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ただの好奇心ですが古代から現在までの世界史上、もっとも優れた武将10名を挙げるとしたらどうなるでしょうか。

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A 回答 (16件中1~10件)

面白い質問ですね~


私にとって名将とは新しい戦闘教義の開発(発掘)者とそれの実務者に別れますが・・・

ベリサリウス
東ローマ皇帝ユスティニアヌスに仕えた彼は20代でその才能を見出されました。ケチで疑り深い主君に仕えながらもその武勲は今に伝えられています。一般的に勝利への道は二つ。圧倒的な戦力で小さな敵戦力を蹂躙する事と、小さな戦力で一気に敵の将軍を討ち取る事で戦意を挫く方法があります。前者は安全ですが他所から舐められます。後者は他所から恐れますが危険です。彼は後者の側の巨星の一つであります。

グスタフ・アドルフ
彼は現代戦術の基礎を確立した人物です。古代ローマの戦術を再現し当時の技術で表現したとも言えるでしょう。そうした意味ではアレクサンダーやハンニバルの後継者の一人とも言えます。それともう一つ重要なのが軍事システムの規格化を推進した事も彼の功績でしょう。それまでの火縄銃では弾と火薬を別々に装填していた為威力や飛距離がバラバラだった事と連射速度に難がありました。それと大砲の口径の統一等彼の業績は今もなお生き続けています。

マンシュタイン
WW2当時で電撃戦の概念を考えWW1の塹壕戦の常識を引っくり返したジョーカーの様な人物です。圧倒的な速力・分厚い装甲・凄まじい火力の3つを兼ね揃えた戦車でしたがその可能性に気が付いたのは彼とイギリス等での慧眼の持ち主が数人いただけでした。そして彼はそれを推進できる立場にいただけでなく、WW2においてはヨーロッパ各地を蹂躙してみせたドイツ機甲師団の父であり長であったのです。彼の戦術は冷戦は元より湾岸戦争においてもその威力を見せ付けた事は記憶に新しい事でもありますね。


千田貞季
昨年の映画で有名になった硫黄島の戦い。彼は寄せ集めの混成第2旅団長として戦いました。アメリカ軍の戦死者は約7000人ですが彼の護った玉名山での戦死者がその半数を超えるとだけ言えばその実力を垣間見る事が出来るでしょう。空と海を完全に囲まれ兵力だけでも3倍。航空支援や艦砲射撃による火力差を考えれば軽く10倍以上の開きがある中でのそれは既に想像を越えています。
重要なのは小笠原兵団長だった栗林中将が直接名指しで指名した事実です。名将のみが名将を知ると言う良い見本でもあります。結局米軍は玉名山を正面から攻め落とす事を諦め周囲の陣地を順番に攻略し全方位からの攻撃でやっと陥落させたと言います。そして彼の死が栗林中将の戦意をも挫いた要因とも・・・
米軍はこの玉名山を「ミートグラインダー(ひき肉製造機)」と呼んで恐れたのも当然の帰結です。
米軍が投入した海兵師団はそれぞれが40~50%ものの損害を出しました。普通は師団の半数が実働部隊で残りが後方支援部隊で直接先頭するわけではありません。損害率40%とはその実働部隊が8割以上失った事を意味しており戦力としてカウントされない領域なのです。硫黄島の戦いの半分は彼と混成第2旅団将兵の物語とも言えるのではないのでしょうか?
彼は士官学校しか卒業しておらず通常では最高でも出世できる上限の大佐では無くその上の少将であり軍内部での異名は「歩兵戦闘の神」だったそうです。


光武帝
彼は後漢王朝の創始者として名を残していますがわずか数千の戦力で百万(誇張や後方支援を考えると約半数でしょう)を追い払った武威の持ち主でもあります。創業(新王朝の樹立)と守成(王朝の政権基盤の構築)を成し遂げた人物です。個人的には三国志の曹操よりもこちらが上だと思いますよ。彼の不幸は三国志のような素晴らしい宣伝に恵まれなかった事だけです。


歴史は調べれば調べる程にこうした漢達と見える事ができるので抜けられないんですよね~
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この回答へのお礼

丁寧な解答ありがとうございます。やっぱり20世紀の屈指の武将といえばマンシュタインははずせませんよね。第三次ハリコフ攻防戦の指揮は本当に見事です。千田貞季 もなかなかすごいですね。日本にも戦術レベルでは奮闘した指揮官もいたのですね。

