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自分には3歳の娘がいます。生まれてまもなく脳に障害がおき、小児脳性まひ、障害者1級、愛の手帳1級レベルの重症をおいました。なので3歳になった今も手足は自由に動かせず、視力もほとんどなく、口からモノを食べることもしゃべることもできません。
自分にとっては、結婚5年目で待望の長子誕生だっただけにショックが大きく。その後いろんなことを考えるようになり、長い鬱病に苦しんでいます。医者からは、鬱病、自律神経失調症、適応障害といろいろ診断され、この4年間で3回の休職。会社の理解もなかったので、昨年会社を辞めました。生活のこともありますし、今は一応転職しています。
しかしながら、転職したからといって、鬱が治ることはなく、娘の障害が改善されるわけでもなく、日々苦しんでいます。
世の中でお子様が障害をかかえている方々は、普通な気持ちで暮らせているのでしょうか。
僕はとても普通な気持ちにはなれません。毎日が悲しいです。
正直自信もありませんし、世の中の大半は一般的に普通に暮らしているわけで理解されるわけもなく、不遇な気持ちで一杯です。
この先、どうすれば、よいのでしょうか?

A 回答 (15件中1~10件)

私の娘もまったく同じような状態です。

でももう15歳になりました。
笑えなかった娘が10歳すぎてにっこり笑うようになりましたよ。

生まれてから3年ほどは301023PDSTOさんのように毎日が悲しくてつらくて
どうしてうちの子だけがこんな不幸を背負わなければならないのかと、暗い気持ちでおりました。
今のお気持ちをお察しします。
まわりの理解のなさに怒りに燃えたこともありました。

でも今思うと、その頃が精神的に一番つらくて、孤独でした。
障害児の通園施設へ通うようになり、同じような立場の友人を得ると、
どんどん気持ちが楽になっていきます。
元気な先輩たちや関係スタッフの方たちが励ましてくれます。

また重症児を守る会(参考URL)に入られてはいかがでしょうか?
初めは機関紙を読むだけでもいいし、勉強会や見学会もあります。
鬱の状態だと新しい友人を作るのは難しいかもしれませんからまずは
同じような立場の人の書いた本など読んでみてはいかがでしょう?

秋には学区の養護学校の文化祭などに娘さんと見学に行かれてみては?
どんなに重症な子供でも訪問という形で学校に在籍しています。
同じような障害の子たちが一生懸命生きている姿、笑顔を見ることができるはずです。
そしてできれば、元気な親たち先生たちに声をかけてみて下さい。

あなたはひとりじゃないし、きっと普通な気持ちで暮らせるようになります!
普通どころか、娘さんを通して深く感動するような出来事がいっぱいあります。
苦しんだ分「普通」のありがたさに感謝できるんですよね~
障害児の親だからってけなげで立派な人にならなくていいと言い訳しつつ
テキトーに手抜きしながら毎日のちいさな発見を楽しんでます。

参考URL:http://www.normanet.ne.jp/~ww100092/
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この回答へのお礼

参考URLも含めて、ありがとうございます。

自分なりには、自分の鬱克服と、娘の障害を現実に受け止めながらそこに幸せを見出せるよう、可能な範囲で努力はしておりまして。
昨年末より重症障害児を守る会には入会し、また日本てんかん協会では編集委員として会合に参加しはじめているところです。

でも簡単に劇的な変化があるわけがなく、周りとも比較してしまうため、何か不遇な気持ちになり、そこに自分の心の病の原因があるような気がします。

ご指摘の、養護学校の見学や、同じ境遇な方々との交流が、もう少しできればと思います。

でも昼間会社にいると普通な人が大半で、特にお気楽な人とか見てるとなんか不遇な気持ちになってしまいます。。。

お礼日時:2007/08/24 11:03

私は脳性マヒで一種3級です。

そして双子の妹も一種一級の障害者(知的障害併発)です。
うちの場合ですが、今年の五月に亡くなった母は今考えると公的サービスを利用するのが下手な親でした。私がすごく苦労をかけてしまったのですが、妹のことでも一人で悩みを抱え込んでいて、私が2年前に仕事を辞めた後薬の副作用でパニックを起こして入院した後は、私のことで養護学校にするべきだったのかなと後悔していたようです。
でも私達が小さい頃はいろいろ遊びに連れて行ってくれ、あまりはっきり記憶が残ってないけれどごく普通に過ごしていましたよ。
それでも私達が大きくなるにつれいろいろな問題が出てきていますが、
一時期は父をうるさく思っていた私も、今は大事なことをゆっくりと相談できるようになってます。

