今更恥ずかしいのですが、結局日本の服装や慣習、食文化、宗教・・・などの文化は
中国から直接影響を受けたものなのか、一度朝鮮半島に入って、そこから経由してきたものなのか教えてください。

ドラマで見ましたが、朝鮮国は500年くらい前は椅子(腰掛?)も使っていたけれど、
主に座敷(ただの床?)に正座や胡坐をかいていたようですね?
その他、中国から直接来たというより、朝鮮の影響がそっくりあるような習慣・文化に気付いたこともあります。

中国経由のもの、朝鮮経由のもの色々だとは思いますが、何でも結構ですので、
この大陸由来の文化や習慣について教えてください。

よろしくお願いいたします。

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A 回答 (4件)

詳しくは私も知りませんが、単純に考えても、大昔に朝鮮半島から陶工や技術者などが来日したり、日本から遣唐使・遣隋使(中国)を送ったりしていましたから、両方あるのでしょう。


http://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/nihonshi/archiv …

仏教伝来・・・は百済(朝鮮半島)からと言われているようですが、
中国→朝鮮半島とくれば中国の思想も影響を与えているでしょうし、中国人のお坊さんが来日したりもしましたから(鑑真とか)、これも混合しているでしょうね。

http://narashikanko.jp/j/daibutu/w_buddha02.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%95%99# …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD% …
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この回答へのお礼

たくさんのリンクありがとうございました!

お礼日時:2007/06/16 09:50

 いちいち書けないのですが、「漢字」輸入など発端は朝鮮半島経由でも、すぐ本家があっちにあるじゃないか、ということになって直接導入したケースが多いように思います。



 はっきりと文献に出ているのを見たのは、朱子学は、江戸幕府将軍の代替わりの時に来た朝鮮使節から教わるケースが多かったという話くらいでしょうか。日本の漢学者が大勢押しかけたという既述を見た覚えがあります。

 理由は・・・ 本家では朱子学はマイナーだったせい・・・ だったかな。当時、漢文解釈などは韓国の方が本家よりも優秀だったという話もあったような。せっかくのハイレベルな教養を、ハングル一本の学制改革をやったせいで失ってしまったようですが。

 日本と朝鮮の文化は分別が難しいですよ。

 いい悪いは別にしていうと、秀吉の侵略とか日韓併合とかで、複雑に入り交じっていますから。例えば、「たくあん」など、韓国の人に言わせると「日本にもあるのか」になりますから (^_^; 。へたをすると、「たくあんも我々が教えた」と言い出しかねない。

 しかし、昔、韓国で「正座(←日本で言うところの正座)」してましたか? あぐら状態から右だったか左だったかの膝を立てる、というか、足を立てた座り方が正式じゃなかったですかね。

 有名なところでは、茶碗を手に持つのは不作法だとされ、日本と逆ですし。
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この回答へのお礼

野菜の漬物は他の国にもあるでしょうし、それを言えばドイツのザワークラウトや
独仏国境辺りのシュークルートもお漬物ですけど、キムチと日本の色々な漬物って似ている気もします。
ちょっと違いますが、キムチのような唐辛子系も歴史は浅いようですね。
たくあんって完全に日本のものだと思っているのですが、あちらにもあるのですか・・・。

私は知ったところでは、胡坐は女性でもリラックスしている時の座り方で、膝を立てるのもそうでした。
上位の人の前では下位の人間は正座(日本と全く一緒かどうか不明)をしなければいけなかったそうです。

具体的にありがとうございました!

お礼日時:2007/06/16 09:49

弥生時代~古墳時代は朝鮮半島経由で青銅器や鉄器(武器、甲冑、農具)、仏教・儒教がもたらされていますが、大和朝廷~飛鳥時代、奈良時代には中国に直接、遣唐使、遣隋使を送っています。

ですから、中国経由、朝鮮半島経由の両方あるものと思います。

> 朝鮮国は500年くらい前は椅子(腰掛?)も使っていたけれど、

それは大分時代が下ってからの話ですよね。

> 大陸由来の文化や習慣について教えてください。

水稲栽培、青銅器、鉄器、漢字、仏教、儒教、古代の法律体系、都市計画技術、紙、方位磁針、漢詩、水墨画、まだまだありそうです。
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この回答へのお礼

東洋の風俗や民俗にはずっと興味がなかったのですが、中国ブームに乗ったわけではないのですが、
今は関心を持っています。
思想的なものや古い時代の文明などは中国由来という感じでしょうか?
少しずつ調べてみたいと思います。
どうもありがとうございました!

お礼日時:2007/06/16 09:44

半島経由のものも少しはありますが


(一部の仏像や陶磁器は朝鮮文化からです)
大半は大陸からの直接伝来でしょうね
平城京、平安京はあきらかに長安を見本として
構築されています
仏教も中国からです
漢字も中国からです
遣隋使、遣唐使、鑑真の来日などが
多大の影響を日本へ与えています
仏像などはインド(ガンダーラなど)からのものが
一応は中国経由で日本へきているものを
日本の仏師たちが模倣・研究して各寺社へ納めています
大化の改新や奈良・平安の時代の「律令制」は
まさしく中国の制度です
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この回答へのお礼

具体的にありがとうございます。
概説のようなものでもよいので、何か良い本がないか探してみます。

お礼日時:2007/06/16 09:40

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Q東大日本史・戦後史の出題

東大文三目指している現役受験生です。
地歴選択は世界史・日本史で,センターでは世界史を受験します。
東大日本史二次試験での戦後史分野の出題頻度は低いですが,どれほど勉強に力をいれればよいか悩んでいます。特に,予備校の冬期講習で日本史戦後史の講座があるのですが,受講するべきか,それとも戦前までの復習に時間を回すか・・・
アドバイスをお願いします。

Aベストアンサー

迷う気持ちもわかりますが、世界史の場合、戦後史が出ていないから全く考えていなかった年に、朝鮮戦争とベトナム戦争という戦後世界史の重要事項が出題されて面食らった経験が私にもあります。

