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高度経済成長期のわが国の金融システムについて教えてください。

A 回答 (3件)

高度経済成長期の我が国の金融システムは、戦後から90年ころまで維持してきた金融システムのことです。



我が国の戦後金融システムは、いわゆる護送船団方式というものに代表されるように、国家が金融システムを保護、管理して金融業界を安定化させることによって高い成長率を維持しようとつくられたものです。特徴の一つは間接金融中心であるということです。欧米などの直接金融では企業は株式を発行して資金調達を直接的に可能にする直接金融制度ですが、日本の場合、株式を発行して資金調達をする企業もありますが、ほとんどの企業は銀行からの融資によって資金調達をしていたのです。戦中、戦後から今まで政府は積極的に貯金を奨励してきました。そうすることによって銀行に資金が集まり、銀行はその資金をもとに企業に融資をしていたのです。間接金融のメリットは直接金融よりも安定的なことにあります。そうすると、企業は先の見通しが立てやすく、事業の計画もうまく行きます。また、直接金融と違い、株主の影響を受けずにすみます。直接金融だと株主総会で株主が影響力をもっているので経営にまで口を出してきて、企業がわからすれば、専門外の人の言うことを企業の経営に盛り込まねばならず、非常にやりにくいのです。間接金融は銀行から融資を受けるわけですから企業は自分たちの好きなようにできたのです。こういったことから高度経済成長の助けになっていたのです。

株式を発行している企業でも株の持ち合いなどで極力株主の影響力を削減しようとしました。そうすることによって外国企業が日本企業を買収しようとしても株式の持ち合いを日本の企業同士でやっているから、外国企業の株の保有率はどんなに高額でも保有割合そのものが低いため株主総会などで影響力をもつことはなかったのです。このように間接金融制度は戦後の日本経済を安定的に管理するだけでなく、外国からの経済的攻撃からも防衛する無敵の金融制度だったのです。


戦争に例えていえば、戦場で戦っているのが日本企業です。それに資金(補給物資)を運んでいるのが金融機関(輸送船)です。それを戦艦と空母(政府)で護送して戦場の兵士(企業に)補給物資を届けて、兵士が飢えることのないように戦ってきたのです。大東亜戦争で日本はアメリカに補給路を完全に分断され、前線の兵士はほとんどが食うものも食えず飢えと戦いながら、かつアメリカとも戦っていたのです。しかし、それは補給船を護衛する艦船が足りなかったのが理由で決して日本軍部が無能だったわけではないのですが・・。


しかし、90年代にこのシステムはアメリカの強い規制緩和の圧力に日本政府が妥協した形で日本版金融ビックバンが初まり、日本は間接金融から直接金融へと移行していきます。
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 下記URLを、参照してください。



参考URL:http://www.hc.keio.ac.jp/~fk001547/1-3.htm
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質問が漠然として、回答が難しいですね。



簡単に云うと、高度成長期の頃の、日本の金融システムは、資金需要が旺盛で、その需要に応えるために、いかににして資金を集めるかということと、集めた資金を分野に供給するかに重点が置かれ、債権保全等については対策が遅れていました。

参考urlをご覧ください。

参考URL:http://www.saveinfo.or.jp/kinyu/safety/safe0003. …
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