奈良国立博物館に行った時に気づいたんですが、仏像や仏画には手相が描かれています。それも運命線があったりなかったり様々です。印相だとか作り方だとかには意味があるということは文献に載っていましたが、仏像・仏画の手相について書かれた本は見つけられません。どなたか教えてください。

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A 回答 (3件)

#2です。



なるほど そうなんですか。
そういえば、仏教仏像関連の本で、仏様の手は、「 猿手 」で、横に一本の線しかない。と読んだ記憶があります。

引越ししたので、探し出せませんが・・・参考まで。
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この回答へのお礼

 (私にとっては)あらたな見解ですね。
 手相は3000~5000年前の古代インドに根を発するという説が一番有力です。それが中国を介して仏教とともに平安時代に日本へ伝えられたと言われています。また、中東、ヨーロッパへもジプシーによって伝えられています。
 日本へ伝わってきた経過からすれば、仏教との関係は切り離せないものがあると思います。だからこそ、仏教の象徴でもある仏像・仏画の製作にあたっては手相も重要な要素であったはずだと思うのですが、それは私の考えすぎでしょうか。
 西村公朝さんが生きてらっしゃったら、わずか4~5行の標記の根拠となることを教えていただきたかったところですが、今ではそれも叶いません。かと言って、仏教や仏像に関する他の研究者たちの見解は見られません。
 mokotannさんの書いていたことが述べてある本、もし見つけられたら、内容について教えてください。

 私ももう本屋さん回りはやめて、歴史や仏教の研究者に直接アタックしてみたいと思います。 

お礼日時:2007/08/29 22:07

仏像といっても、菩薩などの像と、如来像では違いますよね。



仏様の手は、大きい水かきがあり、法輪がついているので有名です。

画像、リンクは見つけられませんでしたが、

三十二相八十種好、仏足跡 で検索をしてみてください。

足の裏なら
http://www012.upp.so-net.ne.jp/daigyouji/daigyou …
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この回答へのお礼

 教えていただきありがとうございました。
 本屋さんに行く度に、関係の本の並べられているコーナーに立ち寄って探しています。
 先日、西村公朝さんという方の著書の中に、三十二相八十種好のことが述べてあり、手相についてじゃっかんの見解が述べられていました。
 それは下記の通りでした。
 ・ 運命線はない。なぜなら、仏さまに運命は関係ないからだ。
 ・ 生命線と知能線だけだ。
 しかし、その見解の数ページ後の仏像の写真の掌には、しっかりと運命線が出ていました。あれれ・・・?
 西村さんが生きてらっしゃればいいのですが、既に亡くなられていらっしゃるので、そこらの見解を尋ねることもできません。
 

お礼日時:2007/08/28 21:33

印相と呼びます。



参考URL:http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/inn.htm
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この回答へのお礼

 情報提供、ありがとうございます。
 印相についてよく分かりました。
 でも、私が知りたいことについては分からないままです。
 俗に言う「手相」。 ・・・ 運命線、生命線、頭脳線といった手のひらのしわの長さや曲がり具合が何かの意味を持っているという占いですね。
 もし、こちらをご存じでしたらお教えいただけたらありがたいなと思っています。
 

お礼日時:2007/08/19 10:43

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Q朝鮮(中国ではなくて朝鮮!)の影響を受けた仏画を、教えてください!!

私が通っている中学校では、11月に京都で研修旅行があります。
その中で、班別にテーマを持ち、そのテーマをさらに個人で分けて調べ上げ、レポートを作成するというのがあります。
私の班のテーマは「京都の中の朝鮮」というテーマです。
その中で、私は「仏画」を調べることになりました。
私のお父さんのコネで、知恩院で本物の(特に有名な)仏画を見せてもらえることになっているのですが、どれが朝鮮の影響を受けたのか分かりません!
どなたか、知っている方はいらっしゃいませんか??
今日中に事前レポートを書き上げなくてはいけなので、大至急教えていただきたいです!!!
*それを裏付ける証拠・どこの載っているのかも教えてください*

それ以外でも、京都にある仏画のなかで、朝鮮の影響を受けたor朝鮮人が描いたものがあったら、ぜひ教えてください!!
これもまた、それを裏付ける証拠・どこに載っていたのかを教えてください*

ずいぶん難しいと思われる質問ですが、本っ当に困っています(涙)
もし今日中(明日の朝まで)に書き終わらなかったら、班員全員に迷惑をかけてしまうのです(泣)
今まで、図書館などで一生懸命探しましたが、載っていなかったのでここに書きました。
どうぞよろしくお願いします!!!!

