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ピラトが「ユダヤの王のイエス」と書いたのは、(1)イエスを皮肉るため、(2)イエスに尊敬の念を抱いていたから、のどちらなのでしょうか?

教えて!goo グレード

A 回答 (8件)

ANo.2です。


お礼ありがとうございます。
少し補足を試みてみたいと思います。

>ただ、福音書をチェックしてみましたが「ユダヤ人を皮肉る」などの記述は見当たりませんでした。解説なさったことは解釈のひとつですよね?

はい。たしかに福音書には「ユダヤ人を皮肉る」という言葉はありませんので、解釈の一つと理解してください。
ただ、結構主流の説ではないかと思います。

当時のユダヤ人の状況はちょっと複雑で、なかなか説明するのが難しいのですが、この説の理由の説明にトライしてみます。

ローマ人によってユダヤ人が支配されるのは、B.C63年の事です。
かのカエサル(シーザー)との三頭政治の一角を占め、彼とは最大のライバルであったあのポンペイウスによってエルサレムが占領され、ローマ支配がはじまります。
パレスチナ地方の支配者として、もう1人ヘロデ王というのが出てきますが、彼はローマによって信任される事で統治権を得ていました。
一応、彼はセレウコス朝に反旗を翻したユダヤ人が一時的に王国(ハスモン朝)を打ち立てたときの王家の血筋であるとされています。
ただ、ユダヤ人は最後まで彼をユダヤの王とは認めませんでした。
つまり、セレウコス朝に反旗を翻したところに、ローマ人がやってきて(勝手に)ヘロデ王に統治権を与えてパレスチナ地方を統治していました。

ただ、ローマ人はユダヤ人の一神教を理解できなくとも、彼らの特異性(多神教の否定、他民族に同化しない、神聖政治)を見抜いていました。
そこで、エルサレムではユダヤ人の議会にある程度の統治権を与えていました。

このエルサレムを中心に、ユダヤ教は幾つかの派閥に分かれていました。

サドカイ派・・・主にエルサレムの最高法院(議会)の議員である司祭や長老、祭祀長などを構成する人々。思想的には、伝統主義・保守主義であり、モーセ五書を聖典として、それ以後に生まれた書物や律法を認めようとしませんでした。

パリサイ派・・・サドカイ派に対し、都市の中下層市民の間に広まっていた派閥で、反ローマの感情を持っていた。その思想の背景には、選民思想が強く表れており、他の民族と自分たちを選別する事で宗教的清潔さを守ろうとした。

エッセネ派・・・都市から離れ、隠遁生活を送り終末に備えようとする人々。かのクムラン教団は、この派の人々が作ったと考えられている。
また、パブテスマ(洗礼者)ヨハネの教団も、このエッセネ派と考えられている。


この三つの派は、それぞれ反発しあっていました。
特に、パリサイ派はサドカイ派の人々をローマの傀儡に成り下がった人として軽蔑していました。
しかし、その軽蔑している相手が自分たちの直接の支配者でした。
そこにイエスが現れた。
彼は、「救世主」でありきっと自分たちをローマ支配(と、ついでにサドカイ派の人々)を打ち倒してくれると期待しました。
しかし、いっこうにローマへの反旗を翻す様子が見られないことから、徐々に不信感も芽生えはじめていました。
また、サドカイ派の人々はイエスが民衆を扇動して自分たちの地位を脅かすのを恐れていました。(これには、民衆が反乱を起こしてローマが進軍してくる事も含まれます)

しかし、イエスには民衆を扇動してローマに反旗を翻す気持ちはありませんでした。
ユダヤ人のいう「神の国」は地上で自分たちの国を持つことでしたが、イエスの言う「神の国」は「死後の世界」の事でした。
この事がユダヤ人には理解できなかった。

ともあれ、そのイエスへの危険視(サドカイ派)と不信感(パリサイ派)に過ぎこし祭りの熱気も加わって、不穏な雰囲気が流れていました。
そんななかで、サドカイ派の人々がイエスを捕らえ、宗教裁判にかけます。
先の回答にも書きましたが、宗教面での裁判権はユダヤ人に委ねられていましたので、あわよくば宗教的な犯罪(異端)として処罰しようと考えていました。
しかし、いくら尋問しても彼から宗教的な罪は出てきません。
そこで、サドカイ派の人々はピラトに委ねローマ法によりローマに反旗を翻した政治犯として処分してもらうことを思いつきます。
こうすれば、イエスを信奉する民衆の敵意もローマにそらすことが出来ると考えたのです。


