出産前後の痔にはご注意!

日蓮遺文に日蓮自身が日蓮阿闍梨と記した箇所がありました。

【安房の国長狭郡東条花房の郷蓮華寺に於て浄円房に対して日蓮阿闍梨之を註るす】

阿闍梨は僧侶の高い位を示すくらいの知識しかないのですが
〇〇阿闍梨〇〇として阿闍梨のあとに僧の名をつけるというのが
一般的だと思います。
日蓮阿闍梨だとすると、その後の僧の名はどういう名なのでしょうか
日蓮は阿闍梨の名しか名乗っていなかったのでしょうか
教えてください宜しくお願いします

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A 回答 (4件)

#1です。


度々すみません。
次のようなページを見つけたのでお知らせしようと思いまして。
http://www.ginpa.com/karagura/rohito/R37.html

ここに書かれてあることからしますと、「日蓮」という名前が一体何であるかということにもまだ説が分かれているようですね。
そういえば確かに色々なものを調べてみたところ、「蓮長」から「日蓮」に改名したように書かれているものもありました。
ご紹介したページには質問者さんが最初に仰っていたように、「日蓮」を阿闍梨号とする説をとっているようですが、私もそう考えるのが妥当なように思います。
それと「坊」号にも触れられていますが、出身国はともかく親の官職名などから坊号がつくこともあったんですね。はじめて知りました。

>ひとつものごとを教わって納得すると、あ!そうかと
思うとまた次なることが、なんでだろうと涌いてしまい
回答のお礼に質問を返す事になり
お手数をおかけしてしまいました

いえいえ、私もそういうことよくありますので一向構いませんよ。
回答の中でわかり難い部分があったら指摘して頂き、疑問が発生したら訊いて頂いたほうが有難いこともあります。
勿論「新しい疑問」の場合、お答え出来るとは限りませんが(^^)
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この回答へのお礼

ご案内いただきましたサイトへ行ってきました
難解なところもありましたが大変参考になりました
始祖滅後に始祖の思いが弟子に伝わらないというような
趣意もあったように感じました。
ご回答ありがとうございました

お礼日時:2007/07/18 01:15

すでに前者のお答えで納得されているかもしれませんが、差し出がましくも投降させていただきます。

この質問は僧名(日蓮宗の場合は法号ですかね)と敬称や尊称についてのご質問かと思います。僧名に関しては前回答者のおっしゃるとおりかとおもいます。わたしは尊称・敬称について少しお話させていただきます。

質問の中に
>>阿闍梨は僧侶の高い位を示すくらいの知識しかないのですが
とありますが、その通りです。ただ、正確に言うと少し意味が異なります。阿闍梨とは徳の高い僧への尊称ではありますが、もともとに意味は、弟子を指導し、規律を身につけ、師範として優れた師であることを意味します。天台真言においては伝法灌頂(僧になって法を伝えてもらう儀式)の執行職を阿闍梨とよんだりします。また、声明(しょうみょう・お経の読み方)悉曇(しったん・梵字)専門の阿闍梨も存在しています。

日蓮聖人の場合は役職ではなく、自信の自覚ということになるでしょう。その自覚の明白な表現の一つが、『頼基陳状』(1277年)に『日蓮聖人はお経に説かれている通りであるならば、久遠実成の如来の御使い、上行菩薩の垂迹、法華本門の行者、五五百年の大導師にてござ候」と、自分自身が末法という仏教が衰退した時代に法華経という真実の仏教を説くために現れた大導師であると説かれています。ただ、それ以前の「新尼御前御返事」(1275年)には「日蓮は上行菩薩ではないけれども・・(略)」というような一文があるように、『頼基陳状』のような自覚はもってはあられません。
このようなことを見ると、日蓮聖人は自身が『法華経』を説くために現れた上行菩薩であるという自覚をもったのは晩年になってからのようです。最晩年に書かれたとされる『三大秘法抄』(1281)の総括にも「三大秘法抄は二千余年の昔、地涌千界(の菩薩たちの)上首(リーダである上行菩薩)として、日蓮は確かに教主大覚世尊(お釈迦様)に口結相承したものである」と、自身の歴史的位置付けというものがお釈迦様の時代に末法に真実の法を説くことを言付かったものとしています。そのような自覚から「日蓮阿闍梨(師)」という表現をつかわれたのでしょう。

