私は現在60代ですが、戦後私がまだ小さい時(今は亡き)母親からよく聞かされていた話があります。それは・・・
「我が家は今はこのように貧しいが戦争前は商売をしていてかなり裕福だった。
お前達の父親が戦争から帰らなくても、残された家族7人が誰一人働かなくても一生暮らしに困らないだけの莫大な貯金があった。
しかし、戦後の国の方針で貯金は二束三文になり貧乏になってしまったのだよ」

お恥ずかしい話ですが、母の性格は見栄っ張りで負けず嫌いなところがあり、貧乏な私達兄弟に昔はリッチだったと嘘でも思わせたかったのかもしれません。
戦後、貨幣価値はどうなったのでしょうか??

私も後数年でこの世からいなくなると思いますが、真実を知らないまま死にたくありません。
どなたかこの問題に詳しい方教えてください。

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A 回答 (5件)

十分あり得た話だと思います。


政府は、昭和21年2月に、「金融緊急措置令」および「日本銀行券預入令」を公布しました。これはまず5円以上のお札を強制的に預貯金させることとし、5円以上の札を利用不可能にしました。次に、その預貯金について、月額の払い出し上限を規制しました。たしか、世帯主が300円上限だったはずです。そして最後に、3月になって旧紙幣の使用を禁止としました。

これによって、どういう事が起きたかというと、
1.強制預貯金に応じず、タンスにしまっていた旧札は、全く紙くずとなってしまいました。
2.預貯金したお金は、月額の利用制限があるため、物に替えることができず、インフレの中でどんどん価値が目減りしていきました。

実際、昭和初期ならば、1万円あればアパートを建てて家賃収入で暮らしていくことができたとのことですが、戦後の超インフレを経て、1万円は大卒初任給の2ヶ月分程度になってしまいました。
その他に、戦中は軍事債券(戦争国債)が売り出され、半ば強制的に購入させられたそうですから、これも戦後紙くずになり、財産が無くなる原因になったでしょう。
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財産とは、お金だけではありません。



当時は都内でも農地はまだあったようです。
機械の街もあり、個人経営の会社が戦後も多くあったそうです。
炭の卸業者は羽振りがよく、炭、薪の販売だけで十分裕福であったようです。

現在では、大手ガス、石油化されます。
機械職人の多くは廃業を余儀なくされます。

この観点から、あながち間違いとは言い難いと思います。

しかし、
財産とは、お金だけではありません。
土地や物、交友関係も大きな財産と言えます。

この観点から、庶民と見るべきです。
(現代のサラリーマン。)

戦争になるとインフレになる。
インフレに金は強い。

昭和14年に金を買い(4.61円)
昭和26年に売る(585円)
126.8倍

昭和14年の米(3.35円)
昭和26年の米(445円)
132倍

何とか損失は最小限に抑えられます。
凌げます。
http://f59.aaa.livedoor.jp/~bokujin/inflation.html

頭脳さえあればこうはなりません。
現代では常識であっても、当時は非常識な物もあります。
(自分だけ助かる。楽をする。得をするなど。)

欲しがりません。勝つまでは。
こう言う方針を尊守したのですから、立派な母だったのではないでしょうか?

>真実を知らないまま死にたくありません。
貴方は知っているはずです。
母親1人で6人の家族を育て上げた。
これが全てであり、真実です。
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ちなみに、


・日本国債は本当の紙切れになりました。糸川英夫さんも嘆いて
 いました。同じ敗戦国であるドイツはちゃんと責任をとったのにと。
・一番財産が目減りしたのは皇室でしょうね。今の宮家に大幅縮小した
 だけでなく、三井、三菱を合わせたような資産が一挙にゼロ。
 全て国からの支給制度になってしまった。
 開かれた皇室なんてそんな財産じゃ無理でしょう。ヨットも買えません。
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http://www.wfxmaster.com/study01_01.html

戦前は金本位制度のもと、一ドル=2円から5円程度。それが、戦後360円になりました。
単純に言うと、日本円は対ドルで100分の一になったということ。

現代の感覚で言うと、一年で1000万も可処分所得があれば相当に裕福です。30年で3億円。
3億円の貯金があれば、30年で使い切るなら相当に裕福ですが、
は!と気づいたら、貯金が300万になっていた。
そんな感覚ではないでしょうか。
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戦前の貨幣価値は現在の2000倍くらいといわれています。


