痔になりやすい生活習慣とは?

袁さんが、「どこか(非常に微妙な点において)欠けるところがある」といっていますが、欠けるところというのは率直に言うとどこなのでしょう?
色々調べてみたのですが、あまり良く分からなくて困っています。
分かる方がいましたら、解答お願いします。

A 回答 (5件)

ものすごく簡単に言えば、天才と秀才の違いです。



李徴は秀才だったけど天才ではなかった。
天才と秀才の差は袁サンのような凡人には僅かな差にしか見えない(だから袁サンは「何処か(非常に微妙な点において)欠けるところがある」としか表現できなかった)、しかし李徴当人はこの差は絶望的なものに見えます。

それゆえ、

  凡人に比べれば才に恵まれている→尊大で傍若無人に振舞う
  天才とは決定的に差があるとの自覚がある→猛烈な劣等感にさいなまされる

ということになります。


この辺の事情がわかりにくければ、「アマデウス」という映画をお勧めします。
古い映画ですが名作ですし未見でしたら一度ご覧あれ。

「アマデウス」の主人公サリエリ氏は自他共に認める大作曲家でしたが、モーツァルトに接して初めて、モーツァルトこそ真の天才であり自分はたんなる秀才に過ぎないと気が付きます。
しかしこの差をはっきり認識しているのは当のサリエリだけで(モーツァルトは最初からサリエリなど眼中にないので気にも止めていない!)、周囲は気がつきません。

サリエリは今までどおり大作曲家として振舞いながらも、モーツァルトに対する嫉妬と劣等感に苦しめられ、とうとう…。

この映画のサリエリ氏の最期を中国伝記小説風に表現すると、「虎になった」になるのでしょう。


さて、ではこの天才と秀才の差、袁サンが「何処か欠ける」と表現したものは何なのか?

これを言葉で説明するのはやはり難しいです。
でも確実に存在するのですよ。

文学でも音楽でも美術でも何でも、それなりに真剣に取り組んだことのある人間には明確に把握できます。
そしてそれを把握できた人間の大多数は「ああ、自分はどんなに頑張ってもこの域には達することができない。つまり自分は天才ではないな」とはっきり認識することになります。

若いころ、この苦い思いを味わったことのある人間にとっては、「山月記」は非常に分かりやすい、そして身につまされる小説なのです(苦笑。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。
アマデウスは去年生誕250周年のときに観ました。
あれに当てはめてみると分かりやすいですね。
山月記をもう一度読み直して考えてみたいと思います。
分かりやすい回答有難うございました!

お礼日時:2007/06/24 10:41

 「山月記」のテーマに関わるものだと考えることができます。

後で、李徴が虎になった原因について語る部分がありますよね。それとの関連で、一流になるために欠けている「非常に微妙な点」が考えられるのではないでしょうか。
 「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」は、李徴の考える虎になった原因ですが、これは、現代人の誰もが持っている心のあり方だと考えることができます。そして、誰もが「孤独な人食い虎」のような人間になる可能性があることを示唆しています。
 そういう人間が書いた詩には、その「人間の心のあり方」が反映して、「どこか(非常に微妙な点において)欠けているところがある」というわけでしょう。
 具体的には、いろいろと考えられますが、これだと限定できるものではないので、あえて書かないでおきます。考えてみてください。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。
難しいですね・・・。
でも少しずつですが分かってきました。
山月記をもう一度読み直してみたいと思います。
回答有難うございました。

お礼日時:2007/06/24 10:38

国語教師です。


ちょっとだけ前の部分から見てみましょう。

長短凡そ三十篇、格調高雅、意趣卓逸、一読して作者の才の非凡を思わせるものばかりである。しかし、袁さんは感嘆しながらも漠然と次のように感じていた。成程、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処か(非常に微妙な点に於て)欠けるところがあるのではないか、と。

彼の詩風が格調高雅で意趣卓逸な事から、彼自身が才能にあふれ、非凡な人間だと分かります。
ところが、その彼の作品は、「第一流の作品となるのには、何処か欠けるところがある」わけです。
つまり、人物的には詩の才能があるけれども、実際の詩は一流ではないと言っているのです。(その理由は彼の性格、彼の過去の行動にあるわけですが。)
では、どこが一流になるために欠けているのかということですが、ここでは「非常に微妙な点において」としかありません。
作者は具体的な詩も具体的な欠けている点も示していないのです。
袁さんが「漠然と」感じていることで、しかも「何処か」というふうに表現していますので、ここは素直に「何処か」で解釈します。
つまり、何処がというふうにはっきりいうほどの欠点があるというわけではなく、本当にほんの少し…つまり非常に微妙な点において、惜しくも一流と呼ぶには今ひとつ足りない詩だとえんさんは感じたというわけです。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。
納得がいきました。
もう一度そのことを踏まえて読み直したいと思います。
分かりやすい回答有難うございました!

