邪馬台国はどこにあったのでしょうか?
明確に「ここ!」というものではなく、有力ないくつかの説だけしかないということは知っています。
今現在、その有力な説とはどこになるのでしょうか?
その根拠・理由等を踏まえた上で教えていただきたいのですが。
自分なりに調べたのですが、資料が古いせいもあり、どうも疑問が残ります。
よろしくお願いします。

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A 回答 (6件)

以前研究の現場に関わった物の立場から簡単にいわせて頂くと,邪馬台国は大陸より渡来した弥生人によって築かれたではないかと思われます。


そのため九州にその足跡を残し、次に何らかの理由で東遷し、幾内に落ち着き中央集権国家の礎を築いたと考えられます。
この説の根拠は九州と幾内に酷似した地名が同様の位置関係で残っている事、
大規模な環壕集落が両地から発見されている事などです。
お調べになっているので御存知かも知れませんが、魏志倭人伝の内容からは九州説が有力ですが、それを肯定しきれない資料が幾内よりでています。三角縁神獣鏡を卑弥呼の鏡とする説さえ傍製鏡だとか,別の種類だとかいわれるなど諸説様々です。もちろん東遷説を否定する方もいらっしゃいますが、私自身はかなり納得しております。
答えが出ないのが考古学ですが、私は私が納得できればそれが答えだと思っています。
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この回答へのお礼

経験者の方からのご意見、ありがたく思います。
そうですか、足跡があったからといってそこに構えていたわけではなく、それは本当に足跡であり、畿内へ移ったとも考えられるわけですね。
参考になりました。

考古学は限りない探求であり、探究の世界ですよね。
答えといってもそれが本当に正しいのかは結局、今となってはわからない。
それがおもしろいから続けたいと思うし、やはりそれにはまず自分の納得も必要ですよね。
でも、私は納得しないでずっと研究もしてみたいですけどね(笑)

お礼日時:2001/01/24 07:51

資料が古いと言うことですが、どの程度研究をなさったのでしょうか?


あなたの考察などを聞かせていただけるとどう答えるのがよいのか、読んでいる人も当てが着くと思います。
今のままでは、百花繚乱をまとめることすら難しいと思われるので…。

資料と言うことで興味深い論を読んだので紹介しますね。
魏志倭人伝は有名ですが、隋書たい国伝(「たい」が書けない)という中国の資料があります。この中に、魏志以降の日本についての記事があり、それが邪馬台国の場所探しの参考になると言うものです。
確かに、魏志は重要ですが、それ以外に日本との交流を書いた資料を細かく見てゆくことによって場所などを考えてゆくというのは大事ではないかと思います。
ある意味、魏志倭人伝の里程記述のみから場所を算定するなどということは、何か偏重していると言われても仕方がないかもしれません。
私はこの論を読むまで、邪馬台国につながりそうなそのころの日本についての文献が、魏志倭人伝にしかないものと思っていたくらいで、目から鱗でした。

残念ながら今手元にその本はないのですが、同時代の隣国の資料を当たることは重要だと思っています。
たとえば古田武彦の九州王朝の論理 と言うようなタイトルの本にも隋書たい国伝についての考察があったと記憶しています。ちなみにたしか去年の6月頃にでた本だったと思います。

参考まで。既知でしたら御免。
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この回答へのお礼

アドバイス、ありがとうございます。
確かに邪馬台国に関する資料というと魏志倭人伝しか思いつかないことが多いですよね。
参考になりました。


・補足というかなんというか。
説明文が少なく、ご迷惑を。
ちなみに私は大学生でして、考古を学ぶ上での延長線上で調べていたので、研究とまではいかないところがちょっと悲しいです(苦笑)
なので、大学図書館の参考文献・資料で調べた程度です。そこで貸し出し中だったもの以外で残っていたものが数年以上前に出されたものだけだったもので。そういう意味です。

