道元が福祉に貢献したと本に書いてあったんですけれど、難しくてよく分からないです。道元はどうして福祉と関係しているのですか??ほんと疑問です。

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A 回答 (1件)

すいませんが、道元が福祉に貢献したという述懐している文章を載せていただけないでしょうか。


 答えられるかどうかわからないんですけれど。(笑)お願いします。
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Q黄檗宗って誰が開祖ですか? 黄檗宗も栄西の弟子が開祖ですか? 道元は栄西の弟子から独立したみたいです

黄檗宗って誰が開祖ですか?

黄檗宗も栄西の弟子が開祖ですか?

道元は栄西の弟子から独立したみたいですけどこの人も栄三で禅宗を習ってから独立した?

江戸時代とか室町時代に禅宗が大人気になった理由って何があったんですか?

平成でもAppleの創業者のスティーブ・ジョブズが禅にハマって禅宗ブームが起こりましたよね。

室町時代、江戸時代、平成時代に禅宗ブームが起こっている。

何がそんなに魅力的なのか道元の曹洞宗を学んでもどこが魅力的なのかさっぱり分からなかった。

禅に人生を捧げるような魅力はなかった。

Aベストアンサー

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E6%AA%97%E5%AE%97

Q道元は何故、出家者だけ受け入れるようになったのでしょう?

曹洞宗の道元についての質問です。
道元の晩年のこと、当初は在家出家関係なく誰にでも学びの場を提供していたのが、
出家者に限るとした理由について教えて下さい。

本では、一般の人に教える為に正法を歪めるよりも、
釈迦の正法を伝える為と書いてあったのですが、

宋から日本に帰ってきたのは、宋で得た学びによって、
日本の人々を救う為ということでしたら、出家在家問わずに
学びを伝えることが本当のようにも思うのですが、

それよりも、正法を伝えることに、
重きをおいたのにはどのような思いがあったのでしょうか。

不躾な質問で恐縮ですが、よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

曹洞宗の僧侶です。
道元禅師晩年の出家主義については、まだ定まった評価がないようです。「在家」「出家」の差別化が、実際にどの程度すすめられたのかもよくわかっていません。

道元禅師の「正伝の仏法」は、単に学び知識や学識として持っているだけでは何にもならず、それを実践するところに眼目があります。ですから、「正伝の仏法」への接近を究めていけば、自ずから「出家」に至るという考えが前提としてあります。「在家」への布教、教化はその「種をまく」作業ではあっても、それが主目的ではないという気持ちが道元禅師にはあったのではないでしょうか。

道元禅師は53歳で亡くなっています。また、「正伝の仏法」の道場として永平寺を開いたのは44歳の時です。
他の宗派の祖師と比べると、道元禅師は少し早死にのようにも思えますが、聖マリアンナ医科大学の研究では鎌倉時代の平均寿命は24歳くらいだったとも言われていますので、当時は40歳を過ぎれば自然と自分の死期を意識せざるをえなかったのではないでしょうか。
永平寺を開いたといっても、地を定めて最低限必要な建物ができたというだけのことで、永平寺の整備は道元禅師の死後も続きました。また当時の教団は、いわゆる道元禅生え抜きの一派と日本達磨宗から集団転派した一派が、かならずしも円満和合とはいえない状態で同居していました。永平寺の整備を進めながら、これらの調整もし、自分の「死」に向かって、なんとか「正伝の仏法」を正しく根付かせていこうと考えた時に、自分に残された時間はあまりにも少ないと道元禅師は考えられたのではないでしょうか。
道元禅師にすれば、日本に「正伝の仏法」を伝えたのは自分だけなのですから、やはり焦燥感はあったはずで「とても在家の面倒までみている余裕はない」という気持ちになられたのではないかと思います。

ただし、道元禅師の出家主義が、かならずしもストレートに「在家仏教」を否定するものではないということは、後継者にゴリゴリの道元原理主義者ではなく、布教経験の蓄積がある日本達磨宗系の孤雲懐奘を指名したことにうかがえるように思えます。

曹洞宗の僧侶です。
道元禅師晩年の出家主義については、まだ定まった評価がないようです。「在家」「出家」の差別化が、実際にどの程度すすめられたのかもよくわかっていません。

