出産前後の痔にはご注意!

戦後の日本は、奇跡とも呼ばれる超高度発展を遂げたと言われますが、
なぜ日本だけがこうした成長を可能にしたのでしょうか?
また、自動車産業やカメラなど日本が世界のトップシェアを誇る分野は多くありますが
成長当時の日本が世界に台頭してきたとき、世界の反応はどんなものだったのでしょうか?
分かりやすくまとめてある本やサイトがなかなか見つからないので
お勧めの文献などあればそちらも教えて頂きたいです。
分かりにくい文章で恐縮ですが、宜しくお願いします。

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A 回答 (6件)

素人ですので、常識的な回答を。


1.朝鮮戦争の影響。敗戦で産業が壊滅状態になった日本が急速に回復した第一の理由は朝鮮戦争に伴う、特需。後方補給基地として、アメリカが安心して食料や雑貨、資材の調達、船舶・車両等の修理、などができる国は、当時近隣で日本しかなかった。中国は東側、台湾は政権が成立したばかりで産業基盤がない、朝鮮は戦争当事国。となると、日本しか無い。
2.安保条約による軽武装・産業優先政策。
東西冷戦の中で、日本がアメリカの傘の下、軍事費に予算を使わずに産業育成に資金を使うことが出来た。極東アジアは当時東側の影響が強く、日本はその防波堤の役割を担うため、アメリカが軍事的に保護政策をとった。そのため、日本自身で軍事費を負担することが最低限で済んだ。そのため、産業育成に湯水のごとく資金を注ぎ込むことが可能だった。
3.政府による産業育成、保護政策
「日本は唯一成功した社会主義国」と揶揄されるほど、大蔵・通産等の業界保護政策、金融保護政策は徹底していた。有名な「護送船団方式」、外貨割り当ての政策利用。また、1ドル=360円体制を死守するなど、輸出産業育成を政策課題としたこと。

もちろん、国の基盤として、義務教育が浸透し、良質で均質な労働者が多数存在したこと、そもそも戦前からそれなりの産業基盤があったこと、などがこれらの背景にはあるでしょう。

外国の反応ですが、60年代 made in Japan と言えば、「値段は安いけど粗悪品」の代名詞でした。少し前の、中国製品に対する私たちの反応を思い出してくれれば良いと思います。あれと同じです。また、「猿まねジャップ」ということも60年代から70年代前半には良く聞きました。これは製品だけではなく、テレビ番組や文化そのものへの批判です。

今、ネット右翼などという人達(たぶん若者)が、よく韓国に対して同じような発言をしています。当時を知っている我々からすると、「かつては日本も同じように欧米から言われてたんだけどな」と思い、痛々しく感じます。(だから、私は絶対にそういうことは言いません。それは国が発展するときに一度は通る道だと思いますので)

日本製品の評価が目に見えて「良くなってきたな」と、庶民レベルでも実感するようになったのは、70年代後半からですね。電化製品・車などドイツ製品と日本製品が、同じテーブルで比較の対象になるようになってきました。
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戦後急速に経済発展出来た原因に朝鮮戦争があり、日本が後方支援の役目を負わされたことは確かでしょう。

