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カントの発言にあるコペルニクス的転回とは、一体どういった事をいっているのでしょうか?詳しく教えていただけませんか?またそのことについて分かりやすく解説しているページ抔ありましたら教えていただけると有り難く思います。よろしくお願い致します。

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A 回答 (6件)

 カント以前は客観的実在の根拠は神です。

天動説も宇宙を神の摂理で説明します。コペルニクスは観察による様々な関係をそれ自体に説明させて、より分り易い枠組みを作りました。カントも純粋理性にそれを要求して範疇化しました。これが所謂コペ転です。神のシガラミからの脱却です。
 質問への回答はここまでですが、カントの「物自体」に対して回答者の方々が、素朴実在論と不可知論何れの立場に立って語っているのかが気になります。
 カントの「物自体」、やっかいな事態です。
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この回答へのお礼

とても分かりやすい回答ありがとうございました。
皆さんが勧めて下さったページや本でも勉強させて頂いてとりあえずは
十分満足いっています。どうもありがとうございました。

お礼日時:2001/01/26 18:49

ozapanさま、お褒めいただいてありがとうございます。

恐縮です。

あの、私の投稿の前者と後者って微妙に逆ですよね。
一応訂正を・・・・・。
ほんとのものが「物自体」で
理性が頑張って作ったものが「現象」です。はずかしー。

これだけなのも何なんでおまけを・・・・。
カントが認識の問題で一番苦心したのは、
従来の一般的な認識論のように、対象が先立つ実在論的認識論と
バークレーのように、何もかもが自分で作ってんじゃあ! 本当に存在してるか確実なものなんてないぞ! 
でも神様がついててくれるから大丈夫♪ という観念論的認識論の
どちらの両極端にもよらず、いかに、自分と対象のバランスをとりながら、
両方の力で認識できるんだよ、ってのを説明するかでした。
どっちかに偏っちゃえば楽なのに~と思う私は凡人です。
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 対象のあるがままの姿を受け取るのが認識なのではなくて、理性が対象の認識を積極的に「構成」するのだ、という「転回」のことです。

「客観的な形で存在している対象があるおかげで、われわれは認識ができている」という考え方をひっくり返しているわけです。その意味では、客観的対象に対する理性の優位を宣言するものといえます。
 ただし、ここには、「対象をありのままに認識できると考えるのはまちがっている」という、「理性の有限性への自覚」も同時に含まれています。理性は、対象について、感覚を通して経験できる範囲に関してしか、正しく認識できません。「現象」として、感覚に与えられる限りしか認識できないということです。感覚を通じて得られた情報を、まとまった「経験」にまとめ上げる土台になるのが「先験的形式(注)」としての「時間」と「空間」です。時間・空間という枠組みがあるからこそ、そこをいわば整理棚のようにして感覚与件を整理できる。こうして経験が成立し、対象認識が主観的意識のなかに「構成」されるというわけです(Htumakuraさんが引用された『ソフィーの世界』でガラスのピッチャーに喩えられているものが先験的形式)。
 経験を越えた部分、例えば「本質」などは「構成的に認識できない」とされます。これが「物自体」。感覚与件を伴わない以上、先験的形式の中では「構成」できないのです。理性が無理にここまで踏み込もうとすると「二律背反(アンチノミー)」に陥ります。相矛盾する二つの命題が、同じ程度の正しさで並立してしまい、調停できなくなるという状態です。理性が、その限界を越えて振る舞うと、こうなる。分をわきまえろよ、理性ちゃん。…というわけです。

注:先験的…カントが好んで用いる語。ア・プリオリ(a priori)=「最初の、第一の」という意味で、最初であるからには「無前提・無条件・あたりまえに・論証も証明も要せずに」妥当するもの、とされます。(のちにヘーゲルが「カント先生、サボっちゃいけねえ」とツッコミを入れることになります。)

P.S.kayakoさま、「物自体」と「現象」に関しての、これほどまでに簡にして要を得た説明は見たことがありません。「すかっ」としました。風邪が治ったのもそのせいだと思います。
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ヨースタイン・ゴルデル著「ソフィーの世界(池田香代子訳、NHK出版)」の中に、面白い文章がありましたので、引用させていただきます。

主要登場人物である少女ソフィーと、哲学の先生アルベルトの間の会話です。

 (ソフィー)「でも、時間も空間もわたしたちの外にあるものなんじゃないの?」
 (アルベルト)「ちがうんだよ。カントは、時間と空間は人間の側にある、と言っている。時間と空間はぼくたちの意識の特性なんだよ。世界の特性ではないんだ・・・(中略)・・・人間の意識は、だから、外からやってくる感覚の印象を記憶するだけの、受け身の『なにも書かれていない板』なんかじゃないわけだ。外から受けとったデータに積極的に形式(フォーム)を与える、クリエイティブな装置なのだ。ぼくたちが世界をどう理解するかには、意識が深くかかわっている。ほら、水をガラスのピッチャーに入れるのと同じだよ。水はピッチャーの形(フォーム)になる。知覚されたものもぼくたちの『直観の形式』を受けいれるのだ」
 「アルベルトの言うこと、わかったような気がする」
 「カントは、意識がものにしたがうだけではない、ものも意識にしたがう、と言った。カントはこれを、人間の認識の問題の『コペルニクス的転回』と呼んだ・・・(以下略)」

 「コペルニクス的転回」という言葉の定義については、既に回答されたお二人のおっしゃる通りだと思います。上で引用させていただいた「ソフィーの世界」ですが、もしよろしければお読みになってみて下さい。ファンタジー小説でありながら、哲学史の概説書としても優れており、大変面白い作品です。参考になりましたでしょうか? 
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benjaminさんの説明で完璧だと思います。


HPじゃありませんが、カントの「純粋理性批判」について
分かりやすく説明している本があるのでご紹介を。
講談社選書メチエの「カント「純粋理性批判」入門」黒崎政男
です。分かりやすいという点では群を抜いています。かといって
内容が薄いわけじゃないし、おすすめですよ。立ち読みでもしてみてください。
私なりに分かりやすく説明すると、
今まで世界の人は、そこにものがある→だから見える、と思っていたけど
そうじゃなくて、自分がある→ってするから見えるんだー! というのに
したわけです。ただ、自分が頭の中で作った世界なので
本当に存在するものとは違っているわけです。
前者を「物自体」、後者を「現象」とか言ったりします。
だから、私たちが見たり、聞いたりしてるものは
本当のものじゃなくて、本当のものを手がかりに私たちが作りあげたものだということです。
かなり乱暴ですが、詳しいことは入門書などを読み、暇になったら「純理」に
触れてみてください。失礼しました。
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まず、コペルニクスという人がどういう事をしたのかをここで確認して下さい。

要するに、それまで世の中で定説となっていた事とは全く違う説、つまり地動説を唱えた人です。
http://ibuki.ha.shotoku.ac.jp/school/science/phy …

コペルニクスによる地動説の提唱は、従来の天動説で固められた、各人の心理レベルのシステムを、根本的に破壊し、大きく変動(転回)させる結果となります。カントは意識と対象との主従関係の180度の転回という意味で、「コペルニクス的転回」という言葉を使いました。詳しくは下記参考URLで。

参考URL:http://www.ncc.u-tokai.ac.jp/home1/infor/v-kouza …
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