給与からだとで5000倍といわれますが。
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Q太平洋戦争はやはり自衛戦争だった

太平洋戦争はやはり自衛戦争だったと最近確信するようになりました。


あらかじめお断りしておきますが、僕は歴史に関してはド素人です。初めは学校で習った通り日本は悪の帝国で侵略戦争を仕でかしたと普通に思ってました。


しかし、元はと言えば、アメリカが国際連盟設立時に人種差別を目論んだり、その後排日移民法を制定して日本に敵意を剥き出しにしたり、更に経済封鎖をしたりして日本を追い詰めていった事を考えると、完全にアメリカが仕掛けた戦争だったとしか思えなくなりました。


マッカーサーも戦後、米議会で「あれは日本の自衛戦争だった」と証言したくらいですから、議論の余地はないと思います。僕のこの結論に間違いはありませんか?

Aベストアンサー

まず、個別の事例(人種差別や排日政策や敗戦やどちらから始めたか、避けられなかったのか)を否定しても、大東亜戦争が自衛戦争であったことの否定にはなりません。
(それらと全く関係がない自衛戦争であったという可能性もありえます。)

この問題では、↓のような意見がよくでますが、それらは今回の質問とは関係のない事だと思います。

避けられなかったか?という意見については、何故か同様にアメリカにも言っている意見を聞いたことがありません。(そういう意見の方は、相手がどのような横暴であっても、日本だけは可能な限り誠実に対応するのが当たり前だと思っているようです)

「勝てば官軍」とか嘯いている人は、国際法に無知であり戦争に言及する資格がないと思います。

自分と違うアメリカの行為への評価を「陰謀論」として、それを否定してみせることで対日政策自体を正当化する意見もよく見られますが、陰謀以前に中立国としての義務を逸脱している事を語った意見はないようです。
(事実にあからさまな嘘を混ぜることで、全てを嘘だと誤認させるのは詐欺師の常套手段です)


>僕のこの結論に間違いはありませんか?

質問者の「結論」と質問の焦点が「大東亜戦争は自衛の為の戦争だった」ということだとしたら、総論としてはそうだと思います。

しかし、「大東亜戦争は自衛の為の戦争だった」というのは、「日本は無罪である」と言うのと同じであるので、証明は不可能に近いと思います。(ヒント:悪魔の証明)
そもそも、「大東亜戦争は自衛の為の戦争だった」という主張自体が、連合国の「侵略戦争だった」という主張への反論です。

なので、自衛戦争であることの証明ではなく、(不可能ですし)侵略戦争であることを否定すればOKです。
そして、本来は「侵略戦争である」と主張する側がその証拠を出す義務があるのですが、この質問は立場が逆になっているので、よくある主張(他国の領内に行って戦闘をした=侵略である)について説明します。

私の考えは、
【当時は、日本軍の行為を侵略と断定できる国際法の条文はありません】
ということです。

この場合、侵略の定義(=どのような行為か)が問題になります。
私は、時代と人の数だけある正義感とやらでそれを考えたり、全てを知っている(と思っている)現代人の立場から、過去の暗中模索で苦悩していた当事者の行為を評価して愚かと嗤って、ごりっぱな人間 を気取る趣味はありません。

当時の国際法では侵略の定義は明確ではありませんでした。

侵略戦争が国際法で違法とされたのは、WW1後のパリ条約によるものですが、
その条約では加盟国の様々な事情で、侵略か否かの決定が

【当事国の裁量権に任せる】

となっており、これでは当事国が 「私は侵略をしました」 と言わない限り侵略にはなりません。

しかし、それでも侵略が違法となった以上、正当な戦争の条件である「自衛権」も問題になりましたが、
当時のアメリカは、↓のように言っています。

【この条約は自衛権を制限するものではなく、その内容と範囲は各国が判定できる】
【当事国が決定するものであり、その自衛の範囲は海外への軍隊の配備まで含む】

↑は、他国に軍隊を出して戦闘を行っても、侵略の十分条件にはならないということで、
侵略の定義など存在しないのと同じであり、事実上ザル法です。



当時の北東アジアの情勢ですが、
よく勘違いしている方がいますが、↓のような状態で当時の満州の領有権は確立していません。

日清戦争で日本は遼東半島を獲得しましたが、その後三国干渉によって返還させられています。
その後、ロシアは義和団事件に乗じて満州を占領したため、日露戦争がおこります。

