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米映画協会が歴代映画ベスト100のベスト1に「市民ケーン」を選んだと
いうニュースを見ました。
昨年もベスト1だったそうです。

昔、私も「市民ケーン」を見たことがあります。
全然面白くありません。

他の方の質問を見て、同じように感じている人がいることはわかりました。そしてその回答から、どうやら技法や脚本が当時としてはすごかったということがベスト1につながっているようだ、ということもわかりました。

でもわからないのは、映画だって技術も脚本も、何もかもドンドン進歩しています。
なんで、いまだに「市民ケーン」が1位なのでしょう?
もしかして、アメリカ人は「市民ケーン」を2位以下にしたくない社会的もしくは歴史的、民族的な理由でもあるのでしょうか?

A 回答 (4件)

時代と共に古くさくなる作品はたくさんありますが,そうでないものはやはり傑作・名作と呼べるのだと思います。

映画だけでなく,ベートーヴェンの音楽やミケランジェロの絵画など,21世紀の現代でも多くの人がその価値を認めていますよね。そういった観点で「市民ケーン」はやはり今見ても「すごい!」と言わざるを得ない傑作だと私は思います。

内容的にはハラハラ・ドキドキするものでも,手に汗握るものでも,ラストでたっぷり感動の涙を流すものでのありません。ですから,そういったものを重視する昨今のハリウッド映画を見慣れている方々は「どこがいいの?」と感じても仕方がないことだと思います。

「アメリカ人は『市民ケーン』を2位以下にしたくない社会的もしくは歴史的、民族的な理由でもあるのでしょうか?」とのご質問ですが,皮肉なことに当時のアメリカ人はこの作品を徹底的に無視しようとしたようです。No.1 の方も書いておられる通り,この作品は当時のマスコミ王ハーストのスキャンダルを暴くような内容だったため,彼がこの作品を評価しないように圧力を掛けたためのようです。(アカデミー賞に9部門もノミネートされながら受賞したのはわずか1部門のみ)

米映画協会が歴代映画ベスト100のベスト1に「市民ケーン」を選んだのも年月が経過した後のことでした。よい作品は時代が流れても評価され続けるのだと思います。

(以下は蛇足ですが,私個人がこの作品を高く評価している具体的な点です)

まず注目できるのは,主人公の死から始まるストーリー展開,ニュース・フィルムの形式をとるシークエンス,回想形式によるインタビュー形式など,当時としては非常に斬新な演出方法を用いて,徹底的なドキュメンタリー・タッチの作品に仕上げた点が上げられるでしょう。さらに撮影面でも数多くの技巧が凝らされています。例えば,(1)前景から後景まで全てにピントのあったシャープな画像で撮影するパン・フォーカスで前方と後方の人物の心情のずれを同時に映し出したり,室内の異様な圧迫感を出したりしている。(2)逆にシャロー・フォーカスを用いて宮殿の不気味な広さを表現している。(3)床に穴を開けてカメラを沈め,ロー・アングルで迫り来る天井をバックに威圧感を表現している。(4)狂言回し役の新聞記者を最初から最後まで逆光で撮影して表情を一度も見せず,無味乾燥さを表現している。といった点です。ほかにも凝った撮影技法は数え切れないくらい出てきます。また,登場人物も全て迫真の演技で,とりわけ晩年の主人公を演じるウェルズはとても26歳とは思えない熱演を披露していました。(カツラの貧弱さだけがちょっと残念)物語は主人公が死ぬ前に言い残した謎の言葉“バラのつぼみ”の謎を探るという展開となっていて,最後に明らかになるその答えはことのほか意外なものではありません。なので,その謎解きに重きを置いた批評などをよく目にしますが,そんな見方をすると肩すかしを食らうように思います。(事実,オーソン・ウェルズはこの主人公のモデルになった新聞王ハーストがこの言葉を映画とは全く異なった意味合いで用いていたことを承知で,ラストに使用しました)
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この回答へのお礼

