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こんにちは。taked4700 です。
英語文法について、普段からいろいろ考えてきましたが、時制について、一つの理論を以前から考えていました。
この考え方が正しいか、または、これと同じような考え方が、以前、誰かによって言われていたか、それを知りたいと思います。


時制とは、現在形及び過去形を言います。未来形はありません。未来形は、単なる、予測、意思などであるからです。
時制表現があることの意味は、現実世界のことだという意味です。つまり、時が経過するのは、現実の世界で起こることだからです。
だからこそ、動詞の活用には現在形と過去形しかないのです。原形や現在分詞、過去分詞は、一種の形容詞化した動詞と意識するべきです。

上のことを裏付ける事実は次のようなものがあります。

1.話者の心の態度を示す助動詞に続く動詞の形は時制を持たない原形になります。
2.命令文も原形を使いますが、これも話者の意向を示しているからです。
3.第5文型の補語部分には現在形や過去形が来ませんが、これも、主語の意向や状態を示す動詞によって目的語がどういう状態として話者に意識されているかを示すからです。
4.that節内では、一般に時制が表現されることもされないこともあります。その区分けは、そのthat節が、動詞によって仮想のものとされるかどうかでされます。つまり、He suggests that she go there soon.のようなthat節は、仮想の状態として表現されています。
5.時制の一致と言う規則と仮定法は互いに干渉しませんが、時制の一致と言うのは、あくまでも現実に起きたことをより正確に現実に沿って表現する技法であり、仮定法は、話者の意識の表れですから、互いに干渉しないわけです。

しかし、現実世界でなくても、意識の中での時の経過もあるわけです。これは、基本的に、語順で示されます。He got her to ask them to go shopping. などは、時の経過に従い、視点が移動していることを示しています。
つまり、視点と言う言葉に「点」と言う文字があることから分かるように、視点はその対象に焦点を当てている意識があります。そのため、非常に狭い範囲、たとえば、he got とか、got her, her to ask, ask them のように、一つ一つの動作しか見ることが出来ないのです。語順に頼る言語は、このように、視点によって意味を判断すると言う特徴があると思います。

以上です。あまり、自分の投稿に回答がつかないようですが、どのようなご意見・ご感想でも歓迎いたします。よろしくお願いいたします。

A 回答 (8件)

「私は来月36歳になります」と英文で表記する場合、I will become 36 ages next month.


となりますよね。これを、
「私は来月36歳になるでしょう」とは訳しません。
従って未来時制は必須です。
日本語の未来時制はご指摘の通り予測や意思でしょうが、必ず起こりうる確率が100%により近いですよね。この「より近い」と言うのは来月になるまでに話者が他界する等稀有なケースも含まれるからです。
ラテン語系(フランス語・スペイン語・イタリア語等)にも複雑な未来時制が存在します。
ノルマンコンクエストの影響とは言え、ゲルマン語系として独立している英語に未来時制は必須だと思いますが。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。

>「私は来月36歳になります」と英文で表記する場合、I will become 36 ages next month.
となりますよね。

自分の感覚としては、will を使わない表現のほうがしっくり来ますが、どうなのでしょうか。

>ラテン語系(フランス語・スペイン語・イタリア語等)にも複雑な未来時制が存在します。

自分はまったく英語以外の言語について出来ないのですが、おっしゃるようなラテン系の言語での未来時制の表現は、動詞そのものが未来時制を表現する活用形があるのですか。

お礼日時:2007/06/18 14:27

私はスペイン語が少し分かりますが、未来形だけで3種類あります。

しかも1つの時制につき6個の活用です。全部で8時制ありますから、48種類もの動詞の活用を覚えるのは本当に大変です。

「点」の事を仰っていましたね。
スペイン語の過去形には、「点過去(一度しか経験の無い過去)」と「線過去(何度も経験している過去)」があります。
それに比べたら英語の文法や時制は非常に簡単です。