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今日中に事...続きを読む

Aベストアンサー

京都国立博物館に問い合わせれば
解決すると思います。
昔、朝鮮から渡来した仏画は日本中に結構有る様です。
興味あるテーマですね。
頑張って下さい。

参考URL:http://www.kyohaku.go.jp/mus_dict/hdtcj.htm

Q古物店の仏像について

古物店に、かわった仏像がありました。

まず、まるい台があり、中央に帽子をかぶった仏様が描かれています。
テレビで見る三蔵法師の方な姿をしておられます。
その上に、二つに分かれる円錐があり、分けると、中に仏様がほられています。
二つのうち一つは、起こった顔の仏様が、女性を前に抱いています。
左手に、ネズミのような動物を持っています。
二つ目は、易しい顔の仏様が、女性を抱いて、同じく動物を持っています。

円錐の表面には、おこった顔の仏様がそれぞれ違う表情で並んでいます。

黒い石で出来ているようです。

店主によるとチベットのもので、柱の下から見つかったものだということです。

ネットで、画像検索でも見つからず、質問しました。

ご存知の方がおられましたら、教えてください。
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

チベットの仏像は密教要素が多いものがあります。

女性を抱いている像が二体、一体は普通の像が三角錐に刻まれているとすれば結構珍しいものですね。

ヒンズー教の影響を受けている、女性を抱いた像(ヴァジュラヴァラーヒー:金剛亥母)は普通、チャクラサンヴァラ(勝楽尊)と言われ、骨・皮・人間の肉体部分・動物等を持っていたり手足に色々な色が塗られていたり、性行為を表したものなど密教の中でタブー視されている要素が多く含まれています。

多分この系統の像だと思いますが、古いものではなく土産物として作られた物である可能性もあります。

Q古代ギリシャの文献

ホメロスの「イリアス」とかは、現在原本が残されているのでしょうか?
それとも、イスラム語訳が最古の文献なんですかね?

また、ホメロスは何に詩を書いたんでしょうか。
石?羊皮紙?紙は当時なかったしなあ・・。
推測でもいいので、教えてください。

Aベストアンサー

 
>ホメロスの「イリアス」とかは、現在原本が残されているのでしょうか?

ホメーロス(‘Ομηροs)は「伝説的な詩人」で、個人として存在したのか、または叙事詩口承集団の集団名であったのか、現在でも不明です。代表作は、『イーリアス』と『オデュセイアー』とされ、前者の方が少し古く、紀元前8世紀頃の成立とされていますが、この年代は、口承文学が、「独立作品」の体裁を整えた時代と考えられ、その際に、「天才的な個人=ホメーロス」の「劇的造形・創造力」によって、作品に纏まられたのだとも考えられるのです(つまり、それ以前から、口承として、物語は伝わっており、うたわれていたのです)。

(トロイエー戦争を軸とした叙事詩は、二大叙事詩以外にも、古代には複数の存在が伝えられており、ホメーロスの二つの叙事詩だけが、現存するのです。つまり、紀元前14世紀から12世紀頃にかけて、叙事詩の原形となる「物語詩」はあり、紀元前8世紀に、今日知られる形に近いものが成立したと考えられます)。

紀元前8世紀頃に形ができあがった二つの叙事詩は、「口承文学」で、口頭で伝えられ、記憶され、文字の形で記録されていたものではありません。従って、ホメーロスの『イーリアス』原典には、そもそも「原本」が存在しません。誰かが文字記録として残したとき、初めて、書物形態の「原本」が成立します。

ホメーロス自筆の原本は、こういう訳で、最初から存在していません。(また、口承文学の特徴として、うたを歌う詩人のときどきの感興に応じて、物語の展開や、言葉などが一定していないという特徴があります。ホメーロスという個人の口承詩人が仮に存在したとして、彼が、その天才で、二つの叙事詩あるいは、一方の『イーリアス』の「劇的構成」を造ったのだとしても(『イーリアス』の作者と『オデュセイアー』の作者は別人で、ホメーロスは『イーリアス』の作者だという説があります)、そのうたは、ホメーロスが朗詠する機会ごとで、違った形のものだったということです。基本的な筋は同じでも、途中で、飛ばしたり、詳しい場合があったりと、色々な変化があったと云えます)。

(註:フランスのエジプト学者兼作家のクリスチャン・ジャックの『太陽の子ラムセス』という大河小説を見ると、紀元前14世紀のラムセス2世の時代に、トロイエー戦争から帰還する途中のギリシア人がエジプトにたどり着き、ホメーロスもそのなかにいて、ホメーロスは、エジプトで、二大叙事詩を書いたことになっていますが、これは、どういう根拠があるのか不明です。しかし、小説構成上の虚構だと決めつけるのも躊躇があり、ジャックは、何を根拠に、こういう設定にしたのか興味深いです。……ジャックの云っていることが、何かの歴史的根拠があるのなら、ホメーロス自筆の原典もあった可能性があります。無論、その場合も、現在は湮滅して存在しません)。