お礼日時:2007/06/24 10:35

作品は、草むらの中から聞こえてくる李徴の声(朗読?)


なので、目に見えて(書面で)「欠けるところ」を指摘することは
出来ませんよね。ただ、その後、李徴は、自暴自棄風に、
"自分の詩集が一流文士の机に置かれている夢を見ることがある、
嗤ってくれ" と言っています。
そして旧友の袁参(←字が出ませんが)が、
昔の李徴の自嘲癖を哀しく思い出す、という場面が続きます。
なので、
聴いていた作品の中に、李徴の非凡な才能を感じつつも
微妙な点で、何か、そういった自嘲癖の片鱗が
見え隠れしたのではないでしょうか。

全くの私観ですので、参考までにね。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。
漠然と見えてきたのですがもう少し、といったところです。
もう一度最初から読み直してみようと思います。
回答有難うございました!

お礼日時:2007/06/24 10:31

りちょうがトラになることにより人間的というよりも動物的になっているのではないでしょうか?それに、彼の詩は独学ですし自分が一番的なところがあったのではないかと思います。

それでもわからなければ、国語の先生に聞いて下さい。絶対話して下さるはずです。理系なもので、無責任ですみません。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。
何となくですが少し見えてきたような気がします。
回答有難うございました!

お礼日時:2007/06/24 10:28

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Aベストアンサー

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5.「(Ora Orade Shitori egumo)」
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けふのうちに
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みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
うすあかくいっさう陰惨な雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
青い蓴菜のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになって
わたくしをいっしゃうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
 銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
…ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまってゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまっしろな二相系をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていかう
わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ
みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびゃうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
   (うまれでくるたて
    こんどはこたにわりやのごとばかりで
    くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになって
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

宮澤賢治「永訣の朝」の下記部分の解釈を教えてください。

1.「あめゆじゅとてちてけんじゃ」
 あめゆじゅとは霙(みぞれ)のことですか?本当にそんな方言があるのでしょうか。
2.「これらふたつのかけた陶椀に」
 なぜふたつなのか?一つは賢治のぶんでしょうか。とし子が2椀欲しがったのか。
 お金持ちなのに、欠けた陶椀を使い続けてきたのはなぜか。
3.「ふたきれのみかげせきざいに」
 御影石材でしょうか?どうして「ふたきれ」なのか?
 ふたつの陶椀、雪と水とのまっしろな二相系など、意図的に「二...続きを読む

Aベストアンサー

1.「あめゆじゅとてちてけんじゃ」
 私はネイティブではないですが、岩手県花巻の方言で、「雨雪取ってきて欲しいな」、といった
 ちょっと甘えた言い方らしいですね。
 
2.「これらふたつのかけた陶椀に」
 死去のとき、「妹」は24歳。 病床で彼女と賢治は昔の思い出話などしていたのでしょう。
 「欠けた陶椀」は二人が子どもの頃、あるいはママゴト遊びの中で使用したものと推測。
 1のセリフも、もしかしたらその思い出話の中に出た言葉だったのかもしれないですね。
 その昔の事を再現してくれという願いにも読み取れます。

3.「ふたきれのみかげせきざいに」
 「2」が繰り返されるのは私と妹の「二人」を暗喩する数字でしょう。
 「2」から「1」になるという事を際立たせています。

4.「わたくしはそのうへにあぶなくたち」
 濡れた御影石の表面は滑りやすいので、アブナク、です。

4.「松のえだから/わたくしのやさしいいもうとの/さいごのたべものをもらっていかう」
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5.「(Ora Orade Shitori egumo)」
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~~~
言葉の美しさを愛した詩人で、「永久の未完成これ完成である」なんて言葉が残されてますが、完成した作品に何度も手を入れていたような方です。改稿も本人にとっては「そうしたほうが好ましい文章になった」というだけのことで、作品は彼のフィーリングがその一時結晶化した結果に過ぎない。作品を売って金にしたわけでもなし、彼の念を文書に表せればそれで十分、「解釈」なぞは後の人が勝手にすればいいというのが彼のスタンスではなかったでしょうか。

