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こんばんは。
初めまして。
さっそく質問させていただきます。
「征韓論」についてなのですが、
この主張をとなえた理由を簡単に言うとすると、
なんと言えばいいのでしょうか?
教科書を読んで考えてみて、
「新政府に対する士族の不満を解消できると考えたから。」
でいいかな?と思ったのですが、
「征韓論」をとなえた理由として合っているのでしょうか?
「使節が殺害されれば出兵の口実となり、新政府に対する士族の不満を解消できると考えたから。」の方が良いでしょうか?
付け加えた方がいいことなどありましたらアドバイスを下さい。
よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

簡単にいうと[士族の働きぐち]ではダメですか?



難しく言うと、目の前の本の内容をすべて書き込まなくてはいけませんので、参考文献のみ記載しておきます。

マンガ [日本の歴史がわかる本]三笠書房 981円 
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。

お礼日時:2007/08/13 21:10

 ちょっと質問の論点がぼやけてますね。


 「征韓論」を唱えた
 理由は「明治新政府との交渉を拒否されたから」
 目的は「朝鮮を開国させるため」

>使節が殺害されれば出兵の口実となり

 これは「征韓論」実現のための外交手段です。

>新政府に対する士族の不満を解消できると考えたから

 これは国内事情であって、新政府にとっての副次的な利益です。

 人によって重視するものは色々だとは思いますが、副次的な理由なら他にもありますよ。だから基本的な理由と目的は押さえておいたほうが良いと思います。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。

お礼日時:2007/08/13 21:11

まず征韓論を唱えたのは、新政府ではなく、


新政府内の”非主流派”です。ここを間違えないように。

征韓論は簡単にいえば、西洋化を始めた日本を蔑視する
朝鮮の排日・鎖国の態度に罰するために、
武力で朝鮮を開国させること、
ひいては占領あるいは保護国化することです。

朝鮮半島ひいては大陸への進出という点では大方は一致し、
長期的展望として日本の軍事外交戦略は地政学上、
この路線しかないのですが、これは当然なのですが、
明治新政府が発足間もないので、今は戦争よりも、
内治優先という主流派と、面子を大事にする板垣ら非主流派が
対立したというのが背景にあって、
薩長派閥の独占に対する土佐・板垣、佐賀・江藤らの憤りや、
新政府の方針になじめない保守派の西郷との違和感などがあったために
話がこじれるわけです。

板垣は出兵を主張しますが、戦争を嫌う西郷が使節派遣を主張して
自分がいって解決しようとしますが、西郷の身の危険を心配し、
もし西郷に何かあれば戦争は避けられないために大久保らがこの案をつぶします。

征韓論は士族の不満とは、直接は関係なくて、政府内の内紛でしかありません。
征韓論で、つまり戦争によって士族不満を解消しようという案は
あったわけですが、それは副次的なものでしかありません。
しかし在野した彼らが郷土の士族の不満と結びついて反乱を起こすわけです。

征韓論の本来の目的は、朝鮮の態度を改めさせることです。
西欧化、工業化する日本は、李氏朝鮮の方が軍事力が劣ることを知っていて、
儒教礼節をたてに日本の非礼を非難する朝鮮に
実力を見せたい欲求にかられてきたというわけです。
しかしそれは宗主国である清王朝を怒らせることは確実であり、
中国との戦争になると、日本はまだその準備がないというので
新政府はこれを押し留めるわけです。
しかしアイデアというか、朝鮮半島を勢力下におくこと自体に反対していた
わけではありません。
時期が悪いというだけ。

その時期がきたとき、日清戦争と韓国併合がおこるわけです。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。

お礼日時:2007/08/13 21:11

 なぜ韓国が問題になるのか、これを踏まえておかないと、妙な自虐史観に絡め取られます。

気を付けましょう。
 侵略だなんだと言って当時の日本を貶めようとする人がいますが、当時は世界中が侵略合戦をしていたのですから、侵略する側に立たなければ侵略されて植民地にされるしかなかったという状況を、知らないか意図的に無視しているか、どちらかです。

 そもそも日本は、開国なんかしたくなかったわけで、それを無理やり開国させたのはアメリカです。もっとも、アメリカがやらなければ、そのうち別のどこかが数十年のうちには実施していたでしょうが。世界中が侵略合戦をしていた時代ですしね。

 以上の背景を踏まえて、なぜ韓国が問題になるか。
 大陸からの侵略に備える橋頭堡が欲しいという理由です。具体的には、ロシアです。

 日本にとってベストの政略は、韓国が独立国となって独自にロシアと渡り合ってくれることです。そうなれば、ときおり日本が後方支援をする程度で済むので、日本にとってのコストパフォーマンスは抜群です。
 実際、その方針で日本政府も当初は進んでいましたが、鎖国中の韓国は世界情勢を理解できません。まあ、幕府もペリーに対して適切に対処できなかったので、この点についてはあまり日本も偉そうなことは言えませんが。

 ともあれ、話し合いでは埒が明かないので、日本はペリーがした手順をほぼなぞるように、韓国を開国させました。ポイントは、政略どおり、朝鮮を独立国とするとした点です。
 なぜわざわざ「独立国」と日本が認めてやらなければならなかったかというと、朝鮮は当時、「大清属国」として自他共に認める清の属国だったからです。
 が、開国させて独立国としての体裁を整えても、やはり朝鮮は世界情勢を理解せず事大主義を続けましたから、日本にとってベストの政略は実現できませんでした。

 このような、国防政略として大陸に橋頭堡を作る、という大きな流れの中、具体的な戦略案として、「征韓論」が出てくるのです。これは、「朝鮮人に任せられないなら、自分たちでやるしかない」ということです。
 西郷がどう、なんて話は、その更に詳細な戦術論です。
 士族の不満、なんて話は、期待できる副次効果というレベルの、枝葉末節です。

 なお、繰り返しますが、これは当時、悪でも何でもありません。
 侵略されて植民地化される所があったとしたら、その土地が未開である故の自業自得でしかなく、侵略すること自体には、はなんら責められるような問題は無い、それが当時の国際常識でした。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。

お礼日時:2007/08/13 21:12

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