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赤壁の戦いについて、また疑問が生じてしまいました。
再度すみません。

正史三国志では、連環の計は用いられていないということはわかったのですが、十八史略の中の「曹ノ軍方ニ戦艦ヲ連ネ、首尾相接ス」という文は、どういう意味になるのでしょうか。
学校では、「曹操の軍は戦艦を連ね、船首と船尾が互いにつながっています」と訳しました。
ホームページなどを調べていると、「密集している」としか書いていないところもありました。
もし連結しているのなら、これは「連環の計」ではないのでしょうか。
それと、船は縦横どちらにつながっているのでしょうか。
お願いします。

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A 回答 (3件)

「首尾相接ス」ということは、「船首と船尾が触れ合っている」ということですよね。

「つながっています」と訳すこともできますが、もうちょっと詳しく書くと、船が非常に密集していて船首と船尾がつながるほど接していた、という意味になります。鎖でつないだとか、そういう意味の記述ではありません。

また、「戦艦ヲ連ネ」という言葉が気になるかも知れませんが、これも戦艦が密集してずらりと並んでいることを表現したに過ぎません。
たとえば日本語で「軒(のき)を連ねる」という表現があります。これも江戸の長屋のようなものを指しているのではなく、「建物が密集してずらりと並んでいる」ことを表現したものです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
気になってしょうがなかったので、助かりました。

お礼日時:2007/07/06 20:10

すでに下の人がかなり詳しく回答していますが・・


えっと、これは「連ね」と「相接す」の解釈が問題ですね。

まず、「連ね」というのは、日本語表現にもあります。辞書だと「一列に並べ続ける」となっていますから、そういった状態です。例を挙げれば、列席(席を連ねる)などがあります。「席を密集させてずらりと並べている」状態(もしくは、~する、としてそういった会に参加すること)ですから別に席同士が鎖でつながっているわけではありませんね。
この場合は「連環」の連とするには無理があると思います。やはり単純に密集していると考えたほうがよいでしょう。

さて、次に、「首尾相接す」という表現ですが・・・
漢文というのは、紙が存在しなかった(もしくはものすごく高価だった)ころの名残で、文章を異常に省略するのです。つまり省けるところはとにかく省きます。
つまり、この文章の場合「首尾(が)相接する(ほど密集している)」ということになります。
漢文の基本ですが、漢文を読む際は読み仮名以外にもいろいろな部分を補ったほうが、意味が取れます。これは結局、省略できるところをとにかく省略する書き方が多いからです。

今回の文の場合、前の「曹ノ軍方ニ戦艦ヲ連ネ、首尾相接ス」は、少しずつ訳すと・・
まず、「曹ノ軍」は「曹操の軍」となります(すでに操の字が省略されていますね。史略をこの場面まで通読しているネイティブ相手には、書かなくても確実にわかるからです)。
次に「方ニ」これはどうも学校では省いちゃったらしいのですが、「四角に」といった感じです。方という一文字で、四角の意味があります。日本でも四角の少し残っていますね(正方形、長方形など)。この場合、「四角に」というよりは、四角のような感じで(つまり、縦横に広く)、といったような意味で取ったほうが自然でしょう。
「戦艦ヲ連ネ」これは、上でも言ったような感じです。
最後の「首尾相接ス」は上で解説しましたね。比喩的な表現です。

つまり「曹ノ軍方ニ戦艦ヲ連ネ、首尾相接ス」は「曹操の軍は四角(縦横に広く)のような形に戦艦を並べて、首尾が相接するほど密集している」という感じです。
つまり、船団が縦横に相当密集していたということですね。
丁寧に訳すとだいぶ文字数が増えますが、漢文というのはそれだけ省略に省略を重ねた文章である、ということがわかっていただけると思います。
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この回答へのお礼

やっぱり、外国の言葉を訳すのって難しいなあと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/07/06 20:12