さて相談者様の場合初めてのお子様ということですが、ご自分を責めてもお子様の状況が良くなるわけではないですよ。
うつの治療は今かかっている病院にお任せするとして、まずは役所の障害福祉課で利用できるサービスについて聞いてみましょう。
私が子どもだったころに比べるとまだ遅れているところも若干ありますが福祉サービスが結構充実しています。
介護の負担が重いならヘルパーさんを頼むこともできますし、自治体により違いますが福祉手当も出ます。

私は幸い障害が軽かったので高校を卒業したあと一般企業で働いていたのですが、就労支援の立ち遅れが目立ち周りからうまく理解を得られず適応障害になりました。
今はかなり元気になってきたので支援センターの人の知恵を借りながら社会復帰を目指しています。

うまく言えないのですが決して一人で抱え込まないでください。
障害のために知能が遅れているとしても、子供はお父さんお母さんの様子をちゃんと見ています。
それでお子様を悲しませるような行動をしてはいけないと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。ひとりで抱えこまないで、自分のことも娘のことも受容して、頑張ります。本当にありがとうございます。

お礼日時:2008/12/18 17:23

#4さんと同じ意見なんですが


障碍を持つ子というのは、独特の良さがあります。

たまにしか会わない私でも、それを分かり
毎日接してる親は、目に入れても痛くないほどの溺愛です。

そういうところすら、見ようとしてないんではないでしょうか。
現実逃避と言うか…。

>世の中の大半は一般的に普通に暮らしているわけで理解されるわけもなく

だからこそ、障碍を持つ子の親の会があったりします。
そういうのに参加した事は?

また、子どもの障碍が理由で離婚される夫婦も
多かれ少なかれ、います。

そうならないように、今のうちに受け入れる努力をされては
いかがでしょうか。
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#6です。


お忙しい中、つたない文章を読んでいただいてありがとうございました。人事とは思えず気になっていました。また書き込みしてしまいました、スイマセン。
うちも今は都会に暮らしていますが、小学入学までは田舎(ド田舎ではなく普通の町)に住んでいました。引っ越した理由というのが医療でした。田舎では専門医がいなくて、当時それこそ月に3回入院退院を繰り返していた時期でもあり、きちんとした医療を受けるため都会に引越し今は家を建て子供が生きているうちはここで暮らしていくつもりでいます。
田舎の狭い世間というなかで障害児を育てるというのはすさまじい差別の中で暮らすことです。他人の家を覗いたり、ポストから郵便をとって読んだり、よそ者の異端児のような扱いです。ジジババと同居で基盤があればいいのでしょうが、結婚して家を出て、アパートマンション暮らしを始めると、もうその時点でよそ者なんです。普通の家庭でも一戸建てが無い時点で差別されますから、まして、子供が障害児となると、ひどいものです。毎日厚いカーテンをして暮らしていました。
保育に関しても、「そんな子を面倒みてやっているんだ」と堂々と言ってしまう、市の職員や保育士もいました。
3歳のとき、私はあえて普通の一般の園に通わせようと働きかけました。このときは今思い出してもつらいことがいろいろありました。旦那は貴方のように協力はしませんでしたので一人で行動を起こしました。一般の園に通えるようになって、やはり辛かったですね。そんな田舎ですから心無い人たちの差別の視線と言葉に幾度と無く死んでしまいたくなりました。でも息子自身はずいぶんと成長しました。何度と受ける訓練よりも刺激になったようです。
辛いことを申し上げて申し訳ありませんが、他人との比較の中に安らぎや幸せは見出すことはできないと思います。私も息子が3歳のときはまだまだ、現実を受け入れられず、泣いてばかり、死にたいと思ったり、心から安らいだりしたことはありませんでした。
脅すようで申し訳ないですが小学入学も辛かったです。そういう本来は喜びの門出、イベント事の度、少なからず辛い思いをするかも知れません。私にとって精神的な支えになるパートナーはいませんでしたので、それも辛いことでした。どうかどうか奥様と仲良く支えあってください。それは最強のパートナーとなります。
まだ(お子さんにとって)始まったばかりの人生ですが、これから別れも経験していきます。信頼できる専門家、ドクター、先生などなど。
子供さんを一人の別の人格を持った人間として見てください。幸せかどうかを決めるのは親さんではありません。お子さんは(うちの息子も)他人との比較の中に幸せを見出してはいません。地球上でただ一人の無二の存在のお子さんをただそのまま受け入れる、ということだけです。
お互いがんばりましょう。私もまだまだがんばります。
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この回答へのお礼