なので、ピラト自信は「イエスにローマ反逆の意志がないこと」、「イエスという男の問題は、ユダヤ人の支配層の嫉妬心であること」を見抜いていました。しかし、ピラトの最大の関心事は自分の事でした。(つまり、ユダヤ人が大人しくしていてくれて、問題が起きないこと=自分の地位の安定、事なかれ主義)
そこで、ヘロデ王に責任転嫁しようとしますが、ヘロデ王はこの機会にローマの知事(ピラト)と仲良くなっておこうと、ピラトに同調します。
そして、ピラトは(ヘロデが突き返してきた事を迷惑に思いつつ)ヘロデも罪が無いと言ってるではないかとして、一つの提案として過ぎこし祭りの特赦を出そうと言います。
ここにいたって、議会派が民衆を扇動することに成功した事もあって(民衆は「イエスを十字架に」と連呼して、ピラトに圧力をかける)、ついにピラトは屈し、イエスを十字架刑に処します。

この時のやりとりで、「あなたがこの男(イエス)を許したら、ローマ皇帝の友ではありませんよ」と、ユダヤ議会がピラトを威嚇していました。
それに対する反撃(いやがらせ)として、「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」とプラカードに書かせました。
これに対して議会は、「ユダヤ人の王自称せしもの」と書き改めよと要求しますが、「すでに書いたことは改められない」としてピラトはこの案を退けます。(このへんのやりとりは『ヨハネの福音書』のみの記述だった気がします)

ピラトとユダヤ議会の間では、政治的駆け引きが行われていました。
ピラトからすれば、イエスを信奉する民衆から上司であるシリア総監やローマ帝国本国に直訴されるのを避けたかったし(当時、ローマの属州の民は、知事や総監を訴える権利があった。所謂、リコール権みたいなもの)
、ユダヤ議会も民衆の怒りを買いたくなかったのです。

まぁ、その駆け引きの中で生まれた政治的な意味合いが強いわけです。
「ユダヤの王」と「ユダヤの王を僭称せしもの」とでは、なんか印象がちがいませんか?

因みに、ピラトは帰国後訴えられますが、それはイエスの処刑に関してではなく、私利私欲を肥やした所謂、着服(税金のピンハネ)です。
思わぬ長文になってしまい、申し訳ありません。
参考になれば幸いです。
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 質問の答えは、以下の箇所からどちらでも無いと考えます。

マルコの福音書を選んだのは、四福音書の中で最も古く、しかも共通項が多い為です。二資料説などをインターネットで検索すると福音書に関する考察が見えてきます。

 以下に、新共同訳聖書 マルコ15:12~15を参考に写しました。《 そこで、ピラトは改めて、「それでは、ユダヤ人の王とお前たちが言っているあの者は、どうしてほしいのか」と言った。 群衆はまた叫んだ。「十字架につけろ。」 ピラトは言った。「いったいどんな悪事を働いたというのか。」群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び立てた。 ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した。そして、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。》

 最終的な回答は、質問者様が決めて下さい。

 ※余談ですが、著者に関しては、時代によっても諸説あり、定説があって無い様なところはあります。200年も300年も経てから、定説と言われていたものがひっくり返る事もあるようです。ピラミッドとかも有りますから。ですから、学問的に研究するのと、社会思想などと捉えるか、歴史と見るかなど、視点は数点あると思います。私は、宗教哲学と見ます。

 以上参考までに。
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ANo.2の方のご回答に同意します。


日本基督教団出版局の新約聖書略解にも、十字架の罪状書きの意味としてはほぼ同じ内容が書かれていますので定説と言ってよいと思います。
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No.3です。