道元禅師の「正伝の仏法」は、単に学び知識や学識として持っているだけでは何にもならず、それを実践するところに眼目があります。ですから、「正伝の仏法」への接近を究めていけば、自ずから「出家」に至るという考えが前提としてあります。「在家」への布教、教化はその「種をまく」作業ではあっても、それが主目的ではないと...続きを読む

Q食前の頂きます文化は道元が発祥だと聞いて、道元の正法眼蔵を読んだが一切、食の事に触れておらず、なぜ日

食前の頂きます文化は道元が発祥だと聞いて、道元の正法眼蔵を読んだが一切、食の事に触れておらず、なぜ日本の食=道元なのか最後まで読んでもさっぱり分からなかった。


さらに正法眼蔵に頂きますと説いた説法もなかった。

道元は禅の神様と呼ばれているのは、禅の5宗と言われている全ての寺で修行し、中国とインドで修行し、禅の全てに精通したからだと思う。

でも日本の食=道元の図式は正法眼蔵からは見られなかった。

しかも中国とインドで修行しただけあって中国の仏教はインドの仏教とは違うものであると理解していたのが優秀だと思った。

けど、日本人の頂きます文化の発端が道元によるというのは一言も頂きますとは道元は言ってないので道元説も証拠がない。

けど、中国はキリスト教の教えをインドの仏教の教えと勘違いしてキリスト教の教えとインドの仏教の教えをごっちゃにして中国仏教は出来ていたので、道元が中国で中国仏教を習ったときに、食事の際に祈る儀式を仏教の教えとして学んだ可能性があることはある。

キリスト教→中国がキリスト教をインド仏教と勘違い→道元が中国仏教を習う→食事の際に祈る文化をここで知る→日本に帰る→食事の前に仏に感謝して命、魂を頂くことを感謝して頂きますと言うと教えた→日本に頂きますが広がる→戦時に日本政府が道元の仏教文化である頂きます文化を取り入れ全国に普及。

けど、道元は書物に頂きます文化を語っていないし、中国仏教を習って本場のインドに行って、インド仏教を習ったら、中国仏教がデタラメでブチ切れて後世に残る伝書に中国仏教とインド仏教は全然違うと弟子たちに教えて中国仏教は偽物であると教えていた。

道元が弟子たちに食の前に頂きますを言うと教えている記録が欲しい。

食前の頂きます文化は道元が発祥だと聞いて、道元の正法眼蔵を読んだが一切、食の事に触れておらず、なぜ日本の食=道元なのか最後まで読んでもさっぱり分からなかった。


さらに正法眼蔵に頂きますと説いた説法もなかった。

道元は禅の神様と呼ばれているのは、禅の5宗と言われている全ての寺で修行し、中国とインドで修行し、禅の全てに精通したからだと思う。

でも日本の食=道元の図式は正法眼蔵からは見られなかった。

しかも中国とインドで修行しただけあって中国の仏教はインドの仏教とは違うものである...続きを読む

Aベストアンサー

正法眼蔵は仏教思想の書です
食事については典座教訓を読んでください

Q道元の「身心道学」について

道元の「身心道学」について教えてください。
できるだけ詳しくお願い致します。

Aベストアンサー

心身一如、心身医学、池見酉次郎。相通ずる。

Q道元の正法眼蔵はどういう内容の書物なのでしょうか? 正法眼蔵で何を学び取れば良いのですか? 正法眼蔵

道元の正法眼蔵はどういう内容の書物なのでしょうか?

正法眼蔵で何を学び取れば良いのですか?

正法眼蔵を読んで何を得るべきなのか分かりませんでした。

道元は5宗の禅修行と中国修行とインド修行を達成して達観した思想が禅宗ですが、そんな修行をしていない凡人が正法眼蔵を読んだところで何を得られるというのでしょう?

読んで何か得ましたか?

何を得れば良いのか良かったのか教えてください。

道元は幾人もの人にこの質問を同じように何度も何度もされたようで、当たり前だがこの正法眼蔵から何を学べるのかさえ分からない人は当時から大勢いたようで、答えを求めてはならぬと言って、答えは自分で気付けと言って教えなかった。弟子も答えは聞いたらダメと教わったので、誰も道元に正法眼蔵の本質の何をこの本から学べば良いのか理解できなかった人も大勢いたようです。

この正法眼蔵は名著と言うが私にはこの教えが何の役に立つのか最後まで分からなかったので質問サイトということで甘えさせて貰って答えが知りたいです。

道元の正法眼蔵を読んで道元が何を言いたかったか理解出来た人はいますか?