何度もありがとうございます。
勇気付けられます。

確かに、うちの娘も東京を離れてしまえば、なかなか専門医にたどり着けず、医療の面ではもっと苦労するであろうことはわかっています。東京都内にいても、今の病院、医師にたどりつくまで2年くらいはかかり、今ようやく主治医、地域の小児科医、地域の看護士、ヘルパー等々助けてくださる方々がかたまってきたところです。

そう考えると、私自身、父親がどうこの都会の軋轢に耐えて頑張っていけるかになるのですが、まだまだです。
もう少し時間はかかりそうですが、なんとかこの局面を乗り越えたいと思います。そのためにも、自分も心の病や、世間と戦いたいと思います。
ほんとありがとうございます。

お礼日時:2007/08/27 15:23

No.8です。

何度もすみません、、、
301023PDSTOさん、いろいろと活動なさっていたのですね!
うちも昔てんかん協会に入っていました。
鬱状態なのに娘さんのためにがんばっていらっしゃるなんて
うちの旦那に爪の垢でも飲ませたいくらいです。
たしかにひらきなおるしかない母親より普通に社会生活している父親のほうが
プレッシャーを感じてつらくなることが多いのかもしれませんね。
うつ病の治療はなさっていますか?お薬が効くこともありますが、、

私は娘が3歳ころに首が座れば歩けるようになるかもしれないと言われ
ものすごくあせって
子供を抱いてあっちこっちのいろんな療法を試しまくっていました。
他の3歳児を見ると涙が出そうになりました。
きっと今が一番つらい時期ではないかと思います。

受け入れるのに時間がかかりますが、本当に薄紙をはがすように
少しづつ少しづつ元気になっていけると信じています。
がまんばっかりしていないで、
思いのたけをだれかにぶちまけて泣けるといいのに、、
同じようなお立場で愚痴をこぼせる友達ができるといいのになぁ。
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この回答へのお礼

何度もありがとうございます。

鬱のお薬は3年くらい飲んでいます。なかなかお薬だけでは効かないので、最近は先生の薦めで、家で認知療法をやりながら治療をしています。
自分はどうしても世間、周りを見てしまい、悪い方向で物事を考える変な癖がついたようです。娘の障害が、今でも信じがたいため、いろんなことに自信を失ったようです。

でもなんとか再出発できるようにならないと。
少しずつですが、前進できればと思っています。心底幸せを感じる日が来るように。

お礼日時:2007/08/27 15:29

子どもさんの関係から、知的障害児通園施設への相談通所はしていますか?


その保護者会などで、同じ状況の親御さんからの情報を入る事は出来ませんか?
 保護者会で、自立支援GHを立ち上げたりなど、一人では出来ないが皆の力で大きなエネルギーへと、一致団結して大きな発言力を持たれ、行政まで動かす力もある団体も多く有ります。
 現実を受けれる事は、多くの親御さんも経験している通過点と思います、一人では解決出来ないことでも、多数の意見経験談を聞くことで、乗り越えられる力と思います。
 保護者会を覗いて見ることも視野は確実に広がります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>>子どもさんの関係から、知的障害児通園施設への相談通所はしていますか?
●住まいの区に、心身障害児の療育施設がありまして、妻と娘は週に3回通っています。私は普段はシゴトがあるので、土曜療育の日や、たまに平日お休みをいただいて同行、相談はしたりしてるつもりです。でもなかなか親としての自分自身のこと、やホンネは話づらく、これまで納得できる相談や回答は得られていない感じです。

