外出自粛中でも楽しく過ごす!QAまとめ>>

1945年8月13日 大日本帝國軍の戦闘が終了
   同年8月15日 玉音放送 
   同年9月02日 ミズーリー号で降伏調印式 
   同年9月08日 講和条約調印 
1952年4月28日 講和条約発効(大日本帝国の戦争が終了)
1972年5月15日 沖縄本土復帰

↑で間違いありませんか?

だとすれば、
1952年まで戦争状態だったのであれば、「終戦記念日」は、講和条約発効日の4月28日に、しかも「独立記念日」あるいは「主権回復記念日」と呼ぶべきではないでしょうか。
外国には独立記念祭というのがよくありますが、日本にはなぜないのでしょうか。
日本はアメリカのポチのため実質独立していないからとも聞きましたが…。
しかし、1972年まで本土復帰されていない沖縄のことを考えれば、4月28日に独立記念日(主権回復記念日)を祝っていいのかとも思います。

少なくとも、8月15日を終戦記念日と呼ぶのは語弊があるのではないでしょうか。

以上、聞きたい事をまとめますと、

(1)8月15日を「終戦」記念日と呼ぶ事は変ではないでしょうか
(2)独立記念日(主権回復記念日)を設けないのはなぜでしょうか
(3)設けたとして、日付はいつが相応しいでしょうか

少しアンケートっぽくなってしまった気がしますが、できるだけ詳しい方々がおられるカテゴリーで聞いてみたくここに投稿させていただきました。
それぞれ、どう考えれば良いでしょうか。
他に何かあれば、よろしくお願いします。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (6件)

終戦記念日の呼び方うんぬんはNo5さんの通りだと思いますけど、私は「主権」が奪われたならば、「独立」も奪われたってことだと思います。


主権なき独立というのは考え難いと思いますから。
それに、植民地支配さえされていなければ独立国だったとは必ずしも言えないと思います。ただ専門家ではないので間違っているかもしれませんけど。

独立記念日などがないのはアメリカに占領されていたということが、日本人も日本の政治家も頭から抜けちゃっているからではないでしょうか。 
そもそも未だに、属国を目指す日本国憲法を日本人は大事にしているのだから、独立なんかしてやいません。にもかかわらず、独立記念日があればそれはそれでおかしいと思います。
つまり、独立記念日がないのは簡単です。独立していないからです。
あるいは、GHQの洗脳、戦後の歴史教育からの洗脳から、日本人が抜けていないからだと思います。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/06/20 23:11

 (1) 確かに、法的には1952年の4月28日が本当の「終戦」です。


 それまでは国際法的には「戦争」は継続状態だったからです。
 つまり、「戦後」というのも1952年からと考えるのが正確です。
 8月15日は、これ以上の犠牲は出せないから戦争はやめると、昭和天皇が国民に広く知らしめた日です。
 しかし、言ってみれば、それは戦争を終わらすとあくまで「日本」が決めた日でしかありません。
 もちろん、玉音放送は「終戦の詔勅」ですので、国内法的には有効ですし、陛下直々のお言葉とあっては、日本人としては無視はできない日です。
 しかし、終戦記念日と呼ぶと確かに全ての面で戦争が終わったと誤解されます。現にそう思っている人が大半です。
 ですので、少なくとも終戦という言葉を使わない呼び名か、使ったとしてもあくまでも国内的な意味だと言う認識が浸透していることが前提になると思います。
 
 (2) 日本は一応植民地支配されたわけでありません。
 したがって、「独立」を奪われたわけではありません。
 しかし、「主権」は奪われました。
 ですので、主権回復記念日はあっても良いはずです。
 実際に、「主権回複記念国民大会」と言うのが毎年開かれていますよ。一般人も参加できるのかは分かりませんが。

 (3) 講和条約が発効されたのが4月28日、つまり主権を回復したのが4月28日ですから、その日で良いと思います。
 ただ、確かに沖縄のことを考えれば、むやみに喜んでいいのかと思います。
 ですが、主権回復自体はあくまでその日ですし、沖縄本土復帰記念祭などを別に設けても良いかと思います。
 沖縄はアメリカに支配され、当時沖縄に行くにはパスポートが必要でしたから、日本とは言えない状態でした。
 記念日を設けないとしても、本土の人間は沖縄が72年まで本土復帰されなかったこと、復帰したのは5月15日ということを頭に入れとくべきだとは思います。

 ちなみに、日本国憲法は1946年に公布され翌年に施行されました。
 つまり日本国憲法は主権のない間に作られ発効したものです。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

なるほど。ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/06/20 23:09

「べき」というのは質問者の考えだから、それはここでは何も答えようがないでしょう。



現実は8/15は「終戦記念日」と慣習的に呼ばれていて、回答できることはそれだけです。

呼ぶべきだ・○○と呼ぶ事は変だというならそうかもしれませんが、ここは意見表明の場所でも討論の場所でもありません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そういったつもりはありませんでしたが、失礼しました。
以後気をつけます。

お礼日時:2007/06/20 23:07

(1)日本軍の主体的戦闘行為を終了したから終戦なんだと思います。


(2)占領は受け手も、植民地や併合されたので独立ということはないのでは。それにかわるもので建国記念日がありますね。
(3)相当昔の話なので日本が独立した日という日にふさわしい日はわからないということではないでしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/06/20 23:05

(1)国民が戦争の終わりを知った日ということで終戦記念日になったのではないでしょうか?


