論争は本当に解決したのでしょうか。

この文には主語がひとつもない。日本語にそもそも主語など不要なのだから当然と言えば当然だが、二重主語どころではないのだ。「象は」は主題であり、文がここで切れている。「象について話しますよ」と聞き手の注意を引いておき、それに続く話し手のコメントが「鼻が長い」だ。「主語」という外来の範疇に囚われているから総主「論争」などが出てくるので、これは初めから前提が間違っている「疑似問題」なのである。 (『日本語文法の謎を解く』79~80ページ)という三上章氏の主張を質問者様は支持されるということでしょうか。

「象は鼻が長い」は「象は鼻が長い動物である」という「入れ子型文」(英語では関係代名詞を使って表すことのできる文)の述部省略という考えは思い浮かびませんか。「象」という「主語」が含意(内包)している「動物」という「範疇」の言葉を省略できるのが日本語の面白くてユニークなところなのではないでしょうかね。


本題の議論に戻って一言。
>A gaff is a temptaion to leave in a boat.

これを形容詞用法で訳してみましょう。
「魚かぎは、船に残すための誘惑するものである。」
「魚かぎは、船に残すような誘惑するものである。」
「魚かぎは、船に残すべき誘惑するものである。」
「魚かぎは、船に残そうとする誘惑するものである。」

また、タフ構文なるもので訳すと
「魚かぎを船に残すということは、誘惑するものである。」

>A gaff is a needless tamptation to leave in a boat.

同じく、形容詞用法で訳してみましょう。
「魚かぎは、船に残すための避けられるはずの誘惑するものである。」
「魚かぎは、船に残すような避けられるはずの誘惑するものである。」
「魚かぎは、船に残すべき避けられるはずの誘惑するものである。」
「魚かぎは、船に残そうとする避けられるはずの誘惑するものである。」

タフ構文での訳は
「魚かぎを船に残すということは、避けられるはずの誘惑するものである。」

どちらも意味が異味になっちゃいますね。(LOL)!!

以上、参考になれば幸いです。

追伸:「接続法」の動詞については別の質問の折に説明させて頂きたいと思っております。「仮定法」との「論理積」はありますが、ほんのわずかです。

>国語の世界では、「象は、鼻が、長い。」  主語は、どっち、か?  と、言う大論争が、かつてありました。  「主題」(テーマ)と、言う単語を持ち出して解決しました。

興味のある話題なのでちょっとお邪魔します。(笑)
この論争は本当に解決したのでしょうか。

この文には主語がひとつもない。日本語にそもそも主語など不要なのだから当然と言えば当然だが、二重主語どころではないのだ。「象は」は主題であり、文がここで切れている。「象について話しますよ」と聞き手の注意を引いておき、それに続...続きを読む

Q夏目漱石作品等の古い文体(?)の本が読みたい!

国語の知識が無いので、何と表現するのかわからないのです・・・
夏目漱石や横溝正史の作品で、オリジナルの古い文体で書かかれたもの
(「云ふ、さうですか、~するやうに」等の語調で書かれているものという意味です。)
はどこの出版社で購入する事が出来るのでしょうか?
また、書店で請求する場合、この様な文体の名称は何と言えば伝わりますか?
宜しくお願いいたします。

Aベストアンサー

夏目漱石の作品については岩波文庫がおすすめです。
漱石に限らず近代日本文学の中で定評のある作品はほとんどが岩波文庫になっています。もちろん、オリジナルと同じ言葉遣い(旧仮名遣い)で収録されていますから、ivy2003さんのご希望にぴったりだと思いますし、大きな書店に行けば入手は容易です。

残念なことに岩波書店の販売方法が一般の本と違う(返品不可の買い切り制)為に、街の小さな書店や中規模の書店ではおいてないかもしれませんけれど・・

なお、参考URLは近くに大きな書店のない方のための岩波文庫の買い方のガイドです。

参考URL:http://www.tomita.net/column/s971008.htm

Q『老人と海』の女性の朗読が聴けるサイトを教えて

『The Old Man and the Sea』 の女性の朗読サイト
または、男声でもクリアな音声が聴けるサイトを
お教えください。
何卒、よろしくお願い申し上げます。