>読者のなかに論の糸筋を明確にたどれるお方は何名くらいおられようか。

以前、白雪姫の物語で、「どうして女王様はあやまって指を刺し、雪に3滴の血が落ちた」という表現になったのか みたいな質問がありました。

いろいろ説が出ましたが、私はどうして<女王様>ではなく、<作家>がそういう表現にわざわざしたのかの推理を書いたことがあります。


何故なら、この女王様は架空の存在で、作家の頭の中だけに住んでおり、作家の頭の中に入っている情報次第で話の内容は決まるから。


だから血と雪と3のシンボルに着目して、「どうして床とか布とかじゃなく、雪の上にわざわざ落とした描写にしたのか」を推論で書きました。


もし今回の質問が、「魔法戒の王、ゴドリック谷のハリー」と書かれたのは何故なのか」でしたら、私はハリー・ポッターシリーズをほとんど読んでいないので、答える気もなかったでしょう。


真剣に話をされているところ悪いですが、ハリー・ポッターは 実在の人物ではありません。ここは哲学カテですから、哲学に添って質問・回答した方が・・・」と言ってしまうかもしれません。


哲学は基本的に現実に則して話を進めなければならないと思います。
神話についてでも、「死と再生」が「破門と破門の解除」の意味として使われているのなら哲学カテでOKだと考えます。
現実そういうことは実行可能で、ありえることだから。


ユダヤ教の聖書。
哲学者(聖書作家)たちの間では、ある人の思想をその人の名前を出して物語を作って、その思想の内容を他人に公開するのではなく、<かつての偉大な人とされた人の名前を使って>、物語を作り、思想を伝えていくという作家同士の暗黙のお約束がありました。


だから、モーセやダビデやソロモンたちの話がいくつもあり、どれが現実に起こったのか、実は誰も知らないんです。
作家の数だけ彼らの武勇伝ができた。

例えば、ある人が自分の祖父はすごい哲学を生み出したと思ったとしましょう。
「ヨシア物語」としてヨシアつまりイエスが主人公になり、物語は祖父の思想を、現実あったことと思えるような内容で語りだすのです。


主人公は祖父の名前でもなく、作家の名前でもなく、<あの>ヨシア王(イエス王)の名前を使う。

ヨシア つまり イエスは肩書きみたいなものだと思います。
探偵物語を書くとき、主人公の名前を<明智>としたりするようなもの。


福音書は何百とあったそうです。
今では4つだけですよね。
どうしてか。
聖書を作るとき、編集者がどの福音書を好んだか次第で聖書は作られたから。


他を燃やさせたので、4つしか残っていないんです。
(実際は、燃やされたはずの福音書が地中から出てきていますが、教会が隠蔽なのか統合目的なのかわかりませんが、焚書命令を出したとき、4つ以外の福音書は焚書処分になったんです。)


つまり 編纂者の好みにより作られたのが、あなたが呼んでいる聖書。
神ではなく編纂者の嗜好に添って作られた聖書。


聖書編纂に関わったエイレナイオスはヨハネの福音書が一番好きで、それ以外はどうでもよかった。
エイレナイオスは、イエスは50歳を超えても生きていたと文章に残していたのだとか。

エイレナイオスが何故ヨハネの福音書のみを信じたかというと、彼の師匠が、使徒ヨハネの弟子だとされたからだとか。


さて、ヨハネの福音書を書いた作家は誰でしょう。
使徒ヨハネじゃないってことは、大筋の研究科の一致する意見。



聖書編纂者のエイレナイオスはディアスポラしたチャキチャキのヘレニズム文化で育ったユダヤ人系ギリシャ人。

だからギリシャ神話のようなヨハネの福音書が一番好き としたんじゃないかと思います。
(ギリシャ悲劇的ですから)



で、、、「あれこれ説明はいいから、1と2のどっちが真実だと思うか答えてください」と言われてしまうと、、、、、

どっちが好きか?って質問ですか?
それ、、、、哲学じゃない。
個人の嗜好の問題は哲学にならない。

確かにエイレナイオスらの好みで作られた聖書に載っていますが、、、、

確かにヘロデ家とつながりのあるものが、サンヘドリンを構成していたという歴史上の事実はありますし、サンヘドリンありましたし、ピラトも実在の人物ですが、、、


そういうなら水戸光圀も実在の人物です。
でも、彼は諸国を旅して裁いて回っていません。
水戸黄門のドラマは架空の物語です。
物語に実在した人物の名前が出てきても、内容まで同じじゃあありません。


イエス王の称号を持った者、もう一人いましたね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%B7% …
『最後の数節は他者の手によって加えられたとする見方が一般的である。』