>>その保護者会などで、同じ状況の親御さんからの情報を入る事は出来ませんか?
●その療育施設に同じように通っているお父様方と交流したいのですが、なかなか機会なく、また同レベルの重症のお子様をお持ちのお父様がいらっしゃらないので、今のところ納得できる情報はなかなか得られていません。
なので、重症障害児を守る会にも入会したり、日本てんかん協会の会合に参加しはじめているところです。

おっしゃるような形で解決の糸口を見出したり、視野が広がったりするのでしょうが、現状なかなかできないのも、自分の焦りをより大きくさせています。いい方向にすすんでいないような気がします。
気持ちにゆとりをもたせたいのですが、いつも考え込んでしまい、自分の心に余裕のない毎日です。

お礼日時:2007/08/23 22:20

私の姉も障害者です。


兄・姉・私の兄弟ですが、兄姉とは歳が離れていて
姉や家族を助けるため、私は生まれました。
小さいころからずっとそういわれて育ち、正直辛かったです。

でも、母の姉が障害を持っているとわかったあたりの日記を読み
そんな自分の身勝手さを後悔しました。

生きているのがつらい、死にたい、
私と○○(姉)がいなくなれば家族は幸せになれる

そんな言葉ばかりでした。
その日記のことを母に話すと「そんな時もあったのよね」
と、笑っていました。
家に帰って来ず、警察に保護されたこともありましたし
家で大暴れして殴られたこともありました。
出掛ければ奇異な眼で見られることは当たり前
心無い友達には「隠してたんでしょ」と言われたこともあります。
今だって、問題なんていくつもあります。

ただ、私も母も姉の関係で傷つけられ傷つくたびに
挫折しては少しずつ強くなれたと思います。
正直、人間不信になるような出来事も母にはたくさんありました。
父は子育てよりも仕事の人で
姉は障害者であるということはあまり考えていないようで
母は一人で抱えて、一人で乗り越えてきました。
私なんかでは計り知れないほど辛い思いをしたのだと思います。

姉はまだ30代半ば、将来のことを考えると
少し戸惑うこともありますが
私たち家族はとても穏やかな気持ちで毎日を過ごしています。
私は姉のことが大好きですよ。尊敬もしています。
姉のおかげで今の私があるのです。

先すぎることを考えると、心が迷子になってしまう
と私は思っています。
今日一日を家族が穏やかにすごせたこと
そのことに「ありがとう」と思ってみませんか?
明日もこんな幸せを守りたいと思いながら眠ってみませんか?

焦らないでくださいね。
答えや方法はゆっくり見つけたっていいんですよ。
気づいたら答えがあった、そんなことだってありますよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>>今日一日を家族が穏やかにすごせたこと
>>そのことに「ありがとう」と思ってみませんか?
>>明日もこんな幸せを守りたいと思いながら眠ってみませんか?

日々ゆっくりマイペース、うちの家族のペースで幸せを感じ取れればと思っているのですが。。。現状なかなかできていません。
できるように努力したいと思います。

できない理由としては、周りを見てしまうというか、自分は東京に暮らしていて、東京の、普段のシゴト関係や周りの関係の殺伐さ、忙しさに焦りを感じるんだと思います。
ご指摘通り、一日一日を穏やかに暮らせるよう、模索してみます。

お礼日時:2007/08/24 10:16

いとこが重度の障害児です。

現在は30歳。
そこのお母さん(叔母)はとても明るい人です。でも父親(叔父)は失踪してしまいました。
私は実際にそのような子供をもったことがないので、どんなに大変かということは想像でしかありません。

しかし、何か役に立てればと思った時、一冊の本を思い出しました。
福島大学の教授の研究報告本です。中身は非常に読みやすいです。
ここには、様々な苦難に意味があるのか、それをどのように捉えるのかというようなことが書かれていますが、感動的です!

