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問題3
衣服とテレビは資本と労働を生産要素として、固定投入係数を持つ生産技術から生産される。一単位あたりの必要投入量は以下の通りとする。
      
○衣服・・・資本は1、労働は4  
○テレビ・・・資本は5、労働は2

フランスには1000単位の労働と400単位の資本が存在している。
            
衣服の相対需要は

   2
x=―で与えられる。
   q
ただし、qは衣服の相対価格である。
1)フランスの衣服の相対供給曲線と相対需要曲線を求めなさい。
2)ドイツの衣服の相対供給曲線と相対需要曲線を求めなさい
3)世界全体の衣服の相対供給曲線と相対需要曲線を描き、
 国際均衡価格を求めなさい。
4)フランスの資本量は500単位に拡大した。生産可能フロンティアはどのように変化するか。このとき、国際均衡価格はどのように変化するか。
 
という問題です。自分でわかるところは省きました。
分かるところだけ結構ですので教えてください。よろしくお願いします。

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A 回答 (1件)

どう考えてもドイツの情報がないと解けないと思うんですが?

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Q欧米の教科書に解答が無い理由

最近、経済学を独学している者なのですが、
欧米の教科書(クルーグマン、スティグリッツなど)を読んでおりますと、
章末問題は豊富なのに、模範解答が付いておりません。
これらの教科書は大学の学部生の授業で使えることを念頭に置かれているとは聞きますが、
その内容は、独習者向けを目指しているかのように、執拗なまでにきちんとクドクド解説してくれており、
その事と解答が無い事とが不釣り合いに感じ、奇妙に思えてなりません。
日本では付いていないと大変な欠点であると評価されると思いますが、
欧米の教科書では、付いていないのが普通なのでしょうか?

Aベストアンサー

 早々の折り返しありがとうございます。
スティグリッツの系譜を辿ってみましょう、彼が影響を受けた人物にどの様な経済学や社会科学の先達がいますか?
 カール・ポランニーもいればJ.K.ガルブレイスもいます。彼らの著作に「一つの模範解答的な結論」が示されていますか?
 大学のテクストは参考文献の一つです。中学までの「教科書」とは性格も異なります。高校までのそれには「解答に至る幾つかの方法」が提示されていますが、中学までは「答を出すこと」に重心があり、高校ではそこに付加価値的に「僅かながらの」検証方法が添えられる形です。その先にあるのが大学教育です。一つの問題に関しても様々なアプローチ方法があることから、教員の講義も始まります。
 
 >多くの問題、少なくとも半分以上は答えが一つに決まるものですし、
初学者向けの教科書(当然クルーグマンの教科書以外もです)に書かれている内容はどれも殆どの学者に異論のないものだと思います。(そうでなければ、それは教科書ではありません)
 ここに「ボタンの掛け違い」があります。Aという理論体系から観た答が、逆のBという理論体系から観たなら、必ずしも「正解」とはならない。この「正しい」という曖昧な用語こそが混乱の原因にあり、混乱を発生させてもいます。いささか乱暴な説明ですが、「正しい」と主張する相手に「なぜあなたはその様に考えるのですか?」と問うことは自然です。むしろそれがなければ理論ではなく信仰とも呼ぶべき性質の言辞でしかありません。
 理論には、論拠と論理そして異論に対する十分な反証が必ず求められます。そうでなければただの独断でしかない。

>また、それら問題には必ず教科書の内容を踏まえた一つの「正答」を設定しているように思います。
TANUHACHIさんは大学の教科書としての用途を念頭に考えていらっしゃると思いますが、
恐らく授業で使用したとしたら、先生が一つの、おそらく唯一の答えを発表する筈です。
そうなりますと、独習者にわざわざイヤガラセをしているように感じられるのです。
大学教育の目的は「考え方を学べ」とのことであって、「答を出せ」ではありません。ある学生が「私はこの史料をこの様に読んだから、この様な結論を導き出した」とゼミで発表すれば、その検証過程と答の間に齟齬はないかに始まり、そう読んだ根拠も同時に問われます。「では別の読み方がありうるか」と確かめた上でなければ、その立論の根拠を支える「正当性」に疑問符が付くからです。もちろん「一つのモデル」はありますが、あくまでも「一つの基準」もしくは「理解の仕方」に基づく結果であって、それが即正しいとの結論にははなりません。

>初学者向けの(特に理論分野の)教科書の章末問題に正答が無いのが普通だとしたら、それは教科書の内容を踏まえた上で各読者のうちに共通理解がまったく生まれないということになり、それじゃあ学問が成立しないのではないか、と思います。
また、説明が十分だから解答は不要、という事ならば、わざわざ章末問題に紙面を割く価値があるのか疑問なのです。
学問は一つの理論体系のみで成り立つものではありません。それは学問の歴史を振り返ってみればお分かりになることと存じます。
 経済学ならばアダム・スミスに始まりその後様々な見解が提起されてきています。一方にはマルクス経済学もあれば一方には近代経済学もあります。新古典派もあれば経済学とは言えないレベルのマネタリズムまであります。けれど共通する点は唯一つ「人間と社会の関係をどうとらえるか」との根源的な問題です。
 また欧米の教育スタイルと日本の教育方法では、前者が「テクストで何を学ぶか」と後者が「テクストを学ぶ」との根本的な違いもあります。ですから欧米では「ディスカッション」が中心であり、日本では「講義」が中心となってしまいます。この部分は彼我の文化土壌の違いとも申すべき部分で、僕ら教員側も苦慮しています。学生に積極的な参加を求めても中々、土俵に上がってこないのでは徒労感しか残りませんから。
 理論経済学ならば先人の研究をどう評価するかとの問題につながりますから、そう易々と模範解答などを着けることも適わない話です。
 何か「学習参考書」や「問題集」と「テクスト」を勘違いされているかの様な印象が多分にあります。

 早々の折り返しありがとうございます。
スティグリッツの系譜を辿ってみましょう、彼が影響を受けた人物にどの様な経済学や社会科学の先達がいますか?
 カール・ポランニーもいればJ.K.ガルブレイスもいます。彼らの著作に「一つの模範解答的な結論」が示されていますか?
 大学のテクストは参考文献の一つです。中学までの「教科書」とは性格も異なります。高校までのそれには「解答に至る幾つかの方法」が提示されていますが、中学までは「答を出すこと」に重心があり、高校ではそこに付加価値的に「僅か...続きを読む


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