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あるマンガに書いてあったのですが、湾岸戦争は、もう少しまてばイラク軍は、クェートから撤退していたかも、開戦はあきらかに早すぎたと書いてありましたが、実際にそういう議論が湾岸戦争後にあったのでしょうか?あと、開戦がもう少し遅ければイラクはクェートから手を引いていたと思いますか?皆さんの意見を聞かせてください。

A 回答 (7件)

 これは物証も何もない憶測ですが、ブッシュの親父が起こした極秘政策と言われてます。


 まずクェートの侵攻の折、アメリカはもちろん国連も非難するだけで軍事介入はないとフセインに信じ込ませ、日本のゼネコンばら蒔きと同様戦争を起こし、景気を回復したとかなんとか。
実際、その後ブッシュの支持率は高いし、3000万ドル(だったけ?)出す羽目になった日本をみるとアメリカの人為的とも取れます。
 ちなみにクェートは王国なので、王族以外あまり困らなかったとも・・・記憶が古い上に憶測ですけど
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イラクがクウェートに侵攻したのが90年8月2日、湾岸戦争が勃発したのが翌91年1月17日です。

いわゆる湾岸危機が始まってから戦争になるまで半年近い時間があったわけで、その間にイラクが撤退するチャンスはいくらでもあったのですよ。現に、開戦が1月17日だったのは新月だったからですが、17日に攻撃が来そうなことくらいはイラクも感づいていたので、例えば1月15日あたりにフセインが「クウェートからの撤退」を宣言すればアメリカは開戦の口実を失うところでしたし、アメリカが最も恐れていたのも直前になってフセインが撤退を表明することでした。
政治的に見て、イラクがクウェートから撤退することは不可能でした。もしクウェートから撤退したら国民から「敵前逃亡した」と見られて支持を失う危険が大いにありました。中東の人たちは、勝つとか負けるとかではなくて強い指導者を求めるのです。例え戦いに負けても敵を前にしてもひるまないことのほうが重要なのです。
また、当時アメリカ軍はベトナム戦争のトラウマを払拭しきれずにいましたし、イラク軍はイラン・イラク戦争で砂漠の戦闘に経験豊富だったので開戦したらアメリカ(多国籍)軍は苦戦するだろうと予想した軍事評論家も多かったです。あれほどまでのワンサイドゲームになるとは、当のアメリカ軍も思っていなかったと思います。地上戦に入ると、あまりの進撃の早さに補給が追いつかなくなったくらいですからね。

開戦が早かったという議論はありませんでした(むしろ遅すぎたという声のほうが多かったです)が、停戦が早すぎたという議論は後にありました。停戦直前の辺りから、イラク軍は壊滅したと誰もが思っていましたが、実はフセインはクウェートには貼り付けのためだけの部隊が置いておき、主力は後方に温存していたことが停戦後に判明しました。特に、フセインの懐刀である大統領親衛隊はほとんど損害を受けずに済み、後に決起したクルド人勢力の制圧に活躍してしまいました。おかげで、フセインは大統領の座を失わずに済んだのです。
湾岸戦争で、結局イラクは大損害を受けながらもフセインは自らの権力を失わずに済み、アメリカは名目上の大勝利とベトナム戦争のトラウマの克服を手に入れ、サウジアラビアを始めとする周辺諸国は巨大すぎる軍事大国イラクの勢力をそぐことに成功しました。かように「三方一両損」となったわけです。湾岸戦争で最大の敗戦国となったのは他ならぬ日本でした。その経緯は元NHK記者の手島龍一氏による「1991年日本の敗北」に詳しくあります。
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 明らかに「併合」を宣言しちゃってるので、撤退はありえないでしょう。

イラクも撤退を求める文書の受けとり拒否とかやってますし。
 また、攻撃する側も、期限を区切っての交渉でしたから、それを越えた以上、開戦という選択肢は当然のことです。

 そもそも占領地からの撤退というのはそんなにホイホイとできるモノではありません(軍隊が一番弱くなるのは撤退時であること、数千年前から変わりない)。
 そのためには輸送部隊を集結し、殿となる精鋭部隊を抽出し、移動部隊の側方を警戒する部隊を展開し、できれば周辺と交渉して危害を受けないように配慮し・・・・と様々な事前準備が必要です。
その様な徴候が観測されなかったのに
>もう少しまてばイラク軍は、クェートから撤退していたかも
というのは楽観的を通り越して夢想的なレベルのIFに過ぎません。

