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どうもこんにちは。初めて質問します。変なとこがあったらすみません

幼稚園児などの子どもが虫や小動物を殺す行為は、サディズムとは別のものだと書いてある文章を見ました。
では、これはなんなのでしょうか?
支配欲や加虐性向なんだと思いますが、それらとサディズムの境目はどこなのでしょうか。

もう一つ質問があります。
今は後悔していますが、私は小さい頃、よく蟻を殺していた記憶があります。小動物はありません。蟻だけです。
ただ殺すのではなくて、一匹の蟻に注目して逃げる先逃げる先を塞いだり水を使ったり
どれだけ精神的に(蟻の精神というのもおかしいですが)苦しめられるかに力を注いでいました。
目の前の蟻がどんな心境か考えては興奮して、さらにもっともっと絶望感を味あわせる方法を必死に考えていました。
蟻が死ぬと興味を失くしました。

子どもというのは虫や小動物を殺すものだと初めて知ったとき、私と同じような人は大勢いたんだなと思いました。
しかし最近になって、私はやっぱりちょっと度を越していたんじゃないかと思い始めました。
これは、普通でしょうか?というのが二つ目の質問です。

ちなみに現在の私は問題ありません。
むしろ、そのころの反動か周囲に不思議がられるくらい虫を殺さない人間になってしまいました

よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

自我は通常1歳半ぐらいで芽生えると言われていますが、それまでの赤ん坊時代はほぼ本能のみに支配されていると言っていいと思います。


親の教育(躾)によって次第に善悪という規制(超自我)があることに気づきだすのが2、3歳頃。
持って生まれた気質から様々な環境の影響を受けて性格が形成され、やがて人格として確立されていく、という過程を経て成長していきます。
幼い頃は、自我も超自我も発展途上ということが言えるわけで、どうしても本能的な要素が幅を利かせている時代と言えるでしょう。
トンボや蛙などで後で思えば残酷な遊びをするものですが、動物的(本能的)な好奇心と捉えることが可能ではないかと思います。
しかし、それが過剰(どのへんから過剰ということになるのかは私にはわかりませんが)である場合には、自分が周囲の環境から受けている抑圧に対する発散としての行為であったかもしれません。

これに対してサディズムとは、性的欲望が歪んだ形で顕現しているものでしょう。
両親からの躾というのは性的(あるいは生的)エネルギー(=リビドー)の抑圧とほぼ同義ですが、このことによって人は善悪の判断ができるようになります。
また、リビドーを抑圧することによってそのエネルギーを文化文明的な事柄に昇華させることが可能になるわけです。
しかし、その抑圧が過剰であった場合には、リビドーが逆流して退行的に作用してしまうのでしょう。
(強制が伴なわない限り)サディズム自体を否定的に見る必要はないわけですが、基本的には、苦痛を耐えることが快感であると解釈せざるを得ないような(主に幼時の)体験によって醸成されるものではないかという気がします。

二つ目のご質問ですが、先に触れたようにあまり深刻にお考えになる必要はないように思います。
ただ、「>度を越していた」とお感じになるのであれば、追い詰められて苦しむ蟻に自身を投影させることによって、自らが感じていた何らかのストレスを浄化しようとしていた可能性はあるかもしれません。
尤も、おっしゃるように似たような体験を経ていない子供はいないでしょう。
仮に度を越していたとしても、今現在こそが重要であるということに何ら変わりはありません。
  
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

幼児の行為は基本的には本能的な好奇心であり、それとは別次元に、
幼少期のころ両親の躾などの抑圧が過剰であった場合
耐える苦痛を快感と変えてサディズムにつながるということでしょうか
マゾヒストとサディストは紙一重だとよく聞きます

私の行為はそこまで異常であったわけではないみたいですね。
確かに、当時の私はかなりストレスを感じていました。蟻に自身を投影させていたのかもしれません。
しかし、完璧な親も少ないでしょうから、子どものほとんどはそういうことをするのだろうと感じました。
大切なのは成長した現在どういう考えをするかですね
温かい言葉に感謝します

どうもありがとうございました

お礼日時:2007/08/05 01:29

サドは、倫理観を備えた大人が、暴力は忌むべきものと分かっていながらあえてやる、そのタブーを冒す事自体に快感を覚えたり、性的快感と強く結びついてるとこが、子供の純粋な残酷さ(猫がネズミをさんざんいたぶってから殺すような)とは違うのでは。



2つめですが、まあ普通ですよね。虫には悪いですが、悲鳴や、流血などがダイレクトに伝わってくる小動物と、無表情であせってるだけの虫さんとはだいぶ隔たりがあるような気がします←ひどい
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

確かに、子どもは生き物を殺すことをはっきりとタブーだとは認識していないでしょうね。
それを冒すことそのものへの快感、性的な快感を感じているわけではないことが子どもとサドの違いでしょうか

私が当時感じていた興奮は性的快感にも近いものがありましたが、
確かに小動物は殺さなかったし、悲鳴をあげられると殺せなかったと思います。
やはり私は普通の範疇なんでしょうね

どうもありがとうございました

お礼日時:2007/08/05 01:03

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