川上弘美と江國香織が以前、ダヴィンチか、別の雑誌で対談していたのですが、その雑誌を探しています。情報をお寄せください。

A 回答 (2件)

ことばのあつかいかたについて 「文學界」58(3) 2004.3 p.254~269



ではないでしょうか。もっと最近ですか。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
お礼が非常に遅くなってすみません。
早速調べます。

お礼日時:2007/07/14 06:37

私は、新潮社 SHINCHO MOOK 江國香織バラエティー(平成14年発行)で読みました。

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この回答へのお礼

ありがとうございました。お礼が遅れてすみません。
早速読んでみます。

お礼日時:2007/07/14 06:35

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Q柿に寄せて三首、教えてください

 質問の1は、どれが一番ダメですか。質問の2は、なぜそれがダメですか、です。

 裏庭に柿を植えました。
 
(い)柿食えど 坊主休暇で 鐘鳴らず  

 大変まずいので

(ろ)食ったけど 鐘も鳴らない まずい柿

 ところが昨日、家に泥棒が入って、というか裏庭に、近所にシロアリの検査に来ていた白人女性が勝手に入り込んで、柿を23個黙って持って行ったのです。急に今年のが食ってみたくなり、試食したらその富有の甘いこと

(は)泥棒に 柿の甘さを 教えられ

Aベストアンサー

ダメだとかは、その句を詠んでそれぞれに感じることなのでいえません。
私が感じたことを言います。

まずこの3句ですが、季語もあり五・七・五にまとめられていますので、俳句と言ってもいいんですが、どちらかと言えば川柳ですかね。

(い)と(ろ)は、正岡子規「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の句が無ければ意味がわからなくなります。
その句だけで意味も完結した方がよろしいかと思います。
出展した正岡子規の句は、その情景が浮かぶところに良さを感じます。

(は)は、自分がまずいと思っていた柿であった。泥棒に盗まれて後悔している。など作者の心情がわかり良い川柳だとおもいますよ。

Q新しい春に寄せて

 (煩悩の数)
 除夜の鐘 僕の数では 寝られない

 (異常寒波)
 あたたかい 寝床の中で 初詣で

 (昔と今)
 初夢は 初めて会った 山の神

 (よその祭りは家内の担当)
 お雑煮は 我が手で作る 母の味

 (雨後の何とやら、画像添付)
 門松に 代わって出来た 赤キノコ

 (機器依存症)
 書き初めの カンジ忘れて カナで書く

 (上司の間違いは部下のもの)
 初オナラ 今のは僕が したことに

 さて質問(わすれちゃったな)です。いい句がありますか。

 明けましておめでとうございます。


 

Aベストアンサー

SPS700さん、あけましておめでとうございます。

 これは大傑作だと思います! 句会なら1票投じていますよ。

>初夢は 初めて会った 山の神

 共感できるなあ(笑)

 書初めに 七歩の道も 一歩から

 お粗末。

Q日本の有名な文学の雑誌

日本語を勉強中の中国人です。日本の有名な文学の雑誌(「文学誌」と言うでしょうか)はどんなものがあるでしょうか。いろいろな作家の文章が集まっているような内容のものです。

また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

純文学でしたら

「文學界」
「群像」
「すばる」
「新潮」
「文藝」

これが五大誌と呼ばれています。
これに掲載されたものから、多く芥川賞が選ばれています。

Q願わくば 花の下にて 春死なん その望月の如月の頃

西行法師の有名な歌ですが、この季節になると思い出します。

しかし、それと同時に疑問が湧きます。
「花」は、ほんとに桜なのか?
桜というのが定説のようですが、「旧暦2月15日に桜は咲くのか?梅ではないのか?」という疑問です。

桜が3月中に咲き、卒業の花、別れの花になったのは、ここ十数年くらい、21世紀になってからこと。
20世紀の日本では、桜は4月新学期の花。「桜咲いたら1年生~」でした。

旧暦2月15日は、今年2016年でいえば、3月23日。
暖冬の今年で、やっと開花したかしないか、です。
平安時代は3月下旬に桜が当たり前、ってほどに暖冬だったのか?

しかも、現代日本の開花宣言はソメイヨシノ、江戸時代の花。
西行の頃の桜は山桜。山桜は暖冬でも3月にはほとんど咲きません。
咲くとしたら、河津桜くらいです。平安時代の桜は、河津桜系だったのでしょうか?

西行法師は、願いとおり、如月の望月の頃に亡くなったそうですが、
その日桜は咲いたのか?  とても気になるのです。

彼の願いは、花咲く木の下で死ぬこと。
その花が梅ならば、西行の願いは叶い、満開の花の下、梅の香りに抱かれ、かすかな笑みを浮かべて永遠の旅路に旅立った。その上に、花びらがひらりひらりと舞い落ちる。

でも、もし、桜ならば、葉一枚花ひとつない寒々とした冬木立の下にひっそりと横たわり、その上を肌寒い風が吹き抜ける。ひゅ~るるるう~~

そう思うと、西行が可哀想で涙がでそうになります。
だから、ぜひとも、花は梅であって欲しいのです。

どうして桜が定説になったのか知りませんが、「花は桜木、男は武士よ」とか「朝日に匂うやまさくら花」とかの江戸時代の「花=桜=潔い男」のイメージに結び付けられてできた定説ではないかと、邪推してしまいます。
私は、「西行が潔かった」とも思いませんので、つい邪推してしまうのです。

如月望月の頃の花は、梅ではないんでしょうか?
梅だと思う方はいらっしゃいませんか?

