秘密基地、どこに作った?

漫画や時代劇で、牢屋のシーンがあります。
畳を10枚くらい重ねた簡易床の間(?)牢名主がふんぞり返って
歩く隙間もない位囚人が鮨詰めになっていて、人数超過したり病気になると間引きしているシーンとかがあります。

ちょっと資料を見ると、江戸時代の奉行所は北と南合わせて300人以下の役人しかいなくて、警察関係はそのうち70名位しかいないと書いてました。

300万都市といわれる江戸を300人で管理運営するのって無茶がありますよね? 70人じゃ絶対牢内の監視にも手が回りませんよね?

 やっぱり時代劇や漫画に書かれているように江戸時代って治安が悪くて、牢屋が鮨詰めで牢名主が仕切って私刑や間引きが暗黙の内に行われていたのでしょうか?

A 回答 (7件)

>やっぱり時代劇や漫画に書かれているように江戸時代って治安が悪くて、牢屋が鮨詰めで牢名主が仕切って私刑や間引きが暗黙の内に行われていたのでしょうか?


まず江戸時代を理解するのには、以下の二点の基本的な仕組みを理解しておかないと、やたらに役職だの役割だのと訳の解らないことになります。

○幕府にしろ大名にしろ、軍事組織です。
○民政は、民間の自治組織に任せていました。

どこの国の軍隊も、軍隊内の事件を解決するための憲兵や軍事法廷を持っていますが、これと同じように、戦闘員である武士に関しては、全て武士が管理していて、民間人には関与させませんでした。

時代劇によく銭形平次のような岡っ引きの親分と八べいのような子分がでてきますが、この連中はお奉行様の配下ではなく、奉行所の警察関係者の私的な子分です。奉行所の費用からお金がもらえる人はほんの僅かで貰えてもほんの小遣い銭にもならない程度の金額でした。
銭形平次のような人は、収入を得るための本業の職業を持っているか、大きな商店から警備費用として何がしかのお金を貰っていました。
江戸の町の場合、銭形平次のような人が300人ほどいて、その下の八べいのような人が1200人位いました。
江戸は100万都市といわれますが、警備の対象となる民間人は50万人ほどでした。

  注:普通大名領と言われる藩では武士の数は2%程度でした。
    (働かない人をそんなには養えません)
    江戸だけが特殊な町です。 
    (全国の藩の屋敷があったのと、一年おきに各藩から殿様の参勤交代についてくる武士がいたせいです)

つまり、50万人の人の安全を守る実働部隊として、岡っ引きや子分の総数1500人位が任務に当たっていました。
更に、江戸時代は何事も連帯責任で、家を貸している人も借りている人も同じ貸主であれば全員処罰を受けました。
人を沢山使っている商店の場合には、雇い主である商店主も一緒に処罰されました。
つまり、隣近所からうっかり犯罪者を出すととんでもないことになってしまいますので、お互いに注意をし合っていました。

更に、現在の交番に相当する自身番と呼ばれる小屋が町内ごとにあって、当番の人が務めていました。
更に、町木戸というのが、メインストリートの町ごとの境目にあって、木戸番の人が夜になると戸を閉めて通れなくなるようにしていました。
これ等の、自身番や木戸番の維持費は全て町の人が負担していました。
このように二重三重に治安を維持する仕組みがありました。

牢屋は現在の刑務所とは全く違います。
お奉行様のお裁きを待つ間の留置場です。懲らしめるために何年もお裁きを下さずに放っておいたりしました。さっさと出される人もいれば、中には忘れられてしまったというひどい目に合う人もいたようです。
仮に死刑というお裁きが出れば即刻処刑しました。(死刑制度がどうのといつまでも刑を執行しないということはありません)
もともと待合所ですから、長期逗留の設備など皆無です。待合室が多少混んでも仕方がないで済まされました。
中にいるのが、人間同士ですから腕力の強いのが威張り出すのは止むをえません。

お寺や神社は町奉行とは全く別の役所が管理していました。

農民にも同じような自治組織があって、年貢はその自治組織が集めていました。集まった結果を代官などの担当者に報告するだけです。この代表者が庄屋とか名主と呼ばれていた人達です。
代官がノコノコ出かけて行って年貢を集めていた訳ではありません。その年に必要な年貢の総額を代表者に指示するだけです。

ざっとしたイメージを御理解頂けましたでしょうか。
現在とは相当に懸け離れた仕組みでした。
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江戸時代の役職などを35年以上、調べています。