なお、
>> ちなみにクェートは王国なので、王族以外あまり困らなかったとも・・・記憶が古い上に憶測ですけど
 掠奪受けるわ、数百人規模での行方不明者(今以て生死不明)を出すわが「余り困らない」、という感性の持ち主が言う陰謀論などに意味があるとは思えません。
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フセイン大統領はアメリカからの援助を受けてイランと戦争をしていたのでありアメリカは簡単に応援してくれるがしかしその味方の姿勢をとりやめ敵対することは今まで常にしてきている行動です。

第二次世界大戦のときは中国の蒋介石を応援して日本と戦争を仕掛けて日本が負けて中国の内戦になれば蒋介石を見捨ててその後は成り行きにまかせるような態度をとり蒋介石を嘆かせている。こんなことなら日本の申し入れを聞き入れていれば蒋介石はいきのこれていたし、日本の敗戦もなかっただろうにと後悔していたようだ。イラクも過ってはアメリカが応援してくれてイランと戦争できたのであるから、クエートを侵略してもアメリカは手出ししないだろうかと探りをアメリカ大使に入れている。アメリカはそのようなことには介入しないだどうと思わせる返答をしていたそうである。フセインに勘違いさせるようなことを言っておきながらフセインに戦争を仕掛けるとは、アメリカは戦争を望んでいたとしか考えられない。アメリカの経済は軍事産業に支えられている社会であるから戦争が何処かでおこることを期待しているのかもしれない。日米安保条約
で日本はアメリカの同盟国でアメリカは日本を守ってくれると思っていると戦争には巻き込んでそのまま放置されることもあることを注意しなければならない。クエートの件はアメリカが望んでフセインに侵略させて戦争をおこさせるようにしたのであるから、イラク軍がクエートから
撤退してもアメリカの望む戦争は起っただろう。世界の中には日本人のような戦争が嫌いな人人でなく戦争を起こることをきたいしている人々
もいることをしっておく必要があります。戦争に巻き込まれないようにするには自国は他国の力にたよらなくても防衛出来る力をもつべきだと言ふことをこの戦争では教えてくれている。
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私の見解は、、、



もともとイラクとクウェートは一つの国。
西側が石油を欲しくてクェートを勝手に独立させた。

油田は地下では繋がっており、クエート領域の油田を掘ると、イラクの油田に影響を与え、見方によってはクエート側からイラクの石油を西側が盗んでいることになる。



イスラム教勢力からキリスト教勢力が盗んでいるという構図。

10戒には「隣の人のものを盗むな」とある。

イスラム国家は石油国家でもあり、それをキリスト教国家が無理やりクエートを独立させ、イスラム世界から盗んでいたわけです。


このままでは、他のイスラム教国家もいつクエートのようにキリスト教国家に乗っ取られるかわからない。
危機感が高まっていたわけです。

加えて経済制裁を西側がやったものだから、もう乗っ取りはそこまできていた。
というわけで、盗人に加担する裏切り者に制裁を加え、捕囚された自国民をクエートから開放するため、クエートに侵攻をした。

と捕らえています。


シナリオで行けば開放するはずだったが、サウジがアメリカの圧力に負け、アメリカ軍を駐留させてしまった。
計算外の行動をサウジに取られたイラクでしたが、悪の勢力に屈すると、イラクだけではなくイスラムの世界も崩壊させられてしまう と踏ん張った。


一つ聞いた話では、イラクはアメリカにクエート侵攻前に、もしクエートに侵攻をした場合、アメリカは動くか と聞いたところ、「同じ民族同士の争いにはアメリカは関与しない」と答えたのだそうです。

しかしふたをけてみると、アメリカは待ってましたとばかり最新兵器を投入。
つぎつぎ作戦を展開。

そしてもともとイラクに「石油を盗られているぞ、このままでいいのか」と煽ったのはアメリカ。


全てキリストの計画の中に仕組まれていたわけです。
この長い乗っ取り計画はついにイラク戦争で集結を迎えた。
キリストがまた一つイスラム国家を盗んだ。
「汝 他人のものを欲しがれ、盗め」がキリストの教えなわけですね。



