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自分は現在高校で近現代史を習っている者です。

最近満州事変のあたりを勉強していて、疑問に思ったことがあったのですが、学校の先生にはなかなか聞き辛いことですので、こちらで質問いたします。

元々自分は学校が教える歴史をほとんど信用していません。例えば秀吉の朝鮮出兵や、大東亜戦争についてなどです。学校では満州事変~日中戦争関東軍の暴走として教えられているのですが、今回も捏造された歴史なのではないかと疑っているのですが、ちょうどその部分を肯定?する物を読んだことがありません。関東事変は、学校で教えているように、軍部の暴走だったのでしょうか?
みなさんのご意見をお聞かせください。

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A 回答 (15件中1~10件)

 No9です。



 「捏造」という言葉を勘違いしていませんか?
 高校の教科書に石原莞爾の「最終戦総論」の内容を載せないのは、単なる記述の省略です。捏造とはないことをあたかもあることのようにでっち上げることを言います。
 極めて個性的で、歴史に興味のある人間にとって面白みがあるとは言いながら、「ある一個の人間の戦争観」のレベルの細かい記述を載せれば、高校の教科書の厚さは今の10倍以上に確実になってしまいます。

 高校の歴史は、細かい枝葉の事項を見るより、その全体的な流れの把握をより重要視しています。
 これから社会人となる不特定多数の人を対象にした教科書では、日本の歴史全体の流れを知ることを優先するのは、当然のことです。

 石原莞爾は、講演会・著作物によって、自説についての資料を多く残しています。
 その本人自身の語る資料によっても、満州事変・支那事変(今は使わない?)は、軍に対する政治システムによるコントロールが利いていないのは明白です。

「戦争とは武力を用いた外交であり、外交とは武力を用いない戦争である。」という台詞を残した有名な政治家がヨーロッパにいましたが、軍事・外交は、政治のコントロール下に置かれていないと、国益を守ることが出来ないどころか、大きく国益を損ないます。

 戦前の日本の政治システムにおいては、日本軍は皇軍=天皇の軍隊として存在しており、内閣と軍(陸軍=参謀本部、海軍=海軍軍令部)は、天皇のもとで並立する立場でした。
 明治時代においては、明治維新の重鎮(政治家だが、明治維新では軍指揮官としても活動。)が生存しており、内閣・軍双方に対して強い影響力を持っており、天皇を補佐する枢密院のメンバーとして内閣と軍をコントロールし、日本の政治力の根源となっていました。
 昭和になると、この枢密院に軍・行政双方に強い力を持つ人物がいなくなり(政治体制が確立して年数がたったため、軍・行政いずれかの出身者となり、どちらにも強い発言力を持つ人物がいなくなったのです。)、軍事・行政を統括した視点で政治力を発揮出来なくなったのです。

 そのような状況の中で、政府・参謀本部ともに「満州では、極力事を構えない。」方針であった(=満州の軍閥、張学良の兵力は、日本軍の10倍あるといわれていた。)のに、満州派遣日本軍(=関東軍)の参謀であった石原莞爾・板垣征四郎が、この方針を無視して軍事行動を起こし、張学良軍を電撃作戦で圧倒、軍事作戦としては大成功をおさめた。参謀本部・日本政府ともに関東軍の軍事行動を追認し、満州国建国に至ったのです。ここまでは、石原莞爾の戦略通りの展開となったわけです。

 その結果、石原は陸軍同期の中で最も早く大佐となり、陸軍内部で「軍参謀は中央の方針に反しても、作戦で戦果を挙げれば、出世する。」という認識が生まれることとなりました。

 石原莞爾は、満州を取って「日本・朝鮮・台湾・満州を日本の経済圏として開発することに専念すれば、アメリカに対抗できる。」との見方を持っており、そのための戦略として、満州を勢力下に置いた後は、他国との軍事衝突は外交力を総動員して回避し、軍事費を抑え経済開発に専念するというものでした。

Wikipedia抜粋 
 1937年の日中戦争開始時には参謀本部作戦部長となり、内蒙古での戦線拡大に作戦本部長として、中央の統制に服するよう説得に出かけたが、かえって現地参謀であった武藤章に「石原閣下が満州事変当時にされた行動を見習っている」と嘲笑される。戦線が泥沼化することを予見して不拡大方針を唱えたが、当時関東軍司令長官東條英機ら陸軍中枢と対立し、1937年9月には参謀本部から関東軍に左遷された。