日本は日露戦争の勝利により、ロシアから満州鉄道を譲り受け、旅順、大連の租借権を得ました。
同時に、これらの防衛や現地邦人保護のため、満州へ軍隊を置く権利も得ています。
(当時の満州は、清国の政策に拠って住人のいない空白地帯で、更にモンゴルの領有権は中国ソ連も主張しており、日本は国防上の理由から満州を放置できませんでした。)

↑のように日本は、南満州の特殊権益は国際的に認められていました。
アメリカも1917年の「石井・ランシング協定」により、これを認めています。

満州鉄道に関しては、行き違いからアメリカが経営に参加できず、それが反日の一因となっていることは事実ですが、その後の反日政策(中国への支援や資源の禁輸)自体は、後述するように戦争行為であり、それに対抗した日本の行為は自衛であると思います。

一方で、当時の中国は清が滅亡し複数の政権(馬賊や地方軍閥など)が争っている内乱状態で、彼等にはまともな行政・司法・警察等の能力は無く、国際条約の知識や理解も薄く、それらの遵守は期待できませんでした。(実際何度も一方的に破棄されています。)
当時の中国領には多くの国が投資しており、在中外国人(日本人も含む)も多かった為に、日本政府は彼等の保護を中国に要請してもいました。

中国の軍閥政権は大陸の日本領内にも侵入して、破壊活動やテロなどの挑発を行っており、現場の緊張は極限状態に達していました。
当然治安も悪く、テロも多発しており、日本人の大尉が中国兵に惨殺される事件も起きています。
これらの結果、現地の部隊が暴発し、独断行動による戦闘が発生してしまい、それが満州事変に発展します。

これを侵略とするなら、その原因となった中国軍の行為も侵略であるはずです。

満州の領土化は、以上のように国防上の為のものでありましたが、
同時に南満州鉄道を守る為でもありました。
満州事変以前の国境線のまま中国と接した場合、テロや破壊活動を阻止できませんでした。

その後、満州国は日本が治安を維持した為に各地から人口が流入し繁栄した為に、再びそれを狙った中国によるテロ活動が起りました。
日本軍は前回と同様、領土内で対応していましたが、そうすると彼らは中国内に逃げて、その後また侵入して同じ事を繰り返しました。
日本は中国奥地にある彼等の本拠地(南京、重慶)を叩かなければ、根本的な解決にならないと判断し、中国領内に攻めていきました。
これが日中戦争に発展します。

アメリカは、中国の市場を日本から奪う為に、日中戦争では国民党(蒋介石)を支援しました。
【義勇軍】という名目で兵士も派遣し、大陸で日本と戦闘もしています。

国際法では、この時点でアメリカは中立ではなく、日本と戦争状態にあると見做されます。
ということは、真珠湾以前から日米は戦争状態であり、(宣戦布告もなく)先に仕掛けたのはアメリカということになります。

「日中戦争」について日本が「戦争」としなかったという意見もあるようですが、どちらかが宣戦布告さえすれば「戦争」にはなります。
中国が宣戦布告しなかった理由ですが、
アメリカには「中立法」というものがあり、「戦争」になった場合アメリカの中国支援はこれに違反している事になるからです。
(「戦争」になったのは真珠湾攻撃の後(1941年12月9日)に中国から宣戦布告をしたからです)