ホメーロスの叙事詩は、紀元前6世紀後半に、繁栄の絶頂にあったアテーナイで、文字記録として、まとまった文書にされました。この時点から、ホメーロスの叙事詩は、テクストが確定します。口承文学でありつつも、文字記録の文学となったのです。(アテーナイは、アッティカ方言という古代ギリシア語が使用されていました。ホメーロスの叙事詩は、アッティカ方言でうたわれていたのではないので、この文字化で、変化が生じます。喩えれば、日本で、上方落語を文字記録にする際、標準語にしたような変化が生じます。ただし、上方落語を標準語にしては、面白さがなくなるように、元のうたの音の響きや韻律を保持するために、元々の朗詠の文体ができる限り保存されたということはあります。従って、ホメーロスの叙事詩は、アッティカ方言古典ギリシア語では、文法が異なり読みにくい部分が多数あります)。

この起源前6世紀後半のアテーナイでの文字記録化で、初めて「原本」が成立します。古代ギリシアでは、粘土板文書で記録のあったことが知られてますが、紀元前6世紀、5世紀から、3世紀頃までは、当時の地中海世界の標準的な書写媒体である「パピュルス紙」が使用されており、『イーリアス』の文字化原本もパピュルス紙で記録されたと考えるのが自然です。ホメーロスの叙事詩は、書写されて写本が作られ、また同時に、なお口承もされていたと思えます。

紀元前2世紀に、アレクサンドリアで、『イーリアス』の校訂が最終的に行われ、テクストは、今日伝わるものとほぼ同じ形になります。この時点では、まだパピュルス紙が使われていたと思えますが、この頃から、羊皮紙が使用され始め、羊皮紙写本も成立したと思えます。

ホメーロスの校訂写本原典は、湮滅したようで残存せず、紀元2世紀から3世紀頃の羊皮紙断片が残っています。(もっと古いパピュルス紙断片もありますが、今日知られる、叙事詩作品の内容とは、かなり違っています)。

>それとも、イスラム語訳が最古の文献なんですかね?

従って、これは違っています。古典ギリシア語で記された羊皮紙写本が存在し、ある程度まとまったものも、紀元6,7世紀頃のものが残っています(参考URL)。

参考URL(ただし、ページが何故か開かないので、「シモニデスのホメロス写本」で、Google で検索し、キャッシュを見てください):

>f.シモニデスのホメロス写本
>http://www.humi.keio.ac.jp/japan/docs_j/report/annual/1997/1_A_If_text.html
 

 
>ホメロスの「イリアス」とかは、現在原本が残されているのでしょうか?

ホメーロス(‘Ομηροs)は「伝説的な詩人」で、個人として存在したのか、または叙事詩口承集団の集団名であったのか、現在でも不明です。代表作は、『イーリアス』と『オデュセイアー』とされ、前者の方が少し古く、紀元前8世紀頃の成立とされていますが、この年代は、口承文学が、「独立作品」の体裁を整えた時代と考えられ、その際に、「天才的な個人=ホメーロス」の「劇的造形・創造力」によって、作品に纏まられたのだとも考...続きを読む

Q博物館の鉱石類

博物館で販売されている鉱物についてお尋ねします。
よく土産物として水晶や天然石などが売店で売られているのを見かけますが、あれは本当にどこかから採って来た物なんですか?
それともレプリカなんですか?
ご存知の方いらっしゃいましたら教えて下さい。
宜しくお願いします。

Aベストアンサー

天然物ですよ。
水晶に関してはブラジル産かと思われます。
その他天然石もほとんどが外国産です。
加工された水晶玉には天然水晶を溶かして作った人造水晶もありますけど。

Qオススメのきょうりゅう博物館を

小学生のこどもがきょうりゅうや化石に
とても興味を持っているので
春休みに旅行を兼ねて恐竜博物館に
連れて行こうと思い立ちました。

調べてみたら静岡、熊本、福井と
全国に何ヶ所かあるようですが
できれば一番規模が大きく、
迫力があって生き生きとした姿を
間近で体感できるところを
選びたいと希望しています。

行った事のある方、情報をお持ちの方
よろしくお願いします!

Aベストアンサー

恐竜関連の博物館(自然史)、いくつかまわりました。熊本は行っていないのですが、多分、福井の博物館が一番よいと思います。2画面向かい合わせになった映像展示(両側が見られる)も面白いですし、ジオラマや標本も充実しています。

他には、北九州市のいのちのたび博物館も良いですね。いわき市石炭・化石館も大きいですが、ちょっと古いです。後は、上野の国立博物館でしょうか?(恐竜の展示に限ると規模は小さくなります)


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