 日中戦争を開始した中国派遣軍参謀を評して、石原は「鵜の真似をする烏」と言ったらしいが、過去の自分の行動が影響を与え、石原の戦略は崩壊することとなって行きます。 

 これらの経緯を教科書では、あなたのいう「軍の暴走」という表現となっているのでしょう。
 政治的経済的影響を無視して、軍事作戦として成功であればよいという認識を軍人が持ち行動するのであれば、「暴走」と言う表現はおかしくないと言えます。

<参考>
 対外的軍事行動は、大きな政治的経済的影響を必ず与えます。ですから対外的軍事行動は、政治外交経済戦略と一体となっていないと、必ず国益を損ないます。
 軍人が如何に卓越した戦略を考えとして持っていようと、政治戦略を実行することの出来ない軍人としての立場で行動する限りは、戦略は意味を持ちません。

 政治家に戦略を同じくする実力者がいない場合は、対外的軍事行動を取った後、みずからクーデターを起こして政権を奪取して政治力も手に入れ、その戦略を政治家として実行することが、軍事行動に戦略的意味を持たせる唯一可能な方法です。
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この回答へのお礼

詳しいご説明ありがとうございます。


結局、軍部の暴走で納得いたしました。

流れについて改めて理解できました。これでひっかかることなく勉強できます。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/06/19 00:00

>他の方の回答で、当時日本軍に対してテロ行為を行う者がいて…それに対しては、回答者様はどうお考えでしょうか?



他の方の回答を見る限りで、それらしきものは、『「通州事件」は、非武装の軍人を含む日本人居留民が、一方的に虐殺された事件』、『「通州事件」を始めとしたテロ活動の激化が、軍部の行動を招いた』というあたりだと思うのですが、No.13の方が指摘されたように、満州事件の原因にはなりえないのは言うまでもありません。更に、仮にご質問が「満州事変から日中戦争にかけての軍部の暴走」という意味であったとしても、やはり前後関係を間違えています。そもそも通州事件は、盧溝橋事件から約3週間後の1937年7月29日に起きたもので、前日からの北京・天津総攻撃の為日本軍守備隊が手薄になっていた通州で、冀東防共自治政府(簡単に言えば、日本の傀儡政権)の保安隊が、反乱を起こしたものです。既に大事件が起きた『後』の事は、その事件の原因にはなりません。どういう状況で起きたのかを知っていれば、このような間違いはありえないと思います。

他に、No.6の方が似た意見と考えられているようですが、どの部分をそう思われたのかが、よくわかりません。質問者の方の理解は、『テロのようなものが相次いだため日本軍へのテロに業を煮やして満州事変がおきた』、それは『軍人として当然のこと』、『自分の身を守るためのこと』という事だと思うのですが、どの部分にそれに似たものを読み取られたのでしょう? 『半月に渡る日本軍への発砲事件に業を煮やした参謀本部が最終解決のため本土にいた師団に動員をかけ』た、という部分ですか?もし、そうであれば、それは、事実ではないので、無視された方がいいとおもいます。盧溝橋事件は7月7日深夜から8日早朝にかけて起きたものですが、政府の増派決定の発表は11日です。因みに現地では同日に一応の休戦協定が結ばれています。盧溝橋事件が全面戦争につながる大きなきっかけをつくったのは、現地の状況が収まっていたのに増派を決めてしまった政府&参謀本部であって、事実を捩じ曲げなくても、この点だけに関して言えば「軍部の暴走」ではありません。(但し、盧溝橋事件以前から、軍部の中には華北を占領しようとする案はあり、また、盧溝橋事件で7月8日早朝に戦闘が始まった際には、日本側の挑発があったのも、当時の将校の証言からわかっています。後に、参謀本部の石原莞爾から参謀本部の統制に服するように言われたのに対して、「あなたがやったのと同じ事をしているだけだ」と言い返したので有名な武藤章=盧溝橋事件当時参謀本部作戦課長は、このとき「愉快な事になったね」と言っているのは、軍中枢の中に盧溝橋事件をチャンスと考えた者がいた事を示しています。つまり、やむにやまれず立ち上がったのではありません。)