中立法:戦争状態や重大な内乱状態にある外国に対して武器・弾薬類を輸出することを禁止するアメリカの法律。


その後のABCD包囲網とハルノートが日本に開戦を決意させました。

この経済制裁についても、東京裁判で日本の弁護についたローガン弁護人が↓のように言っています。

【自衛権は経済封鎖にまで及ぶ。一国の生存に必要な物資を奪う行為は、国民の士気・福祉の破壊を目的としている分、武力による殺人以上に激烈な 戦争行為 といえる。】


以上から、人種差別や排日政策などとは関係なく、
日中戦争の原因が中国のテロ(侵略)であり、
大東亜戦争の原因が日中戦争への、アメリカやその他の連合国の介入に対するものである以上、日本の戦争は侵略目的のものではないと思います。


日本がアジア諸国を植民地にしようとしたという意見もありますが、そう言っている人が根拠を出したのを見たことがありません。
そのアジア諸国ですが、「アレは侵略ではない」という認識から連合国が認めた賠償請求権を放棄してくれています。(しかし、日本はそれに対しても「準賠償」という名目で経済援助をしています)

【日本が支払った戦争賠償金】(動画)
http://www.youtube.com/watch?v=euNuLLDSWTI

戦中に開かれた「大東亜会議」では、アジア諸国の独立を認めています。(動画も参照)
(日本は占領後のフィリピンを「フィリピン共和国」として独立させています)

http://www.youtube.com/watch?v=LgmCsWEq_bk

まず、個別の事例(人種差別や排日政策や敗戦やどちらから始めたか、避けられなかったのか)を否定しても、大東亜戦争が自衛戦争であったことの否定にはなりません。
(それらと全く関係がない自衛戦争であったという可能性もありえます。)

この問題では、↓のような意見がよくでますが、それらは今回の質問とは関係のない事だと思います。

避けられなかったか?という意見については、何故か同様にアメリカにも言っている意見を聞いたことがありません。(そういう意見の方は、相手がどのような横暴であっても...続きを読む

Q【戦前の朝日・戦後の朝日】 マスコミだけが戦争責任を回避できた理由は?

みなさんご存知のように、戦前の朝日新聞は「大本営発表」を臆することなく大々的に報じ、「挙国一致」「尽忠報国」などの大きな見出しを躍らせています。
戦前の朝日は旧日本軍部と共に、戦争賛成・戦争賛美の報道で「鬼畜米英」や「欲しがりません勝つまでは」などの有名な標語を作り、戦争を煽り、日本国民を戦争に駆り立てました。
しかし、戦後になると、手の平を反したように、左翼新聞となり、共産政権の中国共産党や北朝鮮・韓国寄りに方向転換しました。

【1】戦後の朝日新聞が態度を180℃変えた理由は何ですか?


【2】なぜ、マスコミだけが戦争責任を回避することが可能だったのでしょうか?


【3】戦争に荷担し、その責任を隠蔽し続けてきたマスコミがなぜ今なお存在しており、政府が決める再販制度や特殊指定などの制度的な保護を受け続けているのでしょうか?


【4】一般に、政府の言論弾圧によって、マスコミは戦争に荷担せざるを得なくなったと言われています。
これは事実でしょうか?
マスコミ自らが進んで戦争に荷担していったことは、一度もなかったのでしょうか?

みなさんご存知のように、戦前の朝日新聞は「大本営発表」を臆することなく大々的に報じ、「挙国一致」「尽忠報国」などの大きな見出しを躍らせています。
戦前の朝日は旧日本軍部と共に、戦争賛成・戦争賛美の報道で「鬼畜米英」や「欲しがりません勝つまでは」などの有名な標語を作り、戦争を煽り、日本国民を戦争に駆り立てました。
しかし、戦後になると、手の平を反したように、左翼新聞となり、共産政権の中国共産党や北朝鮮・韓国寄りに方向転換しました。

【1】戦後の朝日新聞が態度を180℃変えた...続きを読む

Aベストアンサー

>【4】一般に、政府の言論弾圧によって、マスコミは戦争に荷担せざるを得なくなったと言われています。
これは事実でしょうか?
マスコミ自らが進んで戦争に荷担していったことは、一度もなかったのでしょうか?