お礼日時:2007/08/08 10:44

1人だけですが、たぶん出ていないので、「フリードリヒ2世(大王)」と答えておきましょう。



武将ですかね?
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この回答へのお礼

解答ありがとうございます。たしかに触れられてませんね。

お礼日時:2007/08/31 22:43

続けてごめんなさい。


日本編&おまけ
日本
・ヤマトタケルのミコト(古事記や日本書紀に登場する、天皇の皇子にして、武将。各地の討伐に文字通り、東奔西走させられ、都に戻る途中、亡くなった。)
・天武天皇(舒明天皇の第2皇子で母は宝皇女(皇極天皇)、天智天皇、間人皇女の同母兄弟。兄・天智天皇のあとの相続の戦乱で、大友皇子を破り、天皇として即位した。即位後は、妻・後の持統天皇とともに、日本の律令国家の礎を築いた。)
・坂上田村麻呂(征夷大将軍になって総指揮をとり、801年に敵対する蝦夷を討って降した。)
・源頼朝(鎌倉幕府の初代将軍。平治の乱で父が平清盛に敗れると伊豆へ流される。伊豆で以仁王の令旨を受けると平家打倒の兵を挙げ、関東を平定し鎌倉を本拠地とした。源義仲と平家を弟らによって破ると、戦いに活躍した源義経を追放し、諸国に守護と地頭を配して力を強め、奥州合戦では奥州藤原氏を滅ぼす。後に征夷大将軍に任じられた。これ以降、征夷大将軍の任は、源氏の子孫、という暗黙のルールが出来上がる。)
・源義経(平治の乱で平清盛と戦った父の敗北により鞍馬寺へと預けられるが、後に奥州平泉へと下り奥州藤原氏の当主藤原秀衡の庇護を受ける。兄頼朝が平家打倒の兵を挙げるとそれに馳せ参じ、一ノ谷、屋島、壇ノ浦の合戦を経て平家を滅ぼし、最大の功労者となった。その後、兄と不仲になり、難を逃れ再び藤原秀衡を頼ったが秀衡の死後、頼朝の追及を受けた当主藤原泰衡に攻められ衣川館で自刃し果てた。)
・織田信長(周辺の敵対勢力、今川氏や斎藤氏を破り、足利義昭を奉じて上洛を果たし、義昭を将軍位につけるが、その義昭と敵対する。しかし、信長はこれを破り、以後は天下布武を推し進め、楽市楽座、検地などの政策を採用する。既存の権威や勢力(朝廷・仏教など)の否定、家柄門地によらない人材登用、新兵器であった火縄銃の活用などを通して戦国時代を終結へと導いていったが、延暦寺焼き討ちなどの苛烈な政策から魔王とも恐れられた。最後は家臣の明智光秀の謀反(本能寺の変)により自害した。)
・豊臣秀吉(百姓として生まれ、織田信長に仕え、次第に頭角を表す。信長が本能寺の変で明智光秀に討たれると、中国大返しにより京へと戻り、山崎の戦いで光秀を破り、信長の後継の地位を得る。その後、大坂城を築き関白・太政大臣に任命される。その際豊臣姓を賜り、日本全国の大名を従え天下統一を成し遂げた。太閤検地や刀狩などの政策を採るが、慶長の役の最中に、嗣子の秀頼を徳川家康らに託して没した。)
・徳川家康(三河国岡崎に生まれ、人質として忍従の日々を過ごすが、桶狭間の戦い以後、織田信長の盟友として領地を広げ、本能寺の変で信長が明智光秀に討たれると、その混乱に乗じさらに勢力を広げ、海道一の弓取りと呼ばれた。豊臣秀吉との小牧・長久手の戦いを経て(負けたわけじゃない。)秀吉に従い、豊臣政権の五大老筆頭に列せられるが、秀吉の死後は関ヶ原の戦いで勝利し、征夷大将軍に任ぜられ、江戸に幕府(江戸幕府・徳川幕府と呼ぶ)を開く。)

最後の3人は、私が愛知県人ゆえの贔屓です。
(この3にんは全員、現愛知県の出身者)


