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05年にフランスでは黒人、アラブ系による大きな暴動が起きたと聞きます。
(1)理由として同化政策が破綻したからだと言われていますが、具体的にお教え下さいませ。
(2)現在は関係は改善されているのでしょうか?

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A 回答 (2件)

(1)差別と貧困の発生。



当初、フランスは安価な労働力として、イスラム系やアフリカ系の移民を受け入れました。その数は1999年で430万人以上に達し、総人口の7.4%に達しました。
移民達は政府が都市近郊に用意した低所得者向け住宅(団地)に住み、フランス人の6割程度の年収を得ました。しかし、宗教、生活習慣の違いからなかなか社会と同化するのが難しかったようです。その為、団地は移民達の孤立した集団生活の場と化しました。

その後、欧州の統合で労働力と資本の移動が活発になります。
その結果、ポーランド等から出稼ぎの労働者が大量にやってきました。
彼らはフランス人の7分の1程度の賃金で働いたのです。
その結果、移民達が職を失う事になり、イスラム系やアフリカ系の若者の就職も困難になったのです。移民達の失業率はフランス人の2倍以上となり、移民の多い地区では失業率が40%に達するところもありました。
人種差別もあった事からイスラム系の名前では、なかなか就職できなかったり、家を借りる事もできないような事があったそうです。

さらには、フランスの政教分離という政策がありました。
フランスの同化政策は、国籍を取得した誰もが、国民として全ての共通の権利を有します。しかし、それは政教分離の原則を貫く事でもあり、私的空間では信仰の自由を保障しますが、公共の場からは宗教を排除するものだったのです。
公立学校等では、イスラム教徒のスカーフ着用を禁じるなど、敬虔なイスラム教徒には納得のいかない規則があり、不満を募らせる事になりました。
同化政策とは言っても、こうした貧困と差別があり、その不満が暴動につながっていったのです。

(2)多少は改善されました。
移民の就職差別をした会社を取り締まる等して少しは移民への配慮が行われました。
しかし、まだまだ不満は内在しています。
特に今年、新大統領に就任したサルコジ氏は移民への強硬派としてしられています。
05年の暴動時、内相だったサルコジ氏は暴動を起こした若者達を「社会のクズ」とか「ごろつき」と呼び、徹底的な取り締まりを唱えたり、移民の規制を唱えた人なので、移民達や若者達は、その政策に懸念を抱いており、サルコジ氏が大統領に選ばれた時は暴動を起こしたほどでした。
サルコジ氏は大統領に就任してから、移民制度の抜本的改革を任務とする「移民統合国家共存開発省」を創設しています。
この組織は新たに移住を希望する移民の資格を厳正に判断したり、故国へ帰る移民へ援助を与える事をするそうです。
しかし、移民達の間ではこの新たな機関の設置とフランス文化への強制的な融和で、ますます移民達の文化と暮らしが破壊されるのではないかという懸念が広がっています。
また、いつ暴動が起こってもおかしくない状況だと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

サルコジ大統領の今後の手腕に期待というところですね。

日本とは違う環境に驚きました。

お礼日時:2007/08/05 20:10

(1)同化政策に限らず寛容のあり方の変容


先の大統領選挙で特別な国であり続けることの無理を認める民意が、
これまでどおりのあり方を求める民意を上回る選択がなされた、
と言われています
移民政策においてはフランス語を話すコミュニケーション能力を
体得する意欲があれば、誰でも市民権が得られ、このことが
旧宗主国であった地域、特にアフリカ北西部(マグレブ地域)との
結びつきを強化し、国際社会での発言力や国益につながる、
と言うのがシラク元大統領までの政策基調でした
9.11以降、国内の少数派に対する弾圧が世界中のどこの国でも
テロとの闘いとの名の下に正当化され、中東派兵に抗議してきた
各国でも、少数派ムスリムが多数派キリスト教徒に対するテロを
支持している、と言う決め付ける世論が台頭してきました
そこから女性がスカーフで人前に顔を曝さないように隠すことを禁止
してみたりする形で、多文化共存を認めなくなりました
加えて以前から、肌の色が就業率に直結する現実(これには学歴や親の年収
等からくる格差も影を落としている)があり、
将来に不安を抱く若年層の不満を高めました
社会民主主義的な政策が伝統的だったフランスでは勢い既得権の擁護
につながる労働政策はなされても、新規の雇用創出につながるワーク
シェアリングや中高年層の解雇に対する環境整備が遅れています
サッカーのワールドカップでジダンらの黒人・ムスリムの選手が多く
活躍したことは少しフランス社会に寛容性を取り戻させはしたものの
お祭りが終わった後はいつ爆発しても不思議ではない状況だったのです
(2)緊張関係は続き、予断を許しません
サルコジ氏が当選したことで移民受け入れの制限に拍車がかかり、少数派に
不寛容なフランスになるとの見方が強まり、選挙善後にも各地で暴動が発生しました
政策面で差別感を弱めることができなければ、暴動は止まないのではない
でしょうか
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

私はフランスが移民社会ということが何となく分かったのが、W杯のジダンの活躍でした。
あれから少数民族に対する理解が進んだかのように思えたのですが、難しい問題がいろいろとあったんですね。

お礼日時:2007/08/04 23:55

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