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流れ星に願い事をするのはなぜか?
なぜ願い事をするようになったのかとか、流れ星の歴史とか、
そういったことをふまえて論じて貰えるとうれしいです。

どうして星に対して人はそういった思いを持つのか
また、そうして思うことはいったい何なのか知りたいです

質問が場違いなものであったら申し訳ないです
いろんな人の意見や考えが知りたいのです
よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

 


これについて、古典ギリシアや地中海世界の「星辰崇拝」などの考えから説明できるのではないかとも考えていたのですが、参考URLでは、「流星に願いをかける」というのは、アルタイ族の世界観から来ているものだとあり、次第に西欧、アジアに広まって行ったということから、ギリシアの宇宙観は、とりあえず関係ないことになります。

「流星」の現象というものは、確かに、古代の人には、説明のつかない不思議なことだったでしょう。空には、昼間は太陽があり、雲があり、夕焼けなどがあり、雨や雪が降ってきますし、風もあり、また虹などがあり、これらも不思議でしたが、夜の空も、不思議なものが多数ありました。

星とは何かというのが第一に疑問だったでしょう。天文の観察が進むと、すぐに、「惑星」というかなり明るい一連の星が、天の星の配置、星座のあいだで勝手な運動をしており、また明るさも変化するということに気づいたでしょう。そして、彗星や、ごく稀に起こる超新星の新しい星。

しかし、流星とは何かというのは、かなり頻繁に起こる現象故に、相当不思議なものがあったでしょう。バビロニアやギリシアなどでは、おそらく、天の星が、落下してきているのだと考えたはずです。

ただ、非常に明るい星が流星で落下して来ても、恒星天の星座配置で、欠落した星が出てこないということにも気づいていたはずです。恒星の数は無限なのか、というと、肉眼では、6000個ぐらいが見えるのですが、非常に目の良い人にはもっと見えますし、目の悪い人には、そんなに見えません。

「無限」というのは古代では避けられていたので、神的な数の星があると考えたのでしょう。アルタイ族の考えたように、天の隙間が開き、そこから漏れた光が流星に見えるので、この時、願いをかけると、天の神のもとに願いが届くというのは、古代的に合理性のある話です。

他方、星には神的ヌースが宿っているとしたアリストテレスなどの宇宙観からは、星が落ちてくるというのは、天上から、神的ヌースあるいはその使者が地上を訪ねてくるという意味になります。

星が流れる時、偉大な人が死ぬというのは、アルタイの考えだと、偉大な人の魂を迎えに、天の扉が少し開くのかも知れませんし、ギリシア的には、偉大な霊を迎えにヌースかその使者が地上を訪ねるということでしょう。

流星が見えているあいだは、神的ヌースは人の声を聞くことができるのかも知れませんし、流星が消えたのは、「不可視な状態に戻った」ことで、従って、流星が光っているあいだに、願いを唱えないと行けないということになるのかも知れません。

3度というのは、3は神秘数ですから(神秘数というと、実は、1,2,3,4,5,6,7,8……とみな神秘数ですが)、意味があるとも云え、また願いの強さや、それをヌースが聞き取るためには、三度来り返す必要があるのかも知れません。

願いが強いと、三度唱えることができるというのは、「精神の願い」によって、外的世界・宇宙が変化するかどうか、という問題です。近代以降の精神・物質二元論あるいは、皮相的とわたしは思う、物質一元論世界観では、成立しません。

しかし、呪術的原理とか、魔術的原理は、確かにこの全体的な宇宙のなかで、意味ある真実に基づいているのであり、確かに、多くの「迷信の類」はあるかも知れませんが、配置・布置(Constellation)の対応というのは、ありえるのです。

占いというのは、元々、この布置の対応原理に基づくものですし、それは、運命を読み取るというより、「布置の読み取り」で、読み取った布置のなかで、人間が望ましい方向へと、ことをもって行くには、どういう意志や希望や、行動が必要かを教えるものです。

流れ星との「出会い」というのが、これで布置なのです。そこで、三度願いを唱えるということができた場合、大きな布置が構成されたことになります。この布置のもとで、この布置の読み取りのもとで、願った当事者が、あるいは願われた者が、何かの意志や行動を発動するとき、それは願われた布置に沿って進む可能性が高いとも云えます。

古代の戦争のときの占いで、有利か不利かを占うというのは、その占う行為自体のなかに、戦況を有利な方向へともたらす布置構成の意味があるのです。

そんなことを云っていると、「イワシの頭も信心から」ということになるではないか、ということかも知れませんが、本当に信仰が深ければ、イワシの頭でも、奇蹟が起こるでしょう。曲芸人が、聖母マリアの祭日に、自分は何も捧げるものがないので、一晩中、聖母像の前で芸を披露して捧げていたところ、聖母マリアが現れて、この捧げものを受け取ったという話もあります。

流れ星と願いの話とずれていますが、明らかに、三つの願いを云うというのが、「呪術」思考であり、呪術行為です。近代・現代の合理主義的世界観からは、呪術の有効性は認められませんが、それは、いまの主流世界観が、偏っているので、世界には、「布置の対応」という原理もあるのだということです。

>Pamphlet of "Meteor", May Festival of Astronomy club, The ...
http://gfd00.ms.u-tokyo.ac.jp/tenmon/may/72pamph …
 

参考URL:http://gfd00.ms.u-tokyo.ac.jp/tenmon/may/72pamph …
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この回答へのお礼

ありがとうございました
じっくり文章を読んで自分なりに文章をしないしないとです^^;
星と古代において調べて自分を納得させたいと思います
とても参考になりましたし、最後の文章が興味深かったです
ありがとうございました!