子供は親を選んで生まれてくると書いてありました。これは宗教やオカルトは関係なく、この先生の研究の報告です。きわめて理性的です。
そして、障害をもった魂は、『チャレンジパーソン』と呼ばれているのだそうです。自らの運命を受け入れて苦難困難にチャレンジしにきたのだと。

そう過程すると、301023PDSTOさんのお子さんはあなたが父にふさわしいと判断したからではないかと・・・。

あと、私も色々と学んでいくなかで(心理学など)この本だったかは忘れてしまいましたが、2000人を対象に退行催眠(精神医学、心理学等で治療の一環として医療現場で使用されている方法で、怪しいものではありません)をかけたところ、生まれ変わりを信じる、信じないにかかわらず、8人をのぞいて全ての人が『親を選んで生まれてきた』と答えたそうです。

もしも、そんな馬鹿げたことを・・・と思ったならば、すみません。
私はもしこれが事実ならば、こんなに素晴らしいことはないと思ったのです。私は親にイジメられ、ツライ幼少期を送りましたが、自分で選んだ意味がそこにあったのではないかと捉えています。

気分を害されたらごめんなさい。何かいいきっかけになればと思いました。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/人生の価値―私たちは、どのように生きるべきか-PHP文庫-飯田-史彦/dp/4569660401
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この回答へのお礼

参考書の紹介も含めて、ありがとうございます。

うちの娘が、僕や妻を親として選んでこの世に生を受けたかどうかはわかりませんが、明らかに自分の遺伝子だなあと思うくらい、顔・形が僕に似ていて、一緒にいるとホッとするし、楽しいんです。
でもふと思うと、娘は障害者なんだとかうちの娘、家族はこの先どうなるのかとか、と考えこんでしまいます。
たぶん娘と僕の閉じた世界では、二人の絆は運命と思えるくらいなのですが、どうしても世の中、世間と較べて、不幸なのかも、とか不遇に思うんです。

そこを克服したいのですが、今はなかなか、なので自分の心の病気が続いているのだと思います。

お礼日時:2007/08/24 10:52

私の兄も障害者です。



よく、人から「苦労したでしょ?」って言われるんですけど、私なんかより母親の方が何倍も大変だったのではと思っています。
兄は重度の知的障害者で、会話もできませんし自分の感情をコントロールできません。ストレスがたまると小さい子のように泣き叫んだり暴れたりします。兄は体重が100キロ以上もあって大柄なので、暴れると家の中を破壊しまくって誰にも止められません。母親もよく殴られてました。そんな風に兄の精神状態が悪いときは本当に家の中はどんよりとした暗い雰囲気でした。
だけど、信じられないことに私の母親はとても明るいんです。考え方も前向きだし。
母はとてもよく旅行に行っています。元々は一人で遊びに行けない兄を遊びに連れて行くことが目的でしたが、やがて母自身の趣味みたいになってきて。関西圏は行ったことがないところがないくらい行きつくしてます。同じ障害者の家族同士のグループで行くことも多いです。
母が言うには、「子供が障害者だったからこんなに旅行に行けた」って言っています。

うちも経済面でもそんなに豊かではありませんでした。母親が兄にかかりっきりなのでパートに出れませんから。多分、「これからどうやって生活をしていけば・・・」って時期もあったのではないかと思います。
私も「うちは何でこんなに貧乏なんだ?」って文句を言っていた時期もあります。だけど、そのときは家族が団結していたと思います。私も、一生懸命働きました。

そして、数年前くらいからいろんなことがうまくいき始めました。
私は一流企業の男性と結婚が決まり、兄はいい施設にめぐり合い落ち着いてきました。父は70前ですがいい職場にめぐり合いまだ働いてます。父は「ずっと働いているからボケずにすむよ」って言ってます。父も母も年ですが、心身ともにしっかりしています。大変な状況だったのでボケる暇が無かったのだと思います。経済的にも余裕が出てきました。今もしょっちゅう旅行に行っているみたいです。

あの頃大変だったことが嘘のようです。というか、もう思い出せません。けれど、常にいい方向に行くように家族全員が努力だけはしてました。

今は一番大変な時期かもしれませんが、10年後20年後は笑っていられるかもしれませんよ。私の周りの障害者を子供に持つ親御さんも、お子さんが年をとってくると生活もそれなりに落ち着いてきている人が多いです。同じような境遇の方々の集まりに参加されるのもいいかもしれません。そこで先輩の話を聞いてみると将来のスタイルが見えてくるのではないでしょうか。

とにかく、ずっとこんな状態ではないはずだと信じて諦めずに頑張って下さい。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

10年後を見据えて、そのとき笑ってられるよう、今を乗り越えられればと思います。
そのような思考になれるよう、努力したいと思います。

今はまだそのような思考になれてません。どうしても周りを見てしまうからだと思います。自分だけが不幸・不遇、あの人はお気楽にいい暮らしをしている、などなど。
何とかしたいです。