日本史の場合も戦後史といっても65年も経っているし、現代社会の諸問題は戦後の10年くらいの間にかなり根源がありますし、長く続いた自民党支配が終わったことにより、かなり客観的に歴史の問題を出題してもよい環境になってきていると思います。
やらないよりはやったほうがいいと思います。
戦後史への理解があると戦前までの歴史がきっとよく分かるようになると思います。
戦後史を捨てるのも、もちろん一つのやり方だとは思います。「しまった、出題された!」という後悔の気持ちを大学に入ってからは大切にして戦後史への理解を深めてほしいと思います。

実は日本人の多くは戦後史の理解を欠いています。
だから世の中が悪くなってもそれが悪くなったのだと気付けないでいます。

東大受けようとする人は戦後史をきちんと理解しておいてもらいたいと思います。
東大を出た人の歴史認識~教養の度合い、これが近年低下しているのではないかと思われますので、
質問者が気になさっておられることは、尊いことだと私は思います。

予備校でやってくれるなら受講なさったらいかがでしょう。
ご自分でやるのは大変かもしれないし。
ご自分では手が回らないものについて予備校を利用すればいいと思います。

迷う気持ちもわかりますが、世界史の場合、戦後史が出ていないから全く考えていなかった年に、朝鮮戦争とベトナム戦争という戦後世界史の重要事項が出題されて面食らった経験が私にもあります。

日本史の場合も戦後史といっても65年も経っているし、現代社会の諸問題は戦後の10年くらいの間にかなり根源がありますし、長く続いた自民党支配が終わったことにより、かなり客観的に歴史の問題を出題してもよい環境になってきていると思います。
やらないよりはやったほうがいいと思います。
戦後史への理解があると...続きを読む

Q【文化起源の境目】 どこまでが中国文化で、どこからが日本文化なのか?

以前、中国人・韓国人・台湾人の友人と議論していました。

韓国人(パク)「日本発祥の文化って何がある?」
私 「仮名だね。日本民族の古典には万葉集がある。」
韓国人(パク)「仮名?仮名は中国文化の漢字を元に作られらんだよ。漢字を元にしているから、仮名は中国文化だ。
ハングルは漢字など参考にしないで、韓国人が独自で作った。ハングルは誇るべき朝鮮文化だ。
ハングルは世界一優秀な文字だ。(←これが口癖)」

私「醤油は16世紀に和歌山県(紀州)で発明された日本独自の調味料だよ。」
中国人(プーチン)「醤油はおよそ3000年前の中国で発祥したんだよ。醤油は中国発祥だ。」

【醤油のルーツ】
http://www.yamasa.com/soydoc/history/history01.html
http://www.kikkoman.co.jp/soyworld/museum/rekishi/print_rekishi.html


↑の「醤油は中国発祥」の意見を要約すると
「日本の醤油のルーツは醤(ひしお)であり、醤(ひしお)は中国発祥だ。」
と書いています。

中国から醤(ひしお)を輸入していたから、醤油は中国発祥だという説です。
だが、醤(ひしお)らしきものは、日本でも製塩が始まった弥生時代には、すでに作られていたようです。
つまり、醤(ひしお)は中国発祥ではなく、製塩が始まったアジア各地で醤(ひしお)は発見されています。

仮に、醤(ひしお)が中国発祥だとしても、それが日本の醤油のルーツだと言えるのでしょうか?
当時の醤(ひしお)は材料別に、「魚醤(うおびしお)」「肉醤(ししびしお)」「草醤(くさびしお)」「穀醤(こくびしお)」の四種類に大別され、その中でも米・小麦・大豆などを原料とした「穀醤(こくびしお)」が、しょうゆやみその原型と考えられています。
また、当時の中心的な醤は、魚介類を主な原料とした「魚醤(うおびしお)」と考えられており、現在も秋田に残っている「しょっつる」や、香川県の「いかなごしょうゆ」、能登地方の「魚汁(いしる)」なども魚醤が原型になっていると言われています。

従って、先に日本が「魚醤(うおびしお)」を作ったら、タイのナンプラー(魚醤)は日本発祥になるのか?
もっと遡って、タイのナンプラー(魚醤)は中国発祥になるのか?
醤(ひしお)らしきものは、日本でも弥生時代にすでに作られていますが、中国の方が先に作っています。
つまり、中国が一番最初に醤(ひしお)を作れば、世界に知られた日本発の Soy sauceも、タイのナンプラー(魚醤)も中国発祥になるのでしょうか?
日本の醤油は中国発祥でしょうか?


また“仮名”についても同じです。
韓国人(パク)は「仮名は日本文化ではない。」と言っています。
確かに仮名は漢字をくずして作られたものです。
中国から醤(ひしお)を輸入して、そこから日本独自の「醤油」を作ったのと似ている過程です。


“仮名”と“醤油”は日本発祥の文化ですか?
“仮名”と“醤油”は日本発祥の文化ではないのすか?
文化起源の境目はどこでしょうか?
どこまでが中国発祥の文化で、どこからが日本発祥の文化になるのか?
よろしくお願いします。

以前、中国人・韓国人・台湾人の友人と議論していました。

韓国人(パク)「日本発祥の文化って何がある?」
私 「仮名だね。日本民族の古典には万葉集がある。」
韓国人(パク)「仮名?仮名は中国文化の漢字を元に作られらんだよ。漢字を元にしているから、仮名は中国文化だ。
ハングルは漢字など参考にしないで、韓国人が独自で作った。ハングルは誇るべき朝鮮文化だ。
ハングルは世界一優秀な文字だ。(←これが口癖)」