この戦争が日本の工業の再建に役だたのは確かでしょう。その他にあまり語られていないことに石炭から石油の燃料転換が政府主導で強行転換が出来たことで日本の産業が急速に発展出来たことがあります。敗戦後政府主導で石炭産業が急速に復興して幅員兵を雇い入れ石炭産業が日本全国で巨大産業にのし上がり、昭和30年代初期までは大学新卒の主要就職先になっていました。
しかし燃料を石炭から石油に転換した方が燃費がすぐれていることは明らかであり、産業界全体が石炭より石油に転換したいとの要求があって
もここまで大きく成長した石炭産業をいかに静かに引退させるかが当時の政権与党の自民党の役目であった。当時の自民党の支持母体は農協であり、石炭産業を支えていた炭労が社会党を支持していたので自民党は炭労(社会党)がいかに反対しようが石炭産業を終結させる政策を淡々と進めることが出来たが、農協の要求する米価値上げだけは毎年経済成長に見合う分だけ値上げしたのが今の米価で他国の約10倍の価格になっています。もし炭労が自民党支持で石炭産業維持したまま石油転換していたなら石炭産業に補助金をだして、今問題になっている夕張市のようなことにはなっていないだろう。このように石炭から石油への燃料を
転換を石炭産業の犠牲のもとに日本産業は発展しましたが、戦前は工作機械や主要な機械は主に外国製であたが戦後外貨も無く輸入できない時代が長くつずいたため外国製の機械をスケッチして外観だけは同じ機械を作って売っていた時代がありました、物まねをしていた当初は性能は外国製と同等の性能が出ないものを作りつずけると性能も向上して後には真似をした外国せいより性能のよい物ができることもあります。終戦当時工作機械で性能のよい物は輸入品と決まっていましたが現在の世界の工作機械は日本製が圧倒しているようです。ある所で聞いた話しですが工作機械で性能の良い機械は職人の腕による部分がかなり多いようです例えば平面を機械で削りだしても完全な平面は出来ないので最後には職人の腕で修正しなければならないように精密機械になればなるほど良い職人が必要となるようです。何故これほど日本製の工業製品が世界で受け入れられるのでしょうか、これは日本人の民族性にあるのではないかと思っています。日本の社会は職人を大切にする社会です、どの職種でも直ぐに名人を見つけ出して尊敬する風潮があります。外国のことは知りませんが日本のこの風潮は無くしてはならない伝統です。日本の自動車がアメリカに進出して行った時には一部のアメリカ人の反発をかって日本製の車を叩き潰すパーホーマンスをしていた映像がテレビで流れていた時もあり、かなり反発されていたときもありました。カメラは戦前はドイツ製のライカが有名でしたが戦後はニコンやコニカ、ミノルタ等は戦時中軍需産業をになっていて望遠鏡などを作っていた企業が職人が戦時中に育ってきていたのではないだろうか。
ドイツで日本のカメラがどの様に扱われたかは聞いたことがありません。
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この回答へのお礼

多くのご意見大変参考になりました。
どうもありがとうございました。
ここでまとめてのお礼とさせて頂きます。

お礼日時:2007/07/11 22:00

元々、日本には反逆心が強かった事。



ttp://www.nagano-c.ed.jp/ueda-hs/kouka.htm


圧倒的な天下の徳川に挑み、家康生涯にただ二回の内の一回の馬印を蹴倒した真田の地の校歌です。
祭りも徳川に反逆し続けた真田を称える祭りです。

恐らく似た感じの中央への反逆を謳うモノが地方にはあると思います。
探せばたくさんあると思います。
どっかの学校みたいに中央の人間の像を置くというふざけた文化はありません。
しかも、その像に対して頭を下げるという愚行もしません。

こうした文化を幼き頃から教育された賜物ですね。
後、日本政府が積極的にどっかの国みたいに中央政府のお偉い方を称えさせたわけではないですしね。
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過去にこんな質問がありました。

参考まで…

「日本が先進国へと発展した理由」
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1227443.html
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 ●政府の干渉が少なく、「官に逆らった経営者たち」がいた●


 第2次大戦後の日本、フランス、ドイツ、イギリスと比べると、日本では政府の干渉が少なく、「官に逆らった経営者たち」がいたことが要因だったと考えます。
 ●フランスはモネ・プランと呼ばれる、混合経済(半分社会主義経済)で、保守党と社会党の勢力が均衡していた。企業の国有化が進み、1983年、フランス企業の売り上げ上位20社の内13社が国有企業であった。
 ●ドイツではエアハルトの「社会的市場経済体制」と呼ばれる、これまた「半分社会主義経済体制」をとってきた。戦後のフォルクスワーゲンは株式の20%を連邦政府が、20%を州政府が所有していた。戦後経済の先頭に立つ、石炭、鉄鉱は、ジャン・モネの考えとシューマン・プランによる、フランス、ドイツを中心にイタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルグの6ヶ国が参加する、石炭・鉄鋼の共同管理体制として「欧州石炭鉄鋼共同体」(ECSC)が機能していた。そしてその資金はアメリカのマーシャル・プランに頼っていた。「非社会主義経済体制」と言っても石炭・鉄鋼はアメリカとヨーロッパ諸国との共同事業であった。
 ●ギリスは「ゆりかごから墓場まで」のスローガンであるベヴァリッジ・プラン(Beveridge Plan)を労働党が進めていた。ソ連とは違う社会主義経済を進めていた。鉄鋼産業は労働党と保守党との間で、国有化ー民営化ー国有化ー民営化ともてあそばれた。
 ●日本には、「官に逆らった経営者たち」がいた。
政府の干渉が少なく、「官に逆らった経営者たち」がいたことが要因だったと考えます。
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下村治が天才だったから