現在工業英文の翻訳をしていますが、「~の可能性があるかもしれない(例えば、タンクから水が漏れる可能性があるかもしれない等)」の時にはwillではなくmightを使います。mayの過去形ですが、推量の意味を重んじて使っています。
勿論、There is ~で現在形で表す事も出来ますが。

前は商業文を扱っていました。客先から書類をe-mailで送って欲しい等の要求に答える時に、慣用表現として、
You will find in my e-mail~.と使ったりします。

それと、私は学者ではありませんし、実際ネイティブの方に訊いても分からない事が沢山あります。お近くに英文科を設置してある総合大学はありませんか?
学生のふりをして図書館に入り、OED(Oxford English Dictionary)や文法書、それも比較的新しいものに目を通してみて下さい。
何でもそうですが、ただ人に訊くのではなく、ご自身で調べてみる事も大事だと思います。

「何の為に」ここまで時制や文法に拘るのか存じませんが、まず質問文が分かりにくい事が回答が少ない事、それから失礼を承知で申し上げますが、他力本願的な部分が見え隠れします。よく「これを英文に直して下さい!」っていう質問、削除されますよね?

頑張って下さい。そして最後に付け加えておきます。
「言葉は変わります。それに伴って文法も。」
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>現在工業英文の翻訳をしていますが、「~の可能性があるかもしれない(例えば、タンクから水が漏れる可能性があるかもしれない等)」の時にはwillではなくmightを使います。mayの過去形ですが、推量の意味を重んじて使っています。
>勿論、There is ~で現在形で表す事も出来ますが。

ですから、話者の判断が「推量を述べる」となっているから、助動詞が使われていて、それは一種の時制表現だからです。話者の判断として、外界に自分のメッセージを発信するわけですから、それは、現実の出来事になるわけです。
言葉は、究極的には仮想のものでしかありません。しかし、たとえば、「例外の無い規則は無い」という規則は、それ自体に例外があると考えてしまうと、『例外の無い規則はない』ということに対する例外は『例外の無い規則がある』となってしまい、まったく逆のことを述べることになってしまい、普通に考えれば「例外の無い規則は無い」という規則が間違ったものと判断するしかありません。しかし、いわゆる言葉による論理の階層化を考えれば、現実に対する一次論理、二次論理のようにして、矛盾を回避できます。
これと同じで、話者の判断自体は、それを言葉として表現したとたんに外部化し、現実の一部となるわけなので、当然、時制を持つわけです。それが、助動詞の現在形であり、過去形ではないでしょうか。つまり、普通に外部から観察できる動作についての時制ではなく、心の態度、意向についての時制なので、助動詞と言う一般動詞とは異なった品詞が使われるのだと思います。

>ただ人に訊くのではなく、ご自身で調べてみる事も大事だと思います。

はい、確かに誤解を招く表現でした。申し訳ありません。自分でも、いろいろな出版物は読んでいて、調べています。ただ、いわゆる学会には出席していませんから、そういう文献ではどうなっているのかと言う意味で、質問をさせていただいています。

>「何の為に」ここまで時制や文法に拘るのか存じませんが、、、

本来英語の文法は非常に優しいものだと感じていて、それをちゃんと分かってもらいたいと言う動機です。もちろん、自分が書いたことは自分で考えたものですから、将来的になるべく早く出版してそれを世に問いたいと言う気持ちがあります。

お礼日時:2007/06/18 18:18

こんにちは!



(1)これは、英語の作文を書いてみたのだが、合っているかどうか見て下さい、という投稿と同じことで、削除の対象にはならないし、こうした投稿はむしろ大いに歓迎するべきものだと思います。(読んでいて面白いです!)

(2)英語文法について長く考えてこられたことについて、客観的な批評を受けてみようとされていることがよく分かります。自分勝手な考えであることが分かれば、修正を施したいということですよね?

