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・古代キリスト教のユダヤ教化と脱ユダヤ教化について
ヘレニストとの戦いの中でどう脱したのかなどの点から教えてください!!

・また、ヘレニズム的世界宗教としてのキリスト教を構成する三要素
1首都?使徒?的伝統
2パウロ的要素
3ヘレニズム的宗教思想
についても詳しく教えていただきたいのですが、
どちらへの解答でも構いませんので、教えていただけますか???
お願いします!!

A 回答 (1件)

 


こういう質問の答えは、専門家でないと分からないように思いますし,専門家は、何の専門家か、どういう立場かで違った答えが出てくると思います。

>・古代キリスト教のユダヤ教化と脱ユダヤ教化について

キリスト教は、通説では、ユダヤ教の異端的分派(ナザレ派)から展開されたものとされます。従って、「ユダヤ教化」というのは、この考えでは意味がありません。元々ユダヤ教の一派だったというのが、通説だからです。

しかし、違う見方もある訳で、キリスト教は、典型的な「シンクレティズム宗教」ですから、当時の地中海、特に、東部の小アジア地域にあった、太母信仰的宗教が、ユダヤ教化したか、その影響を受けてできたのが、初期キリスト教だという見解も、一面的には言えます。

エルサレムを中心としていたナザレ派と、このナザレ派の教えを東地中海世界に布教したパウロの影響で、小アジアなどの地元の新宗教が、ナザレ派の影響を受けて、ユダヤ教化し、初期キリスト教になったとすると、「ユダヤ教化」というのも考えられます。

しかし、元々はやはり、ユダヤ教分派のナザレ派の教えから、それがシンクレティズムを起こして、地中海世界の世界宗教であるキリスト教になったというのが自然でしょう。

原始キリスト教は、すでにユダヤ教とは、一線を画していたというのが、パウロの伝道段階での事情だと思います。エルサレムのヘブライ派ナザレ派は、自分たちはユダヤ教の一派だと思っていたかも知れませんが、パウロスの伝道は、「新しい宗教」の福音で、ユダヤ教の分派宗教ではありません。

パウロも,初期の頃は、ユダヤ教のシナゴーグで教えを説いていましたし、キリスト教徒がユダヤ教の施設を利用するなどは、初期にはありましたが、次第に、ユダヤ教と関係のない信徒が出てきます。もちろん、文化背景が関係ないので、キリスト教の教義そのものは、ユダヤ教の神話の枠組みをまとっていますから、ユダヤ教と関連ある宗教だったことは間違いありません。

「脱ユダヤ教」は、パウロの晩年の頃には、すでにそうなっていたはずです。原始キリスト教史では、ナザレ派のなかの二つの分派、エルサレムを中心とし、キリストの弟子を自認する「十二使徒」が指導する、ヘブライ派と、パウロスが非ユダヤ人に伝道した結果生まれた、ヘレニク派です。

ヘレニク派はパウロが指導者で、パウロは、「使徒」の権威を生前主張していましたが、ヘブライ派は、これを認めません。しかし、結局、原始キリスト教は、パウロスを「使徒」と認めます。それも、具体的にもっとも活躍した、キリスト教の根幹を築いた使徒がパウロスです。

パウロスが使徒であるということが自明になったのは、原始キリスト教は、ヘブライ派の教えの系列にあるということで、エルサレム破壊事件の後、ヘブライ派や十二使徒は歴史から姿を消します。

従って、脱ユダヤ教化、ヘレニズム化は、非常に初期の頃、パウロスの伝道において、すでに成立していたと言えます。ヘブライ派とヘレニク派の分派がそれを示しているとも言えます。

「三位一体教義」は、ヘレニズム的な考えです。他方、超越唯一人格神の教義は、ユダヤ教から来ています。キリスト教はある意味、「神であるローマ皇帝」を拝まないので、迫害されたとも言えます。

迫害されても、唯一絶対神の教義、神ヤハウェ以外のものを神として認めてはならないという教えは、原始キリスト教にとって、根本的なものだったのです。また、開始があって終末があるという、直線的時間・直線的歴史観はキリスト教やユダヤ教に共通するもので、ヘレニズムの時間論は、循環的回帰的時間です。