お礼日時:2007/08/24 13:22

私にも一級の手帳を持つ障害児の息子がいます。



パパさんですか?
私は子供も障害が受け入れられず逃げ出した情けない父親をたくさん見てきたので、貴方のこと、ご立派だと思いますよ。
まず、子供が障害があるということ、それは、
親の因果でもなければ、墓や仏壇、先祖が悪いわけでも、いんちき宗教を信仰しなかったからだというわけでもありません。誰が悪いわけでもないんです。
それと、かわいそうな訳でも不幸な訳でもありません。
人間はそんな高いところから人を見下すほど偉くはないのですよ。

でも、そうは言っても大変でした。今息子は中2ですがここまでくるのが大変でした。慢性疾患を持っているので入院の繰り返しでしたから。
やっぱりつらかったのは、3歳、小学入学時、この時代はつらい時期でした。
でも思い返してみて辛いと思ったのは、世間でしたね。かわいそうがってくれているうちはまだいいのですが、
明らかな差別用語、ひどいときはうちにきた手紙を近所の人が勝手に読んでましたよ。今なら怒鳴り込む強さを持っていますが当時は人の視線にビクビクしていたこともあり、ただ泣いていました。

まだ、3歳ですものね。これからお子さんの人生は社会との接点を持ってきます。自治体によって変わってきますが、保育園に行くことになるでしょう。一般の園で加配をつけるのか、療育目的の園なのか、いろいろ見学して合うところを見つけてください。勇気を出して通園すべきですよ。いろんな方との出会いがあります。同じ悩みを共有できる親さんたち。また療育に当たる専門のPTの先生、保育士さんたち。お子さんにとってもいい経験です。「何にも分からないから」などとおっしゃっては駄目です。分からないなんで誰が決めたんですか?お子さんはお子さんなりに分かっているはずです。親さんのせいで子供の可能性を摘んではいけません。そしてそこでたくさんの人たちと出会い、たくさんの情報を得てください。就学の時にでもきっといい方向が見えてきます。
私は子供に障害があるということ、不便さを感じたことはありますが不幸ではありません。すご~く勉強もしました。専門書も読み漁りました。いろんな人と出会いましたし、普通だったら接点のないようなジャンルの人たちとも話すことができ、人生の財産を子供からプレゼントされていると思います。つらいこともあります。でもそれは障害の有無に関係ないですよ。うちの息子は「うぜえんだよ、ババア金よこせ」とは言いません。いつも天使の微笑みです。
まだちょっと先の話ですが自立支援法についても情報を得てくださいね。役所に行ったら窓口がありますのでいろいろ聞いて見てください。ちょっと疲れたら休憩とることも大事ですよ。
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この回答へのお礼

ご丁寧にありがとうございます。

娘は1歳のころから、区の療育施設に、妻と一緒に通っています。月に1回は都の施設にも通っています。

ただ僕は父親なので、なかなか一緒にいてあげられなくて、普段会社や世間にさらされていると普通(に見える)人たちと接してる分、不遇な・不幸な気持ちになってきて、自分の心が病に犯されたんだと思います。
ただ休職をしたことによって、時間がとれた分、この1年間ほどは妻と娘と一緒に療育施設に行けたり、病院に同行できたりして、求職してかえってよかったなと思えることもありました。

ご指摘の通り、自立支援法等や、障害に関するいろんなこと調べたり、接したりしたいと思います。

>>子供に障害があるということ、不便さを感じたことはありますが不>>幸ではありません。
わたくしも家で娘や妻といるときは、障害があること自体を不幸と思ったりはしなくなってきたのですが、世間にさらされると、他人とどうしても比べる場所が出てくるので、それが続いていて、周りに比べて不幸とか・不遇とか思うんです。
何とか考え方変えたり、気にしなくなるようにしたいのですが、もう少し時間がかかりそうです。

あと愚痴っぽいですが、東京という街・世間は、収入とか所有物とか学歴とか経歴とか勤め先とか地位とか、そんなものだけで価値・勝ちを決めるところのような気がして、その点も心の病をなかなか治せないでいます。

お礼日時:2007/08/24 14:43

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