(3)これまでの3つの記事、ざっと拝読して、とても興味を持ちました。ある部分は、とても独創的に考えられていて、有望な理論ではないかという印象を受けました。ただ言語が対象ですから、例外がどれくらい出てくるのか、ということになるかと思います。

(4)もう少し時間的余裕があるときに落ち着いて考えてみたいと思います。

以上、取りあえず、高く評価しますということだけ申し上げておきたいと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

とてもうれしく思います。

お礼日時:2007/06/18 18:22

あなたの考えにはあまり新規な点があるようには思われないのですが.考えるのは結構ですが,こういうのは類縁語との比較文法学的議論をしないと本当のところはわからないと思います.したがって,「英語以外わからない」というのは大変問題です.



いくつかの点,たとえば分詞が動詞の形容詞化であるというのは,完全に常識です.時制の一致については,そもそもそのような特別な法則を考える意味がないという意見もあります.要するに主節と従属節との時間的関係から自然に出てくるものなので,時系列をどのように捉えるかというスタンスが日本語と欧米語では違うというだけのことを,わざわざ面倒な名前付き法則にしているだけだという考えです.
時制が現在と過去しかないというのも,現代英語の,現在の一般的な文法論に限定された話であって,すでに指摘されているように類縁語でも他の時制をもつものもあります.しかしこれは文法構造的な問題というより,その言語を文法という形でどのように整理してきたかの方法論の違いのように私には思えます.
ところで逆質問.現在完了は時制と考えるべきですか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>「英語以外わからない」というのは大変問題です.

そうですね。自分もそれは感じています。

>いくつかの点,たとえば分詞が動詞の形容詞化であるというのは,完全に常識です.

はい、それも承知しています。ただ、自分が、この質問の最初に述べたように、「時制表現があることの意味は、現実世界のことだという意味です。つまり、時が経過するのは、現実の世界で起こることだからです。」の部分についてなのです。この考え方は、すでに常識化しているのでしょうか。ここについて質問をさせていただいているのです。できれば、ここについてのご回答をいただけたらと思います。

>時制の一致については,そもそもそのような特別な法則を考える意味がないという意見もあります.要するに主節と従属節との時間的関係から自然に出てくるものなので,時系列をどのように捉えるかというスタンスが日本語と欧米語では違うというだけのことを,わざわざ面倒な名前付き法則にしているだけだという考えです.

はい、自分は最初からそういう意見でした。最初の意味は、高校時代、そういう規則を知った時からという意味です。また、教えてGooで2005年11月から発言していますが、それらの発言でも、一貫して同じことを言っています。

>現在完了は時制と考えるべきですか?

これについての回答は、ある意味、すでに常識化していることではないでしょうか。つまり、完了形は、時制の一種とは切り離して考えるべきだと言う議論です。進行形とか受動態と一緒で、一種の態と考えるべきで、多分、全ての言語に、究極的には、時制は現在と過去しかないはずだと自分は思っています。なお、現在完了という言葉は「現在」という言葉を含んでいますから、その意味で、現在時制を表現しているとは言えます。

お礼日時:2007/06/18 18:35

う~ん、いつもはむしろ質問者としてではなく回答者として拝見することが多いtaked4700さんですし、僕自身も「ふむふむ」と思いながら読ませて頂いてますから難しい問題というか、なんだか凄く敷居の高そうな質問ですねぇ。

確かに回答がつきにくいかも^_^;

教師でも学者でも何でもない身ですが大変失礼ながら僕が思うに、ご自分なりの文法に関する理論というか持論がおありでそれが正しいのか、といった意見や感想をお尋ねのようなのですが、結局の所、文法なんてモノは「始めにそれがありき」なんかじゃなく、あくまで後付けで系統立てて理解しやすいように分類していっただけのモノだと思います。
その分類の基準というのは当然色々あることが想定されますし、余程のことがない限り、「これが(絶対に)正しくて、これは間違い!」みたいに言い切ることも難しいケースもあるかと思います。
そういった意味では、「今回の投稿は"質問"と言えるのだろうか? 意見や感想を求めるという点ではある意味"アンケート"的だとすら言えるのでは?」とさえも思えてきます。

