好きな和訳タイトルを教えてください

世界地図を見ると、3つの国境線があります。
1)択捉島のウルップ島の間
2)千島列島の北端シュムシュ島とカムチャッカ半島の間
3)サハリンの北緯50度線
日本固有の領土はどこまでなんでしょうか?

A 回答 (7件)

結論から申しますと、


1)が現在の日本が主張する国境線
2)が1875年~1951年までの国境線
3)が1905年~1951年までの国境線
ということになります。

国境の画定は、一国だけではできません。
周辺各国が承認して初めて「画定」となります。
具体的には条約でもって画定します。
(ちなみに、国境の場合は「確定」ではなく「画定」といいます。)

歴史的な経緯は次のとおりです。

安政元年12月21日(旧暦)、「日魯通好条約(下田条約)」が結ばれ、それまで曖昧だった日本とロシアの国境線が明確にされました。
この日は現在の新暦に直すと1855年2月7日になりますので、我が国では2月7日を「北方領土の日」としています。

当時、日露間で問題となっていたのは、千島列島(ロシア名:クリル諸島)と樺太(同:サハリン)でした。
特にやっかいだったのは、それまでは樺太とサハリンが同じ島とは知られておらず、日本は樺太を、ロシアはサハリンをそれぞれ領有していると思い込んでいたことでした。
しかし、調査の結果、これが同じ島であることが分かり、この件は両国の懸案となっていました。

千島方面については、日本はロシアより早く、北方四島(択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島)の存在を知り、多くの日本人がこの地域に渡航するとともに、徐々にこれらの島々の統治を確立していました。
また、ロシアの勢力がウルップ島より南にまで及んだことは一度もありませんでした。

この「日魯通好条約(下田条約)」では、結局、樺太に関する国境線の画定は先送りとし、日露両国民が居住できる地と定め、千島方面に関しては、択捉(エトロフ)と得撫(ウルップ)の両島の間に国境を定めるものとしました。

この条約は、日本とロシアとの間で全く平和的、友好的な形で調印され、当時自然に成立していた択捉島とウルップ島の間の国境をそのまま確認するものでした。(ただ、それは「戦争の結果」ではないという意味であり、実際のところは、日本にとって不平等条約であったことは、歴史の時間に習ったとおりです。)

この1855年の「日魯通好条約(下田条約)」により、初めて千島方面の日露間の国境が画定したということは、後々重要になりますので、ぜひ覚えておいてください。

その後、ロシアは、サハリン(日本名:樺太)に積極的に進出します。
日露間では、サハリンの権益をはっきりさせたいとの立場から交渉が続けられ、1875年(明治8年)「樺太千島交換条約」が結ばれます。
これにより、日本は樺太(サハリン)の権利を放棄する代わりに、「千島列島」をすべて日本の領土とすることが決まりました。

「樺太千島交換条約」では、「千島列島」として18の島の名前をすべて列挙していたのですが、北方四島は当然その中には含まれていません。
なぜなら、20年前の「日魯通好条約(下田条約)」により、既に日本の領土になっていますので、「樺太千島交換条約」で再度定義する必要がないくらい、自明の話だからです。

こうして、「千島列島」の定義は、日露両国により1875年の「樺太千島交換条約」により合意されているということも、あとで重要になりますので覚えておいてください。

その後、日露戦争で日本が勝ったことから、1905年(明治38年)、「ポーツマス条約」により、日本は戦果として樺太の南半分を割譲させます。
しかし、その後太平洋戦争での敗戦の結果、1951年(昭和26年)「サンフランシスコ条約」により、多数の領土を放棄させられます。

「サンフランシスコ条約」における、日ソ国境に関する日本語の条文は、下記のとおりです。

第二条C 日本国は「千島列島」並びに日本国が1905年9月5日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権限及び請求権を放棄する。

これによって、日本は樺太南半分に関する権利を失ったのですが、その後両国で問題となったのが、この条約で放棄した「千島列島」というのがどこまでなのかという問題です。

日本ではここでいう「千島列島」とは、1875年の「樺太千島交換条約」で獲得した「ウルップ島」以北であると主張し、ソ連側はその20年前の1855年の「日魯通好条約(下田条約)」で画定される前の北方四島までも含めたものであると主張し、話し合いは全く進展しないまま、ソ連がこの「南千島」まで実効支配した状態が続いて現在に至っています。

ですので、現在の、国際的(客観的、中立的)な考え方は、樺太についてはロシア領ということで画定済み、北方領土については「未画定」という扱いです。

ただ、「千島列島」の定義は、1875年の「樺太千島交換条約」により日露間で既に合意されているわけで、議論する必要もないほど自明の理であり、ロシアの主張は、更にそれより20年も前の「日魯通好条約(下田条約)」により日本の領土として両国で確認されている北方四島まで含めるべきというもので、どう考えても無茶苦茶、というか、はっきりいって「火事場泥棒」そのもののような気がします。

ここは議論する場ではないので、客観的、中立的な回答が好ましいとは思いますが、日本人としては、日本の主張があるわけですから、外国人、特にロシア人に対しては、毅然と日本の主張をするべきであり、そのためにも、日本の主張を正確に理解しておく必要はあると思います。

どちらに説得力があるのか、ということで物事が決まるのが理想ですが、実際には、どちらに軍事力があるのか、で決まるのが国際社会の悲しい現実です。

参考URL
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/hoppo.html
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北方領土に関しては昭和26年のサンフランシスコ条約で検索して調べてみてください。



この条約は、日本の領土を決める条約でもありますが、それにソ連代表は納得できない部分があり、調印せず怒って帰ってしまいました。

そのときアメリカがきちんとしきらなかったため、北方領土の問題(日本の物かソ連の物か)があやふやにしたまま残ってしまいました。

これに関してはアメリカに政治的意図があるともいわれ、現在までこの北方領土問題は周知のとおりひきづられています。
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未確定ってことですよ。


実効支配が事実上の領土の扱いにはなりますが
正式には、まだ千島列島も南樺太も未確定領土に当たります。
日露友好条約とか結んだときに正式に決まるものと思います。
国連的にも、そうなっています。領土紛争地帯ってわけです。
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いわゆる北方四島(あえて北方領土という言い方は避けることにします)が


日本だなどと主張しているのは、日本(の政府)だけでしょう。
他のほぼすべての国はロシアと認識しているはずです。

日本語の資料ばかり調べていると意見が中立になりませんからご注意を。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。日本語以外の地図を探して見ます

お礼日時:2007/08/15 22:53

(建前と言うか、大義名分なら)⇒(1)だと外務省辺りは力説してはいます。



しかし、(2007年8/15)現時点でも北方領土更には竹島へは日本の実効支配が及んでいない現実に照らすなら、(NO1さんがカキコまれている如く)北海道と北方領土、より厳密には北海道と水晶島の間に国境があるのが実情だと、個人的には思います。
http://www.stat.go.jp/data/ssds/pdf/09b.pdf
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>世界地図を見ると、3つの国境線があります。


これは時代によります。
現在日本が主張しているのは1)です。
2)は日露戦争後、このときサハリンは全て日本領になりました。
3)は日露戦争前

第二次大戦が終わって北方四島とサハリンをソ連に全て取られました。
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日本政府は(1)を主張していますが、実質的には北方領土はロシア領みたいなもんですから…



日本固有のと言えば
0) 北海道と北方領土の間。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
実質、北方領土はロシア領ですか。

お礼日時:2007/08/15 22:49

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