このご質問を読んで思い出した事があります。現在では誘拐事件が起こると、マスコミ各社は報道協定を結んで誘拐された人の安全を最優先にする事となっていますが、かつてはマスコミ各社が有ること無いこと派手に書き立てて、そのために記事を読んだ犯人が心理的に追いつめられて誘拐した子供を殺してしまった(逮捕された犯人が後に取り調べでそう供述した)という事件がありました。

また、松本サリン事件のときに、ご近所に住む無実の人をまるで「魔女狩り」のように犯人であるかのごとく書き立てて、後に大問題になったことは記憶に新しいところです。

どうもマスコミというのは、他社に抜かれるのを嫌って、がむしゃらに突っ走ったあげく問題を起こすケースが多いように思います。まるで飢えた猟犬のように、我先に獲物を追って吠え立てるわけですから、困ったものだと思います。

No.6の回答者さんが書かれているように、軍部の統制や特高警察の監視で厳しく規制されていた面はたしかにありましたが、戦争初期に日本軍が連戦連勝していた時期には、新聞各社やニュース映画会社がイケイケで報道合戦を展開していたということもあったと思います。

その事を踏まえたうえで考えるなら

>【1】戦後の朝日新聞が態度を180度変えた理由は何ですか?

日本が戦争に負けたからです。

>【2】なぜ、マスコミだけが戦争責任を回避することが可能だったのでしょうか?

マスコミだけに限りませんが、GHQから見て日本にアメリカ流の民主主義を植え付けるのに役立ちそうであれば、責任は問われず保護・育成されました。

>【3】戦争に荷担し、その責任を隠蔽し続けてきたマスコミがなぜ今なお存在しており、政府が決める再販制度や特殊指定などの制度的な保護を受け続けているのでしょうか?

マスコミというものが民主主義社会を構成するために不可欠な要素の一つと考えられたからでしょう。

戦争責任については、【2】のところでも書きましたが、態度を180度変えたことで不問に付されたのでしょう。制度的な保護については、戦後体制の一貫として他の要素(教育制度や労働組合や政治制度や新憲法など)とともにスタートを切ったので、永らく続いて来たわけです。しかし、そろそろ社会の変化にそぐわない面も見えて来ていますから、見直しの議論が始まっても良い時期に来ているのかもしれませんね。

>【4】一般に、政府の言論弾圧によって、マスコミは戦争に荷担せざるを得なくなったと言われています。
これは事実でしょうか?
マスコミ自らが進んで戦争に荷担していったことは、一度もなかったのでしょうか?

このご質問を読んで思い出した事があります。現在では誘拐事件が起こると、マスコミ各社は報道協定を結んで誘拐された人の安全を最優先にする事となっていますが、かつてはマスコミ各社が有ること無いこと派手に書き立てて、そのために記事を読んだ犯人が心理的に追いつめられて誘拐した子供を...続きを読む

Q【戦争】日本は戦後70年で1人しか戦死者が出ていないそうですがその一人とは誰のことですか?何の戦

【戦争】日本は戦後70年で1人しか戦死者が出ていないそうですがその一人とは誰のことですか?

何の戦争で亡くなったんですか?

Aベストアンサー

んなこたぁない。
 小野田寛夫と共に行動していた小塚金七二等兵は昭和57年、小野田が投降する前日にフィリピン警察軍に射殺されている。
 その他、主に南方諸島で戦後も終戦を知らずに遊撃戦(=ゲリラ戦。ただし実態は原住民の農作物を盗んだりして生き延びるのが精一杯)を行っていた兵隊が、日本政府の「終戦・投降呼びかけビラ」を見て投降したのに、作物を盗まれた原住民の怒りを買って惨殺されたって話は山ほどある。

Q武士はなぜ貧乏だったのか?

武士って今で言うと公務員ですよね。特に江戸時代は、戦争もなかったのによく貧乏だったといわれていますが、どうして貧乏なのでしょう?領地からの収入がある範囲で生活すればいいような・・・。高そうな鉄砲だった買わなくてすんだでしょうに。農民が払えないという事態が頻発するようなことも・・・・ないですよね。