取り敢えず、批判とも取れそうなことばかり書いてても仕方ないので僕が思うところを書きます。
僕は幼い頃"教育テレビっ子"だったせいからなのか英語に限らず色んな語学に興味を持ちだし、スペイン語・イタリア語が少しできますし、更にドイツ語やロシア語も勉強しています。
まぁ、どれも中途半端になるのではということも時々言われますが、お陰でそれぞれの相似性・相関性みたいなところから、英語のみだった頃に比べると遙かに以前にも増してより深く理解できるようになったように感じます。

#1、#2さんも仰るようにラテン語というか確かロマンス語系(って言ったように思いますが?)のスペイン語・イタリア語などには未来形の活用があります。
動詞そのものが主語の人称・数によって形を変えます。
に対して英語では独自に活用させて作る未来形はなく、現在に於ける予想・予測・推量・予定・意志といったスタンスで表現するしか手だてが無く、willやbe going toなどの何らかの"現在形"のフレーズを借りて表現していますよねぇ。
そういった点では、質問文の第2段落での記述はほぼ同意見です。
しかし、こういった考え方は特に今に始まった特殊なものというわけじゃなく、ここ数年のNHK教育の英語番組でも繰り返し唱えられていることです。
今まさに放送されている「新感覚★分かる使える英文法」の初回のひと月(4月)でテーマになっていましたし…。

その上で注意すべき事は、「動詞の文法上の形態という活用から見て取れるtenseと実際に表している時間timeは必ずしも一致しない」ということです。
そして、日本語の"時制"という言葉が指しているモノは、時と場合によってtenseなのかtimeなのかがとても曖昧な気がします。
"時制"というのを活用に着目したtenseだと取らずにtimeだと取るのであれば、"未来時制"という言葉を使うのもそんなに目くじらを立てなくても良いというか悪くもないようにさえ感じます。
大事なのはtenseとtimeという異なる概念の存在を意識させる方だと思います。

この回答への補足

補足日時:2007/06/19 10:41
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>結局の所、文法なんてモノは「始めにそれがありき」なんかじゃなく、あくまで後付けで系統立てて理解しやすいように分類していっただけのモノだと思います。

自分もそう思っています。ただ、今までの文法理論が「理解しやすい」ものではないと感じていて、もっと簡単な切り口があると感じていたのです。

>「今回の投稿は"質問"と言えるのだろうか? 意見や感想を求めるという点ではある意味"アンケート"的だとすら言えるのでは?」とさえも思えてきます。

いいえ、質問です。少なくとも、「これと同じような考え方が、以前、誰かによって言われていたか」の部分は、客観的な質問です。

>僕は幼い頃"教育テレビっ子"だったせいからなのか英語に限らず色んな語学に興味を持ちだし、スペイン語・イタリア語が少しできますし、更にドイツ語やロシア語も勉強しています。
>まぁ、どれも中途半端になるのではということも時々言われますが、お陰でそれぞれの相似性・相関性みたいなところから、英語のみだった頃に比べると遙かに以前にも増してより深く理解できるようになったように感じます。

いいですね。外国語も一つだけでなく複数やることが、深い理解に非常に助けになるのだと、自分も思います。自分も中国語をやる予定であったのですが、いろいろ支障があり、出来ないままでいます。

>その上で注意すべき事は、「動詞の文法上の形態という活用から見て取れるtenseと実際に表している時間timeは必ずしも一致しない」ということです。

この部分の言われている意味がよく理解できません。仮定法のことを言われているのでしょうか。それとも、いわゆる丁寧表現での過去形をさしているのでしょうか。

実を言うと、この「時制の表現とその意味について」という記事は、本来のものの半分なのです。今晩中か明日中には後半部分を書きたいと思っています。出来ればそれに対もご回答をいただけたらありがたいと思います。