私「醤油は16世紀に和歌山県(紀州)で発明された日本独自の調味料だよ。」...続きを読む

Aベストアンサー

少なくとも素焼きの土器である縄文土器は、発見されているもので言えば日本のものが世界最古級です。
その論法から言えば「焼き物の発祥地は日本である」と言えるでしょう。(実際は、各地でそれぞれに発展したもの)
文化・文明というのはお互いに影響し合って生まれ発展していくものですからこのような議論そのものは歴史学的には不毛です。
韓国では政治的な理由や儒教文化の影響もあって「自国の文化が一番」と考えている人が少なからずいるようです。中国に至っては「中華思想」が伝統ですから....そういう思想に凝り固まっている人に反論しても無駄かと思われます(^^;)。
朝鮮文化だってハングル語以外はほとんどが中国文化の影響で発展したのではないかと思うのですが....。

Q日本の戦後史

日本の戦後史を(政治的にも経済的にも)理解するうえで、1945年~現在までの間を3つ~5つくらいの時期に分けるとすれば、どこで区分けするのが適当でしょうか?
高校生向けの戦後史の解説プリントを作っており、章分けを行う必要があるのですが、どこか「ここが戦後史のターニングポイントだ」と言える箇所で区分けしたいと思うのです。
今考えているのが
(1)1945~1952(講和条約発効まで)「占領期」
(2)1952~1972(佐藤内閣終わりまで)「高度成長期」
(3)1972~「経済大国とその揺らぎ」
といった感じなんですが、1952よりは1951(講和条約調印)や1955(保守合同)のほうが重大な年のような気もします。
皆さんのお考えをお聞かせ下さい。
できれば「なぜその分け方をしたか」付け加えて頂いて、またそれぞれの章にタイトルを付けて頂けるとありがたく思います。

Aベストアンサー

まずは(1)です。
 意外に知られていない事なのですが、サンフランシスコ平和条約が発効したのが1951年ではなく、1952年4月28日です。ちなみにこの1952年に日華平和条約(日台条約:台=台湾)に調印しています(1972年に日中共同声明が発効し、無効化する)
 しかし、1956年の日ソ共同宣言による国連加盟→国際社会復帰を章の切れ目としてもよいと思います。ここはあなたの判断にお任せします。

次に(2)です。
 55年体制に関しては、確かに重要な項目ではありますが、あくまで政党が合併しただけであって、章分けのポイントとしては少々弱いでしょう。但し(2)における最重要ポイントである事には変わりありませんので、強調して教えるのがよろしいでしょう(但し、1993年の55年体制崩壊は実際に日本の政治体制が大きく変わるので、分割したほうがよい。実際に大学入試で問われるのもこれより前が圧倒的に多く、これ以降は滅多に出ない)。

次に(3)です。
 これは1972年ではなく、1973年のオイルショックを境にして『高度経済成長の終焉』としたほうが良いでしょう。

以上のことをまとめると、このような事になります。

(1)1945~1952(1956)(講和条約発効までor国際社会復帰まで)「民主化への道~GHQを主とした連合国による占領統治時代」
(2)1952~1973(オイルショックまで)「高度経済成長期」
(3)1973~1993(55年体制崩壊まで)「低成長を経てバブル時代」
(4)1993~  (現在まで)「バブル崩壊~長引く平成不況時代」

まずは(1)です。
 意外に知られていない事なのですが、サンフランシスコ平和条約が発効したのが1951年ではなく、1952年4月28日です。ちなみにこの1952年に日華平和条約(日台条約:台=台湾)に調印しています(1972年に日中共同声明が発効し、無効化する)
 しかし、1956年の日ソ共同宣言による国連加盟→国際社会復帰を章の切れ目としてもよいと思います。ここはあなたの判断にお任せします。

次に(2)です。
 55年体制に関しては、確かに重要な項目ではありますが、あくまで政党が合併しただけであ...続きを読む

Q古代日本の文化が朝鮮半島由来じゃないかと言う件。

よく韓国の方々がおっしゃるのですが太古朝鮮半島からの渡来人が日本に居つき
日本を統治、又さまざまな技術を伝えたと言うのですが、古墳時代以降飛鳥、奈良
時代の日本人の名で蘇我氏、藤原氏、ナカトミ氏等は出ますが半島の方の名、金
李、朴などの名が出てきません。しかも遣隋使、遣唐使は習いましたが半島に使節
を送って知識、技術を得ようとしたとは日本史では見受けられません。人によっては
逆に半島の方が中国、日本から知識技術を得たとか、半島経由の技術知識は二流
で役に立たない事から直接中国に使節を送るようになったとか言う人もいます。
歴史家、学者の間での現在の主たる学説はどうなのでしょうか。韓国の方がおっしゃる事が
本当だとしたら、日本人も真摯に受け取ってもっとお互いが仲良く出来るのじゃないでしょうか。

Aベストアンサー

 史料上の記載として「遣新羅使」の名前は文献上で確認することができます。また日本における仏教の移入は百済の聖明王の時代つまり552年とする説(書紀を典拠とする)ともう一つ538年(上宮聖徳法王定説および元興寺縁起を典拠とする)の見解があり、何れも6世紀のこととなります。
 古代での朝鮮半島との国交関係が途絶えた背景として、律令制度の問題があります。日本が移入した律令システムのモデルは隋唐のそれを規範としたものであり、従来の見解では朝鮮三国には律令はなかったとされていました。しかしながら近年の「四川モデル」に見られるビリヤード理論及び朝鮮古代史研究の進展により朝鮮三国にも律令に類するモデルがあったとの見解も一方にはあります。律令を移入する意味で相手を朝鮮半島から中国に替えたことも想像に難くありません。
 しかしながら一つの文化として見た場合、たとえば全国各地にある白山神社も延喜式等の史料に依れば百済系の神社であることも知られています。
 文化の定着と伝播の問題に関しても、オリジナルのモノがそのままに現地に定着したケースもあれば、オリジナルが現地にあった元々の文化と融合する形で独自の形を形成する場合(白山神社の事例)もあります。1970年代、飛鳥の高松塚古墳の壁画が発見され、そこに描かれた人物像の服装などから古代の日本と朝鮮半島の文化的往来が盛んであったことも論証されています(武寧王陵などとの類似点)。他にも仏教文化の上で、聖徳太子に仏教を講じた人物とされる恵慈も高句麗からの渡来僧として知られています。
 こうしたことを話すと反発される方がいらっしゃることも確かですが、何れは東アジアもヨーロッパ同様(ドイツとポーランド、ドイツとオランダの関係など)に、歴史認識を共有する時期が求められ必然的に訪れることも確かです。ヨーロッパでは理性的な議論がなされてもアジアではそれが中々に叶わないことは不幸な現実であるともいえると考えられます。文化として受容しそこに独自性を加味して育み、それを今度は逆に輸出する形で送り出したならばそれでどちらが文化的に優越性を有するか、などは取るに足らない問題レベルにしかならないと思われます。
 
