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戦後の日本文学について教えてもらいたいのですが、夜の会、世紀の会や記録芸術の会とはどういったものか教えてください。

A 回答 (1件)

日本文学から私も知ったが、「他の芸術分野」の参加者が多い。

時系列順だと

夜の会:

1948年、発起人「花田清輝・岡本太郎」中心、椎名鱗三、埴谷雄高、野間宏、佐々木基一、安部公房、関根弘 
文学&美術の前衛芸術の研究会。

戦後の文化・知識人の多数に漏れず「共産党」をめぐり、花田「アヴァンギャルド芸術研究会」、「世紀の会」など「夜の会」を起点とした多くの芸術会派&運動が分岐していく。

記録芸術の会:

1958年、安部公房(共産党除名)を機に、花田清輝、佐々木甚一、らと「記録芸術の会」結成。文学美術から更にいっそう分野横断的な「総合芸術の既成概念に捉われない探求」を目指す。写真・舞台・映画等。

両者を見ると、戦後の混乱期に戦前から活動も、戦争で中断を余儀無くされていた文学者らが、一斉に活動を再開した一部が『夜の会』。その後、「会・集まり」の宿命としての「対立・分裂」を経て、同時進行的に共産主義の動向と「テクノロジーの発展」を背景として、『夜の会』の系図の分岐の1つとして、「安部公房」(実質上)中心で(夜の会参加時は無名も、芥川賞受賞後で著名に)結成されたものが「記録芸術の会」では?というのが私的解釈&説明でした。(ちなみに安部公房の「メカニック好き」は有名。自動車のチェーンで特許取ってる。)

2つの会を比較して浮上し、かつ現在の(私的)評価を含めると:
「夜の会」は『花田精輝』ら、所謂「戦後文学者中心(埴谷雄高など)」による、終戦による「戦時下抑圧されていた芸術エネルギー」の開放・反発的の1つ。
「記録芸術の会」は『安部公房』ら「ポスト戦後文学者達中心」で、テクノロジー発展&芸術の枠を超え融合可能な時代背景下の1つ。と、(反論承知で)図式化出切る。後者は問題無いのでは?

以上でした。拙い説明&自分でも?な疑問(たしか「武満徹」も夜の会参加と記憶も?・勅使河原宏氏の活動って生け花以外は映画監督かな?等)

P.S.この私の回答は読まなくても良いから、安部公房の壁の新潮文庫(以外にも収録も)の「石川淳の解説文」は絶対読んで!無駄では無いと言い切れる数少ない「貴重かつ凄い文章」です。日本戦後の文章のベスト5に入る!絶対推薦かつこれは超えられないウルトラスタイル!立読みで十分だから…)これ読むだけで、「夜の会&記録芸術の会」の生んだもっとも優れた作品を理解出切る、遥かに凌駕しているから!(安部公房は、生涯石川淳の門下生足る態度だった。)
では~♪♪♪
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