というわけで、イラクをクエートに侵攻させたのもアメリカなので、会戦は早すぎたのでもなく、計画に既に組まれており、シナリオ通り行われただけ。


と理解しています。

そして乗っ取りに加担してしまった日本も悪の勢力。
日本って実は邪悪な国なんです。

クエート侵攻で、アメリカがイラクのミサイルを打ち落としていましたが、あれ日本の最新技術が使われていました。
日本は現在戦争放棄をしているので、兵器を作っても輸出できません。
が、部品に関しては制限が無い。

飛んでくるミサイルを感知してどこまでも追跡する技術。
これが、これがラジオやコンピュータの中に組み込まれ輸出として、アメリカやアフリカに渡すという援助をすると、お約束通り、分解して依頼したチップを手に入れることができるわけです。


そしてその日本の最新技術だったものは、研究されそのチップで追跡しても打ち落とされないミサイルが開発された。


日本は海外から飛んできたミサイルを打ち落とすことで防衛できるとしていたが、もうそれは使えない。
打ち落とせず着弾する。

戦争放棄せずとも、もう日本は守れないわけです。
威嚇されたら ハイハイと尻尾をふって追従するしかない。
これもシナリオ通り。
またしても操られたので台本どおりのピエロを演じたわけです。


日本の電話の技術は昔はお家芸で日本でしか作れなかった。
でも、海外の電話会社の参入を圧力で受け入れ、技術の提携をしてしまったので、その芸ももう海外に盗られた。
これもシナリオ通り。

丸裸にされてしまったんです。日本は。

アメリカに守ってもらうしかもう無いんです。
キリストアメリカを崇拝するしか、もう日本が治安を守る術は無い。

というか、もう日本なんてとっくの昔に無いですね。
アメリカの属州が日本。
一つの独立した国家じゃあない。
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 他の方も述べられているように、撤退はありえなかったでしょう。



 尚、No.1のかたのおっしゃる日本の負担した戦費は約100億ドル、1兆円以上です。
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イラク側から撤退の話は出ていましたが、それは開戦後の事です。



1990年8月2日にイラクがクウェートに侵攻したその日のうちに、既に国連から無条件撤退を求める決議が成され、撤退勧告が出されています。

しかし、8月8日にはイラクはクゥエートの併合宣言を行い、28日にはクウェートをイラクの19番目の州と宣言しました。

国連は11月29日に翌年の1月15日を期限とした対イラク武力行使容認決議を採択します。

1月9日に米国のベーカー国務長官がイラクのアジス外相に撤退要求書を渡そうとしますが、受け取りを拒否されます。

1月11日にイラクのフセイン大統領が改めてクウェートからの撤退を拒否する宣言をしています。

1月17日に開戦となりました。

1月20日にフセイン大統領は徹底抗戦を宣言しています。

この時点で多国籍軍の攻撃は航空攻撃がメインで、まだ地上戦には突入していませんでした。しかし、イラクはかなりのダメージを受けました。

1月29日にイラクは、敗色濃厚なら生物・化学兵器も使用すると宣言します。

2月15日にイラク議会が「条件付きクウェート撤退の用意がある」と声明を出します。

2月18日にはアジス外相とソ連のゴルバチョフが会談し、新たな和平案(撤退案)が提示されました。ただ、それは国連の求める無条件撤退ではなく、色々と条件が付随していました。翌日、米国のブッシュ大統領はこの和平案を不服とし、和平案を受け入れませんでした。

2月22日にフセイン大統領は地上戦の決意を国民に呼びかけます。

2月23日、米国のブッシュ大統領が最後通告としてクゥエートからの撤退要求の声明を出します。

2月24日、地上戦が開始されました。戦況は多国籍軍に有利に展開します。

2月26日にフセイン大統領が26日中にクウェートからの撤退を行うと宣言します。しかし、ブッシュ大統領は戦争の続行を表明しました。


開戦が遅ければ撤退したという事はないでしょう。開戦前まで、イラクは全くの強気であり、撤退は全く滲ませていません。しかし、実際に戦争が始まり、自国が不利な戦況におかれると、撤退の話が出てきたのです。

反米の人は、この戦争について、イラクから撤退の話が出ていたところだけを強調し、地上戦に入るには早すぎた。地上戦をしなくても済んだ筈だという主張をしていましたけど・・・
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