あなたの質問に関しては3日以上話せる内容を持っています。江戸の町に限って見てみます。江戸の治安は良いです。各町には自身番があり、武家地には、辻番があった。自身番の中でその町にいる方の戸籍が作成されていました。それに密告制度もあったみたいです。犯罪容疑者は入牢証文が町奉行所より発行されて、小伝馬町の牢屋奉行(代々・石出帯刀が勤める)に引き渡された。牢屋の種類は、大牢・二間半牢・女牢(揚り屋)・揚り屋・揚り座敷・百姓牢があった。牢名主・牢役人がいたのは、女牢・大牢・二間半牢であった。牢内の囚人の階級は、上位より、牢名主(牢内の総取締り)・添役(名主の代理)・角役(新入囚人に牢法を言い聞かせる)・貳番役(角役と同じ)・三番役(薬品一式の係り)・四番役(衣類等の管理)・五番役(訴え係り)・本番(お戸前出物一式の係り)・本助役(流しめの係り台所役)・五番口番(食事の取引)・詰之番(雪隠の番)・詰之助番(雪隠の番と病人の看護)が牢内組織で、更に多額の金子持ち込んだ者を穴の隠居(牢内の共有金の管理)・大隠居・隅の隠居(牢内規則違反者の私刑の裁判や仲裁役)・若隠居・親方・帳代・客座などの特別な地位を、牢名主が与えた。(時期により名称や内容が異なる事もある)それ以外は、平の囚人と呼ばれた。
例として、大牢が定員(120名)以上になると、貳番役が牢名主から「作を造る」(人減らし)承諾を得て、中座の者と協議して3日目置きに1~5人を、平の囚人より選び極め板責め、陰嚢蹴りの刑で最後は死んだ。水で濡らした和紙を選んだ平の囚人の顔に何枚か貼り付けて、その平の囚人の手足をそれぞれ囚人が押さえ付けた。選ばれた平の囚人は、窒息死する以外になかった。他にも何通りかありました。
女牢では、下っ端役人(平同心など)が目を付けた女囚を、取調べと称して、その女囚を「座禅ころがし」という女性の縛り方で、密かに楽しんだ。「座禅ころがし」というのは、女囚を裸にして、両手を後手に縛り、足をあぐらに組ませた。両足首をそれぞれ大腿部の付け根に乗せるようにし、座禅を組んだ形にすれば足は解けない。この状態で女囚を前に倒した。女囚は、額と両膝の3点で体を支えた形になった。女囚は、尻を浮かした形となり、下っ端役人に後から犯され易い状態となり、実際に女囚は犯されていた。実際に女囚達は女牢内で、同性愛や自慰の道具を手作りしていた様で、牢内検査の際に発見もされてた。他にも沢山あります。
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江戸時代の治安は全体として良いほうでした。


これは戸籍の管理が徹底していて、これに乗っていないか、戸籍を除かれた者は無宿人として監視ないし注意人物として特別に警戒しました。

また連帯責任制をしき、相互に監視させる制度で犯罪は未然に防ぐか大事になる前にもみ消す事も行われていました。

江戸市中には常夜燈がともされ木戸番や町火消しなどが夜回り、警戒を行い治安の維持に勤めていました。
夜間は外出禁止状態でした。

牢屋にも身分制度があり庶民の入る大牢はドラマのようですが、士分や女子は別に揚屋という施設に入れられました。

牢屋といってもそれなりの自治をしていたのです。
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 江戸時代は“治安が良かった”とよくいわれますが、ただ単に、捜査能力悪さから犯罪者の検挙率が低かったことと、世間体を気にして公に訴えなかったに過ぎなかったのではないでしょうか。

だから記録に残らなかった犯罪を見ずに、治安が良かったと勘違いしてしまうと…

 まず小伝馬町の牢屋は、未決囚を一時収容する一種の拘置所です。だから何年も牢に収監されません。ただし例外的に「過怠牢」・「永牢」という刑があり、前者は婦女子への叩き刑の代わりに、50日・100日と入牢。後者は死罪・遠島相当の者への一等減として一種の終身刑です。高野長英がそうですが、あくまでも例外です。
 水戸・松山・長岡などでは刑務所的な牢を作った例もありますが、全国的には江戸同様です。

 牢名主などの「牢内役人」は幕府が正式に認めた役職ではなく、あくまでも牢内自治として奉行が置いたものです。しかし公文書にも牢役人と見えるので、幕府も黙認していたようです。

 吉田松陰の記録では、名主以下、牢内監視、食事係、厠管理などの12人の役人が組織され、さらに非公式の役人もいたと。役人がゆったり座るために、平は畳1枚に4~5人、さらには7~8人などすし詰めに座らされていたと。未決囚の収容所ですから、着物も自前(もっともいい着物を着ていたら名主に取られますが…)。差し入れ品は名主が皆に配分しますが、あくまで建前でかなり自分の懐に入れたでしょう。
 入牢の際「ツル」と呼ばれる金品を持ってこなければ、皆に憎まれて暗殺される可能性が出るのですが、ツルを持ってこなかったことを名主にとがめられても、松陰は死ぬ覚悟で入牢したので怯えた様子を見せず(アメリカ密入国を述べて名主すら驚いたといいます)、さすがにその態度に折れて後日、親族知人から差し入れ品を持ってくることで許されたと。その後は差し入れがたびたびあったので、牢内では非公式の役人身分となり、そのお陰で牢内の記録が残ったといいます。