彼の作品は各人が思い思いに韻を楽しみ、言葉に酔えばいいのでしょう。

参考URL:http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/13616/1/16_p175-191.pdf

1.「あめゆじゅとてちてけんじゃ」
 私はネイティブではないですが、岩手県花巻の方言で、「雨雪取ってきて欲しいな」、といった
 ちょっと甘えた言い方らしいですね。
 
2.「これらふたつのかけた陶椀に」
 死去のとき、「妹」は24歳。 病床で彼女と賢治は昔の思い出話などしていたのでしょう。
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Q山月記について

中島敦さんの山月記の中で、李徴がえんさんに詩の伝録をたのむシーンがありますよね??
そこでえんさんが、李徴の詩に対して「何か微妙な点において欠けるところがある」と言っていますがその欠ける物とは何なんでしょう?
明日の国語のテストで400字以内で論述せよ。という問題が出るのですが、なにかヒントのような物をいただけないでしょうか?
ちなみに私は李徴の詩に足りない物は、芸術家の魂に誘われながらも、詩人になりきれなかった甘さにあると思うのですが…。
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Aベストアンサー

>ちなみに私は李徴の詩に足りない物は、芸術家の魂に誘われながらも、詩人になりきれなかった甘さにあると思う

うーん、そうなんだけど、
「ではどうして詩人になりきれなかったのか」
を書く必要がある。
作品中には、その原因(李徴の気持ち・考え方)が具体的に書かれている。
-----------------------------

李徴が袁参に「今の気持ち」をうたった詩を読んだ直後、
李徴が
「そういえば…、自分がトラになった原因、思い当たらないこともない」
と言って以後、李朝の「独白」が続く。
ここがクライマックスで、
同時に「山月記」のテーマでもある。

この部分に「なぜ自分がトラになったのか」の理由がハッキリ書かれている。

「何故こんな運命になったか判らぬと、先刻は言ったが、しかし、考えように依れば、思い当ることが全然ないでもない。」

からはじまって、

「虎と成り果てた今、己はようやくそれに気が付いた。」

までの間。
(700字くらいあるかな?)

ここを中心にしてまとめればいいと思う。

>ちなみに私は李徴の詩に足りない物は、芸術家の魂に誘われながらも、詩人になりきれなかった甘さにあると思う

うーん、そうなんだけど、
「ではどうして詩人になりきれなかったのか」
を書く必要がある。
作品中には、その原因(李徴の気持ち・考え方)が具体的に書かれている。
-----------------------------

李徴が袁参に「今の気持ち」をうたった詩を読んだ直後、
李徴が
「そういえば…、自分がトラになった原因、思い当たらないこともない」
と言って以後、李朝の「独白」が続く。
ここがクラ...続きを読む

Q中島 敦の山月記について

山月記についての質問です。
『なるほど、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、
このままでは、第一流の作品となるのには、どこか(非常に微妙な点において)欠ける
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という部分の欠けるものとはなんでしょうか??

お願いします。

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 文学作品の解釈はいろいろあっていいと思うのですが、この作品に関してはかなりはっきりしていると思います。

 要するに李徴には「心の広さ、大きさ」がたりなかったのだと思います。お手元に山月記のテキストがあれば見ていただきたいのですが、「山月記」でこの部分を解釈する上で、ヒントになるのはその袁サンの台詞のすぐ後の部分です。もっと言えば、袁サンのこの発言は、あとの李徴の発言を導く為と、とれないこともないです。

 袁サンのこの発言を受けて、李徴は「何故こんな運命になったか判らぬと、先刻は言ったが、しかし、考えように依れば、思い当ることが全然ないでもない」と、自己分析を始めます。
 例えば師匠につかなかったこと、友達と詩の品評をしなかったことなどは、「臆病な自尊心」から来ています。小説でも絵でも音楽でもそうですが、芸術作品を作るうえでは、「他人の評価に耳を傾けること」がとても大切です。李徴は他人からの非難を恐れるあまり、これを怠ったのです。
 つまり、他人のことはバカにしているくせに、自らは他人と関わるのが怖い、という小さな人間だったのです。こんな人間に人を感動させる詩が書けると思いますか。
 裏返せば、謙虚な心を持って、他人の批評に耳を傾けていれば、李徴にもチャンスはあったのではないか、ということです。
 
