第二次世界大戦について、その責任と謝罪が問題になりますが、ほとんどが外国との問題です。

よく考えると、日本国民はどうなるのでしょうか。当時の権力者の中で、正式に日本国民に謝罪した者がいますか。

天皇、政治家、軍部その他。

(謝罪は、戦争に勝てなかったことを詫びるのではなく、戦争を始めて国民を抑圧したことです。)

教えてください。

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A 回答 (14件中11~14件)

No3ですが、質問者様は誤解していませんか?


戦前の日本は、「議会制立憲君主国」であり、例えば今の中国よりはるかに民主的・自由な国でした。マスコミが政府を批判するのは原則として自由で、国民の海外への行き来は特に制限されていませんでした。

1941年の秋、各マスコミは政府の弱腰を攻撃し、「米英許すまじ」と気炎を上げていました。大学などの図書館で当時の新聞の縮刷版を見れば分かりますよ。

「戦争を始めて国民を抑圧したことです」
という記述から「戦前の日本は軍部が独裁権力を振るう国家だった」とお考えのように見えますが、それは間違いです。当時の日本がどういう国だったのか、ちゃんとした本を読んで勉強してください。
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大西瀧治郎 海軍中将


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%A5%BF% …
は、
「8月16日、日本の敗戦を見とどけると、「特攻隊の英霊に曰す」で始まる遺書を遺して割腹自決。自決に際しては敢えて介錯を付けず、また「生き残るようにしてくれるな」と医者の手当てを受ける事すら拒み特攻隊員に詫びるために夜半から未明にかけて苦しんで死んだという。享年54。」
という行動を取っています。多くの若者を特攻で殺したことを国民に謝罪し、自ら「一番苦しい死に方」で自決することで、その謝罪を具体化したと思われます。

終戦時の陸軍大臣で、御前会議でポツダム宣言受諾に反対して本土決戦を主張した阿南惟幾 陸軍大将
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E5%8D%97% …
も、
「太平洋戦争(大東亜戦争)末期、梅津美治郎参謀総長とともにあくまで本土決戦を唱えるが、昭和天皇の終戦の意志が固いことを知り、最終的には終戦に同意。軍事クーデターをほのめかす部下の軽挙妄動を戒めながら、8月14日夜、ポツダム宣言の最終的な受諾返電の直前に陸相官邸で自刃。介錯を拒み、翌15日朝絶命」
と、大西中将と同様の自決をしています。なお、阿南陸相の「徹底抗戦論」は、陸軍が本土決戦に暴走するのを抑えるための、鈴木貫太郎首相や米内光政海軍大臣(いずれもポツダム宣言受諾派)と打ち合わせての、昭和天皇の「聖断」を引き出すための「演技」であったという説もあります。

なお、拙劣な指揮で多くの将兵を無駄死にさせたと後世の史家が批判する
辻政信 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%BB%E6%94%BF% …
牟田口廉也 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9F%E7%94%B0% …
富永恭次 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E6%B0%B8% …
らは、いずれも大西中将や阿南大将のような行動は取らず、戦後に自己弁護の発言を多く行っています。

辻は戦後に国会議員となり(何でこんな奴に投票する者が多数いたのか?)、ラオスまで「視察」に行って行方不明となりました。
牟田口や富永は天寿を全うしています。
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それは、民主主義国家の「国民主権」という概念を無視していると思います。

戦争を起こしたのは、軍部ですが、これは軍部を抑えられなかった政治家が悪い。そしてその政治家は国民が自らの代表として選んだのです。つまり日本国民が戦争を選んだのです。事実、満州事変後にリットン報告書が採択されて、松岡洋右が国際連盟を脱退して帰国した際には、国民は松岡を英雄として迎え入れた。日本国全体が戦争歓迎ムードだったわけです。政治家を国民とは別個に存在するものと考えると謝罪がないということになりますが、民主主義国家においては、政治家と国民はイコールなんです。
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 当時の大日本帝国も、民主的に選挙を行って為政者を決める、民主主義国家です。