他に満州事変と絡めて取り上げられる事がある事件としては、「中村大尉殺害」と「万宝山事件」があります。中村大尉殺害事件は、身分を隠して兵要地誌の調査に行った参謀将校が軍閥の軍に捉まり殺害されたもの(要すればスパイ)、万宝山事件は、水利問題からくる中国&朝鮮農民の発砲を伴う衝突、なので、これもテロではありません。

歴史の授業として、中村大尉殺害や万宝山事件まで教える必要は全く無いと思いますが、ネット上で(私を含めてですが)誰かが言っている事のうち、自分にとって好ましいものだけを、よく吟味もせずに丸呑みしていると、ますます真実から遠ざかってしまうと思いますよ。疑う、というのはとてもよい事だと思いますが、せっかく疑ったのだから、きちんとした資料に基づいて議論をしている本を読んだ方がいいです。

例えば、『劉少奇が生前に「自分が部下に命じて日本軍と国民党軍を戦わせるように仕掛けた」と書き残しています』というのは、「(盧溝橋事件)は)劉少奇同志の指揮する抗日救国学生の一隊が決死的行動を以って党中央の指令を実行したもの」と共産党の『戦士政治課本』に書いてあった、というのと、『劉少奇が、「盧溝橋事件の仕掛人は中国共産党で、現地責任者はこの俺だった』と西側記者団に発表した』というのを、ごちゃ混ぜにしたのだろうと思いますが、これは、ネット上以外では生息が『ほぼ』不可能な、トンデモ系の話です。まさに、「どうやったらこの歴史が、『そ』んな変な歴史に変わっちゃうんですかねぇ…」の典型例です。
何故なら、
・『戦士政治課本』に書いてあったと言っている本人が、3万2千人の中国からの帰還兵のほとんどが中国語を理解し、その内容を知っていた、と言っているのに、同じ様な文章を見た、と名乗りでる人が他に誰もいない。見たといっている人は、その本は、「某所に隠している」、「貸金庫にしまっている」と言っていたが、現物は誰も見ていないし、その人の死後、貸金庫を調べたが、その中にもなかった。
・その劉少奇の記者会見を述べた記事を、誰も発見できない。(っていうか、そもそも、そのような記者会見があったとされる当時の共産党は国民党からの攻撃で、山中を逃げ惑っていた、というのが正しく、記者会見なんて出来るわけが無い。)
からです。(このあたりは、前回回答で紹介した、秦郁彦の「昭和史の謎を追う」に詳しい)

大東亜共栄圏は「最終戦争に向け欧米列強からアジアを守るために、とりあえずアジアでまとまるべきだという日本の考えですよね」というのは、最終戦争という石原莞爾特有の概念を持ち出してはいけませんが、それをのぞけば「戦前、日本はそのように宣伝しました」という意味では、まぁまぁ正解です。ただ、「そのように宣伝されていました、だから、事実もそうでした」と思ったら、それは間違いでしょう。大東亜共栄圏が現実にどういうものだったかについては、アジアジア歴史資料センターで、御前会議で決まった大東亜政略指導大綱(Ref code:B02032973300)が見られます。そこには、『「マライ」「スマトラ」「ジャワ」「ボルネオ」「セレベス」ハ帝国領土ト決定シ重要資源ノ供給源トシテ極力之ガ開発並ニ民心ノ把握ニ努ム』とあり、ご丁寧に、この項は「当分発表セズ」って事になっています。「共に栄える」と言っている手前、自分達の領土にして、資源の供給源として使う、なんて公表したら具合が悪いですからね…。
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この回答へのお礼

自分の説明不足なところまで補足回答頂いてありがとうございます。こうしてみると自分の読解力、文章力、表現力のなさが本当に恥ずかしいです。
やっとこの件について納得することができました。



本当なら、わざわざ自分のために時間を割いて頂いた方々皆さんにポイントを差し上げたいのですが、システム上、このお二方に差し上げましたが、皆さんには本当に感謝しております。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/06/19 00:03