一つ。質問に私の考察を書いてしまうと、それに対する意見を求めるような感じになってしまうので、そうならないためにあえて書きませんでした。
書いたことで回答者の方々の参考になるかもしれませんが、もしかしたらそのことでみなさんの考察が曲がってしまうかもしれないと思い、私は書かない方を選択しました。
それぞれの方の先入観(というかなんというか)のないご意見を求めていたもので。

お礼日時:2001/01/24 07:44

まったくの私個人の意見としては宮崎県の日向市だと思います。

以前は「ヒュウガ」ではなくて「ヒムカ」といっていたらしいし、(なんか怪しい響きじゃないですか)重要な天皇家に関する神社か何かがあったと思います。
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この回答へのお礼

「ヒムカ」ですか。確かに卑弥呼ににている感じだし、何やら因縁めいたものを感じますね。
新しい説って、案外そういうところから発展していくのかもしれませんね。
ありがとうございました。

お礼日時:2001/01/24 07:32

質問文を読んだだけでも、これはtakonaguriさんの方が正しいと思いますけどねえ……。


邪馬台国論争は相変わらず百家争鳴のようです。あまり詳しくないのできちんとした回答はできませんが、最近になっての吉野ヶ里遺跡の発見は、少なくとも佐賀県付近に強大な国家があったことを意味しますから、北九州説への有力な傍証とされているようです。むろん近畿説側も、「『魏志倭人伝』に述べられている経路にある国のひとつにすぎない」と、なかなか説得力のある反論を用意しているようですが。
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この回答へのお礼

きちんとした回答をありがとうございます。
何かこの頃、どちらかというと否定的な回答が返ってきたので、半ばあきらめていたのですが……。
やはり、北九州と近畿の2つですか。
この点に関しては、まだこれといって進展はないのでしょうか?
以前と違った説もあるのかと思いましたが、どうやらこの2つが最有力のまま維持しているようですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2001/01/23 03:46

人に聞いてばかりではいけません。


解のない問いは自ら答えを導くべし。
各説の地へ赴き裏付け調査を行いましょう。

この回答への補足

補足させていただきます。

>人に聞いてばかりではいけません。解のない問いは自ら答えを導くべし。
私は自分で調べた上で疑問が残るとしているのですが。
自分だけでは求めきれない答えもあります。
私は自分が調べた上では答えが求めきれなかったために、ここでみなさんの知恵を借りようかと質問をしたのですが。
疑問を疑問として受け取り、回答してはいただけないのでしょうか?

>各説の地へ赴き裏付け調査を行いましょう
今現在多少なりとも言われている説の地域全てですか? 裏付けも何も、私個人は何の権限も持ちえません。
現地での調査には、何より先にその方法がわかりませんし、その裏付けを取れるものが明確に残っていないがために〝仮説〟なのです。
現実的に、一個人で調査はできるものですか?
各研究機関へのアポ自体、ただの一般人がとれるものではないのですが。
――ということで、今現在調べうる最良の手段の一つとして、私は多々の方々が研究された上で導き出された仮説を図書館等で調べましたし、その調べる手段の一つとしてネット利用も考えたのです

補足日時:2001/01/22 20:20
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邪馬台国はどこにあったか?


ご存知邪馬台国論争。
結論から言うと、「決定的な根拠が無いので何とも断言できない」というところです。

この回答への補足

アドバイスありがとうございます。
しかし、断言ができないのでわからないと納得したくはないですし、そのために「現在有力な説」を求めているのですが。
この問題に対しては、おっしゃってるように決定的な証拠等などがないために裏付けをとるわけにもいかず、そのために仮説止まりになっています。
断言することは、まだ誰にもすることはできないのです。
それがわかっているからこそ、今私が求めたいのは仮説なのです。ただし、有力な仮説です。
そのためにそれにおける根拠等もお聞きしているのです。
よろしくお願いします。

補足日時:2001/01/22 20:38
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