道元の正法眼蔵はどういう内容の書物なのでしょうか?

正法眼蔵で何を学び取れば良いのですか?

正法眼蔵を読んで何を得るべきなのか分かりませんでした。

道元は5宗の禅修行と中国修行とインド修行を達成して達観した思想が禅宗ですが、そんな修行をしていない凡人が正法眼蔵を読んだところで何を得られるというのでしょう?

読んで何か得ましたか?

何を得れば良いのか良かったのか教えてください。

道元は幾人もの人にこの質問を同じように何度も何度もされたようで、当たり前だがこの正法眼蔵から何を学...続きを読む

Aベストアンサー

正法眼蔵はきわめて難解な書物ですが、これを読んで
何を得るべきかがわからなかったなら、道元の本意を
つかんだと言えるでしょう
人間本来無一物、無所得、不立文字、教化別伝なんですから。

Q法然・親鸞・道元・日蓮はお互いの面識は?

各聖人は生きた時代が重なってる様ですが、法然聖人と日蓮聖人は重なってませんが。  
  各聖人たちはお互いを知ってたのでしょうか?

  お互いの会った事は有るのでしょうか?


特に日蓮聖人は禅は魔界に入る  浄土宗真宗は無間地獄と言っていると認識いているのですが。

私自身凡人身では有りますが、確かに禅は難解で有りますが魔界転じて自覚が得られような気がするのですが、浄土系も取り様によっては現実逃避的に見えるのですがよくよく思案しますと立派な教えだと思うのですが。

聖人たち自覚の底は繋がっていると思うのですが、お互い面識が有り語り合えば解りあえた様な気がするのですが。

法然・親鸞両聖人は師弟関係の様ですから別ですが。

Aベストアンサー

>>法然・親鸞・道元・日蓮はお互いの面識は?
>>お互いの会った事は有るのでしょうか?
質問者ご自身がおっしゃるように法然上人と親鸞聖人は師弟関係にあったわけですから、面識はあったでしょう。道元禅師と日蓮聖人は、質問にある方とは面識はないと思います。

>>特に日蓮聖人は禅は魔界に入る  浄土宗真宗は無間地獄と言っていると認識いているのですが。
 「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」ってやつですね。この中でも、日蓮聖人は法然上人を中心とする日本浄土教に関しては非常に厳しい批判を加えていますね。
 こういった批判が行われたことは親鸞聖人の弟子(親鸞聖人は「弟子一人ももたず」といっていますけど)唯円が著わした『歎異抄』第二条の中にもうかがうことができます。

おのおの十余箇国のさかひをこえて、身命をかへりみずして、たづねきたらしめたまふ御こころざし、ひとへに往生極楽のみちを問ひきかんがためなり。

このように関東の念仏者は何かを不安に思い、親鸞聖人をたずねたわけですね。ひとつには浄土教の教えを曲解した同門のものたちへの不安という内的な要因と、もうひとつは浄土教外部からの批判というものがあったと考えられます。その外部からの批判としてあげられるのが日蓮聖人であったろうといわれます。しかし、当時親鸞聖人はマイナーな人だったはずですから、日蓮聖人も直接会って話してやろうということは思ってもみなかったと思いますよ。