こんにちは。

質問者様の質問や皆様の回答大変興味深く読ませていただいております。

以下は素人がWIKIなどをみながらかいた意見ですので、間違えている恐れはたぶんにあり、その上で呼んでくだされば幸いです。

自衛のためかどうか…という点では、少々疑問に思いますのは、
WIKIで調べてみましたところ、
テロの一例と挙げておられます、通州事件とは1937年の出来事で満州事変は1931年におこったことがらですね。
WIKIが必ずしも正しいと思いませんし、正しいかどうかをどうやって調べればよいか私には分からないのですが、仮に通州事件が1937年に起こったのが正しいとするならば、
No.2さまが
1931年に起こった満州事変の暴走の一因として1937年の「通州事件」がある
とおっしゃっているとするのは、少々おかしいように思います。
あるいはNO2さまがおっしゃっているのは、1931年から始まった満州事変のことではなく、日中戦争(質問者様が使った名称を使用させていただきますが)のことではないでしょうか?

もちろん、通州事件にも似たテロ行為が1931年以前からあったかもしれません。また、そうしたテロ行為があったのならばそれが関東軍が満州事変を起こす理由になったということも考えられないことはありません。
この辺については、皆さまのご意見をお聞きしたいと思います。

WIKIには、
「南満州鉄道のすぐ横に新しい鉄道路線などを建設し、安価な輸送単価で南満州鉄道と経営競争をしかけた。これに危機感を感じた関東軍は再三に渡り恫喝するが聞き入れられず、石原莞爾(いしわら かんじ)、板垣征四郎の指導のもと、満州の軍事占領を決意する。」
と載っております。
南満州鉄道に経営競争を仕掛けられたことが仮に関東軍の行動の主な動機でしたら、自衛のためとはいえないのではないでしょうか。
満州事変の動機に関しては素人目にはさまざまな理由があるようにおもえ、自衛もその一つかもしれませんが、自衛のため「だけ」というのは、少々違うのではないかと思います。

暴走という言葉の意味をどう捉えているかは分かりませんが、政府や軍中央の言うことを聞かない、天皇の承認を得るなどの手続きを得ないというのは暴走といっても良いのではないかと思います。
暴走の中での行為が良いか悪いか、暴走するのに正当な理由があったかなかったかというのは、また別の問題だとおもいますが。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。


皆様のご意見を伺っていると、やはり軍部の暴走ということで納得いたしました。

テロ行為というご回答も、時代が錯誤してしまったための勘違いのようです。

わざわざお時間を割いていただいてありがとうございました。

お礼日時:2007/06/18 23:58

「満州事変~日中戦争」という書き方をされているので、「関東事変は・・・軍部の暴走だったのでしょうか?」という部分は、「満州事変は・・・」の単なる書き間違いと理解して、話を満州事変に絞ります。

もし、違っていたら、その旨仰ってください。

さて、満州事変を、軍部(あるいは関東軍)の『暴走』と考える場合、それは二つの側面から言えます。一つは、きっかけとなった満州鉄道の爆破(柳条湖事件)が、関東軍が仕組んだ「自作自演」だった事、もう一つは、政府&参謀本部の指示を無視して朝鮮軍が中国側に越境した事の二つです。

関東軍の謀略だった事が一番良くわかるのは、当事者である関東軍参謀花谷少佐の証言です。↓
http://members2.jcom.home.ne.jp/mgrmhosw/hanaya. …
尚、「一番良くわかる」のであって、「唯一の証拠」ではありません。せっかくなので、思いっきりマイナー系をあげておくと、当時の新聞記者が、記者クラブで陸軍新聞班の将校から「実はあれは関東軍がやったんだよ」と耳打ちされています。(「別冊 新聞研究 聴きとりでつづる新聞史」20号61頁 日本新聞協会 1987年)入手しやすいのは、花谷少佐の証言をまとめてもいる、秦郁彦の「昭和史の謎を負う」なんかが良いと思います。↓
http://www.bk1.co.jp/product/1710496
これを読めば、複数の証言によって、花谷元少佐の証言の信頼性が確かめられている事がわかると思います。ご興味があれば、どうぞ。
また、首謀者とされる石原莞爾(満州事変当時、関東軍参謀で中佐)は、「満蒙問題処理私見」というメモを残しています。(↓の31.元ネタは「石原莞爾資料 国防論策篇」原書房)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/download.cgi/study/1 …
「若し軍部にして団結し戦争計画の大綱を樹て得るに於ては謀略により機会を作製し軍部主動となり国家を強引すること必すしも困難にあらす」というのは、「軍部が団結してちゃんと計画を建てておけば、謀略をきっかけに軍部が国を無理に引っ張っていく事ができる」という意味です。

