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日本でその昔、中選挙区制が小選挙区制に変わったのはなぜでしょうか?
この制度導入にはどういった背景があったのでしょうか??

A 回答 (4件)

表向きの理由と" 真の狙い" があります。


表向きの理由で錦の御旗にしたのは
“政治改革”です。他の方が触れているのであえて触れません。
真の理由は、
中選挙区制では自民党が単独で過半数を維持できずに政権の座を奪われる可能性があったからです。又定数是正の正論に抗えずに問題を"政治改革=選挙制度変更”にすりかえてしまいました。
 法に則って中選挙区制で定数是正をきちんとやればすぐにでも野党(当時は社会、公明、民社、共産)が多数を占めることは明白でした。
そのために自民党は政治改革と称して単純小選挙区制を提出しましたが否決され、小沢氏などの党内の造反を招き当時の宮沢内閣不信任案がとおり野党8党連合の細川内閣ができました。
あの時自民党の単純小選挙区制がとおっていれば小沢氏も自民党をでなかったでしょう。
 細川内閣を構成した与党は社会党が最大勢力でしたが、
中心となる細川、竹村、小沢氏等はもともとは自民党出身であり2大政党化狙って小選挙区比例代表制を提案し、自民党もあれこれ注文をつけて現在の制度になりました。
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かつて、自民党がリクルート疑惑などで政治と金の問題で叩かれた時、一般国民は政治不信に陥りました。

とりあえず議員辞職をして、次の選挙で当選すれば禊が済んだということで党や公務に復帰することが良くありました。その頃、野党の一部と自民党の一部の議員が、今までは選挙区の得票率が低くても三番目や四番目で当選ができ組織票を固めるだけの選挙から、全体の50%以上の得票率が必要な小選挙区の制度のほうが、落としたい候補者を落選させられるため、そして選挙区が狭くなることにより選挙費用や政治費用が少なくなるとして良いとされ、政治改革と唱えて小選挙区導入がおこなわれました。
外国でよくある完全小選挙区制も考えられましたが、それでは小政党が生き残れなくなるということと、単純に51%を全選挙区で獲得することにより全議席を独占できるということで、残り49%の票が死に票になるということで比例制との併用になりました。小選挙区と比例の定数の比率についてもいくつかの案がありましたが定数削減も含めて、今の状態となりました。
もし中選挙区制の場合は、郵政選挙の得票率でもあそこまで与野党の議席数に差が出なかったと思いますが、単純小選挙区制の場合は、もっと差がついていたと思います。
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一選挙区で何人も当選すると、ある程度組織票を持っていればほぼ確実に勝ててしまい現職が圧倒的に有利となって、選挙にゲーム性が無くなります。


参院選の選挙区と同じような形でした。二人区は大政党(現在で言えば自民党と民主党)の議員が一人ずつ当選することが多いですし、三人区以上だと小政党の当選確率が上がりますが、大政党の第一有力候補は滅多に落ちません。三人区以上だと三人目以降の枠を狙って小政党の候補者対大政党の第二有力候補などの図式になりますし、大政党の派閥同士の対決といった図式も見られました。住み分けができてしまうため政権交代が起こりにくくなります。また、普段トップ当選している候補者は汚職があっても当選してしまうことが多々ありました。

そこで、一選挙区一人しか当選しないようにして、より選挙に幅を持たせ、悪いことをした議員は次の選挙で落選させやすくし、大政党同士の対決という形の政権交代が起こりやすくなるようにしたということです。小選挙区だと小政党が非常に勝ちづらいので(大政党二つが有権者の不信を買うという状況にならないと勝つことは難しくなります。)比例代表制で小政党が生き残れるような形になりました。
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ひとつの区域から複数の代表を選ぶ選挙区のこと



小選挙区がひとつの選挙区からひとりの代表を選び出すのに対し、中選挙区では、ひとつの選挙区から複数の代表を選び出す。大選挙区の一種で、日本独自の選挙区制度だった。

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http://www.science-news.net/jabc/display.php?id= …

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