おまけ
武将ではないけれど・・・・・
・エリザベス女王1(ヴァージンクィーン。スペイン王国の全盛期に、対抗した英国女王。)
・ヴィクトリア女王(イギリス・産業革命時代の女王。国の発展に統治。また、植民地も統治。)
・エリザベス王大后(エリザベス・アンジェラ・マーガレット・バウエス=ライオン。現イギリス女王の母。第二次世界大戦中、ジョージ6世とエリザベス王妃は、ドイツ軍の激しい空襲を受ける中、ロンドンから避難することを拒み、国民の慰安に尽力した。V2ロケットの直撃でバッキンガム宮殿が被災した時も、「これでイーストエンド(下町の低所得層の多い地区)の人々と同じ境遇になれたかしらね」と、超然としていた事を知らされ、ヒトラーが慄然とした話は有名である。このことから、ジョージ6世やエリザベス王妃がイギリスの士気に多大な影響を与えた為に、エリザベス王妃を『ヨーロッパで最も危険な女性』と評したという。)
・ビートルズ(ロックバンド。4人組。全世界中で、彼らがブームになった。)

戦ったわけじゃないけど、
この人たちの影響は、かなり大きかった、ハズ。質問趣旨と外れてごめんなさい。
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この回答へのお礼

解答ありがとうございます。ビートルズはユニークですね。

お礼日時:2007/08/31 22:43

難しいですね。

国の数だけ英雄・武将は必ずいるでしょうから。
とりあえず、世界編。

大昔
マケドニア~
・アレクサンドロス大王(遠征・征服した領域は東西4500kmにも及び、まさに一つの世界とも呼べる広がりを持っていた)

古代ローマ
・ユリウス・カエサル<ガイオ・ジュリオ・チェーザレ> (一応軍人ですが、政治家的側面の方が大きい?)
・ガイウス・オクタウィウス・トゥリヌス(初代ローマ帝国皇帝。武将としても、)

その後

英国 
・アーサー王(5世紀から6世紀ごろの英国の伝説的な王であり、英雄。彼に関する物語は大部分が明白にフィクションであるが、モデルとなった人物は実在していたと考えられている。そのためアーサー王という人物は、全くの想像上の産物ではないが実在の人物とも言い難い。)
・サー・キャプテン・ドレイク(元は海賊。英国海軍に入り、スペインの誇る無敵艦隊を破る英国海軍の礎。)
・ホレーショ・ネルソン提督(アメリカ独立戦争、ナポレオン戦争などで活躍したイギリス海軍提督。トラファルガー海戦でフランス・スペイン連合艦隊を破り、ナポレオンによる制海権獲得・英本土侵攻を阻止したが、それと引き換えに自身は戦死した。)
・トーマス・エドワード・ロレンス(オスマントルコに抵抗するアラブ人を支援。アラビアのロレンス)

仏国
・シャルルマーニュ(フランク王国の国王。北イタリアのロンバルド王国滅ぼし、再三の遠征によりザクセン族を服属させ、現代ドイツの大半を征服することで領土を拡大した。また、パンノニア平原にいたアヴァール人を討伐。結果としてカールの王国は空前の版図をもつにいたり、フランク王国は最盛期を迎えた。)
・マリー=ジョゼフ・ドゥ・ラ・ファイエット(アメリカの独立戦争に義勇兵として参加。)
・ジャンヌ・ダルク(イギリス軍を撃退し、シャルル7世の戴冠式を実現させた、神の使いの少女)

伊国
・ジャン・アンドレア・ドーリア(スペイン黄金時代に、スペインに一族ごと雇われていた海の傭兵。スペイン海軍を事実上実力世界一へと押し上げた。)
・ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世(イタリア王国初代国王)
・ジュゼッペ・ガリバルディ(イタリア統一運動(リソルジメント)を推進。イタリア統一を進めるため、多くの軍事行動を個人的に率いた。ヨーロッパと南米での功績から“2つの世界の王”とも呼ばれる。カヴール、マッツィーニと並ぶ「イタリア統一の三傑」の1人。1860年千人隊を組織してシチリアの反乱を援助し、両シチリア王国を滅ぼした。その後、征服地をサルデーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世に献上してイタリア統一に大きく貢献した。

・カミッロ・カヴール(同上。イタリア王国初代首相。)
・ジュゼッペ・マッツィーニ(同上。)

西国
・ロドリーゴ・ディアス・デ・ビバール(カスティリア王国の武官。当時、空白地帯だった、バレンシア地方の征服に成功。)
・ドン・ファン・デ・アウストリア(アンダルシアの反乱(特にアルプハーラスのモスリコの反乱)を鎮圧。彼の総司令官の任務受諾が公表された。そしてレパント海戦を指揮し、圧倒的勝利を収めた。)