次に、政府&参謀本部の指示を無視して朝鮮軍が中国側に越境した事ですが、ネット上で私が見つけたのは↓です。参謀本部の「機密作戦日誌」、閣議の議事録、奉天総領事からの電報など、数々の資料を使って、当時の細かい動きを説明しているのですが、全体としては「シベリア出兵以降、軍部がどうやって政治に対して優越していったか」を述べる学者の論文なので、長すぎるし、高校生の方には難しいかも知れません。
http://www.u-keiai.ac.jp/issn/menu/ronbun/no3/00 …

簡便にすますのなら、上に上げた花谷少佐の証言にも触れられていますから、それをご覧下さい。とにかく、事実としては、謀略を主導した関東軍が、朝鮮からの支援について朝鮮軍と話をつけていたのに、参謀本部から止められてしまって、「短期間の内に全満州を占領する」為に手持ちの兵力をできるだけ多く使いたかった関東軍が、吉林でまた自作自演の爆発事件を起こして、居留民保護を名目に部隊を移動、それを受けて朝鮮軍は「満州が手薄になった」という口実で、参謀本部の承認無く兵を送った、そういう事です。参謀総長名の朝鮮軍司令官宛の電報で(越境派兵は)「奉勅命令下達迄見合ハサレ度」というものが出た事が、上にURLを入れた論文にのっています、つまり、天皇の命令があって初めて出来る事を、朝鮮軍は勝手にやったって事です。

尚、満州事変というと、満鉄爆破の自作自演が有名ですが、上に述べた様に自作自演はそれだけではありません。花谷少佐の証言には、他にも、「居留民保護を口実にしてハルビンに出兵する為に、銀行等に爆弾を投げ込んだ」とも書いていますね。また、「満州国」設立にあたっては、政府が国際連盟との関係を気にするだろうから、それだったら、先に関係を悪くしてしまえ(そうしたらもう気にする意味も無いだろう)という事で、錦州を爆撃した」と言った経緯も書いています。こういうのも、すべて「暴走」に入ります。

また、「暴走」という意味では、1931年は、3月事件(上層部を含む軍部と右翼によるクーデター未遂)、満州事変での無断越境の事後承認、10月事件(中佐、少佐クラスの将校によるクーデター未遂。3月事件の首謀者はお咎めなし、10月事件の首謀者は謹慎処分だけと、いずれもうやむやに処理される)、翌年には5.15事件(犬養首相に対する海軍青年将校によるテロ)…と、軍部は何をしても許されるor怖くて軍部には逆らえない、という雰囲気が広まって行きました。こういう全体的な流れから見ると、関東軍の暴走、というよりも、軍部の暴走、と考えた方がいいと思います。

ところで、他の方の回答で、何故か「統帥権干犯問題」が話題になっていますが、満州事変での朝鮮軍の行動は、実質は参謀本部の命令無視(参謀本部も、本当に真剣に抑え込もうとはしていないが…)であり、形式上は天皇の権威の無視、言い方はどうでも、とにかく勝手にやった、ってことが問題です。No.3の方の回答は、満州事変の事を多少でも知っていれば、勝手に越境した行為自体を言っている事ぐらい直ぐわかります。天皇の命令・許可・権威、どういう言い方をしようが、言っている事は明白で、「とにかくそういうものが無い、あったものを無かった事に捏造しているとは考えられないから、暴走は捏造じゃない」、そういう意味でしょう。突然ここに、「明治憲法下で、天皇が内閣に輔弼されていた」なんて話が入ってくる事自体が、全く話に関係なく、あまりにも突拍子も無い。それだけならまだしも、ウィキペディアの記事の「国会議員が政治抗争の手段として、軍内部の争いに油を注ぐ形で持ち出した問題であることには注意するべき。」という記事をあげるなんて、満州事変での「暴走」と一体何の関係があるのでしょう??それこそ資料を「読む以前の話ですね」。ひょっとして統帥権干犯問題が、海軍軍縮条約に絡むものとして、「固有名詞化」している事を知らない『専門家』が、最近までいたって事でしょうかね?(恋愛問題、料理、歴史と、たいへん幅広い分野で『専門家』として活動されているのなら、仕方が無いのかな?)