というより、あれだけ栄華を誇り名をとどろかせたはずのソロモンが、近隣諸国のどの書物には一切登場しない。

ピラトはローマ資料に名前があるのに、イエスのことはローマ歴史資料に無い。

「ハリーを探し出せ」は簡単にできると思うんですが、、、、
教会は焚書処分するべきじゃなかったと思うんですね。
何故 ダビデやソロモンやイエスの物語がいくつも今もって存在しているのか。
ユダヤ教は「例え異端とされるものであっても、神に関わることについて書かれている書物は燃やしてはならない」という掟があったので、いくつも物語が存在し続けたようなのです。

キリスト教は神について書かれている書物を穢れれていると燃やすことを命令しました。
神様燃やしちゃった・・・・ すごいですねぇ・・・・・。

自信があったら、異端思想を燃やさせるなんてことしなかったはずなので、やはり自信がなかったって証拠でしょう。
暴力がキリスト教の基礎部分だとしたら、神の名を使ってやりたい砲台の一部の権力者の都合のいい世界になってしまう。
神の名を使い、暴力により侵略・強奪ができる集団になってしまう。

ピラトが今生きていたら、どんなことを罪状版に書くでしょうね。
「世界の王= ナザレのイエス」

おもいっきり皮肉だと誰でもわかりますね。
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そのままだと思うヨハネ4:21に自称していたと書き直してと言う記述がありますよね。


つまりピラトはあなたたちがあざけ笑っている人があなたの王ですよ
と知っていたわけですね

ユダヤ人の王としてお生まれになったかたは、どこにおられますか
との記入もあります
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私の記憶では、「ユダヤ人の王、ナザレ人のイエス」だったと思います。



ユダヤ(ユデア)にはヘロデ王がいました。(子ヘロデじゃなく大王の方)
ヘロデ王の祖父だったと思いますが(大王の方じゃなかったと思います)、ローマが窮地に陥った時、軍を派遣し助けたことで、えっと、、レンズ豆で長子権を譲ったお兄さんの子孫であるヘロデが、ローマにより王位をもらったんですね。


で、そのヘロデの子供にはローマは王位を継がせず、大王なきあと、一時的にローマ帝国の属州となり、王が不在だった時期があった。

その一時的に王が不在だった時期のことが描かれているのかもしれない。

ナザレ人。
一説にはインド方面の科学者であり宗教集団であった集団(マギ?)の一部が、母体から別れ、ユデア方面に移住し、大工の仕事で生計を建てるようになり、その人たちが住む地域が大きくなり、後にその地域をナザレ人の町としてナザレと呼ぶようになったのだとか。
(実際に大工仕事をしていたのか、思想を建築するという意味の比喩なのかわかりませんが)


ヨセフスだったと思いますが、ナザレ人を厳格な宗教集団として評価していたと思います。

で、私 ふと思いました。
ユデアの王はイスラエル人から出るのではないのか?
何故ナザレ人と並べて表記したのか?

わかりません。


ただですね、その記述が書いてあるのが、奇跡話ばかり書いてあるヨハネの福音書ですよね。

現実照らし合わせてもありえないってことばかり書いてあるのがヨハネの福音書。

で、ピラトは、前任者の意向をひきついでおり、反ユデア主義だったんです。
サンヘドリンに対し、ローマにちょっとでも不利になりそうな人がいたら、しょっぴかせていたんです。
そして、なによりピラトは裁判無しに即処刑することで有名だった。

そして、その当時、朝 裁判などしなかった。

つまり、その話は現実とは違う、作り話である可能性が非常に高いわけです。

ヨハネの福音書が流行った地域はヘレニズム化した地域。
その地域にどういう思想があったかというと、贖罪。
神の花婿が人々を代表して、贖罪するという神話(なのか その当時まだ風習としてあったのかわかりませんが)のある地域で成立している。


どんなのかというと、花婿は女神との結婚前に、紫の衣を着せられ(高位の証)、沢山の処女と交わり、数日後、紫の衣を剥ぎ取られ、天と地に間に吊るされ、鞭打たれ、槍で刺される という風習が古代にはあtったんですね。ヘレニズム地域では。
これがヘレニズム地域に広くあった贖罪の儀式の雛形。


