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もしも第二次世界大戦中、日本軍が密かに原爆を多数持っていたら、あちこちに投下したと思うのですがどうでしょうか?
そう考えたら、アメリカの原爆投下は、自分から戦争をしかけておいて、いつまでも降参しなかった日本に問題があるような気がします。1発でも降参せず、2発もくらってようやく降参するのは、日本軍の自国民に対する残酷性のせいだと思います。

A 回答 (13件中1~10件)

当時の日本の科学者の動員力、工業力を考えるとどうかんがえても無理な仮定ですが、どうせ無理な仮定をするのなら、ついでにV2号も持っていたらと仮定しませんか?


それなら、第2次世界大戦は日本の勝ちです。米国が壊滅すれば欧州でもナチスドイツが勝つでしょうから、日本とナチスドイツが世界を2分したでしょう。
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この回答へのお礼

ですよね。ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/09 19:08

使ってたかも。


日本軍の性格以前の問題ですけど、当時は原爆の危険性の認識が低かったようです。強力な爆弾くらいの認識で。実際その後アメリカも核戦争での実戦訓練をしてアメリカ兵の被爆者を大量に出してますもんね。兵隊を使い捨てにする残酷性はどこの国にも潜在してるような気がします。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/23 17:07

 結論を出す前に、もっと日本史の基本的勉強をしてみては如何でしょうか。



 昭和に入ってからの日本政府、日本軍は対応・判断の誤りが続出します。残酷性ではなく、数多い判断の誤りの一つです。
 当時の日本人と今の日本人とは、同じDNAで繋がっていますから、現代になって「誤りであった」と判断する我々と、戦時中に「誤った判断をした」政府・軍首脳とは、基本的能力は同じと言っていいでしょう。

 では、なぜ『誤った判断をしたか。』ということですが、それは「情報の軽視・無視」でしょう。(意図的・無意識のものがあったと思います。)
 あなたも、判断される前に多くの情報に触れることをお勧めします。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/23 17:08

あくまでも私見です。


 真珠湾奇襲攻撃はだまし討ちだと思っています。それは実際に宣戦布告がおくれているからです。要は罪もない島民が攻撃にさらされ不幸にも亡くなられた人々が多数おられるのです。
 アメリカ軍は投下前にビラを飛行機から多数投下しているようです。
数日前とか後日とか数回にわたっているようですが。要はそのビラを当時の日本を動かしている人達がどう判断するかにかかっていたのではないでしょうか。当時の日本を動かしている人達は自国民の安全より自分のプライドのみで行動していたのではないのかなと思います。要人は横穴(防空壕)を掘りコンクリ-トでかため入り口はコンクリ-トの分厚い立壁をつけ爆風が直接室内にはいってこない構造になっていたのですから、さらに電気水道等の設備が完備されているところで指揮等をとっていたのでしょうから一般市民の防空壕とは雲泥の差が実際にあります。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/23 17:08

質問者さんは日本軍は自国民に対して残酷性があるとの認識の上で議論しようとしているようです。

日本人なら自国の歴史を自虐史観でなく正確な偏見の無い目で見ることが必要でしょう。まず日本が原爆を開発することは経済的には不可能です。戦前に原爆の理論を解明して開発は出来ることは判っていたようです。もし開発していたならあちこちに投下しただろうと推測する根拠は何でしょうか、そもそも日本軍には一般住民を虐殺する戦術は無いはずです。あちこちに投下するにしても運搬手段はどうするのですか。今現在も広島に立てられている慰霊碑に刻まれている「安らか眠って下さい、過ちは繰りかえしませんから」の文言は
貴方のような思考の人々が過ちとは敗戦を遅らせてた者達の決断の遅れにあるとの考えだと言ふことが判りました。原爆投下は日本も同じように原爆の開発を出来なかった過去の科学者の責任であると言ってもらった方が判りやすいことではないでしょうか。防衛大臣の「しょうがない
」発言よりもし日本が持っていればもっとあちこちに原爆投下したはず
ですからアメリカは広島長崎など気にするこはありませんと聞けます。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/11 10:09

制空権、制海権を保持していた状態でも、臨界量のウラン235と起爆装置をつけた代物をどうやって運べたと思いますか?B-29の様な巨大な爆撃機でやっと運べたんです。

あちこちに落とすのは無理です。マリアナ海戦辺りで実用化できたとして軍艦に乗せて米艦隊の近くで使用するのが精一杯だったと思います。

アメリカの原爆投下は明らかに戦争犯罪です。ソビエトの侵攻を北海道以北でストップさせるために実物を見せつけたという見方もありますがどう理由をつけようと明らかな戦争犯罪なんですよ。日本軍のせいにするのはお門違いです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/09 12:54

なぜアメリカが原爆を落としたのかご存知でしょうか?