また『頼基陳状』のなかで注目すべきは、自分自身を「日蓮聖人」と表現しているところです。ご質問の中にも、
>>日蓮遺文に日蓮自身が日蓮阿闍梨と記した箇所がありました
とあるように、普通であれば尊号を付けるということは残された余人のすべき仕事です。私は個人的には浄土真宗を信仰していますが、親鸞聖人が自身を「親鸞聖人」と表現している文章は見当たりません。我々が親鸞聖人と呼ぶのは、親鸞聖人が師匠である法然上人を「法然聖人」記されていることに由来します。また、祖師の伝記というものもやはり残されたものが書くというのが普通ですが、日蓮聖人は、『種々御振舞書』なる自伝小説と呼んでも過言ではないようなものまで自身の手で執筆されています。
このよう確固たる自信が日蓮聖人の特色であり、それは何の根拠のないものではなく『法華経』という教えを基礎に自分自身の位置づけも単なる「法華経の行者」から、法華を説くために現れた地涌の菩薩へ、そしてそのリーダーとも言うべき上行菩薩へと高められてゆきます。そのような自覚を踏まえたうえで、自身を「日蓮聖人」「日蓮阿闍梨」とさえ呼んでいます。また『種々御振舞書』のなかでは、自身の神話化を図っているのではないかととられてもかまわないといわんばかりの、ストーリーが展開しています。
そのようなことからも日蓮聖人は晩年になっては、『法華経』の絶対的な救済者とも言うべき存在に高まられていきます。それは『撰時抄』(1275年)のなかにも「いまにみよ。大蒙古国が数万艘の兵船を浮かべて日本国を攻めれば、上一人より下万民にいたるまで、一切の仏寺、一切の神寺を投げ捨てて、おのおの声を連ねて「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と唱え、手を合わせて「助け給え、日蓮御房、日蓮の御房」と叫ぶでしょう」とお説きになられ、同書に「今日本国の高僧等も「南無日蓮聖人」ととなえようとするけれども、「南無」計りで終わってしまう。不憫なことだ。」などともお説きになられます。
一種の危機的状況を描いたものであったとしても、自身のことを人々が「助けたまえ、日蓮御房」「南無日蓮聖人」と唱える事態を描きだすというその自信は、あきれるを通り越して一種のユーモアと痛快なと形容せざるを得ないところが、また日蓮聖人の魅力であるかもしれません。

長々、説明を連ねましたが日蓮聖人は自身は「阿闍梨」以外の尊称や敬称を使っておられます。もっと調べれば面白いものがたくさん出てくるかもしれませんよ。
 専門外でありますので支離滅裂な稚文、文意を読み取っていただきたく思います。質問の意図から外れた答えかもしれませんが、参考にしていただければ幸いです。
合掌 南無阿弥陀佛
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました
日蓮の個性が浮かび上るように読ませていただきました
法然、栄西、親鸞、道元、日蓮など鎌倉時代に新しい宗派が生まれたことに不思議さを感じます。

お礼日時:2007/07/18 15:43

#1です。


「○○坊」というのは位などを示すものではなく、一種の「称号」であると思います。
元々「坊」というのは僧侶の生活や修行の為の建物のことですから、「○○坊」という称号を与えられるというのは、本来は一つのそのような修行の場をもらうということだったのが、次第に形骸化していったものなのかもしれません。
法然などの場合、「法然坊源空」という名ですから何故か坊名のほうが一般的に用いられていますが、通常は「苗字」のような感覚で用いられたのではないかと思います。
弁慶も「武蔵坊」などという坊名がありますが、自分で名乗ったものと言われており、また前半生が謎に包まれている天海も「そのように名乗った」としか伝わっていないようです。
何か中途半端な回答ですみません。

阿闍梨
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%97%8D% …

戒名
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%92%E5%90%8D
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この回答へのお礼

ひとつものごとを教わって納得すると、あ!そうかと
思うとまた次なることが、なんでだろうと涌いてしまい
回答のお礼に質問を返す事になり
お手数をおかけしてしまいました
「法然坊源空」という名の法然が有名になったように
日蓮もそういうことだとわかりました
ご案内いただいたURL大変参考になりました
ご回答ありがとうございました

お礼日時:2007/07/16 22:00

こんにちは。


日蓮は十二歳の時に清澄寺に入り、十六歳の時道善坊を師として出家したと伝わっています。
その際「是聖坊蓮長」という名前をもらっているので、ご質問の「僧としての名」は「蓮長」ということになるでしょうか(他にそれらしいものは見当たりませんでした)。
ご参考までに。
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この回答へのお礼

「是聖坊蓮長」で「蓮長」が僧名との回答ありがとうございました

また〇〇坊〇〇の新たに解からないことが出来てしまいました^^
江戸時代初期に徳川幕府のブレーンであった南光坊天海ですが
この〇〇坊も阿闍梨のような位をしめすものでしょうか

お礼日時:2007/07/16 20:24

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Q日蓮の龍口法難での出来事は事実?

