完璧な答えを求めてはいませんが、辛口の質問です。
「善人になりたい」という心なら、その人の無意識までさぐるならば、もっていない人はいないかもしれません。 私の場合、むしろそうなりたいはげしいほどの希求は持ってますし、その理由の根拠もたくさん持ってたりします。
 でも、わたしは、自分の善人性に自信はありません。

たくさんのつらい経験や、苦しい体験をすれば、は確かに その分、他の人のそのような状況への理解力は身につきます。でも 辛口な言い方をすればですが、その分自分の体験した世界へ人を引きずり落とす心も同時に生じることもあります。  では自分はというと( )``。
 
たくさんのしあわせな経験や、たのしい体験をすれば、その分、他の人の
そのような状況を願い喜ぶ、分かち合いの心もたいてい生まれます。 でも辛口な言い方をすればですが、これは状況によってでもあるでしょうが
これが利己主義(独り占め)の心の因になったりもします。

 では自分はというと、   自分には自信がありません。

ほんとうは もっともっと身の毛もよだつような状況下の話をわたしは人から聞いて知っています。 そんな状況下ではわたしの善人性など完全に破壊されてしまうと思います。

 また平和な世の中でも、人には想像力があるので、それが善の仮面に簡単につなげられるということもあります。 辛口にいうならば、 人のために相手のために その幸せのために、その苦しみがすこしでも楽になるためにではなくて、 自分のため 自分がよく思われたいため、自分の商売の信用のため、そのために善をとりつろい善の仮面をかぶることは、人間の能力にその想像力があるかぎり誰にでも出来ることです。 また「つい、、、」ということもよくあるはずのことです。

 自分はというと、もちろん、完全に仮面はかぶってないなどとも言えません。

 ほんとに辛口かもしれません。でも、人間である以上、「自己やまわりを見つめ反省し進歩できる能力」をこのじつはめちゃくちゃ切実な問題でもあるはずのこの善の問題をこそ、きびしく「見つめない」とせっかくの
他の動物にはないもろもろの能力を「希望」に変えてゆけないのではという考えを私は持っています。

 がゆえの辛口の質問です。 もう少しやわらかくします。

あなたは善人ですか? そうなりたい心は意識的につよいですか?
だとすれば、その根拠は?

( 哲学者的なむずかしいわかりにくい言葉はできるだけ避けてください。どうしてもむずかしい概念を言葉にしたいときは、その言葉の定義をできるだけ中学生にもわかるように説明してください。)

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A 回答 (11件中11~11件)

「われおもうゆえにわれあり」という言葉をご承知と思います。


外界の一切の存在を疑っても、それを思う我という存在が否定できない以上、それを唯一絶対の尺度として全てを肯定する。
これに習えば、私は善人です、善人でありたいという心があり、その心が我を善人としていますから、それを否定し得ない尺度と考え行動すればよいと思います。
善なる心が否定するものは善にあらず。
「善にあらず」という点が微妙で、現実世界には絶対善はないと思います。
時代劇によく出てきますが、質素倹約を旨として清貧を貫く家老と商人と組んで賄賂を受取り恣意的な政治を行う代官。
時代劇では前者が絶対善、後者を絶対悪としますが、現実には前者は藩政改革を邪魔する頑迷な抵抗勢力の親玉の家老、後者は商業資本と組んで流通改革を起こして、累積した赤字を一掃し、健全財政を構築しようと、必死の接待を続ける改革派の代官という図式もあります。
こうなると何が善で何が悪か分かりませんから、原点に戻り、我が心で何が善かを観るしかないということになりますね。
私の善の心が否定するものが私にとっての悪であり、肯定するものが善です。

この回答への補足

ユニークで、かつ、竹を割ったようなスパッとした論理的明晰性のあるお答えですね。
「われおもうゆえにわれあり」という有名な言葉は、
それ自体が物事を明晰に考える源流をうみだしましたからね。
実際には5感という不思議な存在があり、それの生物学的かはともかく反応が体験となり思索が始まり、それが経験となり、それを生かせる知恵となったときそれが哲学となってゆくのでしょうし、  そう考えると、
「われおもうゆえにわれあり」というのは、
五感を抜きにした半欠けのごういんな論法のようにも思えるところがありますが、 「われ」の存在という事に絞って、その存在を問うならば、自己の記憶外に「われ」無しというのは絶対的な明晰性をもっていますよね。
外界の一切の存在を疑っても疑えない、それと同じように確かに在る善への希求、それがなぜだかは不思議のままでも、そこをスパッと割り切って
腹に据える、すてきな割り切り方ですね。

いろいろな観点からのご意見を得たいというのがこのアンケートの目的ですので、最初から おもしろい観点、勉強になります。

ありがとうございました。

アメリカのボランティア気質も それも明るくてナチュラルですよね。 家族愛が基本だったりして、現代版アメリカン朱子学みたいなところまであったりします。  でも、アメリカ人のそれは、けっこう善悪の因果論を深く探るのを避けています。
 結果総体は、悪を含む正義の顔をよく出してしまいます。

 そのへんヨーロッパの方が 良心的な人の善の心は落ち着いているように見えます。 長い西洋の哲学の伝統なのでしょうか。

しかし、東洋哲学の 五感の欲望の泥沼のむこうに蓮華の花(人間のもっとも人間らしい姿)を求める 辛口のどん底からの哲学が もうすこし西洋のような明晰性を持っていたらとわたしは思わずにはいられないんです。

 外界の非難、誤解、うんぬんを気にして善人としての行動を取れないのはそれこそ善の腹がすわってないということですよね。が、善悪の因果の流れを読み解く知恵なくしては、現実世界の善は進化してゆきません。

 kindon98さんのような明確な答えの方なら、是非、さらに多くを学習され、すこしでもよりよき現実世界を創っていってほしいと思います。

  ありがとうございました。

補足日時:2007/07/12 06:45
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この回答へのお礼

すみません、
okウェーブとか慣れてなくて、アンケート始めてでしたので、また
おっちょこちょいなもので、 お礼文の場所を間違えてしまったようですね。 

NO6までお礼文を書き進めていて、やっと気がつきました。

補足の場は、その回答者様への回答文への質問とか疑問とかがある場合ですよね。 なんか変だなとは感じてたのですが。

 つい いそがしい中で こんなこと始めてるもんで、おっちょこちょいぶりが
もろに顔をだしてしまいました。

時間があれば、時代劇ではなく、現実世界での欲望と善のあたりの問題をkindon98さんがどう考えてるかつっこみたいところですがね。
( おっと こちらは上の「補足」の方かな。)

 文を書くことと いろいろたくさんの事を体験したり考えてきたことには自信があり、スピード   はあるよですので、また感想文も添えられるかとおもいます。 もしそちらにそのへんで書きたいことがあればご自由に書いてください。

 書かれてくださったことにほんとに感謝します。

 ありがとうございました。
 
 

お礼日時:2007/07/14 08:03

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