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E6%9D%91% …
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Q日本が先進国へと発展した理由

現在日本は先進国として認められていますが、どのようなきっかけで先進国へと発展していったのでしょうか?
背景にある事柄や時期などについて返答お願いいたします。

Aベストアンサー

 戦後復興のきっかけはやはり「朝鮮戦争」であり、北朝鮮が韓国の併合を目指した戦争で、日本は米国の軍事基地となり輸出により朝鮮景気と呼ばれる好景気になりました。その後、万博、東京オリンピックを契機に高度成長を継続させ、経済大国と呼ばれるまでになります。
戦後、発展途上国と言われる国家群をテイクオフさせようとして、やや成功したかもと思われるのは極東諸国のみという現状を考えても、単純な問題ではありません。奇跡と呼ばれる、明治維新、戦後復興の原因を少数のイベントに特定することはできないでしょう。
 歴史的に見るなら、日本の歴史は平安頃までの古代王朝、鎌倉幕府からの封建制、江戸時代の専制君主制、明治維新以後の絶対君主制、戦後の民主制とヨーロッパに似た推移をしています(もちろん、かなり異なる部分がありますが)。ヨーロッパに似た、より発展した社会を目指すような風土、変革を受け入れる国民性があったのではないでしょうか。

Q戦後、日本が奇跡的経済復興を成し遂げた理由。

戦後、日本が奇跡的経済復興を成し遂げた理由。

敗戦後30年程度で、新幹線を走らせ、
アメリカという他民族国家を除けば、単一民族国家として世界第一の経済大国になった日本。

その原因はなんでしょうか。
あなたのご意見をお聞かせください。

Aベストアンサー

余談ですが, 確かに大和級は 3艦しか作ってないものの, さらに大口径の主砲を持つ伊勢級 2艦 (伊勢, 尾張) の設計ははじまってましたね.
新幹線については戦前の弾丸列車計画が大きいでしょうねぇ.

Q日本が第二次世界大戦後、高度成長を遂げた理由について

 こんにちは。
妹に、試験でこのような問題が出たと言われ、私はうまく答えられなかったので、回答ください(>_<)

 『第二次大戦後、日本が高度成長を遂げたのはなぜか?』というような問題です。

 皆様の回答お待ちしています!!

Aベストアンサー

以下のHPが、わかり易いと思います。
でも、簡単に答えるなら、

当時の日本人が、勤勉でよく働いたから、でしょうかね
識字率が高かったと言うのも良い結果を招きいれた原因の一つだと思います。確か当時の識字率はアメリカ人のそれよりも高かったと言う結果を、見たことがあります。
でもそればかりでは、発展は難しかったでしょう、
私の考えではやはり、物造りに関しての工業の基礎が
しっかりしていたからだと思います。
でないと、当時、世界最高だと言われた零戦などは
製造することは出来なかったでしょう。
零戦を造っていた三菱重工や、造船、機関車の製造等の日立、石川島播磨などが戦後でも大企業で残っているのを考えると良くわかるでしょう。
戦争前や戦中に育まれた豊富な技術や人材が民需に上手く転用された事が、高度経済成長の一つの要因になったと思いますが・・・・

参考URL:http://members.at.infoseek.co.jp/J_Coffee/keizaishi.html#yokinfuusa

Q日本の戦後復興と経済成長

日本の戦後復興と経済成長を遂げたのはアメリカが経済救済・支援と軍事的支援をしたことが大きな要因の一つだと聞きます。具体的にどういった経済・軍事支援が日本の復興・経済成長に導いたんでしょうか?
1945~60年の間にアメリカが支援したことを教えてほしいです。高度経済成長時でなくて。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

・米軍ガリオア・エロア資金供与
第二次世界大戦直後の日本は、まさに灰燼の中にあった。その混乱と疲弊から立ち直り、経済大国への道を歩む上で、米軍からの資金援助である「ガリオア・エロア資金」の果たした役割は計り知れないものがあった。
 1946年から51年にかけて、約6年間にわたり日本が受けたガリオア・エロア援助の総額は、約18億ドルであり、そのうちの13億ドルは無償援助(贈与)であった。この援助がなければ日本の経済復興は考えられなかったのである。
 ガリオア資金:米軍予算の一部を使って、旧敵国の民主化復興を支援するために設立され占領地救済政府基金(GARIOA:Government Appropriation for Relief in Occupied Area Fund)、、食糧・肥料・石油・医薬品など生活必要物資の緊急輸入という形で行われ、日本では、当初は貿易資金特別会計に繰り入れられ、貿易の補助金として日本政府の裁量で運用されていたが、1949年からはドッジ・ラインの枠組みの中で西ドイツと同様に見返り資金としての計上を義務付けられた。
 エロア資金:占領地経済復興基金(EROA:Economic Rehabilitation in Occupied Areas)石炭や鉄鉱石、工業機械など生産物資の供給、綿花や羊毛などの輸入原料購入に充てられた。