>>聖人たち自覚の底は繋がっていると思うのですが、お互い面識が有り語り合えば解りあえた様な気がするのですが。
 これについては先にも述べている人がいらっしゃいますが、やはり末法の克服というのがその根底にあるでしょうね。「末法」とはわかりやすくいえば「修行できない、悟りを開けない時代」ということだと思っていただければいいと思います。
 法然上人や親鸞聖人は、末法という時代に住む自分の弱さや愚かさや醜さを徹底的に見つめ、悟ることができない私であるという自己反省から出発します。そして、悟りを開くためには阿弥陀仏の御本願を信じ「南無阿弥陀仏」と称えて、極楽というすばらしい環境で悟りを開くしかないと考えます。
 道元禅師はお釈迦様は誰もが悟れることを説かれている。また、お釈迦様ももとは凡夫であったはずだと考え、たとえ時代が末法であってもお釈迦様が悟られたときのように、座禅を組み座りぬくことこそ悟りへの近道と考えます。
 日蓮聖人は天台大師智ギの経典理解に基づき、「法華経」を最高の経典と考えます。この真実の法門たる『妙法蓮華経』にこそお釈迦様悟りのエッセンスが詰まっており、さらには「妙法蓮華経」の題目の中に集約されているといいます。そして、「南無妙法蓮華経」と唱え題目を受け取ることこそ、末法に凡夫の中に仏の世界が展開される唯一の方法と考えます。
(乱暴な説明ですが、ご容赦ください。)
 このように克服方法は違いますが、鎌倉新仏教と呼ばれる仏教の祖師たちの根底にあるのは「末法の克服」ということになります。
 まぁ、だからといって分かり合えたかどうかはわかりませんが、影響しあったかもしれませんね。例をあげれば、日蓮聖人が若いころには法然浄土教はもうメジャーな教えですから、必ず学んでいたでしょう。そうでなくては批判することはできませんしね。日蓮聖人は最終的には法然浄土教を批判する立場になられましたが、法然浄土教から多大な影響を受け「南無妙法蓮華経」の題目を生み出したと考えるのが一般的ですね。

 長々書き連ねましたが、まとまらぬ文章であることどうぞお許しください。文意を読み取っていただきたく存じます。
 合掌 南無阿弥陀佛

>>法然・親鸞・道元・日蓮はお互いの面識は?
>>お互いの会った事は有るのでしょうか?
質問者ご自身がおっしゃるように法然上人と親鸞聖人は師弟関係にあったわけですから、面識はあったでしょう。道元禅師と日蓮聖人は、質問にある方とは面識はないと思います。

>>特に日蓮聖人は禅は魔界に入る  浄土宗真宗は無間地獄と言っていると認識いているのですが。
 「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」ってやつですね。この中でも、日蓮聖人は法然上人を中心とする日本浄土教に関しては非常に厳し...続きを読む

Q天台宗の開祖って誰ですか? 道元も天台宗だったと聞きましたが、道元は禅宗を回っていたので天台宗ではな

天台宗の開祖って誰ですか?

道元も天台宗だったと聞きましたが、道元は禅宗を回っていたので天台宗ではないのでは?

天台宗ってどういう思想の仏教ですか?

なぜ歴代の法然とか親鸞とか天台宗の僧だったのに現代では天台宗が廃れたのですか?

Aベストアンサー

天台宗:最澄(伝教大師)766年〜822年

桓武天皇は平安京に遷都し、空海、最澄を遣唐使とともに中国に送り出し密教を学ばせた。
806年に帰国した最澄が天台宗を興し、807年に帰国した空海が真言宗を興す。

鎌倉時代以降、浄土念仏の法然上人、親鸞聖人、良忍上人、一遍上人、真盛上人、臨済宗の栄西禅師、曹洞宗の道元禅師、法華経信仰の日蓮聖人など日本仏教各宗各派の祖師を育んだことから、本山の比叡山は「日本仏教の母山」と言われる。

天台宗は法華経を根本教典とする。
修行は朝題目・夕念仏という言葉に集約される。
午前中は題目、つまり法華経の読誦を中心とした行法を行う。(法華懺法という)
午後は阿弥陀如来を本尊とする阿弥陀経の行法を行う。(例時作法という)
これは後に発展し「念仏」という新たな仏教の展開の萌芽となる。
さらに後世には「全ての存在に仏性が宿る」という思想を確立することになる。

「仏の教えをよく学んで智慧の目を養うだけでなく、自らの足で歩むという実践が伴って始めて仏が目指す理想の境地「悟り」に到り着くことができる」という「教えと実践が一致しなければならない」とする。

仏教の主流が「鎮護国家」を標榜した国家や貴族のための儀式や研究に置かれていたが、次第に民衆の救済のためのものに変化していったため天台宗も廃れていく。

天台宗:最澄(伝教大師)766年〜822年

桓武天皇は平安京に遷都し、空海、最澄を遣唐使とともに中国に送り出し密教を学ばせた。
806年に帰国した最澄が天台宗を興し、807年に帰国した空海が真言宗を興す。

鎌倉時代以降、浄土念仏の法然上人、親鸞聖人、良忍上人、一遍上人、真盛上人、臨済宗の栄西禅師、曹洞宗の道元禅師、法華経信仰の日蓮聖人など日本仏教各宗各派の祖師を育んだことから、本山の比叡山は「日本仏教の母山」と言われる。

