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山内上杉とか扇谷上杉などとありますがどういう意味なのでしょう?
詳しい方教えてくださいm(_ _)m

A 回答 (2件)

上杉家の初代、上杉重房は鎌倉幕府に仕えていました。

その重房の子、頼重には二人の子、憲房と重顕がいました。
憲房には、憲顕、憲藤、重能、の三人の子がいました。
重顕には朝定の一子がいました。
それぞれ独立した訳ですが、この時点で上杉は四家ある事になります。そこで、わかりやすいように、それぞれ住んでいる館のある場所を名前の前に付けて呼ぶようになりました。
鎌倉の山内に館があるから、山内上杉(憲顕)、というようにです。他の上杉家も同様に館のある地名を付け、犬懸上杉(憲藤)、詫間上杉(重能)、扇谷上杉(朝定)と呼ばれるようになりました。
この中で上杉宗家として存在したのが、山内上杉家です。また、上杉家で関東管領に最初になったのも、山内上杉家の憲顕です。

以後、色々あって戦国時代に強い勢力となっていたのは、上野に本拠を置く山内上杉家と、武蔵に本拠を置く扇谷上杉家でした。この二家が関東管領の地位をめぐって争いました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
詳しく書いてあってとってもわかりやすかったです。

お礼日時:2007/06/11 09:52

先祖は同じですが、室町幕府の鎌倉公方の執事(のちの関東管領)として関東で何家かに分かれてそれぞれ屋敷のあった場所の名前を取って山内とか扇谷とか呼ばれました。

(そのほかに犬懸、詫間上杉家もありました)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/06/11 09:52

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