 

 

 史料上の記載として「遣新羅使」の名前は文献上で確認することができます。また日本における仏教の移入は百済の聖明王の時代つまり552年とする説(書紀を典拠とする)ともう一つ538年(上宮聖徳法王定説および元興寺縁起を典拠とする)の見解があり、何れも6世紀のこととなります。
 古代での朝鮮半島との国交関係が途絶えた背景として、律令制度の問題があります。日本が移入した律令システムのモデルは隋唐のそれを規範としたものであり、従来の見解では朝鮮三国には律令はなかったとされていました。しかしなが...続きを読む

Q戦後史を学べる本

今19の浪人生です.日本の戦後史についてほとんど無知で、今の政治・経済問題をなかなか理解できません.例えば、民主党の小沢氏の動き、日米安保と9条、バブルと負債などなどです。そこで質問と言うか、何かこういったことを学べる良書を教えてください.

Aベストアンサー

サイトではなく「良書を教えて」というご質問に、感心しました。ネットには扇動的なガセネタも多いし、ジャンルにもよりますが、良書を読んだ方がいい場合がありますね。また、「戦後史は入試にあまり出ないよ」と混ぜっ返す回答者もいるでしょうが、ibook_g4 さんの志望大学では出るのかも知れません。それに、「今の政治・経済問題」を理解したいという知的態度は、広い意味で論述問題・小論文などに役立つかも。
ただし、短時間で読めるように、大部の本より新書などがいいでしょう。「サクラサク」までは、片っ端から本を読むようなヒマはないと思いますから。

(1)民主党の小沢氏の動き
『日本政治の対立軸―93年以降の政界再編の中で』(中公新書)
大嶽秀夫 (著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121015010/

小沢一郎一人をフィーチャーした本は、「宣伝本」あるいは「攻撃本」に堕している恐れもあるので、より広い視野で書かれたこの本などが良いでしょう。出版後の最近の小沢情報は、ニュースのデータベースで補うとよいでしょう。

沖縄タイムス記事データベース
http://www.okinawatimes.co.jp/com/dbinfo.html
1997年1月1日以降の記事を、ただで検索できます。共同通信の記事も含まれるので、ローカル紙とはいえ、全国紙と比べて大きな遜色はありません。「小沢一郎」で検索すると、千件以上の記事がヒットします。

(2)日米安保と9条
『安保条約の成立―吉田外交と天皇外交』(岩波新書)
豊下楢彦 (著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4004304784/

憲法9条と日米安保は、「奇妙な抱き合わせ」でした。9条を忠実に解釈すれば「非武装中立」が導かれることは、憲法学者多数の説でした。それに対し、9条の廃棄、自主武装を唱える人たちもいました。
しかし、非武装中立も自主武装も、非現実的だったのです。実際は、9条と安保を「抱き合わせ」にして運用する政策が、戦後の日本に繁栄をもたらしました。そのために、日本政府は9条を都合よく解釈しました。
この辺の事情を理解するには、例えば、つい先日亡くなった後藤田正晴を思い出してみましょう。後藤田は旧内務官僚・警察庁長官を経て、遅く政界入りした人です。田中角栄に抜擢され、中曽根内閣で長期に渡って政権の中枢にいました。今年に入ってもテレビ出演などをこなし、9条のありがたさを説いて、条文改正に慎重な態度を示しつつ、世を去りました。
「安保のお陰でアメリカの核の傘に守られ、9条のお陰で戦争に行かずに済んだ」。これは、左翼の空想的平和主義というより、保守主流派の現実的な計算だったのです。米国はしょっちゅう戦争している国なので、日本に9条が無ければ、付き合いで何度か参戦しなければならなかったでしょう。

しかし、時代は移り変わっていきました。既に冷戦時代、中国は中ソ対立の激化から、西側諸国との関係改善に踏み切り、日米安保を容認して、安保反対の日本左翼に衝撃を与えました。また1980年代、中曽根「臨調・行革」路線の頃には、「保守勢力は守旧派、革新勢力は改革派」という図式が成立しなくなりました(新自由主義による改革)。90年頃に冷戦が終結し、十数年を経た今では、保守勢力で「新保守」がますます流行し、「反・自民」勢力でも改憲(または「改憲」という言葉を避けて「創憲」などと言う)を求める人が増えています。

「鉄のカーテン」が開いた80年代末以降は、冷戦時代のスキャンダルが次々に明るみに出ました。例えば、日本社会党がソ連政府筋から、自民党がアメリカ政府筋から資金援助を受けていたことが、暴露されました。まるで漫画みたいな話ですが、このことが象徴するように、冷戦後公開された文書は、左翼の欺瞞も保守の虚飾も暴いたのです。
豊下楢彦の『安保条約の成立』は、保守派が好む美談――吉田茂は大宰相で対米外交も巧みだった、天皇は戦前戦後を通じて政治に口出しをせず平和主義者だった――を、新たに発見された文書によって、突き崩した本です。