色々な方のご意見、とても参考になりました。
お礼が遅くなってすみません。申し訳ないのですが、あまり余裕がないので、ひとつだけのお礼で失礼します。

お礼日時:2007/07/18 22:37

 父親の体罰から逃れさせるため、母親によって養子に出され、豊富な財産でもって若くして‘アメリカン・ドリーム’を得るものの、家族を事故で失うなど私生活の不遇の中で孤独の内に死んでしまうというメロドラマの典型として『市民ケーン』は一般的に理解されているようですが、それだけではアメリカ映画協会はこの作品をベスト1には選ばないでしょう。


 この作品はコメディー映画としても観られているようです。セリフにおけるギャグなどは日本人には理解し難いかもしれませんが、例えば、前半のケーンの人生を描いたニュース映画を観た記者たちが、これではダメだということで改めて取材を始めたわけですが、そのニュース映画もオーソン・ウェルズが撮ったわけですから自虐ギャグです。後半の結構長い下手なオペラのシーンも明らかに『市民ケーン』の観客に対する悪意が込められており、セリフを言っている人間の顔をしばしば影で真っ黒くしているのもウェルズの‘悪戯’と言っていいでしょう。何よりもこの作品のキーワードであり、主人公の昔の良き思い出を意味するはずの「ローズ・バッド」が実は、とある隠語であるというとんでもないオチが凄過ぎます。
 このように全ての娯楽映画に留まらず、その独特の映像表現が後のアートシアター系の映画にも影響を与えた、その‘総合力’がいまだに高く評価されていると思います。
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この作品の評価が高いのは、pokudaさんが書かれている通り”技法や脚本が当時としてはすごかった”ということになりますが、この”当時”が今の目から見てもやはり革新的で、昨今の技術の発達どころではなかったということだと思います。



映画の表現上の基本的なかたちはフランスのルノアールやアメリカのキャプラ、フォードらの手によって1930年代までにほぼ完成しました。
映画用語になりますけど、モンタージュとかフォトジェニーとか、脚本の時系列的な流れ、画面構成とかその他もろもろ、今日現在の映画と比べると、30年代の映画とほとんど変わりません。

その映画表現の基本形を「市民ケーン」が壊して新たな表現を示した、というところでしょうか?
通常の映画は時間の流れが現在進行形で、起・承・転・結といった形式になっていますが、「市民ケーン」は主人公が亡くなる場面から始まり、「ばらのつぼみ」なる言葉を残し、いったいそれが何を示すのか、そしてケーンとはどんな人物でどんな人生を歩んだ人間なのかということを探っていくという展開になります。
これは従来の劇作とはことなり、それぞれのエピソードが連なっているものの起承転結という形式とは異なっています。
ある評論では「ケーン」の脚本の展開を”エピソードの串刺し形式”と例えていましたが、この方法は「市民ケーン」が登場するまでは見られなかったものでした。
それに加え、パンフォーカスという撮影の技術的な手法で奥行きのある構図を巧みに用い、効果を上げています。(ただ「市民ケーン」のパンフォーカスは最近の研究で、一部のカットは合成だったことが判明したんですけど)
こういったことが映画史上のベスト1に選ばれる理由だと思うんですけど、キネマ旬報などの映画雑誌では「市民ケーン」は映画史上のベスト10には入るものの1位は違っています。やはりアメリカの映画協会の会員が選んでいる、というのも大きいんじゃないでしょうか。
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私も最高とは思わなかったですが、話のもっていき方(脚本というのか)が独創的だなと思いました。



AFIのランキングは専門家の意見の集約なので、映画好きに言わせるとすごい革命的な作品なんじゃないでしょうか。「2001年宇宙のたび」を私が全然いいと思わないのに高く評価する人が多いのと同じと思います。

またケーンのモデルになった人(ハースト)は、当時のアメリカを象徴する有名人なので、その人のスキャンダルを題材にしてるのもアメリカ人の支持を多く集める要因かもしれないですね。
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