重ねてありがとうございました。

お礼日時:2007/06/18 21:10

ども、#7のkeroです。


あともう一点気になったところがあったのですが長くなりましたので分割投稿です。

>2.命令文も原形を使いますが、これも話者の意向を示しているからです。

というくだりはどうも完全には賛同しかねます。
というのも、動詞はtenseという側面の他に"法(mood)"もあります。
言語によって用語が違ったりしますが直説法、命令法、仮定法(条件法と言っても良いかも?)などです。
古英語にまで知識が及ぶわけではありませんが、比較的親しい兄弟言語とも言えるドイツ語では、口語では不定形(原形)で命令文の変わりのような使い方をすることもたまぁ~にありますが、普通はちゃんと別の独自の命令法での活用で親称2人称単数、親称2人称複数、敬称2人称と使い分けます。
イタリア語やスペイン語などでも大体同様です。
それに対して、現代英語では2人称がyouに集約されてしまったことや、動詞の活用がかなり簡素化されてしまったことなどからあくまで"結果として"原形と同じ形で命令文を表すようになっただけなような気がします。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>それに対して、現代英語では2人称がyouに集約されてしまったことや、動詞の活用がかなり簡素化されてしまったことなどからあくまで"結果として"原形と同じ形で命令文を表すようになっただけなような気がします。

確かに、命令は相手に対してするものなので、youが主語の文からyouが省略されたと見ることも出来ますね。でも、You are silent. は、 Be silent. で、Are silent. では無いわけですから、やはり時制表現がないというのが、少なくとも英語に関しては言えるのではと思います。

お礼日時:2007/06/19 10:27

>この考え方が正しいか、または、これと同じような考え方が、以前、誰かによって言われていたか、それを知りたいと思います。



素晴らしいお考えだと思います。正しいと思います。
「時制」の定義は「動詞の形」であり、またwill goなどという動詞の形はないですから、未来時制というものは存在しないのですね。
will goは未来時制ではない!何という卓見!

未来時制は存在しない。だから、未来のことを言うときは、(a)現在形のままで言う、(b)will、may、 be going toなど他の補足的語句の力を借りる、などするんですね。英語はずぼらな言語なんですね (そのすぼらさが英語の使いやすさをもたらしているのだとは思いますが)。

にも関わらず、英米の文法学者はなぜ、こぞって、「will go」を「未来時制だ」と言っているのでしょうか。その気持ちは分かりませんが、意外と「英語には未来時制がないということを認めたくない」あるいは「未来時制があることにしないと、欧州の他の言語と比べるときに、かっこうがつかない」というようなことかもしれませんね。私は文法学者でないので分かりませんが、文法学者の方にその辺りの事情をお教えいただけると有り難いです。

1~5についても、そのうちの多くは斬新なお考えと思います。

いずれにしても、仰せの内容は英語教育の中で明確に教えるべきだと思います。特に、「時制とは、現在形及び過去形を言います。未来形はありません。」は、教えるべきです。教えれば、「be going toは未来時制なの?」「未来のことを言うために現在時制を用いてもいいの?」など多く英語学習者が抱えている未来時制に関する混乱が一気に解消されると思います。ただ、英米の文法学者が「未来時制はある」と言い切っているので、それなりの配慮は必要とは思いますが。

これと同じような考え方が、以前、誰かによって言われていたかどうかは、浅学のため、分かりません。私自身は、少なくとも「時制とは、現在形及び過去形を言います。未来形はありません。」については見たことや聞いたことはありません。

感激しました。
有り難うございました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

なにか、非常によい評価を書いていただき、かえって恐縮します。

お礼日時:2007/06/19 10:41

Gです。

 こんにちは!! 直接回答させていただくのは久しぶりですね。 いつも参考にさせていただいています。

ご存知のように私は学校文法、社会文法、そして、自己文法と言う形で文法と言うものが私たちの周りに混乱しながら存在していますね。 そして、文法的に正しい、と言う表現に非常に違和感を感じるわけです。

