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江戸時代、刀の柄糸や下げ緒の色には、何か幕府の規定などはあったのでしょうか。

時代劇を見ていると――これらがすべて忠実な時代考証のもとに制作されているとは思いませんが――例えば、将軍は紫であったり、大名・大身旗本は白、幕閣のお歴々や諸藩の家老などの上士は茶や鉄紺にうぐいす、町同心や新撰組隊士、その他一般の下士の差料や町人拵は黒、といった感じがします。
上級武士が黒い柄糸の拵を帯びているのは見かけますが、反対に下級武士が黒以外のものを帯刀しているケースはあまり見かけません(飽くまでテレビ時代劇を見る限りでのことです)。

ちなみに我が家には柄巻がうぐいす色の大小があります。
祖先は代官所手代と聞いておりますが、下士の分際では、白柄やうぐいす色の柄の刀を帯びることは許されなかったのでしょうか。
それとも、役儀を勤めるときとは別に、非番のときの“遊び差”として他の刀を用意していたのでしょうか。

登城の際の殿中拵(番差・裃差)にはさまざまな規定があったと聞きますが、諸藩や奉行所および代官所などに出仕する下級武士の間にも差料の決まりはあったのでしょうか。

よろしくお願いいたします。

A 回答 (2件)

No.1の答えと同様ですが、


江戸では小笠原信夫氏によると、大名の登城時の大小は、黒蝋の塗鞘で柄糸と下緒は黒、金具は赤銅魚子(しゃくどうななこ)地と定められていたそうです。
当然付き添う家臣も黒漆の鞘など黒拵えの大小です。
参勤交代など大名行列の絵をみると判ります。   江戸城警護として将軍の所へは、常に臨戦態勢をとって行くと言うことでしょう。
その他では特に規定、制約があったとは聞いていません。
江戸城内でも祝いの席では、大名は金銀拵えなど差していました。
白柄組や派手な拵えの旗本や、朱鞘の大小などの話が残っています。
ただ武家の掟として身(分)不相応な身なりは、しないように努めた筈です。
地方では別な規定のある藩もあったかも知れません。
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直接的な回答ではありませんが・・・



登城の際は黒の柄糸で黒の下げ緒で黒鞘のみと決められていたと聞いたことがあります。
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