いずれにせよ、このサイトは、議論になると、管理者から質問ごと根こそぎ削除される事があるので、これ以上、ピンボケの話をするのは、皆さんやめましょう。これまでの回答で、何が起きたのかは、とてもよくわかりますから。質問ごと削除されたら、質問者の方にも失礼です。
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この回答へのお礼

詳しいご説明本当にありがとうございます。

関東軍については、自分の打ち間違いです。失礼しました。


学校で教わったことをより具体的に知ることができました。すごい説得力があるご回答ですね。テスト範囲なので、次回のテストに役立ちます!!

他の方の回答で、当時日本軍に対してテロ行為を行う者がいて、それに耐えかねた日本軍が、越境していったというのがあったのですが、それに対しては、回答者様はどうお考えでしょうか?

もしこれが議論にならなければ、それについて詳しく教えてください。


ありがとうございました。

お礼日時:2007/06/15 17:19

 勘違いを続けている人がいるようなので、一応指摘を。



 天皇には、「許可」を出すことなどできません。できることは、あくまで奏上された内容を案件を承認するまでです。立憲君主国というものが全く理解できていないようです。
 分かりやすい言葉で言えば、大日本帝国においても日本国同様、天皇は象徴に過ぎないということです。君臨すれども統治せず。

 また、満州事変が統帥権干犯問題と関係ないとしていますが、とんでもない話ですね。シビリアンコントロールを統帥権干犯とすることが軍部が暴走することの思想的背景となって、満州事変が行われたのですから。
 この問題が解決しないままだったから、軍部は政府の意向を無視して戦線を拡大し続けられたのです。
 読む以前の話ですね。
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補足として申し上げれば


天皇から軍への命令である奉勅命令も、内閣からの助言に基づいて行われるのが実態でありますが、満州事変においては関東軍が統帥権の独立を口実に単独行動をしており(それ自体、軍の統帥を無視する所業であります)、そうした暴論をも肯定する方へ事の是非を納得させるには(質問者様を特定してではなく、この質問におけるやりとりを読む全ての方々を想定して)、「天皇の許可を得ていない」という一点を強調するのがよかろうと考えた次第です。そうでなくとも、現地の軍司令官個人の判断で他国と開戦するのは、「暴走」以外、形容しようがないでしょう。

ついでに申さば、「なお、軍人の暴走例としてよく取り上げられる問題ではあるが、そもそも国会議員が政治抗争の手段として、軍内部の争いに油を注ぐ形で持ち出した問題であることには注意するべき。」とは、満州事変とは関係のない、統帥権干犯問題に関する記述です。
よく読んでくださいね。
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この回答へのお礼

補足説明ありがとうございます。

皆さんのご回答の中には、テロのようなものが相次いだため日本軍へのテロに業を煮やして満州事変がおきたというのがありますが、その場合
戦争ではなく、軍人として当然のことではないでしょうか?別に天皇陛下の許可がなくとも、自分の身を守るためのことなので、暴走じゃないのではないか?と今思いましたが、これは間違っていますか?

お礼日時:2007/06/15 17:02

 歴史の流れを見るようにしてください。



 個々の事例について、色々な論が飛び交い戦前の日本を美化するかのような論が最近ネットで横行しています。

 第一次世界大戦でヨーロッパが戦場となり、ヨーロッパ列強の工業力が大幅に低下し、戦場とならなかった日本は大もうけし、工業生産力も大幅にアップしました。
 ところが、ヨーロッパの工業生産力が回復するにつれて、世界中で工業生産力が余り、製品が売れなくなり製品の値段が低下し大不況に突入します。

 このような世界の経済情勢の中で、欧米列強は関税などを使って自分の植民地に他国の製品が入ってこないようにした(ブロック経済)ため
、植民地の無い新興列強の日本は他国以上に経済的苦境に立たされ、その突破口として軍事力を使おうという流れが大きくなったのです。

 満州事変の首謀者とされる石原莞爾の「最終戦争論」を読まれると彼が何を考えていたか良くわかります。

 尚、日本の教科書は、国定教科書ではなく(教科書検定で色々統制されているとか議論がありますが・・・)中国や韓国の国定教科書に比べれば極めて客観的で信頼が置けます。日本のそれぞれの教科書については細かい表現の違いなどはありますが、捏造といわれるものは記載されていません。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%8E%9F% …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

石原莞爾の「最終戦争論」は、日本を筆頭とするアジア対アメリカを筆頭とする欧米諸国で戦争になるという話ではなかったでしょうか?