(3)バブルと負債
『マネー敗戦』(文春新書)
吉川 元忠 (著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4166600028/

大きな話題を呼んだ本で、「マネー敗戦」という言葉は流行語にもなりました。
以上、3冊の新書を挙げてみました。それでは、受験勉強も頑張ってください。

サイトではなく「良書を教えて」というご質問に、感心しました。ネットには扇動的なガセネタも多いし、ジャンルにもよりますが、良書を読んだ方がいい場合がありますね。また、「戦後史は入試にあまり出ないよ」と混ぜっ返す回答者もいるでしょうが、ibook_g4 さんの志望大学では出るのかも知れません。それに、「今の政治・経済問題」を理解したいという知的態度は、広い意味で論述問題・小論文などに役立つかも。
ただし、短時間で読めるように、大部の本より新書などがいいでしょう。「サクラサク」までは、片...続きを読む

Q【日本の列に並ぶという文化は】秩序ある文化ではなく、海外から見ると軍隊的と見えるそうです。 日本人

【日本の列に並ぶという文化は】秩序ある文化ではなく、海外から見ると軍隊的と見えるそうです。

日本人は列に並ぶことを礼儀正しい国民性と思っているようですが、外国人から見ると共産主義国家の名残りであると見えるようです。

ビックリですよね。

日本人は礼儀正しく秩序ある行動を取る文化は国民性ではなく戦争の旧日本軍の軍国主義国家の名残りだったという現実を突きつけられて、ああそうだったんだと1人納得してしまいました。

今なお日本ではいつ戦争が起こっても良いように保育所ですら幼児を列に並ばせて手を洗わせている。

戦争反対の国だと手を洗うのも自由意識を尊重するそうです。

けど、列に並ばない文化の中国は共産主義国家で軍国主義ですよね。軍事拡大させ続けている。

ということは、列に並ぶ並ばないは別に軍隊をイメージさせるものではなくやはり国民性ということになるのだろうか。

中国は他民族国家なので中国がアメリカと戦争をすると言ったら、一斉に少数民族は中国から離脱してアメリカ支援のもと独立するだろう。

日本は列に並んで全員同じ方向に進むのを好む国民性なので一枚岩の日本とバラバラの国民性の中国が戦争したら多分、田舎の中国人は戦争に駆り出されても自分がいまどこと何で戦ってるのか理解出来ずに故郷に戻る気がする。

話は逸れましたが、「日本の列に並ぶという文化は海外が指摘するように軍隊から発達した文化なのか教えてください」

【日本の列に並ぶという文化は】秩序ある文化ではなく、海外から見ると軍隊的と見えるそうです。

日本人は列に並ぶことを礼儀正しい国民性と思っているようですが、外国人から見ると共産主義国家の名残りであると見えるようです。

ビックリですよね。

日本人は礼儀正しく秩序ある行動を取る文化は国民性ではなく戦争の旧日本軍の軍国主義国家の名残りだったという現実を突きつけられて、ああそうだったんだと1人納得してしまいました。

今なお日本ではいつ戦争が起こっても良いように保育所ですら幼児を列に並...続きを読む

Aベストアンサー

「秩序」ってことなんでしょうね
効率がいいのが秩序正しく並んで行う事で、軍隊でも効率良くするので同じ方法がとられているだけでしょう
軍隊と同じことをやっている=軍隊式でないと思います。

並ぶのは江戸時代からあったそうです。

徳川家康が出した 文書第5条に
「抜け駆け禁止令」が
現代に引き続いているのです
http://wakuwakumlm.seesaa.net/article/409971008.html

Q小六のための戦後史のテキスト・参考書に使える本。

 教育のカテゴリーで同じ質問をしたのですが、こちらのカテゴリーの方が適切かと思い、再質問します。小学校の先生から以下のような相談を受けましたので、みなさんの御協力をお願いします。

 小学校6年生の調べ学習で、日本の戦後史を勉強するための参考書・テキストとして使える本をさがしています。
 最初は「まんがで見る日本の戦後50年」(全10巻、岩崎書店25000円)を考えていましたが、すでに絶版になっているとのことで、同様なテーマの本は無いでしょうか?
 現在入手可能なものでしたら、取りあえず予算は問いません。また実際に読んだ方、使ってみた方の感想などがありましたら、さらにさらにありがたいです。
 9月はじめ頃までに本が欲しいということで、困り度3とさせていただきます。
 では、よろしくおねがいします

Aベストアンサー

下記ウエブは参考になりますか?

参考URL:http://archive.honya.co.jp/contents/knomura/manner/manner16.html

Q【日本の土下座の文化の発祥はどこの誰が始めた?】日本人は土下座することを恥とする文化があるので土下座

【日本の土下座の文化の発祥はどこの誰が始めた?】日本人は土下座することを恥とする文化があるので土下座することに抵抗があるという。



昔の武士は土下座するくらいなら切腹した方がマシだと言って切腹して自害するほどだった。

いつから日本人に土下座文化が誕生したのだろう?

誰がいつから始めた文化なのか知ってますか?


ちなみに祖先が武士でない農民であっても土下座することに抵抗があるという。

大名が通るときは農民は土下座して目を合わせてはいけなかった。

通り過ぎるのを土下座して通過し終えるまで頭を上げれなかったので自分の藩主の顔を見たことがなかった。

無論、籠に入って担がれて通過するので顔を上げていても顔は見れなかった。


土下座することが嫌すぎて日本人は土下座を苦痛に感じるので礼儀作法を教える小笠原家は双手礼と言う土下座に見えて土下座でない作法を考案した。

要するに土下座の格好をして手が鼻より奥に有れば双手礼で土下座ではないと洗脳した。

鼻より前に手をついた格好が土下座だと門下生に教えた。

するとなんだ鼻先より奥に手先を引っ込めたら土下座風に見えて土下座ではないのかと今でいう心療内科みたいな武士の心のケアを行なって武士の間に広がり武士は土下座を強要された時に双手礼をして土下座をしている風で上官の目を欺いて自尊心を保っていた。

時代は流れてなぜか双手礼は奥義のように忘れ去られて農民は双手礼の奥義を習っていなかったので武士は文化大革命で皆死んで農民が明治大正時代に生き残ったので武士は死んで双手礼を伝わらずに土下座文化だけ残った。

農民も土下座が屈辱だったので土下座することを嫌った。

【日本の土下座の文化の発祥はどこの誰が始めた?】日本人は土下座することを恥とする文化があるので土下座することに抵抗があるという。



昔の武士は土下座するくらいなら切腹した方がマシだと言って切腹して自害するほどだった。

いつから日本人に土下座文化が誕生したのだろう?

