すいません、明治の頃の文学論で
≪虚像を借りて真実を写し出すという≫言葉があったと思うのですが
出典を忘れてしまいました。

坪内逍遥『小説真髄』 か二葉亭四迷の『小説総論』だったと思い
調べてみましたが違うようです。

言葉を勘違いしているのかもしれませんが、気になります。
出典がわかる方がいらっしゃいましたら教えてください。

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A 回答 (2件)

「虚像を借りて真実を写し出す」なんて、誰の文学論と言うほどのこともない、凡庸な芸術論だと思うけど。

教科書的なオーソドックスなもので、押さえておく必要はある、みたいな。それがお気に入りなんですか?
言葉としては近松門左衛門の「虚実皮膜」などが似てますが、江戸時代だし、意味が異なります。
明治も大正も通り越して、例えば三島由紀夫の『仮面の告白』。主人公の生い立ちは作者の三島に似ている。だから、「仮面の助けを借りて、三島自身の真実を語ったんだね」と理解する人がいる。しかし、それは初歩的な勘違い。真実なんてものは、顔と仮面のわずかな隙間から滑り落ちてしまったのだ。仮面が語る告白は、真実を写し出すことを目指したものではない。

この回答への補足

質問の答えになってないんですけど^^;まあいいです。

補足日時:2007/08/20 23:52
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この回答へのお礼

一般論はどうでもいいんですよ。私が好きなんで。
レトロな少女マンガ、竹宮恵子さんの少年愛の作品とか、大島弓子さんの猫の作品を読んでいて、全くのありえない世界に、現実世界への
メッセージが表現されていて感動するんですよね。
そのときこの言葉通りだなあってしみじみ思うのです。
凡庸な芸術論でもいいんですよ。私の感動ですから。

受け売りの文学論や作家論をあたかも自分の意見のように、したり顔で語るつもりもないんで。

お礼日時:2007/08/21 00:11

二葉亭四迷『小説総論』に、



  よって試に其大略を陳(のべ)んに、摸写といえることは実相を仮りて虚相を写し出すということなり。

というのだったらあります。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000006/files/1868_ …

この回答への補足

ありがとうございます。
それは見つけたんですよ。

単なる私の思い違いだったのかもしれません。

補足日時:2007/08/20 15:23
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
自分の中で気に入っていた言葉だったんですが・・・
思い違いだったのかな?

自分なりの小説(芸術)論と融合してしまったのかもしれません

お礼日時:2007/08/20 16:14

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Aベストアンサー

「フランス恋愛小説論」工藤庸子 岩波(中公?)新書

に青年と年上女性との恋愛に関する言及があったと思います。
フランス小説が好んでテーマとして扱ってきた・・・と、工藤氏も述べていました。
今すぐ確認できないのですが、至急なんですよね。もう終わったかな?

他に思いつくのは
「赤と黒」スタンダール
「シェリ」「青い麦」コレット(不倫じゃないけど)
ですね。私はコレットで卒論を書いたのですが、そのとき読んだフランス人の研究書によると、青年と恋愛をする年上女性のことを
deniaiseuse (綴り自信なし)と言うそうです。
deniaiser :利口にする、世慣れさせる で denisiseuse は「少年を大人の男にする女」の意味になります。

どのようなことを意図したかについては、全く分かりません。
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ちなみに、
「シェリ」:25歳上の愛人に甘やかされて過ごし、5歳下の娘と結婚。
「青い麦」:16歳の少年が30代後半の女性に誘惑される。彼女が去った後、幼なじみの14歳のGFと寝る。

そう考えると貴方の仰るように、青年の性的・精神的成長に、年上の経験豊富な女性の手を借りると言うのであっているかも。
余談ですが、日本の某歌舞伎俳優は、今は亡き大女優に「人間としても役者としても”男にして貰った”」というのを聞いたことがあるなあ・・・。

かなりいい加減な回答で申し訳ありません。

「フランス恋愛小説論」工藤庸子 岩波(中公?)新書

に青年と年上女性との恋愛に関する言及があったと思います。
フランス小説が好んでテーマとして扱ってきた・・・と、工藤氏も述べていました。
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Qアイデンティティ≪同一性≫ に付いて詳しく教えて下さい

≪同一性≫ を辞書で調べたら≪一般に二つ以上の相異なる事物がその性質その共通性の故に、その点では相互に区別できない事≫と書いてありましたが、いまいちピンと着ませんアイデンティティ≪同一性≫の意味について例え話も付け加えて分かりやすく説明してくださったら嬉しいです

Aベストアンサー

自分というものが、他の誰でもない特徴をもつ自分自身であり、現在の自分が何者であるか、将来何でありたいかを自覚すること、つまり自分を発見することがアイデンティティの確立です。「私」を「私」たらしめ、一貫性つまり、同一性を与えているものは何かということへの意識、自己確信。他者や社会によって承認され認識される自己の同一性。平たく言うと、自分が何者であるかという感覚は、他者と何が同じで何が異なり、社会でどう言う位置付けにあるのかというところから芽生えるのではないでしょうか。