決まりきった、(学校)文法書そのものの知識だけで、後付されたものだと言う事実にもかかわらず、表現を「きれいに」説明しているにもかかわらず、日本語の文章を英訳するととたんに社会文法の知識をまったく無視した、つまり、相手は理解してくれない自作英訳を作る事自体に学校文法の無意味さを感じてくれないのが私には分かりません。

時制についてですが、私はいつも時制とは現在と過去しかない、なぜなら事実冠を元にした動詞の使い方だからと思っています。

つまり、willは助動詞として未来のことを言っているのだよ、またほかの助動詞のいわゆる過去形を使っても今もっている現在のことを言っている、と私は考えるわけです。

と言いながら、私は事実、だからどうなんだ、過去と現在が時制なんだとしてもいいし、英語を社会文法の元に使えば、日本人が日本語を使うように、また、英語力のある人が英語を使うように、時制自体考えずに自分の持っているフィーリングを表現し、社会文法に基づいて相手の言いたいことを推測して極力その人のフィーリングに近いものを感じ取っている、と私は感じるわけです。

ですから、推測して極力その人のフィーリングに近い物を感じ取る、と言うことをするからこそ、ちょっとした社会文法の間違いや発音の違い、またさらに学校文法からみて間違っていても「通じる」わけですね。

>だからこそ、動詞の活用には現在形と過去形しかないのです。原形や現在分詞、過去分詞は、一種の形容詞化した動詞と意識するべきです。

と言う考えが自然に出てくるわけです。

しかし、ご存知のように、学校文法の問題がここまで公に「改良すべき」と考えるようになり、また、それによって、さらに新しい専門用語を作る人たちが出てきて、学校文法・塾文法・自称専門家文法に一貫性が乏しくなったことと事実ですね。

学校文法的に説明すると何か教養に基づいた説明のように錯覚してしまうのが初心者の多くだと言うことも大きな問題だと私は考えています。

動詞の時制に関連しているわけですが、動詞の種類の多いのは何を目的として作り出すのでしょうか。 使役動詞(ほんの数個しかない特別な使い方をする同士だと覚えれば言いだけのことでそれを使えるようになるにはわざわざ用語は必要ないわけです)、状態動詞、作動動詞(この二つがあるのは進行形と言う形でフィーリングを表すために区別方法のため?)、そして、現在・過去完了形はそれこそhave動詞の「使い方」であり形容詞的な分詞を持ってきているだけに過ぎないわけです。

確かに、用語があると説明はしやすくなりますね。 これはどの業界でもあるものです。 しかしその用語を覚えるのが英語力向上とまで錯覚を犯していることに違和感を感じないのはなぜでしょう。

これはすなわち今回のご質問が多くの英語力のある人たちの持つ三つの文法に直接認識を促すすばらしい質問だと思いました。

学校文法が出来てその状況にあわせた英訳が出来ない、と事実に対して違和感以上のものを感じているいわゆる「常連さん」たちはたくさん出てきていると思います。 時制と言う何かどでかいものを表現している単語のように思う人がいると思いますが、結局は初心者が英語になれるまでの三輪車みたいなものと私は見ています。

それよりも、人間の持つ細かいフィーリングを表現しようとする態や法の方がより意味があるのではないかと思います。

私の個人主張も交えて今回のご質問への回答を書いてみました。

すでに朝の3時半を回ってしまいましたので、この辺で終えておきますね。 有意義なご質問を立ててくださいありがとうございましたと言わせてください。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。本当にお久しぶりです。

>しかし、ご存知のように、学校文法の問題がここまで公に「改良すべき」と考えるようになり、また、それによって、さらに新しい専門用語を作る人たちが出てきて、学校文法・塾文法・自称専門家文法に一貫性が乏しくなったことと事実ですね。

はい、それは自分も感じています。それだけに、意味のある、はっきりその用語が有効であり役に立つのだということを意識して、使おうとしています。

>すでに朝の3時半を回ってしまいましたので、この辺で終えておきますね。 有意義なご質問を立ててくださいありがとうございましたと言わせてください。

ありがとうございます。

お礼日時:2007/06/19 19:58

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