・日本を飢餓から救った食料医薬品援助「ララ物資」「ケア物資」
「ララ物資」「ケア物資」とは戦後、食料品や医薬品そして日用品など、いろいろ不足していた時代に、腹を空かせ病に苦しむ日本の子供たちをはじめ多くの人々を救ってくれた救援物資である
「ララ物資」LARA(Licensed Agencies for Relief of Asia:公認アジア救済連盟) 戦後、日本を救済するために、アメリカはもとより、カナダ、中南米の各地から集まった資金や物資を一括し対日救援物資として送り出す窓口として、1946年6月に結成されたNGOが、「ララ:LARA」であった。 そして同年11月、アメリカの有力NGOの協力を得て、輸送を開始し、全てのララ物資は無事横浜港に到着したのである。
(推定では当時のお金で約400億円相当)
「ケア物資」 1945年の終戦直後、戦後、救済のために、アメリカで設立されたNGOの一つに「ケア」(CARE:Cooperative for Assistance and Relief Everywhere)があった。「ケア」は1948年にヨ-ロッパ以外ではじめて日本に事務所を開設し、救援活動を開始した。 1948年から55年にかけて、日本などに送られた「ケア物資」は金額にして5000万ドル(当時では180億円、現在の貨幣価値に換算すれば約4000億円)に達した。 その内容は、食料品、菓子、コーヒー、紅茶、砂糖、および石鹸など日用品も含め多岐にわたるものであった。 このケア物資によって助けられた日本人は小中学生をはじめ1,500万人に上った。

・フルブライト留学制度
日本が物資不足、食糧不足に悩み苦しんでいた戦後まもない頃に、将来の日本を考え、人材育成のために、若人に大きな夢と希望を与えてくれた制度がある。
 フルブライト留学制度である。
 終戦直後の1946年、フルブライト米上院議員の提唱で始まったこの制度によって、世界百数十カ国からこれまでに20万人以上の学生や研究者がアメリカへ渡った。
 日本でも1952年にスタート、これまでに約6,500人の人々がこの制度によりアメリカ留学をはたしたのである。この人達はフルブライタ-と呼ばれ、戦後の日本の財界、政界、官界および教育界で活躍し、日本の発展に大いに寄与したのである。
 また、高校生レベルでは、アメリカン・フィールド・サービス(AFS)留学制度により、多くの高校生がアメリカに渡り、現地の高校でアメリカ人学生と一緒に学び、ホームステイをして多くの友人を作り、将来の日本を担う社会人へと育っていったのである。

・民主警察と戦力無き軍隊
 進駐軍の援助により、治安回復のため、警察は民主化と科学捜査・機械化、全警官への拳銃装備が行われた。そして密輸海賊根絶のため、海上保安庁の設立。日本の自衛と、国連安全保障への貢献のため、米軍・国連軍と連携する、(侵略)戦力無き軍隊である警察予備隊→保安隊→自衛隊が組織された。

・ユニセフと世界銀行
戦後の日本の衛生状態、食糧事情は悪かった。 多くの子供たちは栄養失調と病気に苦しんでいた。 その子供たちを救済してくれた国連機関があった。「ユニセフ」である。「ユニセフ」(UNICEF、国連児童基金)は、自然災害や戦争などにより被害を受け、伝染病や栄養失調に苦しむ子供たちを救済するために設けられた国連機関(現在約140カ国を支援)である。 「ユニセフ」は、日本の子供たちのために、約65億円(現在の貨幣価値として約1,300億円)の資金を提供してくれたのである。
 戦後間もない1953年から導入されはじめた世界銀行(国際復興開発銀行)からの低金利の融資は合計8億6,000万ドル(当時の日本円では3,200億円、現在の額に換算すれば約6兆円)に達し、インドに次ぎ2番目の大きな金額であった。つまり日本は世界でもっともお世話になった被援助大国の一つであったのである。 当時の日本の経済力はアメリカのわずか数%に過ぎず、正に、開発途上国そのものであった。 日本はその資金を、東海道新幹線や東名高速道路、そして黒四ダム、愛知用水といった日本のもっとも必要とした経済発展のインフラ(経済基盤)整備に使い、その結果、日本は驚異的な発展を遂げたのである。 日本は毎年着実に世銀ローンを返し続け、90年7月、全ての借金の返済を終了した。
 ユニセフも世界銀行も、当時はアメリカが最大の出資国である