西行法師の有名な歌ですが、この季節になると思い出します。

しかし、それと同時に疑問が湧きます。
「花」は、ほんとに桜なのか?
桜というのが定説のようですが、「旧暦2月15日に桜は咲くのか?梅ではないのか?」という疑問です。

桜が3月中に咲き、卒業の花、別れの花になったのは、ここ十数年くらい、21世紀になってからこと。
20世紀の日本では、桜は4月新学期の花。「桜咲いたら1年生~」でした。

旧暦2月15日は、今年2016年でいえば、3月23日。
暖冬の今年で、やっと開花したかしないか...続きを読む

Aベストアンサー

まあ私はろくな教育も受けてないのに、知ったかぶりで回答するのですが。

「望月の如月」とは、釈迦の入滅(にゅうめつ)の時を指している。西行はお坊さんだから、「お釈迦様と同じ時季に死にたい」と夢見た。
入滅のエピソードは有名で、釈迦は死期を悟り、沙羅双樹の木のたもとに横たわった。そのとき、沙羅双樹は急に季節外れの満開の花をつけ、花びらが釈迦に降り注いだという。釈迦の死とともに急に枯れた。
しかし、日本で沙羅双樹はそこらへんに生えているようなものではないので、西行は桜に代えたのだろう(彼の時代の桜は山桜)。西行は釈迦のように奇跡を起こせないから、たとえ願っても、季節外れの花は咲かない。その切なさ、叶わぬ夢が、この歌の妙趣である。
しかも、旧暦2月15日は今で言ったら3月下旬、山桜は(種類にもよるが)ギリギリで開花直前くらいと思う。その「ギリギリで叶わない」ところが、切なさを弥増(いやま)すのである。

そもそも西行は旅僧であって、「行き倒れ」の無惨な死も覚悟していたはずだ。だからこそ、その対極の美しい臨終を歌に描いた。釈迦と自分がかけ離れていることも、当然意識していた。
ところが、ご質問者は対極ではなく中間で合理化してしまうというか、梅の花と解釈すればいいとおっしゃる。残念ながら、それはこの歌の妙趣を台無しにしてしまう。

回答が長くなるが、付け加えると、季節が移り変わる最大の原因は太陽高度である。その太陽高度の精密な測定に基づくのが太陽暦で、現在の暦(グレゴリオ暦)もそれである。ちなみに、元号を日本独自の暦と威張ってる人もいると思うが、現在では年の数え方が西暦と異なるだけで、中身はグレゴリオ暦である。明治の初めにさっさと旧暦から西洋のまねに乗り換えたのだ。
旧暦とは太陰太陽暦で、純粋な太陰暦ではなく、季節のずれが積もり積もると「閏月(うるうづき)」というのを挿入して修正していた。1年が13カ月になるのだ。つまり、前述のように「旧暦2月15日は今で言ったら3月下旬」とは決まってなくて、年によって変動する。それはご質問者もご存知と見える。ということで、その不安定さも、この歌の切なさを弥増すものであったろう。今のように「3月下旬なら平均の暖かさはこれぐらい」とは言えなかった。
しかも、西行の時代の日本は、暦を作成する能力がまだ不足していた。太陰太陽暦は、月や星座や太陽の精密な観測に基づき、複雑な計算を経て作られる。それが日本でもできるようになったのは江戸時代だった(幕府に天文方という部署があった)。
それまでの日本は中国のまねをして暦を作っていた(百%パクリではなかったけど)。中国は始皇帝以来「皇帝は時を支配する」という伝統があって、天文観測や暦の確定に熱心だった。例えば渾天儀が有名である。というわけで、日本の暦はますます日本の実際の季節とずれていて、何年も先の何月何日の寒暖など予測するのは無理だった。それなのに歌に詠み込んだという切なさが……くどいからもう終わります。

まあ私はろくな教育も受けてないのに、知ったかぶりで回答するのですが。

「望月の如月」とは、釈迦の入滅(にゅうめつ)の時を指している。西行はお坊さんだから、「お釈迦様と同じ時季に死にたい」と夢見た。
入滅のエピソードは有名で、釈迦は死期を悟り、沙羅双樹の木のたもとに横たわった。そのとき、沙羅双樹は急に季節外れの満開の花をつけ、花びらが釈迦に降り注いだという。釈迦の死とともに急に枯れた。
しかし、日本で沙羅双樹はそこらへんに生えているようなものではないので、西行は桜に代えたのだ...続きを読む

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