逆に8月13日が終戦記念日だった場合、当時生きていた人の身になって考えれば相当いやですよね・・自分が知った2日前が終戦な訳ですから。
(2)日本は植民地支配はされていません領土が少し減ったりはしましたが大袈裟に「独立」はないと思います。
(3)上記の通りいらないと思います
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/06/20 23:05

(1)8月15日を「終戦」記念日と呼ぶ事は変ではないでしょうか


8月15日 玉音放送のあった日が、
「日本人が戦争が終わったことを知らしめる日」になったからではないでしょうか。
 
(2)独立記念日(主権回復記念日)を設けないのはなぜでしょうか
もともと、日本はどこにも侵略を受けていないからで、GHQなども
日本を復興させるのが目的で進駐したと建前ではされているため
終戦後も主権を放棄したとはされていないためだとおもいます。
もちろん敗戦国ですので、GHQの管理下にあったことは確かですが。

(3)設けたとして、日付はいつが相応しいでしょうか
8月15日そのままでいいと思いますが。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/06/20 23:05

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q同窓会に全く参加しない人・・・っていますよね?

実は私もです。中学の話ですが。
理由は単純で、当時全くいい思い出がないから、むしろいやな思い出だらけです。
彼等の顔を見るのも嫌です。

先日、卒業後初めて同窓会の案内が届きましたが、欠席の返信もせず、無視しました。
同窓会名簿を作成したいとのことでしたが、もちろん無視です。

同窓会に限らず、成人式、当時の同級生の通夜・葬式等・・・一切参加していません。

ちょっとオーバーかもしれませんが、
私の人生は高校からスタートしたと思っています。

私と同じような人っていますか、理由もやはり似ていますか??

Aベストアンサー

こんばんは。

私も参加した事がありませんし
案内状がきた事が一度もありません。
参加したいとも思いません。

小学校、中学、高校すべてです。
ちなみに僕は、50歳代です。

会いたくない理由ですがご質問者様と同じです。

失礼しました。

Q敗戦の日を終戦記念日という理由は?

どう考えても敗戦記念日だと思うのですよ。国恥記念日でもいいですが。
終戦などという他人事のような呼びかたをするから独立国には防衛する
軍隊が必要であるという世界の常識が身につかないのだと思います。
なぜいつまでも終戦の日・終戦記念日などとよぶのでしょうか?

Aベストアンサー

 仰せのとおり歴史的事実を考えると正に敗戦ですね。終戦という語はその事実の隠蔽とも考えられてきますね。
 この言葉が最初に使われたのは、陛下の終戦の詔勅においてでしょう。
 当時、陛下も国民も決して敗戦という言葉を使いたくなかったのですね。
 そしてまだ戦えるという気持ちを持っている方もたくさん居られました。
 そういう中で、国と国民の疲弊を考え、敢えて戦争を終わらせるのだ。というご意図、お気持ちだったのでしょうね。
 今、落ち着いて事態を冷静に考えると、敗戦という事実をしっかり表したことばにするべきだと思われてきます。
 終戦にという敗戦。敗戦という終戦ですね。
 敗戦にしろ終戦にしろ、国民としてはこみ上げる万感の思いを一言では表せません。
 どちらの語にするか。
 今、長く使ってきた語をここで変更することに反対はないのですが、そこにいろんな意図が介在してきます。
 いろんな気持ちやこれからのことなどが。
 簡単に新しい用語に統一することは、今は控えたい。しかし敗戦である。
 そして陛下の意図からの終戦させたのである。その陛下のお気持ちを大事したいと存じます。

 仰せのとおり歴史的事実を考えると正に敗戦ですね。終戦という語はその事実の隠蔽とも考えられてきますね。
 この言葉が最初に使われたのは、陛下の終戦の詔勅においてでしょう。
 当時、陛下も国民も決して敗戦という言葉を使いたくなかったのですね。
 そしてまだ戦えるという気持ちを持っている方もたくさん居られました。
 そういう中で、国と国民の疲弊を考え、敢えて戦争を終わらせるのだ。というご意図、お気持ちだったのでしょうね。
 今、落ち着いて事態を冷静に考えると、敗戦という事実をしっか...続きを読む


人気Q&Aランキング