一般市民に対する原爆投下は戦争犯罪です。日本が戦争を始めた側だとしても、それを理由に肯定されることではありません。
なお、戦争を始めること自体を犯罪とする法律はありません。

>あちこちに投下したと思うのですがどうでしょうか?
・あちこちとは具体的にどういった所を仰っているのか分からないのですが、「何も考えずに、落とさせるところはどこでも落とす」なんてことはあり得ないです。

>自分から戦争をしかけておいて、
・戦争を「仕掛けた」のはアメリカです。

>1発でも降参せず、2発もくらってようやく降参するのは、
・ポツダム宣言が出されたのは1945年の7月26日ですが、トルーマン米大統領が日本への原爆投下を命令したのは、その2日前の24日です。
・日本は原爆投下前に、すでに戦争終結の準備を進めており、ソ連に終戦の仲介を依頼中でした。

>日本軍の自国民に対する残酷性のせいだと思います。
・これも具体的にどのことを仰っているのか分かりませんが、日本人に最も残酷な目にあわせた真犯人はアメリカです。

ちなみに、東京裁判で日本人被告人に対して全員無罪の判決を出した国際法学者のパル判事はこう仰っています。

「ハル・ノートのようなものを突きつけられたならば、モナコやルクセンブルグ(のような小国)でさえ戦争に訴えたであろう」

「要するに彼ら(欧米諸国)は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の一七年間(昭和3年~20年)の一切を罪悪と烙印する事が目的であったにちがいない。 私は1928年から1945年までの一七年間の歴史を二年七ヶ月かかって調べた。この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。それを私は判決文の中に綴った。その私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であるということがわかるはずだ。それなのに、あなた方は自分らの子弟に、「日本は犯罪を犯したのだ」「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」と教えている。満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されていくのを私は平然として見過ごすわけにはゆかない。あやまられた彼らの宣伝の欺瞞を払拭せよ。あやまられた歴史は書き変えなければならない。」

「(戦後)日本は独立したといっているが、これは独立でも何でもない。しいて独立という言葉を使いたければ、半独立といったらいい。いまだにアメリカから与えられた憲法の許で、日米安保条約に依存し、東京裁判史観という歪められた自虐史観や、アメリカナイズされたものの見方や考え方が少しも直っていない。日本人よ、日本に帰れ!と私は言いたい。」

「東京裁判の影響は、原子爆弾の被害よりも甚大だ」

おまけ、「大東亜戦争の真実」 世界の大東亜戦争の評価。
http://specific-asian-flash.web.infoseek.co.jp/d …
*大東亜戦争とは先の戦争の日本側の呼び方です。

あと、小林よしのりの「戦争論」という漫画が1~3巻出ているのですが、それがとても勉強になります。
戦争などを考えるきっかけとして、時間があれば読んでみてください。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/09 12:54

 仮に持っていたとしたらもちろん使いたかったでしょうね。

でも今みたいにミサイルで飛ばすわけじゃないので、B-29のような高性能の爆撃機もなかった日本では現実的には不可能だったでしょう。

>自分から戦争をしかけておいて

 これに関しては「どっちもどっち」だったと思いますよ。ちょっと調べればすぐにその感想にいたると思います。南部仏印進駐、対日石油禁輸、ハルノート、などを調べてみてください。純粋に日米戦争ということに絞れば、私は自衛戦争というのも成り立つと思います。

>1発でも降参せず、2発もくらってようやく降参

 これに関しては、タイムラグの範囲だと思います。たった3日ですからね。ウラン型とプルトニウム型の両方を試したかったと言われても仕方ないと思います。アメリカでは、原爆は戦争を早く終わらせるために必要だったという見方が大半ですが、2発目の必要性は疑問視されているようですから。

>日本軍の自国民に対する残酷性

 この表現が正しいかどうかはわかりませんが、自国民に対する「甘え」のようなものが存在していたのは確かでしょうね。個人として見るのではなく、集団の一員として犠牲は当然、という意識は現在の日本でもサービス残業なんかで残ってると思いますよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/09 12:54

当時日本は既に終戦に向かって国内協議を始めていました。


表面的には国体護持(天皇制の存続)が議論されていましたが、
戦争責任をめぐる軍部内の対立だったという見方もあります。
いずれにしても原爆が投下されようとされまいと日本は降伏することに
なっていたはずです。当時、ソ連が対日参戦するか否かというタイミングも
あり、戦後の東アジアの統治をめぐる米ソの駆け引きから原爆が使われたと
考えるのが自然でしょう。
なお広島と長崎に2度原爆が落とされたのは濃縮ウラン型とプルトニウム型の
それぞれ実戦での威力実験の目的があったと考えるのが普通でしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/08 20:12

保阪正康の本に詳しいですが、


到底実用化のレベルではありませんが開発していたのは事実です。

もし持っていたら使ったでしょう。
当時の軍人のマインドを考えると日本側に犠牲がでるような使い方でもつかったかもしれません。

ただし、結果として使わなかったということでも、
アメリカの原爆投下を非難すべき立場にあると思います。
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この回答へのお礼

わかりました。ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/08 20:11

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