Aベストアンサー

あー、懐かしい。中学校の時に読みましたよ、これ。

http://lite.air-nifty.com/air/2009/03/x95-f6c8.html

ここで一応全部かどうかはわかりませんが聞けました。男の人ですけど。
こんな所かな?英語圏のサイトで合法のフリーはありませんでした。
違法なら、Torrent系であると思います。

The old man and the sea audio book

で検索するとごろごろ出てきますけど、リンク切ればっかで探すのめんどうになったので、
自分で探してみてください。
買ってもよいならこちらとか。

http://books.simonandschuster.ca/Old-Man-and-the-Sea/Ernest-Hemingway/9780743565134

Q夏目漱石「こころ」の解説 

夏目漱石の「こころ」の文章の解説が載っているサイトをご存知の方、URLを教えてください!
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD24517/story.html
あらすじでよいのでしょうか?

Qあらすじって誰が書いてるんでしょうか?

私にとって、なくてはならないが、時に手ひどく裏切られるもの。それは、文庫のあらすじ。

ハードカバーや新書にはあまりないが、文庫には大抵ついているあらすじ。

あらすじを読んで本を買ったら、中身が大して面白くなかった場合は、まぁいいとします。相手も売るためにがんばっているのだから。

しかし、許せないのは、あらすじでほとんど話が終わっている場合!

あらすじ
「幼馴染のAとB。お互いに相手を意識しているが、すれ違う二人。そんな時に親友のOがAを好きだと言い出して?!Aを体育館裏に呼び出したB、果たして二人の関係は?!番外編AB君の日常も同時収録!」

本文を読み始める、すれちがうAとB。文庫の半分まで来ている。体育館裏、5分の4ページまで来てしまった。

あれ、もうページが残り少ないぞ・・・。

もしや、このパターン・・・。

あらすじで話がほとんどおわってるぅ~!

こんなことなら、あらすじ読んで、最後の1~2ページ立ち読みすればよかったよ!

あらすじを書いたやつが悪いのか?あらすじで語られる内容しか書けない作者が悪いのか?!

一体、あらすじって、誰が書いてるんでしょうね?

私にとって、なくてはならないが、時に手ひどく裏切られるもの。それは、文庫のあらすじ。

ハードカバーや新書にはあまりないが、文庫には大抵ついているあらすじ。

あらすじを読んで本を買ったら、中身が大して面白くなかった場合は、まぁいいとします。相手も売るためにがんばっているのだから。

しかし、許せないのは、あらすじでほとんど話が終わっている場合!

あらすじ
「幼馴染のAとB。お互いに相手を意識しているが、すれ違う二人。そんな時に親友のOがAを好きだと言い出して?!Aを体...続きを読む

Aベストアンサー

ホント、たまに腹立つあらすじとか、ありますよね!
結末さえ書かなきゃいいと思ってるのか、前半のクライマックス書いてくれたりして「このあらすじさえなきゃ、もっと楽しめたのにー!」って、悔しい思いをします。

あらすじを書いてるのは(多分ですが)編集者が多いんじゃないかと思います。
まず最初の読者というのは担当編集者でしょうし。
そういえば「世界の中心で愛を叫ぶ」というパクリタイトルも編集者が付けたそうですね。
あれだけ売れたのもこのタイトルによる所が大きいと思われるので、この場合はいい仕事をしたわけですね。

>あらすじで語られる内容しか書けない作者が悪いのか?!
中にはそういう作者もいるでしょうが、まともな小説でもこういうことがありますので、やはりあらすじを書いたやつが悪いんでしょう。