日蓮が龍口法難で首を切られそうになった時に、流星のような光が出てきて難を逃れたと言われています。
これは本当に歴史的事実なのでしょうか。
もし本当であればどういうタイミングで光が出てきたのでしょうか(まさに首を切る寸前なのか、それともかなり前なのか)また科学的になんであったのか。
日蓮の信者の方はこれこそが末法の仏の証拠であると言いますが偶然にしてはあまりに出来過ぎていると思います。

Aベストアンサー

> 日蓮が龍口法難で首を切られそうになった時に、流星のような光が出てきて難を

宗教関係の「言い伝え」に付いては、どの宗教にも不思議なものが沢山ありますよね。

しかし大切なことは、そう言う「奇跡的な現象」だとか、細々とした「因縁」などを、
本当に信じるかどうかではなく、その宗教の「教義」の本質が合理的なものかどうか、
「信じるに値するもの」かどうか、と言うような事柄に、関心を向けるべきものだと、
私などは思います。

しかしそうとは言っても、「奇跡」に関した話題は、宗教を離れてなかなか面白いも
のですが、今回の件に関しては、「日蓮自身」が下のように説明していますね。

--------------------------------------------------
「 種種御振舞御書  /建治二年 五十五歳御作 」
http://jmw.jp/kuga/gosyo/title/G113.HTM
http://jmw.jp/kuga/gosyo/title/index3.html
http://jmw.jp/kuga/gosyo/title/index.html
http://jmw.jp/kuga/
  P0914

  江のしまのかたより月のごとくひかりたる物まりのやうにて辰巳のかたより戌亥のかたへひかりわたる、
  十二日の夜のあけぐれ人の面もみへざりしが物のひかり月よのやうにて人人の面もみなみゆ、

  太刀取目くらみたふれ臥し兵共おぢ怖れけうさめて一町計りはせのき、
  或は馬よりをりてかしこまり或は馬の上にてうずくまれるもあり、
  
  日蓮申すやういかにとのばらかかる大禍ある召人にはとをのくぞ近く打ちよれや打ちよれやと
  たかだかとよばわれどもいそぎよる人もなし、

  さてよあけばいかにいかに頚切べくはいそぎ切るべし夜明けなばみぐるしかりなんとすすめしかども
  とかくのへんじもなし。
--------------------------------------------------

結論から言えば、これらの「奇跡」を信じるのも自由ですし、信じないのも自由だと、
私は思います。

なぜならもう今からでは、それらの「現象の有った事実」を、証明することも不可能
なことでもありますし、本人が書いているからと言って、必ずしも真実とは言えない
と思うからですね。

これと同じようなことは、仏教の「経文」に書いてある内容が、必ずしも真実ばかり
を書いたもので無いことも、良く知られた事実でも有るのと同じに、だからと言って、
「仏教」が価値の無い宗教と、誰も言わないわけですから、これらの事実が有ったか、
無かったのかで、「日蓮と言う坊さん」の値打ちが変わると言うことも無いわけです。

結果的に「首は刎ねられなかった」のですが、恐らく日蓮の余りにも堂々とした振る
舞いに、「首切り役人」も怖じ気づいた、と言うことでは、なかったのでしょうか。?
まぁ神話的なことはそのまま「神話」とし、納得してしまうのが良いように思います。

> 日蓮が龍口法難で首を切られそうになった時に、流星のような光が出てきて難を

宗教関係の「言い伝え」に付いては、どの宗教にも不思議なものが沢山ありますよね。

しかし大切なことは、そう言う「奇跡的な現象」だとか、細々とした「因縁」などを、
本当に信じるかどうかではなく、その宗教の「教義」の本質が合理的なものかどうか、
「信じるに値するもの」かどうか、と言うような事柄に、関心を向けるべきものだと、
私などは思います。

しかしそうとは言っても、「奇跡」に関した話題は、宗教...続きを読む


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