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武田信玄の風林火山の旗は山本勘助が考案したんですか?

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A 回答 (6件)

大阪の阿倍野神社に「伝北畠親房軍旗」される旗があります。


手元の資料が白黒なので色は分かりませんが、中央の大きな黒(?)丸の上に「梵字」が一文字と、両脇に「疾如風 徐如林」と「侵掠如火不動如山」の文字が書き込まれています。

北畠親房といえば後醍醐天皇・後村上天皇を支えた南朝の中心人物であり南朝の正当性を説いた「神皇正統記」の著者、その子の顕家は奥州から大軍を率いての上洛を果たし、一時は足利尊氏を窮地に陥れました武将。

信玄の風林火山の旗は北畠親子が押し立てた軍旗を参考にしたたものとされているそうです。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E6%9E%97% …
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補足です。


山本勘介(市河文書では「山本菅助」ですが、当て字は当時、普通に行なわれていました。「ヤマモトカンスケ」という音がすべてです)という武将は実在しました↓
http://okwave.jp/qa3190223.html

ただし、軍師と呼べる存在ではなかった事実も、市河文書によって明らかにされています。軍師としての山本勘介は、フィクション限定の存在です。
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山本勘助は、架空の人物と思われます。


が、、、近年足軽大将「山本甘助」なるものの墓が発見され、これが山本勘助のモデルといわれておるようです。

さて、「風林火山」の旗ですが、NO3の方が書いておられるとおり、快川紹喜和尚が送ったものと考えてよいでしょう。
因みに因みに彼は死ぬ時(火あぶりにされたときに)に有名な「心頭滅却すれば火もまた凉し」と言う有名な言葉を残しています。
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上野晴朗氏によると、恵林寺の快川紹喜和尚が風林火山の旗、別名「孫子四如の旗」を信玄に贈ったそうです。

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山本勘助自体が架空の人物ですから。

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ありえません。


山本勘助を軍師とする歴史小説「甲陽軍鑑」においても、「書は一冊も読み申さず」「学はないが物事をよく知っている」などとありますので、フィクションの世界でも、山本勘助は孫子を読んだことはないでしょう。
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Q風林火山!!

武田信玄が旗に「風林火山」って書いてありましたよね。
あれの意味・・・最後は動かざること山のごとし・・・のような・・・
全て教えて下さい。

Aベストアンサー

ここもご参考に↓

参考URL:http://www.jah.ne.jp/~rshingen/jpn/jcbyn03.htm

Q風林火山と山本勘助

大河ドラマの主人公、山本勘助は妙に有名な用ですが、竹中半兵衛もっそうですが、
戦国武将の下の軍師がどうしてそれほど有名になのですか?

Aベストアンサー

日本に軍師といわれる人々が現れたのは中世であるとされています。
そして中世の軍師は、陰陽道の影響を受けた占星術、易などの占術を学び、合戦における縁起担ぎを取り計らう者であったと言われています。
戦国時代が終焉して江戸時代に入ると、太平の時代風潮から、かえって戦国大名が戦場で用いた戦法を研究する学問として軍学が生まれ、軍学者によって武田信玄に仕えた山本勘助、上杉謙信に仕えた宇佐美駿河守定行、今川義元に仕えた太原雪斎などの伝説的な武将が軍学の始祖として称揚された結果、彼らが戦国時代に実際に活躍した軍師であると信じられるようになったらしいのです。

また、江戸時代には戦国時代の合戦を取り上げる軍記物が数多く書かれて戦国大名に仕える名参謀たちが描かれました。
さらに明治以降には軍記物が講談や歴史小説の題材に取り上げられて、豊臣秀吉の軍師竹中半兵衛などの軍師のイメージが一般に広まったのです。
秀吉が竹中半兵衛を迎えるために七度彼の庵に通ったという有名な物語が劉備と諸葛亮の三顧の礼の逸話に基づくことが明らかであるように、日本の軍師のイメージは、多くは中国の歴史物語に範をとって江戸時代以降に作り出されたものであると言えるのです。

中国や日本の歴史物語の中の軍師は、ある君主に仕えて軍事と政略に謀略をめぐらす人物として描かれた。このため、一般的な言葉としては、軍中の参謀に限らず、東アジア諸国において政略の相談役として活躍した人物のことをひろく軍師と呼ぶことが多いのです。

しかし、軍師とは後世のイメージによって創作された部分が大きく、実際に軍事にのみ助言する軍師という存在は『三国志演義』・『水滸伝』、あるいは日本の戦国時代を基に作られた軍記物などの創作の世界にのみ登場する【幻想の存在】として考えた方が良いようです。

日本に軍師といわれる人々が現れたのは中世であるとされています。
そして中世の軍師は、陰陽道の影響を受けた占星術、易などの占術を学び、合戦における縁起担ぎを取り計らう者であったと言われています。
戦国時代が終焉して江戸時代に入ると、太平の時代風潮から、かえって戦国大名が戦場で用いた戦法を研究する学問として軍学が生まれ、軍学者によって武田信玄に仕えた山本勘助、上杉謙信に仕えた宇佐美駿河守定行、今川義元に仕えた太原雪斎などの伝説的な武将が軍学の始祖として称揚された結果、彼らが戦...続きを読む


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