アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

オールスターを前にスポーツニュースで、「天王山」という例えをしていたが、ありました。
日本に合戦は、数々あるのに、なぜ、ここ一番の戦いを「天王山」というのでしょうか?
私は、昔、「天王山ってなに?」と、知り合いの野球ファンに聞いてみたところ、「天皇のいる山の獲り合いだろ?」と、言われたことがあります。

A 回答 (7件)

別に野球でのみ使われる言葉ではありません。

サッカー、相撲、F1、ラグビー幾らでも使われてます。「天王山 サッカー」などで検索されてみてください。
「天王山」がキーワードではなく、単に慣用句だからというだけことです。「関ケ原」も同じ様に使われています。地名が慣用句化して使われている例だと、「富士山」(何合目というような表現)や「箱根」(折り返し的なことを表現するとき)とかも引き合いに良く使われると思います。珍しい例だと、サッカーの新潟・甲府戦は「川中島」をキーワードに宣伝されています。
他には宿命のライバルを表現する「早慶戦」も慣用句化していますね。最近では地理的に近いか、何らかのテーマがかぶる場合は「ダービーマッチ」とか。

特定のスポーツから発生したものでも、他のスポーツで使われることになります。これは単に日本語の問題であって特定のスポーツが云々という話ではありません。でまた平和な日本においては、こういう血なまぐさい戦いをイメージさせる言葉というのは、スポーツでしか使い道がないので、日常会話で使われることはないかと思います。馴染みがないため、野球でしか使われない特殊な用語として誤解をされただけのことでしょう。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

あ、そうなのですか?
為になりました。
例えとして、挙げられていることは、後述により、理解できました。
スポーツ全般にお詳しい回答者さまに、お教え願えたことは、何より幸いでした。
感謝に耐えません。
噛んで含めるように、わかりやすく、教えていただいて、本当によかったです。
聞いてみるものだと、思いました。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/07/18 01:19

既に答えは出ていますが補足を。



↓の「大山崎町イラストマップを見てください。
大山崎は京都に入る手前の非常に狭い地形です。
桂川、宇治川、木津川が合流して淀川となる地点であり
JR、新幹線、阪急、名神、国道171号線がひしめき合っています。
この大山崎を見下ろすのが天王山です。
光秀は秀吉を大山崎で迎え撃って惨敗したのです。
天王山の陣取り合戦が大きな鍵だったわけです。
光秀は京都を戦場にしたくなかったので大山崎を選んだとも言われています。

いずれにしても天王山を制したものが天下を取る重要なポイントだったわけですね。

確かに関ヶ原も天下分け目ですが(広大ですし)、信長の跡目争いの天王山と、家康の豊臣つぶしとでは意味合いが大きく違うでしょうね。

参考URL:http://www.town.oyamazaki.kyoto.jp/welink/conten …
    • good
    • 1
この回答へのお礼

あ、ほんとだ。
例えるに、ふさわしい極地です。
野球のリーグ戦に確かに似ています。
納得しました。
これは、使うにふさわしい言葉ですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/07/18 01:12

》「天皇のいる山の獲り合いだろ?」と、言われたことがあります。



天王山はサントリーの山崎工場の近くの小さな山です。山の合戦には重要な山には違いありません。

山(天王山)の戦いは西軍「秀吉」(西軍)が勝ちました。
関ヶ原の戦いは「家康」(東軍)が勝ちました。

関西のマスコミは西軍が勝った天王山をかついでいてるのでは無いでしょうか。

「天下分け目の関ヶ原」という言葉もありますが、これでは西(特に阪神タイガース)には縁起でもない言葉でしょう。

私は大阪人ですので、東京ではどういう表現をしているかは知りません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

あ、確かに、「天下分け目の関ヶ原」のもの言いもありました。
わかりかけてきました。
かつぐ・・かつぐかぁ。
キーワードですね。
その言葉を使った年に快進撃。で、翌年も。そして、定着。
すごく、参考になりました。
お教え願って幸甚でした。
ありがとうございます。
長年の疑問が、解消しそうです。
阪神タイガースのご活躍をお祈りします。

お礼日時:2007/07/18 01:07

天王山は、かの有名な本能寺の変で織田信長が明智光秀に倒された後の覇権を巡り「最初に仇を討つ者が優位に立てる」という状況下で明智軍と羽柴秀吉の軍が対峙した際に「ここを獲れば戦に勝てる」という戦略上の重要な地点となった場所。


天王山を手中にし、この戦に勝つ事はつまり天下獲りへの最短の近道を通るという事と同意であり、今日においてもここ一番の戦いにおいて度々引用される。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

わかりかけました。
ランクがいったりきたりの戦いが、山崎の合戦に一番近かったのですね。
上位の柴田勝家を出し抜いての中国大返しが、数日のうちにランクが入れ替わるプロ野球のたとえに最も近かったのですね。
ありがとうございます。
積年の疑問が解けていきます。

お礼日時:2007/07/18 00:59

織田信長が本能寺で倒れた後、一旦は明智光秀の手に天下が入るチャンスがありました。



主君のかたきを討つため織田家の武将のうち、豊臣秀吉が中国から急きょ駆けつけ、天王山で明智光秀を打ち破ったのです。
それ以後、秀吉が実権を握り天下統一=天下人になっていくのです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

歴史のカテで、「天王山」とは、何ですか?
のお訊ねではないので、そこは、察していただけると・・。
プロ野球のここ一番は、壇ノ浦でもなく、関ヶ原でもなく、何故「天王山」なんだろう?なのですから。
でも、ありがとうございました。
ご親切に感謝します。

お礼日時:2007/07/18 00:54

ちょっと調べた結果下のアドレスが見つかりました。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%8E%8B% …

天王山(てんのうざん)は、京都府乙訓郡大山崎町の山。
南北朝や応仁の戦乱でも戦略上の要地として争奪の舞台となり山城も築かれた。なかでも、山崎の戦いでは、この山を制したほうが天下をとることとなり、「天下分け目の天王山」として、現在でもスポーツやゲームの重大な試合や局面の比喩に名を残す。

と言うことだそうです。天皇が居る山ではなかったようですね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

あ、これは、わかりました。いえ、わかりかけました。
幾多の戦いの要地としての天王山ですね。
この質問をしたときは、少なくとも「山崎の合戦」は、承知していながら、しました。
おちょくって質問をしていました。
でも、名前の通りの美しさもあるのかと、思いました。
大変為になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/07/18 00:48

 明智光秀と豊臣(羽柴)秀吉が天下を争ったときの合戦を山崎合戦といいます。

その戦いはお互いに天王山を占領した方が勝つということで天王山を占領した秀吉側が勝利を収めました。よって戦いの帰趨をわける分岐点のことを天王山といっているのです。

 実際にはそんな単純な話ではないのですが、謂れとしてはそうなっています。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B4%8E% …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お気を悪くされたら、私の言葉足らずで、大変、申し訳ないのですが、「天王山」のことは、とうから、存じています。
むしろ、野球に興味を持った年月のほうが、少ないくらいです。
今年は、また、際立って、「天王山」を使った日時が早いと感じました。
オールスター前は、いくらなんでも、使わない文言かと、思っていたからです。
ここを制したら、天下への戦いは、「山崎の合戦」だけではないのに、こと、野球に関しては、「天王山」がキーワードなの?が疑問だったのです。
丁寧な、お教えには、感謝します。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/07/18 00:43

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!