最初に言ったように、ヘレニズムの東地中海の信仰宗教が、ユダヤ教の要素を受けれ入れて原始キリスト教になったとも、ヘブライ派のユダヤ教異端が、ヘレニズム化して原始キリスト教になったとも言え、ヘブライズムとヘレニズムと、両方の要素を、根本の教えで維持しているのがキリスト教です。

>1首都?使徒?的伝統

「首都的伝統」はよく分からないので、「使徒的伝統」なら、パウロスを最大の使徒として、パウロスの教えから、キリスト教が展開しているという伝統と、もう一つ、西方キリスト教のローマ司教は、十二使徒の頭である、ペテロが、ローマで殉教したこと、ローマの初代司教はペテロであるということより、「ペテロの首座権」というものを主張したこと。つまり、東方教会、当時、威勢を誇ったビザンティン帝国の首都コンスタンティノープルの首都座大司教と争ったという経緯があります。

あるいは、それよりも、「使徒信経」に記されている、「われは、聖霊、聖なる公教会、諸聖人の通功……を信じる」という、「公教会・諸聖人の通功」に使徒的要素を認めているのかも知れませんし、もっと確かなのは、「使徒継承の教会」の自称でしょう。

キリスト→十二使徒(ペテロ)→パウロス→教会指導者・司教

という形で、キリストの直接の教えを継承している教会、そのような伝統に立った、「正統教会」というのが、この「使徒的伝統」の意味でしょう。使徒の後継者司教が信徒を正しい教えに導き、司牧している(と称する)伝統でしょう。

>2パウロ的要素

キリスト教の基本教義の半分は、パウロスが作ったものです。というか、彼の信仰や確信を継承しています。例えば、「死者の復活」というのは、パウロスの教えに沿ったものですが、ただ、パウロスは、精神的な意味で使っていた可能性があります。

パウロス的要素は、イエズスは「赦しの教え」を説いたのですが、パウロスは「愛(アガペー)」の教えを説いたとも言えます。また、福音書におけるイエズスの言葉の矛盾、特に、「律法」をめぐって、律法を廃止しに来たといったのか、律法を成就しに来たと言ったのかという問題があります。

歴史的イエズスは、律法は捨てるべきだと主張したように思えます。パウロスは「律法主義」で、彼の考えが原始キリスト教の律法主義を支え、福音書に改竄を行わせた可能性があります。

パウロスは非常にヘレニズム的な人だったのですが、本来ユダヤ人です。そのため、イエズスは「赦しと平等」を説いたが、パウロスは、例えばユダヤ教的伝統に従い、男女差別を主張しました。

律法主義、男女の差別、愛の強調などは、パウロの影響だと言えます。

>3ヘレニズム的宗教思想

これは、「三位一体」が、ヘレニズム的要素です。セム族の考えでは、唯一神に息子がいるというのは、多神教のなかではそうですが、宗教が高次宗教になる時、否定されます。イスラム教がその典型だと言えます。

神、キリスト、処女聖母マリアという組み合わせは、地中海の太母神信仰において、基本的構造で、死して後蘇る神という思想も、地中海宗教の特徴です。例えば、エジプトのイシスとオシリスが、そうですし、ギリシアや小アジアの太母神宗教は、死して後、復活する息子という考えが基本的にありました。

マリアを排除して、父と子キリストと聖霊の三位一体にしたのは、パウロスの男女の差別の思想というか、ユダヤ教の影響がキリスト教にあるからです。

マリアが母であって処女であるというのも、ヘレニズム時代に流布した、太母神宗教では、母と娘が同一視されることから、そういうことが言えるのです。

キリスト教にも、救済されるかされないか、という点の「選民的な」要素が少しあり、これはユダヤ教から来たものですが、「すべての民族に開かれた救済の教え」というのは、ヘレニズム宗教の特徴です。ミトラ教も、ゾロアスター教も、そういう主張はありました。

もっとも重要なことは、キリスト教は、シンクレティズム宗教だということです。これがヘレニズムの影響というか、そもそもヘレニズム世界で成立したのが、キリスト教なのです。
 
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