 
 ただし、文学作品に正解はないですから、これも一つの解釈ととらえてください。質問があればどうぞ。

 文学作品の解釈はいろいろあっていいと思うのですが、この作品に関してはかなりはっきりしていると思います。

 要するに李徴には「心の広さ、大きさ」がたりなかったのだと思います。お手元に山月記のテキストがあれば見ていただきたいのですが、「山月記」でこの部分を解釈する上で、ヒントになるのはその袁サンの台詞のすぐ後の部分です。もっと言えば、袁サンのこの発言は、あとの李徴の発言を導く為と、とれないこともないです。

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Q原核生物

青カビ、ゾウリムシ、大腸菌、酵母菌、ネンジュモ、アオコ、シイタケ

この中から原核生物を3つ選べという問題なのですが

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予想では大腸菌、酵母菌となにかだと思うのですが...

この中のどれが原核生物だと思いますか?

回答お願いします。

Aベストアンサー

思うとか、思わないとか....クイズじゃないなぁ。
確(しっか)り覚えちゃいましょう、
説明
■原核細胞:細胞膜以外の二重構造を持たない細胞のことで、核、葉緑体、ミトコンドリア等の細胞内小器官が存在しない。尚、核の代わりに核様体、葉緑体ではなくチラコイドのみの器官を持っています。
■真核細胞:核、葉緑体、ミトコンドリア等の細胞膜以外の二重構造を持つ細胞のこと。

で、生物の例ですが.....
■原核生物:原核細胞のみから出来ている生物で、細菌類とラン藻類の2種類のみ。
 細菌類~大腸菌、肺炎双球菌、乳酸菌、根粒菌、亜硝酸菌、硝酸菌等
 ラン藻類~ユレモ、ネンジュモ、アナベナ、アオコ、スイゼンジノリ、アイミドリ、クロオコックス等
■真核生物:真核細胞を持つ生物のことで、菌類、細菌類以外の全ての生物ですが、真核生物の体内に原核細胞を持つ場合が在ります、例えば赤血球等です。

※気を付けなければいけないモノに、"酵母菌"が在ります。酵母は(細胞)核を持ち, 大きな分類では菌界 (キノコやカビの仲間) で、真核生物です。嘗(かつ)ては細菌の仲間と思われていたので酵母菌と呼ぶことが偶(たま)に在ります。

さぁ、以上から3っつ選べますね........、大腸菌、ネンジュモ、アオコ。

思うとか、思わないとか....クイズじゃないなぁ。
確(しっか)り覚えちゃいましょう、
説明
■原核細胞:細胞膜以外の二重構造を持たない細胞のことで、核、葉緑体、ミトコンドリア等の細胞内小器官が存在しない。尚、核の代わりに核様体、葉緑体ではなくチラコイドのみの器官を持っています。
■真核細胞:核、葉緑体、ミトコンドリア等の細胞膜以外の二重構造を持つ細胞のこと。

で、生物の例ですが.....
■原核生物:原核細胞のみから出来ている生物で、細菌類とラン藻類の2種類のみ。
 細菌類~大腸菌、肺炎双球...続きを読む

Q山月記

学校で山月記を学んでいます。
なぜ中島敦は、山月記と題したのでしょうか?
月が大切なようですが・・・。
教えてください。

Aベストアンサー

「山・月」の語は、小説中の詩に「此夕渓山対明月」とあるところからのイメージかと思われます。
 「月」は作品全体に度々情景描写として描かれます。最後に「虎は、既に白く光を失った月を仰いで、」とあり、人間としての理性・知性の喪失と同期するように描かれ、月はこの主人公の人間性と読むことも可能ではないでしょうか。

Q『その旨を伝え』という言葉の意味&読み方を教えて下さい・・・・。

よくみなさん、
内容を言ってから、『その旨を伝えて~して下さい』
などと、文章で書いたりしていますが、

『その旨を伝える』という言葉の意味と、読み方がわかりません・・・・。

読み方は『そのむねを伝える』でしょうか?
意味は『その内容を伝える』ということでしょうか?