 江戸初期に決められた制度が、江戸がどれだけ発展してもそれに時代即応した公的制度を作らなかった。そこで自治に任せてしまい、最終的には制度に破綻を来す。奉行所の役人の人数も、前例主義が悪い方に作用したのではないでしょうか。

参考『時代風俗考証事典』(林美一:河出書房新社)
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 城マニアです (^_^; 。

ちょっと専門外ですが、江戸幕府の弁護をば。

 今に比べれば治安は悪いですが、当時の世界で見れば驚異的な治安の良さだったそうですよ。例えば東海道を女が一人で旅をするのは大変でしたが、世界的に見れば、あの距離を女が一人で旅をしようと「思う」ことさえ狂気の沙汰だったそうです。

 それから、奉行所につきものの、与力、同心は、たしかに南北それぞれに与力50騎、同心120人くらいしかいませんでした(全員が警察関係ではないのはおっしゃる通りの事実)が、江戸市中(現在の東京よりかなり狭い)を現在のタクシードライバー以上に熟知していましたし、

 同心のの下には、正式に中間が一人付きましたし、何人もの「小者」(=岡っぴき)がいて、さらにその下に「下っぴき」なるものがついていましたし、さらに、自主警察組織もありました(自身番制度)。

 さらに、奉行所とは関係ない組織、たとえば武家を監督する機関「目付」の手下などもたくさん江戸市中を見回っていて、なにかあると陰ながらの協力をしたそうです。

 ちなみに、奉行所内で雑用を受け持つ人(与力同心、それに付属の中間以外)は、南北合わせて350人いたそうです、それとは別に小者も数十人・・・ 。ぜんぶ合わせると、けっこうな数いるんじゃないでしょうかねぇ。

 また、私は牢内のことについての資料はもちあわせていませんが、受牢証文を出して牢に入れるまで、何重もの手続きが要請されていることから考えて、おっしゃるほど「極端」ではなかったのでは?と思っています。
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江戸時代は300年間あるのでひとくちにこうだとはいえず、状況は時代で変わってきます。

制度は300年間ほとんど変わらないので制度が破たんしてきたといえます。

1.まず江戸時代の牢屋は取り調べ中や未決囚が入るもので今で言うと留置場兼拘置所です。重大犯罪者もしょっぴかれたのもここに入れられます。刑が確定したり、おかまいなし、無罪放免になると(生きてか死んでは別として)出られます。刑務所ではありません。参考までに江戸時代は労役に服させる懲役刑はありません。

2.牢屋では衣類は自前です。牢外からの金品の差し入れが認められています。今の拘置所と同じです。江戸初期は犯罪も少なかったのですが、時代が下るにつれ犯罪者が入牢者もふえ、判決までの期間も延びました。差し入れがないと不衛生で支給される食事も粗末なので長期勾留と栄養失調で獄死もありました。だから身元しっかりしている者が入牢したら家族親類縁者が金を工面して差し入れしたり、ツテをたよりに裁判を早く済むよう働きかけをするのです。ツテをたよるのは当然贈答・金品が必要です。
3.奉行所による牢屋の管理についてはよく知りません。しかし、江戸時代は基本的には役人の数が絶対的に少ないです。数万石の天領の代官所の職員が10名ほど、しかも代官は複数の代官を兼務してふだんは江戸にいます。だから農村、町も名主や有力者による権限移譲して自治させていました。名主から伺い書類が出されて「これこれの件どうしましょうか」と来たら「その方で解決してよい」と回答をしていました。牢屋も同様だと思うのですが、自信ないです。

4.牢屋には本当は畳が敷かれているのですが、すべてはずされ、牢名主以下、牢内自治役員のところしか敷かれてません。理由は監視のためか、序列のためかは知らないです。入牢者の差し入れをピンはねしていました。だから裕福で差し入れの多い者は待遇がよかったです。

以上のことから
世の中の治安が悪いのと牢屋の自治が悪いのは別ものです。牢内の自治システムが入牢者増で破たんしていたが有効な対応はとられなかったということです。
 世の中の治安自体は現代よりもずっとよいっていいますよね。人口比あたりの刑務職員や牢屋の定員が少なすぎるんです。
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おっしゃる通りに理解しています。


畳が積み上げられているのも、管理システムの一部で、管理の手が足りないための、自治組織だと思います。
高いところから、見張りの意味だと思います。
リンチや、間引きを防御するためには、「ツル」という、ワイロ金を隠しもってくるしかなかったようです。
無茶を承知で、管理していたのだと思います。
作男という、下働きをする者もいたようです。
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