天台宗は法華経を根本教典とする。
修行は朝題目・夕念仏という言葉...続きを読む

Q甥のキリスト教に対する疑問(批判?)にどう答えれば・・・(字数の関係で見づらくてごめんなさい)

昨日、甥(ミッション系の高校生)が来た時に、「カトリックはやはり矛盾した宗教ではないのかと思うけど、お姉ちゃんはどう思う?」と質問されました。数年前にもここで、彼の「カトリックは、南米などで『布教活動』の名の下に、自分の宗教を押し付けたり、焚書したり、カトリックを正義として他のものを受け入れられない許容の狭さを感じて、それが言ってる教義と反する。それを信者はどう思われるのか?」と言うカトリックに関する疑問を質問したのですが(その時は彼が質問のお礼を書いたので、ID貸借とやらで削除されてしまいました。)ここ最近、レビ記を読んだときに、不具者の者は聖職者になれない事を知り、21章16くらいに書かれている、「身の欠陥のあるものは、神のパンは触れない。めしい、足萎え、手足の折れた者、せむし、肺病、目に星がある者、かさぶたがあったり睾丸がなかったり、女性は同様である。」・・・等の様々な記述を読んで、「汝の隣人を愛せ」と言っているは偽善か?と憤っているようです。(まあ、これは一部分を見ての話にもなってしまいますが・・・)私自身も結構、様々な宗教・哲学書には目を通していますが、気持ちの中では最初のカトリック=正義には、甥に対して「まあ、分る気もする。」と言うのが正直な気持ちです。しかし、それを伝えてしまって間違った偏見を甥に植えつけるのは困るので、「難しい問題だから、いろんな意見を募ってみようね」と言って休題させました。カトリックの皆様も、そうでない方でも結構です。この解釈と、歴史的事実を踏まえた上で、どのように感じるかのお考えをお聞かせ願えませんでしょうか?(このまま見せますので、なるべく高校生にも分りやすく記述していただけると有難いです。)とてもデリケートな問題で議論なるかもしれないので、お礼は短くしますが、その旨はご了承いただければ幸いです。何卒宜しくお願い申し上げます。

昨日、甥(ミッション系の高校生)が来た時に、「カトリックはやはり矛盾した宗教ではないのかと思うけど、お姉ちゃんはどう思う?」と質問されました。数年前にもここで、彼の「カトリックは、南米などで『布教活動』の名の下に、自分の宗教を押し付けたり、焚書したり、カトリックを正義として他のものを受け入れられない許容の狭さを感じて、それが言ってる教義と反する。それを信者はどう思われるのか?」と言うカトリックに関する疑問を質問したのですが(その時は彼が質問のお礼を書いたので、ID貸借とやら...続きを読む

Aベストアンサー

信者じゃないですが、外から見てる分、中にいたら見えない部分が見えているんじゃないかと思って書きます。

旧約聖書の時代は、病気になった人は神から呪われたとか罰せられていると解釈していたようです。
それで皮膚病になった人などは、他人から見向きもされず孤独と病気による苦痛の生活をしていたと思います。
イエスは自分自身も父親がいないことから、随分差別され、また誰からも愛されなかったのだと思います。
だから、見向きもされない人の痛みがわかり、他の人がやらないこと つまり訪問をして慰めていたのだと思います。
そして平等ということを繰り返し訴えていたのだと思います。
その考えは日頃権力者や知識人から踏みつけられている人たちの共感を呼びました。
「そうだ 神の前では人間はみな等しい」 これがイエスの教えの基本だったと思います。
イエスは知識人には見向きもせず、学のない人ばかりを選びました。
変に知識があると、それがフィルターとなり、新しい考えを受け入れることを邪魔すると知っていたのでしょう。
学に飢えていた人や愛に飢えていた人、不遇の人はイエスの言う事によって自尊心を復活させていきそれは大きなパワーとなっていった。
それでイエスの死後キリスト教はできたんだと思います。