・米軍ガリオア・エロア資金供与
第二次世界大戦直後の日本は、まさに灰燼の中にあった。その混乱と疲弊から立ち直り、経済大国への道を歩む上で、米軍からの資金援助である「ガリオア・エロア資金」の果たした役割は計り知れないものがあった。
 1946年から51年にかけて、約6年間にわたり日本が受けたガリオア・エロア援助の総額は、約18億ドルであり、そのうちの13億ドルは無償援助(贈与)であった。この援助がなければ日本の経済復興は考えられなかったのである。
 ガリオア資金:米軍予算の一部を使って...続きを読む

Q日本はどうして発展できたのか?

こんばんわ。
最近幕末~の日本史について学んでいるのですが、
幕末~明治維新、そして戦争を体験して敗戦、そして高度経済成長を短期間でとげていった日本のすごさに、新ためてびっくり、そして疑問がわいてきます。
日本は元々まずしかったはず、なのにここまで発展できたのはどうしてなのでしょうか?日本史の本を読んでいると、いろいろな時代に偉人がでてきます。こういう人たちが他の国より多く出現したから成功できたのでしょうか?
また、他の国(にたような環境としてアジア)はどうして日本のようにならなかったのでしょうか?

Aベストアンサー

こんばんは。

ご質問の文章を、「幕末~明治維新、第2次世界大戦の終戦~高度経済成長の終わりの2つの時期が短期間だった」と解釈してよろしいのでしょうか?

上記のように解釈して話を進めます。

一言で言うならば「内戦などがなく、政治が安定していた」でしょうね。
同時期の他の国々は内戦状態にあったと思いませんか?上記2つの時期共に中国は内戦状態ですよね。

それに比べて日本は、明治維新期に「西南戦争」があった以外に内戦はないですよね。そう言う状況下で国家・国民が一体となり「富国」のために突き進んだ結果だと思います。

まぁ、日本国民族と言う民族が、「他(の文化・文明)を吸収しやすい民族だから」という捉え方もありますが。。。

QGDPの計算方法

 GDPを求める際に出てくる数値ってたくさんありますよね。民間では最終消費支出や住宅投資、企業設備投資、在庫品増加などとありますし。他にも、政府最終消費支出や、公的固定資本形成、公的在庫品増加。さらに、財・サービスの輸出入。GDPを計算する際に、これらの数値のどれをどうすれば良いのか混乱してしまい、わからなくなってしまいました。
 それから、例えば企業が在庫から商品を売ったり、海外に工場を拡張することや、道路公団が道路を補修することはGDPのどの項目に影響を与えるのでしょうか?
 加えて、GNPや国民純生産(NNP)の求め方も教えていただけると助かります。
 よろしくお願いします。  

Aベストアンサー

GDPとは、簡単にいえば「期間内に作られた財・サービスの価値の総和」です。

例として次のようなものを考えましょう。
 製粉所とパン屋がある経済を考えます。製粉所では小麦を買って小麦粉を作り、パン屋では小麦粉を買ってパンを作っています。機械屋では製粉所とパン屋に製造機械を作っています。
 この場合の「作り出された価値」は、製粉所で(小麦粉-小麦)、パン屋で(パン-小麦粉)ですので、トータルでみれば(パン-小麦)になります。ところでパンは誰かが買って食べているわけですから、最終消費支出になります。一般家庭が普通に買う分は民間最終消費支出、互助会のようなものを考えて、働けない人にパンを与える、などを考えれば、政府最終消費支出になるでしょう。この場合、政府か民間かは問題ではありません。この事情は投資(住宅投資、設備投資、公的固定資本形成)にも言えることです。
 さらにパンの一部が輸出されていたとしましょう。すると(パン=民間最終消費支出+政府最終消費支出+輸出)になることが分かります。また、小麦は輸入していたとしましょう。すると「作り出された価値」は(パン-小麦)でしたので、輸入分は引かなければなりません。
 次に生産設備を作る機械屋がいると考えましょう。話を簡単にするために、この生産設備は壊れないものとします。すると、パン屋や製粉所がこの生産設備を買うとその分新たな価値が増えます。これが設備投資です。生産設備が壊れないので、パンから引く必要もありません。
 最後に、製粉所で手違いがあり、小麦粉を作りすぎてパン屋に売り切れなかったとしましょう。そうすると在庫として計上されます。つまり、在庫品が増えた分も「作り出された価値」になります。
 以上をまとめると、次のようになります。
GDP=最終消費支出+投資+在庫増加+輸出-輸入