誰がいつから始めた文化なのか知ってますか?


ちなみに祖先が武士でない農民であっても土下座することに抵抗があるという。

大名が通るときは農民は土下座して目を合わせてはいけなかった。

通り過ぎるのを土下座して通過し...続きを読む

Aベストアンサー

似たような質問を見たが、あれは別サイトだったかな? 早々に締め切られると答えようがないのが、この手の質問サイトの問題点ですね。

日本人に土下座が恥という感覚は、あまりありません。むしろ積極的にやっている感があります。魏志倭人伝には、(上の人に)物事を伝える時にはしゃがんだりして両手をつくとあり、土下座の原型であろうと思われます。ただし、頭を下げるというのは、世の東西を問わず敬意を示す表し方ではあるものの、日本においては手を打つ(拍手)ことで敬意を表し、頭を下げるというのは中国から入ってきた儀礼のようです。上記の魏志倭人伝にも、目上の人に敬意を表すのに中国で頭を下げることの代わりに倭では拍手する、との記述が見えます。

時代が下り、奈良時代などになってくると、朝廷の入り口の左右に板の間(縁側みたいな感じ?)が設けられ、下位の者は早くに来てここで土下座し(板の上なので土下座ではないとも言えますが)目上の物が来るのを待っていたなどのしきたりがあったようです。非効率なのでやめさせようと令を出したがなかなか改まらなかった、などという話が残っていたとか聞いたことがあります。

切腹に関しては、自殺の1手法だったのが、豊臣秀吉が賛美して武士の間に広まったものなので、それを良しとするのはそれ以降(まぁ江戸時代から)のことです。


土下座に話を戻すと、これを受け入れられないのは西洋の人々です。昔、映画の007で、主人公が両手をついて土下座する(私から見たらしゃがむ程度)をしたのですが、それを見てあまりの屈辱に気絶した(観客の)女性が居たとか・・。

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Q戦後史の正体__日本に影響を与え続けるアメリカ

米国内の複数の勢力(軍需産業系と巨大金融系等)の考え方、世界情勢の変化による米国の対日戦略の変化、対米従属路線と独立路線のせめぎ合い等の影響を受けて、戦後の日本の政治外交、首相の任期等は現在に至るまで大きく影響を受け続けています。

それらの問題について詳しく書かれ、最近(2012.8.10)出版されて話題になっている次の本をぜひ読んでみてください。
改めて考えさせられたり、びっくりする事が数多く見つかります。

「戦後史の正体」1945-2012 孫崎享著 創元社

########
元外務省・国際情報局長が最大のタブー「米国からの圧力」を軸に、戦後70年を読み解く!

えっ、これは驚いた!
「いま、あなたが手にとってくださったこの本は、かなり変った本かもしれません。
というのも本書は、これまでほとんど語られることのなかった[米国からの圧力]を軸に、日本の戦後史を読み解いたものだからです。
こういう視点から書かれた本は、いままでありませんでしたし、おそらくこれからもないでしょう。
「米国の意向」について論じることは、日本の言論界ではタブーだからです」
########

以上の通り本のカバーに書かれています。

部分的には他の本に書かれたり報道されたりした内容も少なくないようですが、これだけ纏まった内容を詳しく書かれる事は今後とも無いでしょうね。

戦後の米軍占領時代の(幣原首相)吉田首相から最近の野田首相まで、殆どの各首相の政策や動き等は、米国からの圧力や干渉により一番大きく影響され続けています。

(戦後の軍事力等を徹底して破壊する方針から、朝鮮戦争や冷戦時代等に軍事力を増強させ分担させる方針に変ったり、イラクやアフガン派兵協力を強く要求される等)

アメリカの意向等に対応して、一部の経済界や政治家や官僚、特捜部の検事、更には最高裁判所事務総局指揮下の裁判官迄もが、マスコミと一体化してネガティブキャンペーンを張ったりして、独立やアジア他世界各国との等距離平和外交を目指したり、これら既得権益層の利益を削ごうとする政治家の政治力を削いだり、短い期間での政権投げ出しを余儀なくさせたりしています。


また日本側でも、次のように色々な動きをされる政治家があり、各政治家でも状況に応じてアメリカの要求を受入れたり反対されたりされて動きは複雑なようです。

自主派、対米追随派、一部抵抗派等としてこの本でもあげられています。(p.367)

自主派
 (積極的に現状を変えようと米国に働きかけた人たち)

○重光葵(幸福直後の軍事植民地化政策を阻止。のちに米軍完全撤退案を米国に示す)
○石橋湛山(敗戦直後、膨大な米軍駐留経費の削減を求める)
○芦田均(外相時代、米国に対し米軍の「有事駐留」案を示す)
○岸信介(従属色の強い旧安保条約を改定。さらに米軍基地の治外法権を認めた行政協定の見直しも行おうと試みる)
○鳩山一郎(対米自主路線をとなえ、米国が敵視するソ連との国交回復を実現)
○佐藤栄作(ベトナム戦争で沖縄の米軍基地の価値が高まるなか、沖縄返還を実現)
○田中角栄(米国の強い反対を押しきって、日中国交回復を実現)
○福田赳夫(ASEAN外交を推進するなど、米国一辺倒でない外交を展開)
○宮沢喜一(基本的に対米協調。しかしクリントン大統領に対しては対等以上の態度で交渉)
○細川護煕(「樋口レポート」の作成を指示。「日米同盟」よりも「多角的安全保障」を重視)

○鳩山由紀夫(「普天間基地の県外、国外への移設」と「東アジア共同体」を提唱)
 <==>マスコミのルーピー等のネガキャンに騙されないように、次等を参照下さい。
 http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7576610.html
 普天間問題の解決するタイミングは?