ところが集団が大きくなると、やはり歪みが出てきます。
集団の中で得をする人や権力におごってしまう人も出てきた。
そして支配者はキリスト教の集団の多さに目をつけた。
宗教を信仰すればみんな働かなくても食べていけるわけではない。
食べていくために兵士になった。
そしてその時の支配者は宗教を使ってたくみに目的を達成させていった。
今のブッシュ政権もキリスト教の大きな支持の元成り立っているのを見てもわかるでしょう。
外から見るとアメリカがイラクを侵略していますが、アメリカ自身はそれが侵略には見えない。
救済としてやっている。
後の歴史の教科書にこれがどのように書かれるでしょうか。

こんな感じで昔のカソリックは他の大陸を侵略して滅ぼしていったのだと思います。
従ってイエスの教えに沿ってやっていたのではなく、その時の支配者に利用されて盲目となってやってしまったのだと思います。

映画の9・11ではイラクの戦場につぎつぎ若者を送り出す職業紹介所に勤める女性が登場します。
兵士になればお金が手に入り、そのお金で大学に行って技術を学び職業につけるから、兵士になりなさいと説得して、次々戦場に送り込みました。
彼女は失業者を助けるため必死にそれをやりました。
彼女の息子は熱心なクリスチャンで戦場でも聖書を読んでいたようです。
その息子が戦死しましたがその死を誇りに思っていました。
ところが、ある事をきっかけに、だまされていたと気づいてしまいました。
彼女が一番驚いたのは国民はあまりにも無知すぎる、あきれ返るほど無知だったということでした。
知ろうとしない。
この無知は中世の侵略者に利用されたキリスト教徒にも言えるのではないでしょうか。

イエスの教えからあまりにも離れてしまい、支配者に騙されていることに気づかず、支配者が見せる幻に踊らされ、作られた正義を本当の正義と思い込んで間違ったことをしてしまっている。
無知。そうイエスは無知な人だけ選んだ。
支配者も無知な人たちを利用した。

イエスのもともとの教えは、不当な扱いをされている人や、不遇にあっている人をなぐさめようという事だったと思います。
誰からも慰められない人をなぐさめようという運動をしていたと思います。

それがいつの間にか別なものにすりかわってしまっているように思います。

唯一それを実践したのは、マザーテレサだけだったのではないでしょうか。
マザーテレサは教会の外に貧困がはびこり、誰からも見向きもされていない人たちがゴロゴロいるのを見て、教会は何をやっているのだと思い、教会がやらないなら自分がなぐさめに行こうということで、教会の外に出ることにしました。
教会の人は出てもいいが、一切助けないといいました。
教会の権力者は中にいれば安泰なので、外の景色に無頓着になってしまったのではないでしょうか。

甥子さんに一度教会の外に出てみてはどうかと伝えてみてはどうでしょうか。
外からキリスト教を眺めてみると、キリスト教の教えではなく、イエスの教えが見えてくるのではないでしょうか。
そしてキリスト教の教えがイエスの教えとは一致していないという事を発見するかもしれません。
一致していないので、今まで何度もキリスト教による破壊が起こっていたんだと理解できると思います。

信者じゃないですが、外から見てる分、中にいたら見えない部分が見えているんじゃないかと思って書きます。

旧約聖書の時代は、病気になった人は神から呪われたとか罰せられていると解釈していたようです。
それで皮膚病になった人などは、他人から見向きもされず孤独と病気による苦痛の生活をしていたと思います。
イエスは自分自身も父親がいないことから、随分差別され、また誰からも愛されなかったのだと思います。
だから、見向きもされない人の痛みがわかり、他の人がやらないこと つまり訪問をして...続きを読む

Q道元禅師と私

明日までにレポート提出しなきゃいけなくとても
ピンチです。。。
道元禅師の生涯について一度レポート提出
したのですが、趣旨が違うということで
不可でした。

なので、道元禅師は生涯にどのようなこと
をしたのか
あとどうゆうことを書けば適切か教えてください。

おねがいします

Aベストアンサー

研究書、原典はあるのですか?