一度こんな言葉を使ってみたいものです。

すみませんが宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

ご理解なさっている内容で間違いありません。

が、もし言葉の読み方や意味で悩んだら、一度辞書で調べてみては、と思います。
ネット上でもyahoo辞書などがあり、十分調べられます。

「旨を伝える」ですが、「伝える」の意味はご存じのようですから、
「旨」を調べてみて下さい。ネットなら読み方が分からなくてもコピー&ペーストでいけますね。
「旨」は(述べたことの)中心や趣旨となります。
単に中心という意味もありますし、質問者様のおっしゃるように「内容」という意味もあります。

ですから、例えば電話を受けていた人が「上司にその旨を伝えます」と言っていたら、電話の相手の言っていた内容を上司に伝えるということですね。

Q山月記の中の「補せられる」の読み方 を教えてください。

山月記の中の「補せられる」の読み方 を教えてください。
子どもから質問受けましたが読めません。
そのまま「ほせられる」ではダメなのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

辞書によれば、

ほ・する【補する】
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E8%A3%9C%E3%81%99%E3%82%8B&stype=0&dtype=0

ふ・す【▽補す】
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E8%A3%9C%E3%81%99&stype=0&dtype=0
(なお、手元の漢和辞典によれば、「輔す(ふす)」の書き換え字とのこと。「補」に「フ」の読みはないようです)

ということで、一応、どちらの読みも可能だと思います。

ちなみに、こちらで聴ける朗読の読みはどちらも「ほせられる」となっています。

http://www.voiceblog.jp/kotoba/3120.html
http://www.papy.co.jp/act/books/1-118779/
(こちらは冒頭のみのサンプル。なおメールアドレス欄は空欄でも可です)

Q『ホンモノのおカネの作り方』

「ホンモノのおカネの作り方 岩井克人」についての質問なのですが、
第1段落の『どのようにして実際に金貨や銀貨が偽造されるかをこれ以上詮索してもしようがあるまい』とありますが、なぜ
『これ以上詮索してもしようが』ないのでしょうか?

Aベストアンサー

 こんにちは。岩井克人さんの「ホンモノのオカネの作り方」は『ヴェニスの商人の資本論』という本に収められた一節です。
 その冒頭(これから話すテーマ)に続く文で「どのようにして実際に金貨や銀貨が偽造されるかをこれ以上詮索してもしようがあるまい」と綴られているのは、なぜニセガネ(似せ「ガネ」)が作られねばならなかったのかとの「ニセガネ」なるものの「性質と意味」をこれから検証してみますよ、との問い掛けを行った上で、後に続く第二段落でその根拠を辿っています。
 そして第三段落で「ホンモノのおカネに似せるものではなく、ホンモノのおカネに変わってしまうこと―それがホンモノのおカネを作る極意なのである」との結論を導き出すことになっています。
 問題にある「これ以上」の「これ」は「モノとしてのおカネを作るための方法について」を受けるものではなく、「似せカネが示す意味」のことであって、それに関してこれからお話ししますよとの意味で使われている指示代名詞です。
 国語の試験でこの文章が出されたならば、「内容の是非について貴方はどう考えますか」との趣旨ではなく、この文とその前後にある文および文章の関係を説明して下さいとの意味ですから、そこは切り離して考えてみてください。
 この小文が本全体の中で示している内容は「なぜニセガネを作る必要があるのかとの形而上学的な(哲学的な)問い掛けか経済活動の中で示されるホンモノのおカネの作り方(おカネが持つ意味やそれによって示される実質的なメリットやデメリットなどの問題)」について冷静に考えねばならないとの視点の提示につながっていくこととなります。

 こんにちは。岩井克人さんの「ホンモノのオカネの作り方」は『ヴェニスの商人の資本論』という本に収められた一節です。
 その冒頭(これから話すテーマ)に続く文で「どのようにして実際に金貨や銀貨が偽造されるかをこれ以上詮索してもしようがあるまい」と綴られているのは、なぜニセガネ(似せ「ガネ」)が作られねばならなかったのかとの「ニセガネ」なるものの「性質と意味」をこれから検証してみますよ、との問い掛けを行った上で、後に続く第二段落でその根拠を辿っています。
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