>もし連結しているのなら、これは「連環の計」ではないのでしょうか。



仮に曹軍が実際に船を連結させていたとしても、
それが呉の計略によるものでなければ「連環の計」ではないでしょう。

縦横どちらにつないでいたか、は分かりません。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございました。

お礼日時:2007/07/06 20:08

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Q赤壁の戦い

赤壁の戦いについて教えてください。
わたしは「三国志」で、赤壁の戦いのことを読みました。
それで、赤壁の戦いとは、連環の計を使った戦いだと思っていました。
でも、この間、十八史略の赤壁の戦いを学校で習ったのですが、
どうも「三国志」の赤壁の戦いとは違うみたいです。
曹操軍の船が密集しているとはかいてありましたが、
連環の計のことは書いていませんでした。
三国志と十八史略では、どう違うのか教えてください。

Aベストアンサー

んー・・まず、三国志といっても、あなたが読んだのは「三国志演義」ですね。
これは、陳寿の三国志を基にした「お話(フィクション)」です。明初あたりに誰か(基本的には羅貫中といわれているのですが、いまひとつ明らかではないです)が、それまで1000年くらいの間、民間で講談もの(講談師がする話のこと。講談師は、面白い話をして金をもらう職業ですね。昔の紙芝居屋みたいな代物です。もっとも、紙芝居は持っていませんけど)として改変されたり、潤色されたりしていた三国志の話をまとめて、小説にしたものです。
つまり、かなりの創作が含まれているほか、意図的に筆を曲げた部分も多数あります。

赤壁における連環の計も、フィクションの部類に入るほか(ちなみに、もうひとつの連環の計である呂布のエピソードも、貂蝉が架空の人物です。ただ、こちらは史書にも似たような男女関係が示唆されています)、10万本の矢のエピソードは、諸葛亮の行ったものではなく孫権が行ったものです。これは、主役系(つまり劉備陣営)に入る諸葛亮のすごさを増すために、筆を曲げて孫権からエピソードを奪ったわけです。

ただ、経緯などは変わっていないため、赤壁の戦いなど、多くの戦いは実際にありました。ただし潤色が多く、赤壁は特に多いです。
実際の赤壁は、ほとんど孫呉(当時はまだ皇帝なのっていないので、厳密には建国していないわけですが、面倒なので呉とします)だけが戦っているものであり、諸葛亮はほとんどかかわってきません。
また、正確に言うと・・・陳寿の三国志は非常に簡素でして、赤壁も、数行程度の文章しかありません。で、この正史三国志に、注をつけたのが裴松之という人で、こちらはいろいろな文章を引っ張ってきて、それがどういうものだったかを説明しています。
ただし、裴松之というのはどうも好き嫌いが激しく、中にはかなりひどい書き方をしていることが、特に人物伝に多いです(陸遜などがそれにあたります)。
まあ、どちらにしても、十八史略のほうは、陳寿と裴松之という、両人物が作り上げた「正史」を基にしていますから、史実に忠実なわけです。
で、あなたが読んだ三国志演義は、あくまで面白いものを目指しているので、フィクションがたっぷり入っているわけです。
まあ、2つの違いは、歴史書か、歴史小説か、といった違いですね。
機会がありましたら、正史三国志(日本語訳が文庫であります)を読んでみていただければと思います。

参考URL:http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2006&d=1210&f=column_1210_005.shtml

んー・・まず、三国志といっても、あなたが読んだのは「三国志演義」ですね。
これは、陳寿の三国志を基にした「お話(フィクション)」です。明初あたりに誰か(基本的には羅貫中といわれているのですが、いまひとつ明らかではないです)が、それまで1000年くらいの間、民間で講談もの(講談師がする話のこと。講談師は、面白い話をして金をもらう職業ですね。昔の紙芝居屋みたいな代物です。もっとも、紙芝居は持っていませんけど)として改変されたり、潤色されたりしていた三国志の話をまとめて、小説にした...続きを読む


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