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今生徒指導について調べています。
もぐら叩きのように、気に入らない生徒を一人ずつつぶしていくようなことのみを生徒指導だと勘違いしている風潮が昔からあるようですが、
生徒の人格形成を積極的に支援するという意味合いでの、支援的生徒指導というのは、通常しっかりと行われているのでしょうか?支援的生徒指導というのは義務付けられているのでしょうか?教育基本法1条、2条の理念に照らして、且つ、教師の本来の使命として、支援的生徒指導は怠ることなくしなければならないものと感じますが、教師はそのような使命感をしっかり持っているものなのでしょうか?
支援的生徒指導を怠けてもまったく責任を問われないような体質が今の教育にあるような木がしますが、この点についてはいかがですか?
教育問題に詳しい方よろしくおねがいします。。

A 回答 (3件)

文面からすると、教師の責任追及をされているようですが、何か学校に不満でもあったのでしょうか?



>生徒の人格形成を積極的に支援するという意味合いでの、支援的生徒指導というのは、通常しっかりと行われているのでしょうか?

あなたのいう「支援的生徒指導を必要とする生徒」の意味がよく分からないので、私の考える「生徒指導を必要とする生徒」について述べたいと思います。

「学習態度、生活態度に何らかの問題がある」と学校や教師が判断した生徒。つまり、健全な人格形成から外れたり、人に迷惑をかけたり、集団生活に不適合な言動をする生徒のことだと思います。

子供の人格形成をする主たる責任者は「親・保護者」です。教師・学校はあくまでも補助的な存在だと私は思います。

教育基本法は「日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため制定する」とあり、第二条(教育の方針)には「教育の目的はあらゆる機会に、あらゆる場所において実現させなければならない。」とあり、対象が教師・学校とは限定されていません。

すなわち、家庭も対象に入ります。また、理念は明記されていますが罰則規定はありません。もし、責任追及をしてなんらかの罰則を科すならば、真っ先にその親・保護者が追及されるべきだと私は思います。

支援的生徒指導を行うにあたってはその生徒の性格や育った環境、幼少時の躾方法など総合的に知り、それに合った方法で指導するのが理想でしょう。しかし、教師は限られた時間、限られた情報を元に指導を行わなければなりませんし、経験によるスキルも個人差があるでしょう。学校の教師は親でもありませんし、マンツーマンの家庭教師でもありません。それを教師求めるならば、幼少時から全寮制でもして生活を共にしなければ無理でしょう。

また、生徒指導を必要とする生徒はほとんどの場合「素直ではありません」つまり人の言う事を素直に聞きません。

例えるならば、心のコップが裏返しになっています。そこに水(言葉)をいくら注いでもこぼれるばかりで、コップに水は貯まりません。まず、心のコップを上向きにしてから、水(言葉)を注いではじめてコップに水が貯まります。そして、心のコップが裏返しになっている主な原因は「幼少時の育て方や躾」にあり、これは親の責任です。子供が大きくなってその責任転嫁をされたら教師だってたまったものではありません。

しかし、いじめ等の被害者になっている子供の保護などはなによりも優先しなければなりません。その責任追及はされて当然でしょう。

でも「加害者の人権保護」「体罰禁止」など色々な足かせをしておきながら、「生徒指導を怠ったなど」ちょっとの落ち度でも厳しく学校・教師の責任ばかり追及する輩がいる限り、教師・学校は突っ込んだ生徒指導なんて所詮不可能だと私は思います。

強力な生徒指導力を要求するならばそれなりの強力な権限を教師に与えるべきです。しかし、現在の教師の中にはおかしい人もいて、権限を与えるに値しない教師も少なからずいます。

また、教師の一部には「教師だって労働者だ」(そうには違いないのですが)と権利ばかり叫んで自ら「教師のステイタス」を落としてしまったことも私としては残念です。昔の教師・先生はまず道徳的・人格的に高潔であることを求められて師範学校などではそういう教育もされていましたが、今の大学の教育学部でそういう教育はあるのでしょうか?

憲法には「国民の権利は公共の福祉に反しない限り最大尊重される」とあります。すなわち、公共の福祉に反する場合、権利が制限されるということです。生徒指導を受ける生徒は、何らかの公共の福祉に反する行為(大勢の他人に迷惑をかける)をしているから、その権利は最大限に尊重されなくても文句は言えないはずです。

結論としては、理想は別として、現状を見る限り、親の責任で子供の生育・教育環境を整え、その最終責任は親が負うしかないと私は思います。

この回答への補足

私がわざわざ説明したにもかかわらず、やはり生徒指導ともぐら叩きを混同している人が多いことには大変驚かされます。
気に入らない生徒をつぶすのが生徒指導の趣旨ではないと百科事典に明記されていたのをそのまま表現したのみです。
法律で禁止されている体罰を平気でするようなものにこれ以上権限を与えてどうしようというのでしょうか?
罰だと称して女児を裸にするようなものになぜこれ以上の権限が必要なのでしょうか?
このような主張をされてはわれわれ国民は理解に苦しみます。
生徒指導がもぐら叩きだとしか思えないようでは日本の教育の未来も暗いです。

補足日時:2002/07/24 14:31
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教育関係者です。



>今生徒指導について調べています。

 何のために、どういう方法で調べているのかわかりませんが、調べた結果が

>もぐら叩きのように、気に入らない生徒を一人ずつつぶしていくようなことのみを生徒指導だと勘違いしている風潮が昔からある

 という結論になるようでは、あまり信用できる調査ではありませんね。
また、

>支援的生徒指導を怠けてもまったく責任を問われないような体質が今の教育にある

 とのことですが、怠けているかいないかの判断をどこでどう行うのかがわかりません。その前に、そもそも支援的生徒指導という言葉の定義が曖昧です。

いかがですか?と言われても、答えようがないというのが答えです。
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>支援的生徒指導を怠けてもまったく責任を問われないような体質が今の教育にあるような木がしますが、



というのは、具体的にはどういうことでしょう?

>もぐら叩きのように、気に入らない生徒を一人ずつつぶしていくようなことのみを生徒指導だと勘違いしている風潮が昔からあるようですが、

というのも、風潮ですか?
そう思っている人はいるかもしれませんが、風潮というほどではないでしょう。

コレは質問というより、教育に対する不満や意見に思えてしまうのは
私だけではないと思います。

そのような教育が行われているかなんて、
各小学校で違うだろうし、また先生によっても違うと思います。

しかも、それは家庭にも言えることだと思います。
特に小学生のうちは家庭教育にしっかり左右されるので、
人格というのは大きく家庭環境にもよるのではないでしょうか。
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