お礼日時:2002/07/13 09:53

>すごく興味が沸きました


>もし参考図書でよいものがありましたら紹介していただけませんでしょうか??

 興味を持って頂いて、僕もうれしいです。参考書という事ですが、
まずは岩波文庫から出ているプラトンの『パイドロス』を読まれた
ら如何でしょうか。中古でしたら200円くらいからあると思います。

 そして、もし僕の言った事が本当だと思われたら、アリストテレス
の全集から『気象論』や『天体論』について読まれると良いと思います。
でもこちらは高いです。中古でも3万円は覚悟せねばならないでしょう。
 そして、更にそれも読まれたとすると、次は『ティマイオス』を
読まれるべきです。が、邦語ではなくなってしまいます。
 こんなところでどうでしょうか。もし、更にマイナーな書籍が知りたい
と仰るならば、更にある程度のリストをあげる事はできます。
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 天体と人との関わりは、カルキディウス以来ずっとありますが、簡単な


ところで、プラトンから説明いたしますと、彼は、そもそもこの世は地上
を中心にして、同心円状に四つの元素が取り巻いていたと考えていました。
 別な方への回答で書きましたが、地上に近いところから土・水・空気・火
という風になるのですが、ここまでの世界は生成と滅失を繰り返す物質的
な世界であって、僕ら人間の暮す世界として認識されていたようです。そし
て彼は地上から最も近い天体に月を考えていましたが、その月を境にして、
それら四元素の世界は月下界と呼ばれ、その上には第五元素アイテールに
満たされた神々の住まう世界があると考えられていました。これを天上界
と呼びます。

 そして、プラトンは生物を魂と肉体という二元的な見方で定義し、自ら
を動かす力として、霊魂を定義しますが、この霊魂は天上界のアイテール
に近い性質を持っていて、天上界から何らかの力によって、地上界へ落ち
てきてしまったものだと考えます。
 だから魂は、地上界にあっても滅失はせず、輪廻転生をして永遠に存在
すると考えるのですが、ところで、魂は天体の星と同数あって、それぞれ
の星に備わっているのと同じような性質を持つのだと考えます。
霊魂は、地上界でしばらく留まった後、死によって天に向かいますが、一
定の周期によって、再び地上の容器(肉体)へと落ちてくるのだそうです。
 その落ちてくる時に魂の運び手となるのが天の星々で、それ故、占星術
は重要な学問として発達しました。流れ星というのは、この運び手を言うのです。

 

 
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この回答へのお礼

大変詳しくご回答いただいて感謝です
すごく興味が沸きました
もし参考図書でよいものがありましたら紹介していただけませんでしょうか??

お礼日時:2002/07/11 22:34

これは、私の思うことです。

最初に断っておきます。

人は永遠なものに憧れます。
すぐに消えてしまう流れ星に永遠を見ているのではないでしょうか。

元旦の初日の出、七夕の天の川、仲秋の満月などにも願い事をしますね。
これらの行事も同じだと思います。

その日、その時は過ぎていっても、見たという事実は決して失われる事はない。
その出来事は、心の中でずっと残ります。

ここのログで、すごく参考になると思われるものがありましたので、参考URLにのせておきますね。
少しでも参考になれば幸いです。

参考URL:http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=305411
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この回答へのお礼

>元旦の初日の出、七夕の天の川、仲秋の満月などにも願い事をしますね。

確かにそうなんですよねー
流れ星に限ったことではないですよね
キーワードは「永遠」ですか
星や神秘的なものにあこがれるのは人であるからなんでしょうね

私は真相心理で考えてたこと、願っていたことがこうした、突発的でとても珍しい現象とともに自分の心の中から願いを口から発するというとこで形になるといいましょうか、自分で認識できるものになると思いました。
おそらく願い事をするということは、突発的に思いついたものではなくて、きっとそれまでずっと思いつづけてるものじゃないかなって思いました

こうしていろいろ考えることがとてもうれしいですし、興味深いです
興味深いご回答ありがとうございます!

お礼日時:2002/07/11 22:42

私が以前、テレビで聞いたことがある情報をお教えします。



一瞬で流れてしまう流れ星に願い事を3回すると
願いがかなうと言われるのは、その0コンマ何秒の間に
願い事が言えることによって、それだけその願いを
心底から思ってるからだそうです。
流れ星を見た瞬間にその言葉が出てくるほど、いつもそのことを
考えていて、願いが叶うための努力もちゃんとしている人こそが
本当に自分の目的を達成することができるということなんでしょうね。

結局は、単に言葉を唱えるだけで願いが何でも叶うという
甘いものではないということを暗に示してると私は思います。

でもなぜ流れ星に願いをするようになったかということになりますと・・・
私にはわからないですねぇ。
あなたが知りたい答えとかけ離れていたらごめんなさい。
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