「売るためなら全部書いちゃうぜ!後は知ったことか!」と思ってるのか、単に読者の気持ちがわからなくて真っ正直に「あらすじ」を書いてるのか、どっちなんでしょうね_ _;

Q夏目漱石:三四郎

三四郎には、「死」の場面が唐突に三回出てくる。
それが、この作品に暗い影をなげかけている、という話を聞いたことがあります。
読み返してみたのですが、
○野々宮さんの家で留守番をしているときに、中央線で自殺がある。
○みね子(ひらがなですみません)といるときに、野辺送りを見る。
の2回しかわかりません。
私の聞いたのがまちがいだったのでしょうか。
どなたか、この説を知っている方、もしくは、もう一箇所の死の場面を教えてくださるかたは、いらっしゃいませんか。

Aベストアンサー

その話は聞いたことがありませんが、
「三四郎」にはもう一つ、子供の葬式の場面があります。
三四郎が病気の広田先生を見舞ったあと、
原口の家に行く途中のことです。
やはり唐突にでてきます。

第10章。角川文庫クラシックスではP247ですが、
他の版ではわかりません。

Qジャンプあらすじ

ジャンプあらすじ


週刊少年ジャンプを次の木曜日から買おうとおもうのですが
漫画のあらすじがぜんぜんわかりません
各まんがの簡単なあらすじをおしえていただけませんか
おねがいします

Aベストアンサー

http://www.shonenjump.com/j/rensai/index.html

Q夏目漱石の悟り

『漱石先生ぞなもし・続』のなかで、ある者が『先生にとって悟りとは何ですか』と問うたところ、
漱石は『彼も人なり、われも人なり』と答えたとあります。
解釈は様々でしょうが、悟りの境地には至らないが、悟った先人達もまた、人なのであるから、
自分も又いつかその境地になることも可であると言ったのではないかと私は思うのです。
が、ある本で、悟りとは我がことのみにとらわれず、人の幸せを願うことであると
漱石が語ったのだと解釈されていたのがどうも腑に落ちません。
漱石の禅とのかかわりから考えて、明治38,9年頃の漱石が悟った人として自分を捉え、
弟子にかくかくと言うとは思えないのですが
ご意見伺いたくお願い致します。

Aベストアンサー

>悟りとは我がことのみにとらわれず、人の幸せを願うことである

 これは大乗仏教での悟りの定義のひとつです。言葉で言おうとすると、大体このあたりに落ち着く、という風に相場が決まっているわけです。ただ、漱石の答えがこれを意味していたとはどうも思えません。

 漱石は禅についての問題意識を持ち続けた人です。ご承知のとおり、『行人』の最後のほうに、香厳というお坊さんのことが書かれています。聡明にして博学だった香厳は、師から「父母未生以前、本来の面目は何か。お前の言葉で言い切ってみろ」と問われて、答えに窮してしまいます。いくら頑張っても、借り物の言葉でしか答えらしいものが語れないからです。

 この香厳のエピソードを、漱石は自身の体験になぞらえて理解していたのだと思います。『門』にもあるように、彼は二十代のおりに鎌倉の寺院でぶっ通しの参禅をし、釈宗演という老師から香厳と同じ「父母未生~」の公案を示されているのです。
 漱石も何か答えようと何度か試みます。しかしその度に老師から、「そんなものは少し学問のある者なら誰でも言うことだ、もっとギロリとしたところを持ってこい」、とさんざんどやしつけられ、結局は挫折するわけです。

 聡明な人間が、ともに自分の言葉で真実を語ろうと模索するものの、師匠から「頭がいい奴は気のきいたことをいうもんだ」などといなされ、ゆきづまる。図らずも漱石は香厳と同じ境遇にたつ強烈な体験をしたわけです。恐らく漱石はそのことを強く意識したことでしょう。