 形だけの選挙モドキしかしていない、今の共産党中国や北朝鮮や今はなきイラクとは違います。

 したがって、戦争を始めたことは民意に基づくものでもあり、それを謝る筋合いはどこにもありません。
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よろしくお願いします。

Aベストアンサー

> 韓国、北朝鮮の人々の心情を、ある程度、代表しえる回答を希望します。

全くこの条件が分かりません。

> 当時の大韓帝国国民は大勢として、どの国の勢力下に入ることが最も苦難が軽く、どの国の勢力下に入ることが最も苦難が重いと考えていましたか。

国民をどの層と考えているのかは存じません。
日清戦争当時、朝鮮は清の属国です。王を中心とした一派は清にすり寄りますが、失政により、最終的に甲午農民戦争という内乱になります。この時の処理の対立が日清戦争の引き金です。
日清戦争では、国王を中心とした一派は清にすり寄りますが、朝鮮という国自体は日本側に立ちます。これは、朝鮮内部の勢力争いの中で、この当時は親日的な勢力が優勢であったということを示しています。

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> 韓国、北朝鮮の人々の心情を、ある程度、代表しえる回答を希望します。

全くこの条件が分かりません。

> 当時の大韓帝国国民は大勢として、どの国の勢力下に入ることが最も苦難が軽く、どの国の勢力下に入ることが最も苦難が重いと考えていましたか。

国民をどの層と考えているのかは存じません。
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この質問は、実際のところは明治維新より続く問題に、面子が絡んだものですから、非常に難しいのですが・・・

陸海軍の対立は、陸の長州、海の薩州といわれるころより続いていた問題です。

当時、会戦のころは国内情勢が結構逼迫しており、もし弱腰になったら、2.26や5.15のようなことが起こる可能性は十二分にありました。
また、国民世論の面でも、弱腰=政権崩壊の可能性があったりと、なかなか厳しい状態です。

陸軍と海軍の力関係ですが、組織の上では一応対等となっています(実は明治維新後しばらくは陸軍が上だったのですが、その後に海軍が黄海海戦での戦果や日本海海戦の大勝利を盾に地位を巻き返したのです)。
しかし、満州事件や日中戦争など、陸軍主導の拡大政策が、ある程度の成功を収めていた上、海軍大将でもあった米内内閣なんかの政治成果があまり芳しくなかったことなどもあり、やや国内政権は陸軍に主導権がありました。

なお、質問者さんが読んだ本は、少々海軍贔屓過ぎるような気はしますね。
私も(土地柄)海軍贔屓であると思いますが、陸軍を、軍事オタクの馬鹿とするのは、少々過小評価しすぎかと。

そもそも、当時の陸軍大学、海軍大学といえば、帝国大学(現東大)と同等以上のエリート大学ですから、基本的に馬鹿はあんまりいないのですけどね・・・
東條も、決して馬鹿ではありません。馬鹿では陸軍大将で総理大臣にまではなれませんから。

ただし、アメリカに対する認識がしっかりしたものであったかと言うと、そうとも言えません(この点が、陸軍批判の最大の原因)。
これは、当時の陸軍海軍の教育方針に違いがあります。
当時まだ日本は、後進国ですから、陸軍大学や海軍大学をでた、いわゆるエリートはほとんどが海外留学をします(もちろん、駐英次官だったりという肩書きで、ですが)。
で、陸軍の留学先ではドイツ、フランス(どちらもいわゆる陸軍国)が主だったのですが、海軍の留学先は米英が多かったです。
結局はこの違いです。米英に留学している人が多い海軍のほうが、アメリカのことを多く、そして良く見ていたのは、ある意味当然でしょう。
しかし、これをもって「視野が狭い、常識がない」とするのは、少々性急でしょうね。

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