エリクソンの理論の中での自我同一性とは、「自分は何者でもない自分であり、過去現在未来を通して不変である」という感覚と、そして、「そうした自分に対する感覚が、社会の中で同様に認められ位置づけられている」という感覚を併せ持つ事とされています。自らを社会的現実の枠組みのどれと同じなのかを探し出すこととも言えると思います。

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自分というものが、他の誰でもない特徴をもつ自分自身であり、現在の自分が何者であるか、将来何でありたいかを自覚すること、つまり自分を発見することがアイデンティティの確立です。「私」を「私」たらしめ、一貫性つまり、同一性を与えているものは何かということへの意識、自己確信。他者や社会によって承認され認識される自己の同一性。平たく言うと、自分が何者であるかという感覚は、他者と何が同じで何が異なり、社会でどう言う位置付けにあるのかというところから芽生えるのではないでしょうか。

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出典をさがしています。ある小学生用国語問題集に使われている物語文の出典を探しています。その問題集の巻末にある主な出典一覧の中では、「村中季衣 デブの四、五日」というのがそれらしいとは思われるものの、そういう本を見つけることができません。もしかすると、これは書名ではなくて、その中の1作品のタイトルかもしれません。まったく別の本である可能性も多いにあります。どなたか、ヒントになる情報をお寄せ頂けると幸甚です。以下に引用文の一部を掲載いたします。

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Aベストアンサー

「デブの四、五日」は『小さいベッド』の中の一話です。

小さいベッド 村中李衣 著 かみやしん 絵
偕成社 1984年7月 ISBN 4-03-635210-5

参考URLは国立国会図書館国際子ども図書館の書誌情報です。

※村中李衣(むらなか・りえ)さんですね。
    ̄

参考URL:http://kodomo3.kodomo.go.jp/web/ippan/cgi-bin/fSS.pl?nShoshiId=30961&nKihonId=30952&sGamen=SI

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Aベストアンサー

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http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4041141036/249-1553544-7650731#product-details

 その中で小林秀雄は「ゲーテが、エッケルマンにこんなことを言っていた。・・・・略・・・」とあります。わたしの理解する限りでは、ゲーテの作品中の文章ではなく、エッカーマン(小林はエッケルマンと表記してますが)の『ゲーテとの対話』の中の言葉ではないでしょうか。私も本著は読んでいませんので、ご参考までに。
 エッカーマンの『ゲーテとの対話』は岩波文庫から出ているようです。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-form/249-1553544-7650731

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Aベストアンサー

回答される方がいないようなので、インターネット検索で調べたら出てきた情報をご紹介します(信頼性には欠けますが、何もないよりはましかと思いまして)。

Franz Kafka, no returnあたりをキーワードにして検索していたら、結構それらしいのがヒットしました。カフカの言葉であることは間違いないようです。しかし、その言葉がどこから出ているのか出典を書いているものは、ほとんどありません。唯一それらしいことがかいてあったのが、次のサイトです。
http://www.eigengrau.com/kafka/reflections.html

5番目の"Beyond a certain point there is no return. This point has to be reached."がご質問の言葉だと思うのですが、このサイトを見る限り、Reflections on Sin, Suffering, Hope, and the True Wayからの引用として紹介しているようでもあり、Blue Octavo Notebooksからの引用のようでもあり(最後のNoteのところ)、今ひとつ良く分かりません。

そこで、Reflections on Sin, Suffering, Hope, and the True WayとBlue Octavo Notebooksを検索してみたのですが、次のサイトに当たりました。
http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/1878972049/ref=lib_dp_TC01/104-4953874-0807112?v=glance&s=books&vi=reader&img=5#reader-link

多分、Blue Octavo Notebooksというのはカフカの習作ノートのようなもので、その中の一冊(一章)がReflections on Sin, Suffering, Hope, and the True Wayというタイトルなのだと思います。

私の推測が正しいとして、習作ノートの中のこの一節が、最終的に完成された作品の中に取り込まれたかどうかは、分かりません。でも、ほかの方から回答がないということは、有名な小説の中には出てこないのではないかなと思っています。

回答される方がいないようなので、インターネット検索で調べたら出てきた情報をご紹介します(信頼性には欠けますが、何もないよりはましかと思いまして)。

Franz Kafka, no returnあたりをキーワードにして検索していたら、結構それらしいのがヒットしました。カフカの言葉であることは間違いないようです。しかし、その言葉がどこから出ているのか出典を書いているものは、ほとんどありません。唯一それらしいことがかいてあったのが、次のサイトです。
http://www.eigengrau.com/kafka/reflections.html
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