道元の思想は、一言で言うと、「坐禅への信仰」です。

普通、坐禅という修行をすることで、その結果仏となりますね。

道元は、修行の結果として仏となるのではないと考えました。坐禅をするというその行為そのものが、すでに仏の行いだからです。この立場を、「修証一如」と言います。もともと煩悩だらけのはずの人間が、坐禅しようと思うその気持ちと行動がすでに悟りの姿を現しているわけです。だから、ただひたすら坐禅するべきだと教えています。これを「只管打坐」と言います。


手持ちの研究書や解説書から、上の言葉を引いて、そこの記述を参照にしてください。
もし、正法眼蔵の訳本などを持っているのでしたら、「弁道話」「現成公案」の巻を読んでみてください。
余力が有れば、「海印三昧」「光明」「仏性」の巻も読んでみてください。おおよそは分かると思います。


また道元は、日常の生活の重要性を説きました。禅寺では、
日常生活そのものも修行です。そのために寺では細かく食事や入浴の作法が決められてます。とくに食事の作法を重んじた道元は『赴粥飯法』(ふしゅくはんほう) という本を書いています。


あとはご自分の日常と組み合わせてください。

挨拶なしの人の補足に答えるのは、今回だけですよ。次回からは、補足だけではなく、一言いいましょうね。いろいろなところで、損をしますよ。

研究書、原典はあるのですか?

道元の思想は、一言で言うと、「坐禅への信仰」です。

普通、坐禅という修行をすることで、その結果仏となりますね。

道元は、修行の結果として仏となるのではないと考えました。坐禅をするというその行為そのものが、すでに仏の行いだからです。この立場を、「修証一如」と言います。もともと煩悩だらけのはずの人間が、坐禅しようと思うその気持ちと行動がすでに悟りの姿を現しているわけです。だから、ただひたすら坐禅するべきだと教えています。これを「只管打坐」と...続きを読む

Qニーチェを知りたいのですが、どんな本を買えばよいでしょうか?

ニーチェを知りたいのですが、どんな本を買えばよいでしょうか?

こんにちは。
ニーチェを呼んでみたいのですが、解説本などのものはあった方が良いでしょうか?
本を買うにしても、どれから買って読むといいでしょうか?

本屋で適当に選んでみようかとも思っていましたが、もしなにかコツがあるのならば教えてください

お願いします

Aベストアンサー

ニーチェの著作を置いていない図書館というのは(特殊な専門分野だけのそれを除けばですが)、考えにくいので、学校なり公立の図書館なりであたりをつけてから、とりあえず何か読んでみてはどうでしょう。
ウマが合うようならどんどん読めばいいし、そうでないなら他の訳者のものをあたるとか、時間を置くとか、ニーチェの著作ではなくても関連する書籍を読んでみるとかする手もあります。
理屈ではなくピンと来る、といった感覚もニーチェは持っていたのではないかという気がします(私の感じでは)。
私の場合、訳も分らずに、初めは『この人を見よ』から始まって、『道徳の系譜』『悲劇の誕生』『善悪の彼岸』などを読んで行きました(順序も何もなく、バラバラです)。
有名な『ツァラトゥストラ』は、寓話のような著作で、読みやすいようでもあり、何を言いたいのか分らないようでもあり、必ずしも初めに読むのが良いとは(個人的には)思いません。

解説書は山ほどありますが、思えば私は高校生の頃に『ニーチェのことば』といった感じのアフォリズム集に出会ったのが初めでした。
そういうものも多数ありますから、どれでも手に入るものから読んでみる、という方法もあるかもしれません(私の買ったのは、数百円程度の文庫本でした)。

とりあえずぶち当たってみて、「何だこりゃ」と思えば放り出してしまっても構わないと思います。
どうしても出会う運命にあったのなら、再び巡り合うことがあるかもしれないですし(笑)。

ハイデガーやヤスパースの書いたニーチェに関する著作もあるのですが、いきなりは避けた方がいいかもしれないと思います。
デカルトやカントを読んだことがあるのなら、ニーチェは新鮮かもしれません。

光文社の文庫の、中山元という先生の訳した『善悪の彼岸』という訳書は、読みやすいみたいです。

ニーチェの著作を置いていない図書館というのは(特殊な専門分野だけのそれを除けばですが)、考えにくいので、学校なり公立の図書館なりであたりをつけてから、とりあえず何か読んでみてはどうでしょう。
ウマが合うようならどんどん読めばいいし、そうでないなら他の訳者のものをあたるとか、時間を置くとか、ニーチェの著作ではなくても関連する書籍を読んでみるとかする手もあります。
理屈ではなくピンと来る、といった感覚もニーチェは持っていたのではないかという気がします(私の感じでは)。
私の場合、...続きを読む


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