大東亜共栄圏は、戦後教育で間違った教えられ方をしれいますが、アレは、最終戦争に向け欧米列強からアジアを守るために、とりあえずアジアでまとまるべきだという日本の考えですよね?

そのことが全く書かれていない日本の歴史教科書は捏造された歴史が載っていますよね?

もし私の認識が間違っている場合は、お手数おかけしますが教えていただけますか?お願いします。

お礼日時:2007/06/15 16:57

 Wiki の解説が挙げられているので、補足します。



 勘違いしている人もいるかもしれませんが、天皇大権という言葉の「大」は、単なる美称で、要するに権限のことですね。で、更に勘違いしている人もいるかもしれませんが、大日本帝国憲法における天皇の権限というのは、上奏されてきた案件を承認する権限だけです。
 拒否権は無いのですね。
 だから、実質的に天皇はめくら判を押すことしかできず、何の判断もできません。
 それが、立憲君主制というものです。
 ちなみに天皇が拒否権を持ったとしたら、それは立憲君主国家ではなく専制君主国家です。そして大日本帝国は、一瞬でもそのような状況にあったことはありません。

 この辺の話は、権限の概念や政体について基本的な知識があれば勘違いなどしようがないのですが、知識がないと勘違いすることもあります。気をつけましょう。

 ちなみに、この Wiki のページをちゃんと読めば、「なお、軍人の暴走例としてよく取り上げられる問題ではあるが、そもそも国会議員が政治抗争の手段として、軍内部の争いに油を注ぐ形で持ち出した問題であることには注意するべき。」という記述もあり、天皇とは関係のない所での政争であったことも指摘されています。
 資料は、ちゃんと読みたいものですね。
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この回答へのお礼

やはりそうですよね。

自分の知識が間違っていなかったので、安心しました。
日本が専制君主国家だったことがあった記憶がなかったので、不安でした。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/06/15 16:50

お時間があれば、中山理、渡部昇一翻訳の「完訳 紫禁城の黄昏」


という本をお読みになるといいと思います。
ラストエンペラー・溥儀の家庭教師が書いた本です。
戦前のシナ・満州を知る第一級資料です。

渡部昇一氏によると、「『紫禁城の黄昏』が、極東軍事裁判に証拠書類として採用されていたら、あのような裁判は成立しなかったであろう。こういうだけで、本書の価値を知るには十分である。もちろん、何が何でも日本を悪者に仕立て上げたかった東京裁判所は、本書を証拠資料として採用せず、却下した」
とのことです。
岩波文庫版は、意図的に大事な部分を削除しているので、こちらを
お勧めします。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

多分今年中は受験があるので、難しいかもしれませんが、時間を見つけて読んでみます。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/06/15 16:47

> 満州事変~日中戦争関東軍の暴走



そんな単純な問題ではありません。
満洲軍閥の国際法無視行動
1929年の中ソ紛争
満洲人と朝鮮人間に起きた住民抗争
これらに業を煮やした関東軍が張学良追放のため動いたのが満洲事変

日中戦争という戦争は存在しません。1937年から1941年までの日中間の軍事衝突は支那事変と言います。41年からは大東亜戦争(国際正式名称:East Asia War)に組み込まれました。

これは関東軍はまったく関係がありません。支那駐屯軍(義和団事件の結果、列強によって北京や天津に軍の駐留を行うことが北京条約で決定した)と中国国民党軍が軍事衝突したものです。原因はさまざまですが、文化大革命で殺された劉少奇が生前に「自分が部下に命じて日本軍と国民党軍を戦わせるように仕掛けた」と書き残しています。半月に渡る日本軍への発砲事件に業を煮やした参謀本部が最終解決のため本土にいた師団に動員をかけました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

No.2の方のご回答と似ていますね。

こういった歴史は全く教わっていません。どうやったらこの歴史があんな変な歴史に変わっちゃうんですかねぇ。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/06/15 16:46

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