 ただ、二人のその後の人生は大きく違っています。香厳は、「画餅では飢えをどうすることもできない。自分にせめてできるのは修行者の世話ぐらいだ」と、持てる一切の論書を焼き捨てて、一介の飯炊き僧として年月を重ねる生活をおくり、やがて忽然と大悟を得ます。一生をかけて彼は、ゆるぎない自分の答えを得たわけです。

 一方の漱石はといえば、参禅のあと作家として順調に大成し、名を知らぬものとてない大先生となってゆきます。けれども、恐らく心中にはあの体験が未解決のまま残されていたでしょう。だからこそ、晩年作の『行人』の中で、主人公に「自分は香厳になりたいのだ」とまで言わせたのです。似た体験を共有するはずの香厳に比してみた時、漱石には、自分には解決をつけていない問題がある、と感じられていたことでしょう。

 ところで、最晩年の漱石は、二十歳そこそこの若い雲水たちと不思議な交流を持っています。既に大家であった漱石に、「返事を下さい」と無邪気なファンレターを送ってよこした修行僧の天真爛漫さに感じるところがあったのか、手紙のやりとりをするばかりか家に泊め、いろいろと立ち入った相談まで持ちかけています。挙句、「五十の歳までグズグズしていた自分に比べ、もう既に修行しているあなた方は幸福だ、あなた方は尊い方だ」、そして「自分が死んだらあなた方に引導を渡してほしい」とも言ったようです。

 その心中について解釈は色々あるようですが、香厳の一件が漱石のなかで未決のまま残されていたことが、天衣無縫な若い雲水の姿に漱石が手もなく憧憬に似たうぶさを見せたひとつの理由ではあったと思います。
 それと同時に、晩年の漱石自身が、ちょうど書を焼いた香厳がそうであったように、日常茶飯底のふるまいをきっちりと行うことに禅らしさを感じるようになっていたのではないか、とも思います。日常を日常としておこなって何ものにもとらわれないでいること、つまり悟りうんぬんということからも自由であることが禅の目指す生活である、そういう感覚を漱石は持つようになったのではないか、それゆえに若い無邪気な僧侶の(落としたビフテキを「もったいない」といってそのまま食べるような)天衣無縫な行動に対して周囲も驚くほどにことさら共鳴したのではないか、と思うのです。このあたりは全くの想像なのですが。

 いずれにせよ、(発言の時間は少し前後しますが)そういったことをふまえて改めて「彼も人なり、われも人なり」という言葉を見ると、単に「仏も人だったのだから、私だって」と漱石が語ったのだとは受け止めにくいところがあります(用法を見ても、その意味で使うなら通常、「仏も人なりき」というように、もっぱら過去形で語る場合のほうが多い)。
 むしろ、漱石のなかでは、世間的には大先生であるはずの自分を何とも思わない若い修行僧のように、地位や名誉、利害得失や右顧左眄を離れておもねることなく、ただ球が転がるかのように日常を送ることがどうやったらできるか、ということが悟りの問題と関係づけられていたのではないかと思います。

 つまり、普段の社会は「人と人」とは言いながら、それを覆う条件が複雑に絡みすぎていて、しかも(漱石の言うところでは)小さな「我」にとらわれた個人主義の生活ばかりが営まれがちだけれども、本当に「人と人」として恬淡と毎日を生きることができないものか。「彼も人なり、われも人なり」とは、禅についての問題意識を一生持ち続けた漱石ならではのそんな思いの表われたものではないか、という気がするのです。

>悟りとは我がことのみにとらわれず、人の幸せを願うことである

 これは大乗仏教での悟りの定義のひとつです。言葉で言おうとすると、大体このあたりに落ち着く、という風に相場が決まっているわけです。ただ、漱石の答えがこれを意味していたとはどうも思えません。

 漱石は禅についての問題意識を持ち続けた人です。ご承知のとおり、『行人』の最後のほうに、香厳というお坊さんのことが書かれています。聡明にして博学だった香厳は、師から「父母未生以前、本来の面目は何か。お前の言葉で言い切って...続きを読む


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