    
独国
・アドルフ・ヒトラー(悪名高い彼ですが、実際やったことも非道ですが、それでも、当時を生きていた人々にとっては、ドイツ民族の英雄的存在?)
・オットー・エドゥアルト・レオポルト・フォン・ビスマルク(プロイセン王ヴィルヘルム1世の右腕(宰相)として鉄血政策を打ち出し、普墺戦争や普仏戦争に勝利。1871年にヴィルヘルム1世をドイツ皇帝として戴冠させ、ドイツ統一の立役者となる。ビスマルクは、初代ドイツ帝国宰相。)

ロシア
・アレクサンドル・ネフスキー(ノヴゴロド公国の公を経てウラジーミル大公国の大公となる。わずかな兵力でネヴァ河畔の戦いで大勝し、逆にスウェーデン軍を壊滅させると共に敵将ビルゲルを討ち取ってしまった。また後に、ドイツ騎士団が侵攻して来たが、アレクサンドルは「氷上の決戦」という名でも有名なチュド湖上の戦いで勝利し中世ロシアの英雄として讃えられている人物。)

モンゴル
・チンギス・ハーン(モンゴル人による、中国統一+国土拡大。)
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この回答へのお礼

解答ありがとうございます。うーん、世界は広いですね。

お礼日時:2007/08/31 22:41

最も優れた武将としてアレキサンダー大王を挙げられた方がおおいですが私はかれの用いた戦法の基礎を発明した彼の父フィリッポスをおします。


フィリッポスはファランクスと呼ばれる長槍密集歩兵集団を発明し騎兵との合同作戦を定め、彼らの装備を工夫し訓練により強化したのです。
かれはこれらをペルシャ戦争のため準備したのですが、志半ばで暗殺された為アレキサンダーが後をついだので、すべては父フィリッポスのお陰と言えましょう。

彼は騎兵の強化にあたり馬の改良も行いスキタイの馬と交配して良馬を生産し、優れた騎兵を備えたテッサリアを味方につけるなど騎兵の強化になみなみならぬ配慮を払いました。 これにより従来補助兵力でしかなかった騎兵を強力な戦闘集団にしたのです。 
従来歩兵の1割程度の騎兵であったのを1.5割以上に増加しその携行武器も楯、短槍2本、長槍1本、刀または湾曲刀と強化しました。
このような装備の強化と訓練がなければアレキサンダーの勝利もなかったでしょう。

エリッヒ・フォン・マンシュタインを挙げられているのは同感です。
かれは連合軍に最も恐れられたドイツ軍人で、ヒトラーの介入に反対ないし批判的でその為退役させられたのですが機甲師団の活用に早く着目していました。

スエーデン国王グスタフ・アドルフは軍制の改良を創始し、火器を最大限有効利用して近代戦の基礎を形ずくったといえます。
かれは兵站部の重要性に着目し、常置の倉庫より供給する方法で、膨大な輸送部隊や設営軍夫から軍を解き放ちました。
かれは回転式発火装置と薬莢の導入により、発射回数を大幅に増加させ小銃の軽量化により必要であった小銃台架を不要とし、小銃兵に機動力をあたえました。
さらに馬1頭または兵3人で移動できる小型連隊砲を配備しこの砲は薬莢式で小銃より発射速度が速かったといいます。

彼の行った各種の改良は後に近代戦に利用されるに至りました。

ジンギスカンとかれの武将スブタイは共に騎馬民族の特性である機動力とその戦闘力を最大限に活用した戦術で各地を席巻しました。
それに比べればフビライは武将として2流です。

ローマ時代のカエサルは武将として1流といえましょう。
かれのライン川敵前架橋やウエルキンゲトリクスの包囲戦での2重城壁の建設というユニークさは着想と規模といい卓越しています。

長くなりますのでこれくらいにしておきます。
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この回答へのお礼

丁寧な解答ありがとうございます。アレキサンダーは親子ともども傑出していますね。

お礼日時:2007/08/31 22:39

うーん、難しいですね。



アレクサンドロス、ハンニバル(レクター博士じゃないほう)、テムジン(チンギス・ハーン)、ナポレオンは確実でしょうね。

誰も書いていないので私が推すのがマウリッツ公です。この方は日本じゃほとんど知られていないのですが、軍隊が厳しい訓練をしたり手足そろえて行進したり、「右向けぇ、右!」で一斉に右を向くようになったのはぜーんぶこの人の功績です。ま、ある意味体育会のノリが大っ嫌いな人の敵ともいうべき人ですな。ちなみに、士官学校を作ったのもこの人です。つまり、近代軍隊を作ったのはマウリッツ公なんですなあ。