どっかで似たような話ありますよね?
ヨハネの福音書と描写がそっくり。

でも古いのはその風習の方。

そしてそのうちに王本人ではなく、身代わりの王が立てられ、やはり紫の衣を着せられ、同じような待遇を受けた後に、王の身代わりに生贄になっていったんです。

だからトマスの福音書だったと思いますが、そんな感じになっている。
(処刑されたのはイエス本人ではなく、身代わりの人で、処刑人たちは本人だと思い込んでおり、それをイエスが大笑いをしているという描写だったと思います。)


いずれにせよ、ヨハネの福音書の作家は、ヘレニズム地域にあった贖罪のその仕来たりを知っていた。
それでヘレニズム地方にあったその神話を使ってヨハネの福音書を創造した。

と考えられます。


で、何故 ユデア人の王、ナザレ人のイエスとしたのか。

創作物語ですので、実際のピラトはそんなこと書いていませんし、実際イエスなる人物の物語が作られ、そこに自分が登場することになるとは思いもしなかったでしょうがが、、、、
現実は横においておいて、物語を作った作家はどうしてそのような描写をしたのか。


マタイの福音書だったと思いますが、イエスの出生の予言だったか、出世にまつわるエピソードだったか忘れましたが、その子は将来ユデアの王と呼ばれる みたいなことが書かれていたと思います。


ヨハネの福音書は4福音書の中で一番最後にできたと言われています。
2世紀初頭くらい。

つまり、ヨハネの福音書作家は、マタイの福音書の内容を読んだか聞いていた。


それをヒントに物語の構想を練ったのではないかと思えます。

では、後ろの部分のナザレ人のイエス とはどういう意味なのか。
ナザレ人がユデアの王になるという意味なのか。

でも、ナザレ人は、イスラエル人じゃあないはず。


どうして作家はそのようなことを書いたのか、わからないです。


ただ、ヨハネの福音書が書かれだしたのは、80年頃とか90年頃と言われており、その後何回も修正が加えられ、2世紀初頭にやっと大筋の話が決まったようなので、その前の写本が出てくれば、元々の話はどうであったかわかり、加筆されたり修正された箇所がわかれば、その変化により、どうしてそいうストーリーになったのか、わかるのではないかと思います。


時代背景も知れば、修正された理由がわかるかもしれません。



ローマはユデアを保護していた時期もあったし、他の植民地に比べ、ユデアを特別優遇していたんですね。
だから 近隣諸国にはユデアは妬まれていた。
ローマに愛され、ローマの庇護の元に安全が保証され、豊かな国だったから。
(アメリカの庇護の元ある安全の中に暮らす今の日本みたいなものだった。)



しかしピラトなどのど統治者も悪代官(聖書では善人として描かれているが、実際は冷血な男だった)で、自らの悪行を隠すため、ユデアの人々にローマに蜂起してもらいたかった。
そうすれば、ローマに内緒でちょろまかしていたものを隠し通せるとして、ユデアにぜがひでもローマと戦争をしてほしく、たきつけにたきつけたんですね。


異教の偶像を神殿に建てようとしたり。
つまりユデア人から宗教を奪おうとした。
そしてそれはローマがやったことにした。
それでとうとうユデアの人々はぶちきれてしまったわけです。


日ごろは温和なユデア人も、宗教を奪われるということは命を奪われるにも等しいわけで、文字通り命を懸けてローマと戦った。
勝ちましたが、そうすると、ローマが本気出して鎮圧に乗り出したので、結局、負けてしまったんですね。


その戦争に負けたことで、ユデアの人々は殺されるか、殺されなかったものは奴隷としてローマ帝国の各地に売り飛ばされたわけです。

ギリシャ方面にも当然売り飛ばされたでしょうし、元からディアスポラしてその地域には本国の何倍ものユデア人が住んでいたし、国はもう無いし。

ローマと仲良くするしかないじゃないですか。
だから、ローマが悪いんじゃない ユデア人が神を殺したという物語を作った。
それでピラトは悪代官であったにもかかわらず、善人扱いに聖書ではなっているわけです。


で、サンヘドリンのユダヤ人が神を殺した物語を作り、ユダヤ人がイエスを殺したとなり、キリスト教によるユダヤ教弾圧が起こり、それがとうとう20世にユダヤ人皆殺し思想に繋がってしまって、ああなってしまったわけです。