Aベストアンサー

回答のお礼の返答ですが、
農民が増えても、農地が増えないと生産量は増えません。
江戸時代には農地開墾など行われましたが、
それには当然限界がありますし、無理な開墾は
土壌流出や洪水などの災害を往々にして招くため、
期待されるほどの収穫増はなく、むしろ被害が拡大し、
大飢饉を招いたというような例も少なくありません。
農家の家族構成が増えると農家の生活が同様に
苦しくなるので、人減らしといって、堕胎や嬰児殺しが
農家では横行しました。悲しい現実です。
そしてそれは江戸時代に限らず、戦前・戦中まで続きます。
農村は武家よりももっと貧しいわけです。
そして農家の生産収入を糧にする武家の生活も同様に苦しくなる。

米経済と貨幣経済の発達は、中学校の必修内容ですが、
どういう風になるかというと、
農家と武家は米という一次生産物の収入で生活しますが
これを米から金に換えなければなりません。
米価は変動します。そうすると収入が一定しなくなるわけです。
しかし一年に必要な生活費は大きくは変わらないので
お金が足らなくなるわけです。
ま、うまくしたら儲けるだろうと思うでしょうが、
一般に一次生産物の売却は流通の一番最初の原価になるため
値段が一番安い。そこから流通・問屋を経由して大都市で小売される段階では
値段も高くなり十分な利益を生むのですが、農家や税収を売る武家・大名家には
さほどの利益はもたらされないという構造なのです。
物価も変動しますが、貨幣経済になるから下がるというようなことはなくて、
不況や不作、逆に好況や豊作によって上下します。
(むしろ経済成長とともに物価は常に上がり続けると考えるべきです)
豊作貧乏などという言葉もあるように、ずっと米収入が平均的なら
まだいいのですが、天候に左右されるために、米の収穫高や質は
ばらつきが出る。
だから必ず、必要な資金を確保できない年がでてきて、
そういう場合は必ず借金をしなければならないので、
次の年の収入に影響してくる。往々として来年の米収入が担保になることが多いのです。
借金には利子というものがついてくるので、
だからどう転んでも、米農家や大名は裕福にはなりません。
逆に大名などに金を貸す大商人がますます豊かになり、財閥へと成長したというわけです。

回答のお礼の返答ですが、
農民が増えても、農地が増えないと生産量は増えません。
江戸時代には農地開墾など行われましたが、
それには当然限界がありますし、無理な開墾は
土壌流出や洪水などの災害を往々にして招くため、
期待されるほどの収穫増はなく、むしろ被害が拡大し、
大飢饉を招いたというような例も少なくありません。
農家の家族構成が増えると農家の生活が同様に
苦しくなるので、人減らしといって、堕胎や嬰児殺しが
農家では横行しました。悲しい現実です。
そしてそれは江戸時代に限...続きを読む

Q戦後の日本 ってあんな酷い状態だったのに今は凄い発展していますよね

戦後の日本 ってあんな酷い状態だったのに今は凄い発展していますよね
それってアメリカのおかげですか?
どんな感じで日本がこんなに発展したのか教えて下さい!

Aベストアンサー

アメリカの影響が一番重要だったのは、アメリカと、中国ソ連が、朝鮮で戦争をやってくれた事でしょう。所謂、朝鮮戦争特需ですね。戦争では車や戦車や大砲なの兵器はは直ぐ壊れてしまう、それをアメリカまで運んで直している間が無かった。だから、日本で直したんですね。これで一気に戦前並みの経済力を回復することが出来た。もし朝鮮戦争が無かったら、復興には何倍も時間がかかったと思います。

そもそも日本は明治維新から50年もしないうちに、アメリカの助けを借りずに、国際連盟の理事国にまでなれた国です。何故なら、日本では江戸時代に外国から教わることなく、多くの技術的な下地が出来ていたのです。例えば、江戸時代までは時間の数え方は昼と夜をそれぞれ6等分することになっていたので、季節によって昼と夜で時計の進み方が違っていまいした。それを、江戸時代の中頃には浪板式尺時計と呼ばれる、コンピューターチップなしで自動的に季節による変化に合わせしまう時計まで作っています。開国の直後は、勉学の若い留学生ばかりでなく、多くの日本の時計師が欧米に派遣され、欧米の機械を勉強して来たのです。彼等は白紙で行ったのではなく、既に時計師の技術屋としての訓練を受けた後で留学していたのです。だから、あっという間に機械の本質を理解出来ました。