> 企業が在庫から商品を売った
上の例でいえば作りすぎた小麦粉が売れたので、在庫が減って消費が増えます。
> 海外に工場を拡張する
設備を日本から輸出する場合、輸出が増える、などありますが、基本的に影響ないです。
> 道路公団が道路を補修する
道路公団が政府かどうかが微妙ですね。今はどっちになっているんだか知りませんが、政府だとして、小さなものを別にすれば、補修費も設備投資に入ります。したがって公的固定資本形成になります。

GNPとGDPは、上の例では全く同じものです。なにが違うかといえば、外国人の扱いです。GNPは例えば日本人なら日本人が作り出した価値なのですが、GDPは日本内部で作り出された価値です。ですので、例えば国内にアメリカ人が働いていたとすれば、GDPから彼らの給料を引いた分がGNPになります。一般には、GDPから海外からの要素所得を加え海外への要素所得を引いたものがGNPになります。

NNPは、上の例では生産設備は壊れませんでしたが、年に5%が壊れるとしましょう。するとその分だけパンの製造に使われたのだと考えれば、パンから引かなければなりません。この考え方にたったのがNNPです。したがって、GNPから固定資産減耗を引いたものになります。

GDPとは、簡単にいえば「期間内に作られた財・サービスの価値の総和」です。

例として次のようなものを考えましょう。
 製粉所とパン屋がある経済を考えます。製粉所では小麦を買って小麦粉を作り、パン屋では小麦粉を買ってパンを作っています。機械屋では製粉所とパン屋に製造機械を作っています。
 この場合の「作り出された価値」は、製粉所で(小麦粉-小麦)、パン屋で(パン-小麦粉)ですので、トータルでみれば(パン-小麦)になります。ところでパンは誰かが買って食べているわけですから、...続きを読む

Qアメリカは何故超大国になれたのか

 アメリカは何故今世界一の国になったのか、その原因が知りたいです。

・私の推測では、建国してからまだ歴史が浅く、古い体制にとらわれず、政策がとれる点。

・様々な人種が存在するので、それぞれが納得できる合理的で、効率的な制度が整っている。

・色んな資源が豊富にあるから。例えば移民などの人的資源や広大な土地資源、石油など。

・19世紀の世界ナンバーワンの国であったイギリスと、言語が同種のため、容易に色々な事を学ぶことができたから。

などが理由として挙げられるのではないかと思っています。


この他にも何か、理由が分かる人が居たら教えていただけないでしょうか。

また、今後の世界経済がどう進展していくのか、予想できる方がいたら、その意見も聞いてみたいです。

因みに私は21世紀はアメリカの一人勝ちとは行かないと思います。

かと言って中国もなんだか危うい。

一体、どこの国が覇権をにぎるのでしょうね。

Aベストアンサー

>アメリカは生産基地だった、とありますが、要するにアメリカは独立前、南米で取れた作物などを輸出するための基地だったということでしょうか。

いえいえ。
アメリカ大陸がモロに生産基地だったのは、スペインが南米に進出した頃です。
日本で言えば、戦国時代の頃ですね(ポルトガル人が種子島に漂着した時期)。
この頃欧州はアジアの強国と比べてさほど大差ないレベルでした。
新大陸に人を送り込む力がそれほど強くなかったのです。航海技術も不完全でしたし、身も知らぬ新大陸に行きたがる人がそれほど多くなかったわけです。ですから、南米では金銀の採掘と砂糖などの生産だけを行いアメリカで食べる食糧は欧州から輸入していたほどです。欧州でも出来る事はアメリカでやる余裕はなかったわけです。