つまりホロコーストはヨハネの福音書が原因。

創作の物語が原因で、現実沢山の人が殺されたわけです。


というわけで、聖書作家はどういう意味でその話を作ったのかは、恐らく生贄の儀式をモチーフにして物語を作った私は思います。

従って、物語上のピラトは、イエスの神聖を見抜き、女神の花婿としての資格があると認めたため、書いたのかもしれません。


ただ、何故ナザレ人なのか・・・・
ここは今のところわかりません。

聖書作家がナザレ人を崇拝していたため こんなところに出てしまったのかもしれません。


というわけで 1でも2でもないと思います。
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この回答へのお礼

回答はたしかにありがたいですが、読者のなかに論の糸筋を明確にたどれるお方は何名くらいおられようか。

お礼日時:2007/08/28 20:07

イエスが活躍した当時、ユダヤ人達ははローマ帝国の支配下にありました。


そして、当時のユダヤ人の議会には、罪人を死刑(十字架刑)にする権限はありませんでした。
ただ、宗教的な私刑としてむち打ち刑などを行う権限はありましたので、その中で死者が出る場合もありましたが、、、。
イエスが受けた十字架刑は、あくまでもローマの処刑法です。

イエスとユダヤ人議会は対立状態にありました。
そして、議会はなんとしてもイエスを罪人に仕立て上げ「死刑」にしたかったのです。
そこで、ピラトに掛け合いイエスを「死刑」にするよう求めました。
ただ、ピラトにすればイエスにローマ法に照らした罪状は見つからず、何の罪で彼を訴えるのかとユダヤ人に尋ねます。
そこでユダヤ人は「ユダヤ民衆を扇動し、ローマ帝国に反旗を翻した罪」という罪状を出します。

なので、「(1)イエスを皮肉るため」ではありません。
また「(2)イエスに尊敬の念を抱いていたから」とうのもないようです。
ピラトは、ローマの総監としてユダヤに地を治めていました。
彼の願いは、自分の在任中に何事も起きないこと(そして私腹を肥やすこと・笑)でした。
しかし、イエスが現れた過ぎこし祭りの日は、不穏な空気に包まれていました。
ただ、この不穏な空気はユダヤ内部の話であり、自分(ローマ)とは関係なく、出来れば関わり合いにならずに済めばと思っていました。
それに反し、なにがなんでもイエスを打ち倒したい議会派はなんとかしてイエスを裁こうとしました。
しかし、イエスを尋問してもユダヤ教の律法では決定的な罪状が見つからず、最後の手段としてピラトに政治犯として訴えることにしたのです。

ピラトはイエスへの尋問から、ローマ帝国への反逆の意志は無いと判断しユダヤ人に突き返します。
しかし、ユダヤ人側がこれに納得せず、かたくなにイエスを「無罪」にしては逆に反イエス側の人間が暴動を起こしかねない雰囲気でした。
そこで、過ぎこし祭りの「恩赦」制度を利用して「殺人犯で死刑の確定しているバラバとイエス、どちらかに恩赦を与える。どちらを十字架に架けるか?」と問います。
するとユダヤ民衆は「イエスを十字架に」と叫び、イエスの十字架刑が決定します。

そして、ピラトは罪名を考えなければならなくなりました。
帳簿と十字架上のプラカードに罪状を書くのは、ローマの慣例だったからです。
そこで、こんなやっかいな議案を持ちかけたユダヤ人に対する皮肉を込めて「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」という罪名を思いつきました。
議会側は、「ユダヤ人の王を僭称せしイエス」と書き改めよとピラトに要求しますが、ピラトはそれを突っぱねます。

なんで、イエスを皮肉るためというよりはむしろユダヤ人を皮肉るためとしたほうがいいかもしれません。

以上、参考になれば幸いです。

※因みに、ピラトは後にユダヤ人のリコールによって罷免、帰国後に私腹を肥やした罪などでも訴えられているようです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます、こんなに詳しくご回答いただけるとは思ってもみませんでした。
ただ、福音書をチェックしてみましたが「ユダヤ人を皮肉る」などの記述は見当たりませんでした。解説なさったことは解釈のひとつですよね?

お礼日時:2007/08/28 20:03

処刑を求めてきたユダヤ人たちに一種の論理問題(パラドックス)を押しつけたのだと思いますよ。

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