(その他)
%%小沢一郎(第五艦隊がいれば良い、アジア各国との等距離外交を目指す、官僚主導から政治家主導へ、等の方針がアメリカや官僚等の反発を受け首相になるのを妨害された)


対米追随派
 (米国に従い、その信頼を得ることで国益を最大化しようとした人たち)

○吉田茂(安全保障と経済の両面で、きわめて強い対米従属路線をとる)
○池田勇人(安保闘争以降、安全保障問題を封印し、経済に特化)
○三木武夫(米国が嫌った田中角栄を裁判で有罪にするため、特別な行動をとる)
○中曽根康弘(安全保障面では「日本は不沈空母になる」発言、経済面ではプラザ合意で円高基調の土台を作る)
○小泉純一郎(安全保障では自衛隊の海外派遣、経済では郵政民営化など制度の米国化推進)
他、海部俊樹、小渕恵三、森善朗、安倍晋三、麻生太郎、菅直人、野田佳彦

一部抵抗派
 (特定の問題について米国からの圧力に抵抗した人たち)

○鈴木善幸(米国からの防衛費増額要求を拒否。米国との軍事協力は行わないと明言)
○竹下登(金融面では協力。その一方、安全保障面では米国が世界的規模で自衛隊が協力するよう要請してきたことに抵抗)
○橋本竜太郎(長野五輪中の米軍の武力行使自粛を要求。「米国債を大幅に売りたい」発言)

○福田康夫(アフガンへの陸上自衛隊の大規模派遣要求を拒否。破綻寸前の米金融会社への巨額融資に消極姿勢)
 <==>この2項目等を受け入れる事は出来ないとして、彼は突然の辞任に至った。
   融資要求を受入れていたら数兆円?をドブに捨てていた事になった。


一般に他の国ではマスコミも日本のようにアメリカの代弁者的な動きは無く、政治家も独立自主の動きが強いのではないでしょうか。

例えばロッキード事件でも、アメリカの刑事免責の元での勝手な証言で、田中首相を追い落とし、裁判に掛けて有罪判決を出す始末です。

しかし同様な賄賂を貰ったとされるヨーロッパの首相等は、信頼の置けない証言で自国の首相を貶めようとしてもその手には乗らないぞ、あるいはそんな小さい問題で首相の首まで挿げ替える必要は無いとしたのかどうか、少しはニュースになったでしょうが何事もなく政権を続けられています。


amazonでの著者のビデオ発言やカスタマーレビュー、ネット上の発言や評価等を見て下さい。

"戦後史の正体 孫崎享" 等でサーチしてみて下さい。

http://www.amazon.co.jp/gp/mpd/permalink/mRZCLETA5JJ3O/ref=flash_player_2_preplay
戦後史の正体 (「戦後再発見」双書)

鳩山、小沢氏の自主独立の動きは潰され、どうしようもない対米追随の野田氏が政権についている。.....


http://etc8.blog83.fc2.com/blog-entry-1633.html
「『田中康夫のにっぽんサイコ―!』の孫崎享が明かす
『戦後史の正体』(30分番組)」は入門にはサイコー!

約400ページの内98ページ分が無料で公開されていますので参照下さい。
http://www.sogensha.co.jp/pdf/preview_sengoshi.pdf

########

最近は相変わらずアジア各国との結びつき強化を妨害し、アメリカへの依存を深める必要がある、独自の信念を持った政治家は不要だとでも言いたいようにマスコミは動いててもいるようですね。

アメリカとの強い繋がりを持つ前原国土防衛相時に、尖閣諸島付近での中国漁船拿捕事件を引起し、

石原都知事はわざわざアメリカまで出かけていって尖閣諸島の買入れを発言して、日本側から問題を引起しています。

鳩山氏や小沢氏に関する捏造の陸山会事件を引起したりして彼らの政治力を削ぎ、
菅氏や野田氏はノーサイド、各派一致協力して国民の要求に答えると言いながら、首相になった後これらの言葉は何処えやら、小沢氏を党員資格停止で座敷牢状態とし、本来の民主党勢力は衆参議員の各種委員会の委員からも排除してしまい、非常に問題の多い "消費税増税に命をかける" 或いは売国政策:TPP推進を言い出す始末です。


TPPは国内の法律よりも優先され、後戻りも出来ずに(ラチェット条項)秘密裏に決定され、
進出した企業は勝手に期待した利益が得られなかったとして相手国政府を訴える事が出来ます。
(健康被害防止の為の各国独自の規制による期待利益の低下等でさえ、巨額の懲罰的な賠償金を要求の対象とされたりします:ISDS条項)

決定後も4年間はその内容は秘密を守る事が各国に要求されています。
これでは売国政策と言わずして何と言ったらよいのでしょうか。


また何かにつけ維新の橋下市長をNHK他のマスコミは最近取上げては宣伝しまくっています。

橋下氏には日本国を率いて利害が交錯する世界各国との交渉力を持っているのでしょうか。政治信念、或いは信頼性が何処にあるのでしょうか。せいぜい大阪市や大阪府の政治をしっかりやって下さい。

それともTPP推進、原発再稼動容認など、世界の動き等についての理解の浅い信念の薄い橋下氏等の政治家は、アメリカや官僚等の思う通りに動いてくれる(動かせる)ので好都合とでも言うのでしょうか。