英仏が北米に進出したのはもう少し後です。
だいたい、徳川家光が徳川幕府の足場を固めた辺りです。
この頃欧州はアメリカからの富でかなり力をつけてきました。さらに、100年以上も海を行き来していたので航海技術もかなり上達しています。大量の物資を安全に欧州に運ぶ事が出来るようになったわけです。つまり、海を横断するコストが下がったわけです。
またアメリカ大陸が発見されて100年以上経っていたので、アメリカ大陸で生まれアメリカ大陸で育った人も増え始め、見知らぬ大陸が身近になり大陸へ進出する事への抵抗感が和らいだというのもあると思います。当初は出稼ぎの場だった新大陸が第二の故郷になり始めていたわけです。
そうすると、今まで見向きもされていなかった北米でも儲けられるようになったわけですし、アメリカ大陸でも食糧が生産されるようになったのです。

初期の北米の植民地もヨーロッパの為の植民地だったことには変わり有りません。しかし、スペインが中南米でやった事は、略奪に近かったのに対して、英国が北米でやった事は普通の産業に近かったわけです。
普通の産業に近い事をやれば、その植民地が普通の国に近くなるのも当然でしょう。かくして北米は普通の国に近づき、普通の国のように他国の支配を受け入れる事に反発して、独立したわけです。


>給料が良かったから欧州から様々な人がやってきたとは、まるで高度成長期の日本のようですね。
>東京に職を求めて地方から集団就職するみたいな感じですね。

正しくその通り、基本的には全く同じです。
経済では、ヒトでもモノでもカネでも、余っているところから足りないところへ流れるのが基本です。
何故なら、ヒトが余っているならば給料が安くなり、ヒトが足りなければ給料が高くなるからです。同じようにモノならば価格が、カネならば金利が、上下に動きます。
今で言えば中国はヒトが余っているので、人件費が安く。日本はカネ(貯蓄)が余っているので、金利が低いのです。

>産業革命が生まれたのはイギリスだが、それを育てたのはアメリカ…まさにそうですね。自動車や電気・電話など画期的なものばかりですよね。

その通りです。
ぶっちゃけ1860~1950年くらいまでのアメリカは、本当に『神』です。アメリカは、良くも悪くも20世紀のありとあらゆる事に大幅に関わっています。

電気が一般化したのはエジソンが電球の商品化に成功し、普及させたからです。
石油を大々的に利用し始めたのもアメリカが最初です。元々は灯油を光源として用いられていましたが、灯油ランプが電球に駆逐された後は、内燃機関(エンジン)が開発されコレが後のガソリン車に繋がりました。
また、WW1を契機に石油科学が発展し、天然ゴムに変わる石油ゴムが開発され、その後石油繊維も開発されました。WW2ではプラスチックが開発されました。
電話も、ベルがアメリカで開発しました。
コンピューターも殆どアメリカが発展させたようなものです。戦後、電話ネットワークの維持に真空管大量に必要になり、真空管より長持ちして高性能なトランジスタが開発され、これがコンピューター産業発展の起爆剤になりました。

科学技術だけでは有りません。
前述のフォードがはじめた大量生産方式もアメリカ発ですし、何万人という従業員を管理する為の『大企業』という組織形態もアメリカが開発した物です。松下幸之助が考案しその後の日本企業のモデルになった事業部制も、GMのアルフレッド・スローンが考えた組織形態を日本流にアレンジしただけです。
日本の品質管理方法もアメリカのエドワーズ・デミングが研究した物を日本が発展させたものですし、テイラーの科学的管理法がなければ日本の労働者の技能がここまで急速に進歩する事はなかったでしょう。

日本の戦後復興の要因一つは、アメリカで開発された最新の技術をパクリまくったからというのもあります(トヨタの自動車も、ソニーのトランジスタも、シャープの液晶など、戦後の日本の技術の大部分は元を辿ればアメリカ由来のものです)。

当時の日本の技術者たちはアメリカの学会に参加しまくって、発表内容を写真で取り捲ったそうです。当時は『ジャップがなんかやってるぞ』とか笑われていたようですが、必死に研究しまくって一時は追い抜いちゃったわけです。
(当然現実では、このようなやり方よりも本などで勉強したり、特許契約をした事の方が多かったです)

昔の人がアメリカを特別視するのも当然の事だと思います。

・オマケ日本の果たした役割
ただし、新技術開発が得意なアメリカに対し日本が得意だったのは『既存のモノを安く作る』ことでした。良い例が電卓で、当初十万→数千円にしてしまいました。安い→普及という事ですので、日本の果たした役割は小さくないです。
つまり、コンピューターを開発したのはアメリカですが、それを安くして電卓を作ったり、炊飯器や掃除機に搭載させたのは日本で、これが世界のコンピューター市場を飛躍的に拡大させたわけです。