ところで、なぜ項羽の名前を誰も出さないのでしょう。生涯成績99勝1敗なのにね・笑。
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この回答へのお礼

解答ありがとうございます。ウマリッツ公の功績もある種の軍事革命といえるようですね。

お礼日時:2007/08/08 22:19

ジョージ・ワシントン


 戦術的敗北を重ねながら苦境に耐え、最後にイギリスを破った姿は劉邦を連想します。しかも劉邦と違って猜疑心と権力欲がない。

ルイ・ニコラ・ダヴー
宮崎繁三郎
チェスター・ニミッツ
白善燁
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この回答へのお礼

解答ありがとうございます。ダウー元帥についての話は何度か聞いたことがあるような気がします。

お礼日時:2007/08/08 10:46

No6ですが、訂正します。


(正) チンギス・ハーン
(誤) フビライ・ハーン

No8さんが挙げられた曹操は、東洋史で一番スケールの大きい人物かもしれません。我が織田信長と通じるものがあります。「世界一の名将」の有力候補でしょう。
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この回答へのお礼

解答ありがとうございます。本当にそんなに曹操ってすごのでしょうか。今度調べてみます。

お礼日時:2007/08/08 10:38

一応、武将となっていますから、武略についてなのでしょうかね・・・?なお、順番は時代順なので、優劣ではありません。



アレクサンドロス
ご存知のとおりマケドニアの王。古代史における「武」についてはカエサルより上なものがあるように思います。

曹操
破格の人。演義のおかげで評判は悪いですが、やったことは突出しています。当時の中国における枠をはるかに超えて、それを破壊した業績は政治面でも高く、また一生涯を通じて行った戦でも、かなりの業績を残しています。文武を通じて、破格の人です。

カール・シャルルマーニュ
カール大帝。たドイツ、フランス両国にまたがった英雄で、外征において最大版図を作り上げた王です。

チンギス・ハーン
これははずせません。後にも先にも、あれだけの帝国を作り上げたのは彼だけです。逆に、フビライは政治的失点も多く、また外征については失敗のほうが多いですから、武略では高く評価できません。

バイバルス
サラディンと並ぶイスラムにおける独眼龍。モンゴルや十字軍を打ち破っており、サラディンより華々しい気はします。

ティムール
中央アジア発祥の大帝国を作った創始者。モンゴル的な攻撃性と、イスラムの宗教的力を持ち合わせた征服者です。

永楽帝
朱棣。中国では評判の悪い皇帝ですが、その武における業績は高いです。若いころから北方の押さえとして北京に駐留し騎馬民族を倒し、不利な状態であった靖難の変で勝利して即位、その後安南や遼東を平らげたほか、自身も親征して北方の騎馬民族に対して攻撃を仕掛けています。

ヤン・ジシュカ
フス戦争における隻眼(末期は盲目)の英雄。火器(ハンドガンと大砲)の積極使用による、機動、火力を重視した「新機軸」を元とし、さらに宗教的厳格さを武器に神聖ローマを10年にわたり粉砕し続けた「ボヘミアの農民常勝軍」の指揮官。小国であったボヘミアが幾度と無く神聖ローマを破った(後期には、農民軍が歌を歌っただけで神聖ローマの軍勢は壊走したといわれます)その戦術は、同時期の世界においても突出しています。

サー・フランシス・ドレーク
ドレーク船長として有名な、イギリスの海賊騎士。スペイン無敵艦隊を打ち破る原動力となったその武略は、高く評価できますし、世界一周という業績も、揺るぎません。

アーサー・ウェルズリー
ウェリントンとして有名でしょうね。同時代の英海軍の司令官ネルソンのほうが有名ですが、こちらはそのイギリスの陸軍の軍人です。イベリア戦争などを戦った歴戦の将軍としてナポレオン戦争でも勝利を重ね、ワーテルローの戦いでナポレオンを下した、ナポレオン戦争の直接的な勝利者です。ネルソンがイギリスを守った英雄ならば、ウェリントンはイギリスに勝利をもたらした英雄ですかね。
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この回答へのお礼

丁寧な解答ありがとうございます。フス戦争について今度調べてみます。皆さんは本当に博識ですね。

お礼日時:2007/08/08 10:41

テクムセ


スバス・チャンドラ・ボース
パトリス=ルムンバ
とかですかね
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この回答へのお礼

解答ありがとうございます。ボース以外の人は聞いたことがありませんでした。今度調べてみます。

お礼日時:2007/08/08 10:37

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