戦国時代の堺の町では、外国に教わる事なく現在の銀行制度の殆どを完成させています。冗談に、堺ではクレジットカード以外の全ての銀行制度が既に完備していた。何故クレジットカードがなかったかと言うと、その頃はまだプラスチックがなかったからだと言われています。要するに、日本が西洋に開国した時には、西洋から何か新しい事を教わった訳ではなく、日本に既にある物と西洋にある物との間の翻訳作業があっただけなのです。だから、維新後たった50年足らずで、西洋の列強と簡単に肩を並べることが出来たのです。ただ単に勤勉だったからと言うのでは、ほかの非西洋国家にも幾らでも勤勉な国民がいるので、そんな上っ面だけでは、非西洋国で日本だけが戦前も戦後も短い期間で驚異的な発展が遂げられた理由なんか説明出来ませんね。

もともと、日本は鎌倉幕府以降数百年に渡って軍事政権でした。すなわち、朝鮮のようなシビリアンコントロールの国ではなかった。このことが、日本にどれだけ幸運をもたらしたか計り知れません。軍人達は技術の重要性を骨の髄まで理解している。だから、日本では鎌倉幕府以来の長い間に技術を高度に進歩させていました。さらに、軍人達は列強の軍事的な恐ろしさを体で感じることが出来た。だから、それを体で感じることが出来なかったシビリアンの国の朝鮮のように列強に飲み込まれてしまうことなく、独立を守ることが出来た。

このように、日本の長い歴史的な経緯から、工業技術や資本主義の根幹である銀行制度などがとっくに西洋のレベルに達していた事、それに、幸運にも隣国で戦争が起こって特需が起こった事、そんな土壌と幸運が複雑に絡んで、既に戦前でもアメリカの助けを借りずに驚異的な発展があったのです。

確かに戦前には朝鮮戦争のような特需はありませんでしたが、それに似た幸運があったのです。戦前の欧米の列強は軍事的に属国に出来なくても、近代化にかこつけてその国に金を貸し、借金付けにして実質属国にする手があります。現在のアフリカなんて好例ですね。近代化の名目で借りた金で欧米の古い機械を買わせる。しかし、そんな古い機械で欧米並みの製品が出来る訳が無い。だから、幾ら近代化しようとしてもその製品を欧米に売って借金を返すことが出来ない。だから、皆失敗してしまうのです。ところが、日本は借金を返しきれたのですよ。でも、それは欧米から買った機械のお陰ではなかった。明治の初期に日本は独自の技術で、世界で最も高質な絹を生産することが出来ていた。その当時それに匹敵する絹を生産出来るのはミラノを中心にした北イタリヤだけだったのです。ところが、日本が絹を輸出し始めた頃に、イタリヤでカイコのウイルスが流行って、イタリヤのカイコが全滅してしまったのです。ですから、高質な絹の生産は日本が独壇場になった。まあ、これも他人の不幸でいきなり需要が増えたんだから、朝鮮戦争に匹敵する特需だったんですね。そんな幸運があったので、日本は西洋技術の助けを借りずに借金を返しきれたのです。そして、他の非西洋国には無かったその金銭的な余裕を西洋から輸入した技術の咀嚼につぎ込み、西洋の機械を凌駕する技術を戦前から開発していたのです。

だから、日本が驚異的に発展できた本質は、軍事国家であったこと、江戸時代までに社会的にも技術的にも十分進歩していたと言う歴史的な理由があったこと、それにイタリヤや朝鮮の例のように他国の不運を日本の幸運に代えるとが出来た運の良さにあったのです。

アメリカの影響が一番重要だったのは、アメリカと、中国ソ連が、朝鮮で戦争をやってくれた事でしょう。所謂、朝鮮戦争特需ですね。戦争では車や戦車や大砲なの兵器はは直ぐ壊れてしまう、それをアメリカまで運んで直している間が無かった。だから、日本で直したんですね。これで一気に戦前並みの経済力を回復することが出来た。もし朝鮮戦争が無かったら、復興には何倍も時間がかかったと思います。

そもそも日本は明治維新から50年もしないうちに、アメリカの助けを借りずに、国際連盟の理事国にまでなれた国...続きを読む


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