イラクでさえ兵士の犯罪は自国の裁判で裁くとしてアメリカ兵は全員撤退の方針だし、
アフガンではカルザイ大統領はタリバンとの交渉を開始し、アメリカ兵は早く出て行ってくれと言い出す始末です。

日本で同様な方針を打ち出す首相がいたら、マスコミ他のネガキャン等でとっくに政権から追い出されてしまっていたでしょうね。

以上のような点に付き皆様のご意見をお聞かせ下さい。

米国内の複数の勢力(軍需産業系と巨大金融系等)の考え方、世界情勢の変化による米国の対日戦略の変化、対米従属路線と独立路線のせめぎ合い等の影響を受けて、戦後の日本の政治外交、首相の任期等は現在に至るまで大きく影響を受け続けています。

それらの問題について詳しく書かれ、最近(2012.8.10)出版されて話題になっている次の本をぜひ読んでみてください。
改めて考えさせられたり、びっくりする事が数多く見つかります。

「戦後史の正体」1945-2012 孫崎享著 創元社

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元外務省・国際情報局長が...続きを読む

Aベストアンサー

あんなに大量のお礼が付くとはびっくり。
ではこちらもお礼に。結論から言うと「仕方ないんじゃないの」です。

私もチクリと言ったことがありますが、彼らに変わる気はなし。
保守層は今の安泰が全てなんです。
だから外から変わることが起きない限りは今のままじゃないかと。
政治家は相変わらず票集めのマシーンで選挙の時だけ威勢のいいこと。

孫崎氏の言うことも分かりますが、対米追従を止めるわけにもいかないでしょう。
ということで私は完全に諦めモードです。

それから質問文は長くても20~30行以内にお願いします。

Q日本の食文化の歴史について

日本ではどうして魚を生で食べるようになったのでしょうか?
ご存知の方回答おねがいします。

Aベストアンサー

#1です。
お礼有難う御座います。

まず、怪しげな回答が多い中で、ちょっと根本的な指摘をしておきますね。
おそらく、ご質問者の意図は、なぜ日本の「刺身」に代表されるような食文化ができたのかということだと思います。なぜ、日本では魚を生で食べる文化が出来たのかということではなく、生に近い素材を活かした食文化が出来たのかというご質問でしょう。

江戸時代に「刺身」という料理が出来たことは確かですが、これは「なます」であって、現在の刺身とはやや意味合いが違います。
また、元禄時代に「はなやよへい」という人が、寿司を考案したということが書物には載っていますが、これは生の魚を削いだ「刺身」を載せたわけではありません。酢〆や醤油につけた魚の切り身を載せたもので全くの生食ではありません。
前にも書きましたが、冬はともかく生の魚を数時間放置することは、腐敗を招くことは誰の目にも鮮やかです。
また、江戸前といわれる東京湾の中で採れる魚は「小魚」です。こうした魚が寿司のネタになるとは考えられませんし、刺身になるとは思われません。
因みに、江戸っ子の心意気とされる「初鰹」は、房総沖で取れたものが三浦半島の先から烽火で連絡され、江戸城に5匹、残り数匹が一尾10両以上で大きな料亭に分配されたという記録があるように、ひどく手間のかかったもので、とても庶民の口にはいるようなものではありません。

で・・・
なぜ「日本が生で魚を常食としていた」かというやや誤った考えの根拠ですが、フランス料理が一辺倒の中で、日本の生に近いシンプルな料理法が1960年代以降見直されたと言うことによります。これをヌーベルキュジンーヌなどといいますね。かの「クイーンアリス」のシェフオーナ川鍋さんなどの尽力です。
フランス料理は、当然パリが発祥ですが、パリは海から100キロ以上離れています。そのため、フランス料理での魚は腐敗寸前のよたよたの状態でしか手に入りません。そこで腐敗臭を消すために様々なソースを考案したのが、まさにフランス料理なのです。ただ、20世紀も後半を過ぎると冷蔵技術が高まり、よたよたでない新鮮な魚介類が手にはいるとなると、数百年の伝統を持つフランス料理も改良を加えなくてはいけなくなりました。そこで注目されたので、日本の「生に近い」料理の伝統と言うことです。

因みにフランス料理の原型はイタリア料理です。実はフランスはカトリーヌ・ディチというお姫様をイタリアから迎え入れるまでは、料理らしい料理とはなかったのです。みんな手づかみで、ナイフフォークを伝えたのもカトリーヌだそうです。それはともかく、ローマは海に近いので新鮮な魚を料理に使うことがありました。カルパッチョなどはそうですが、パリでは無理でした。
フランス料理発祥から、300年近い年月を経て冷蔵技術の発達によって初めて、本来の源流たるイタリア料理に近づけたというのが、日本料理をきっかけとしたというのは非常に不思議です。フランスとイタリアは仲が悪ですからね。何も生に近い形で食べるのは日本だけの特技ではありません。余計なソース類を使わず、素材の味を活かすというコンセプトが気に入られたようです。
余計なことですが、イタリアでは日本の醤油と同じ感覚で何にでもオリーブオイルをかけるようです。カルパッチョにオイルと鯛の刺身に醤油というのは何か、日伊同盟の絆を思い出せます(関係ない失礼)
そうしたことがあるので、日本は「魚の生食」と思われがちですが、実は「生食」ではなく、生食に近い形での食文化が近世以降あったという本当のことを知って置いた方がよいと思います。

#1です。
お礼有難う御座います。

まず、怪しげな回答が多い中で、ちょっと根本的な指摘をしておきますね。
おそらく、ご質問者の意図は、なぜ日本の「刺身」に代表されるような食文化ができたのかということだと思います。なぜ、日本では魚を生で食べる文化が出来たのかということではなく、生に近い素材を活かした食文化が出来たのかというご質問でしょう。

江戸時代に「刺身」という料理が出来たことは確かですが、これは「なます」であって、現在の刺身とはやや意味合いが違います。
また、元禄時...続きを読む


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