>アメリカは生産基地だった、とありますが、要するにアメリカは独立前、南米で取れた作物などを輸出するための基地だったということでしょうか。

いえいえ。
アメリカ大陸がモロに生産基地だったのは、スペインが南米に進出した頃です。
日本で言えば、戦国時代の頃ですね(ポルトガル人が種子島に漂着した時期)。
この頃欧州はアジアの強国と比べてさほど大差ないレベルでした。
新大陸に人を送り込む力がそれほど強くなかったのです。航海技術も不完全でしたし、身も知らぬ新大陸に行きたがる人がそれほ...続きを読む

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
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 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Qなぜ日本は植民地にされなかったのですか?

19世紀、他のアジア諸国は欧米列強の植民地にされたのに
なぜ日本は植民地にされなかったのですか?
日本の教育水準が高かったからですか?
それとも単に運がよかったからですか?

Aベストアンサー

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。今もそう呼ばれてます。伊豆代官江川が引き継いで、青銅砲でない鋼鉄砲をつくる高熱の製鉄炉(反射炉)をつくろうとしたり(大砲、兵学などはなんとかヨーロッパの技術においつこうというカンジ)、日本人は形式・格式でガチガチのバカな武士社会の中でも一部の有能な、志ある人たちに助けられてなんとか西洋とわたりあえる学術・軍事・文化・行政制度をもっていたのです。
(ほとんどの藩はド貧乏、借金まみれ。一部の外様大名とかだけです。意識あったのは)

ペリーが来航した時も(一年前くるっていったのに来ないと思って内緒にしちゃったバカな幕府上層部のせいで大慌てしたが)、一年後返事をもらいにくる、といったあと年明け10ヶ月にきた時には、無防備だった江戸湾に砲台島を築かせて防衛体制つくった(江川が指揮)
これが砲台場、今の「お台場」です。
これにはペリーも驚いた。
あと吉田松陰みたいに単身(2人だったけど)黒船に乗り込んで
「我アメリカに行かんと欲す」と叫びまくって返ってきた若者とか。
こんな人他のアジアの国にはいなかった。

日本は天文、数学、測量でもヨーロッパの文献研究したり、和算でも微分積分できたらしい。水準高かったンですよ。富豪商人は学問する人たちが多いとか、そういうこともあったらしいし、町民文化も小説、演劇、レベル高かったです。

アメリカと国土交渉する際もペリーが小笠原はアメリカ人住んでる、国際的に通じる文書で証明しない限りアメリカ国土だ、といった時、フランス語版・林子平著三国通覧図説をだして、出版年からも日本領土だと証明。
松平定信が迫害した林子平の著作が、大黒屋光太夫一行のうちロシア日本語学校教師にのこった一人とドイツ人言語学者の手で訳されて、小笠原諸島をまもったわけですね^^

ま、そんなこんなで、日本は他のアジアの国より運がよかった。
・一応、統一国家でまとまってた。いくつか勢力が争ってるとかじゃなかった
・文化水準がヨーロッパと同程度だった(これは不思議なものである)
・一部の蘭学者のおかげで、外国の情勢なども在る程度はつかんでいた?!ジョン万次郎がいたといなかったじゃ、また違ったろうなぁ
江川さんがいなかったら大変だったと思うよ
・穏健バランス派の阿部が老中(筆頭?)だったのもよかった。水野忠邦だったらボロボロだったんじゃないかなぁ
最後は大分大胆に物事運んだけど。
・武士階級、常時帯刀武装してる階級が行政してる、というのはなかなかすごいかも^^
・シーボルトが日本の文化レベルを紹介する書物を発表してくれていた
(ペリーもちゃんと読んでた)→日本は交渉するレベルの国だと思ってもらえた。おそらく礼砲をちゃんと返せる国なんてアジアで日本ぐらいだったでしょう。

兵力でいえば、この前NHKでもやってましたが薩摩とイギリスの争い、中国のイギリス艦隊きた時は薩摩ボロ負けですよ。海戦は特に。
最初、不平等条約だったのもしゃーない。
しかし、交渉のテーブルがある、というのは在る程度、相手を認めてのことだし、全面開戦しなかった、というのはお互いのメリット、リスクも含めて必然だったのかも。
まぁ頑張りましたね、当時の日本^^

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。...続きを読む


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